カテゴリー: ノート20

ペトロ、どうして私の弟子たちは敵意のうちに散らされているのか?

1988年10月13日 in ノート20

僕ジェームズにこの言葉を述べたい:あなたに私の園から取った実を与えた、私の娘を養っているようにあなたと僕ディビッドをも養っている。私の実を食べなさい、賜物を受け取りなさい、決して私を拒まないように。主なる私は、祝福を与えつつ、ともにいる、後になって十分理解するだろう、覆いがすっかり取り除かれ、私の栄光を目の当たりにしたなら、愛している、あなたには決して理解できないほどに、どの人間の思考も、この理解には到達し得ない。ひとたび覆いが取り除かれたなら、その時は高くそびえる木を妨げ低い木を育てるのが私であることを、理解するだろう。

主よ、たくさんの人が主のことを不正だと非難します、そして、「もし神が在るとすれば、もしそうなら、不正な神だ」と言って離れていこうとするのです。

花よ、この人びとに言う、「あなたが死ぬのは、自らに対して犯した悪、あなたたちの棄教のためである、悔い改めなさい、罪を放棄し、私に立ち帰るなら、あなたをゆるす」私をあなたのあがない主、慰め主と見なしなさい、私は光として今日の暗やみの世界を照らしに来た。私の家は混乱と議論、己が利益を求め、聖性が無視された中で統治されている、ペトロよ! ペトロ! どうして私の弟子たちは敵意のうちに散らされているのか? 私の手で祝別された者よ、兄弟、永遠にあなたを愛おしむ。私の聖心は愛する私自身の者たち、自らの者たちの打ち込む棘によって傷ついている、あなたに私の傷ついた心を現そう、また新たに、この聖心は貫き通され、血がほとばしり出ている、私自身の者たちは誠実さに欠け、私を再び十字架につけた、愛が欠けているため、私の体は痛み、愛が欠けているため、唇は乾く、私は渇いている、愛する者よ。この者たちは私のやり方を忘れてしまった、私が謙遜、柔和で愛に満ちていることを。あなたに求めるのは愛だけである、私があなたを愛するように、互いに愛し合いなさい、どうして私の教会の中で戦うのか? 私の面前でこのように言い争い、憎み合うのか? このように毒を持った宣言文を配布するか? この者たちの聖性はどうなってしまったか、私の園をなぜ疎かにするのか? 私の小羊たちはかつてないほど散らされ、残るわずかな小羊も見放されて檻にいなくなろう。ペトロよ、私の目は、彼らが互いに非難し合うのを見厭きた、私の土地を荒廃させ、小羊たちに与える何をも持たないで。そのやり方を受け入れるわけにいかない、愛と平和を与え、人を裁くようにと教えたことはないのに。ヴァスーラ、私は思いやりをもって統治している、私の聖心は血を流し引き裂かれる、どうして彼らは私を挑発するのか? 私の光を受けていながら兄弟を憎む者はまだ闇の中にいる、とは言わなかったか? 本当に分かっただろうか、「祭壇に献げ物を運ぶとき、兄弟の恨みを突然思い出したなら、すぐそこに献げ物をおいて、兄弟を探しにゆき、先ず和睦してから澄んだ心で戻り、あなたの献げ物を献上しなさい」と言ったときに言おうとしたことを、この言葉のうちに、互いに和を保ち、愛し合い、仲直りし、私の家で献げ物をする前に和解するようにとの意を込めた、子よ、私の心も最初の弟子たちの心も愛には決して欠けていなかった。

主よ、そのお苦しみを感じ、私も苦しんでいます、主の忍耐はなんと大きいでしょう!

ヴァスーラ、私の子よ、私は死者のうちから復活した、私を信じ、希望し、愛しなさい、主なる私は決してあなたを見捨てない。

主よ、どうぞ私を復活させられたように、他の子どもたちも復活させてください。

そうする、あなたが求めたからでなく、それが昔も今も私の意思なるがゆえ。来なさい、私の現存を忘れないように。愛する者よ、最後は勝利を得るだろう。

一致を求めるなら、皆が曲がらなければならない

1988年10月12日 in ノート20

主よ、わが神。

ヴァスーラ、手助けをしよう、三本の棒の例えを覚えているか? 真っ直ぐに立ち、硬直した棒を?

はい、覚えています、主よ。(1987年6月2日のメッセージ)

よろしい、一致できるには三本とも曲がらなければならない、二本だけでよいと言ったことはない。ヴァスーラ、あなたの神、私は、あなたたちを本腰で一致させるつもりであると分かったか?

今日お会いしたらまず昨日のメッセージ、十字の切り方について、お尋ねしようと思っていました。

分かっている、娘よ、だからこそ、「一致を求めるなら、皆が曲がらなければならない」という意味が何であるかを理解してもらいたい、皆への愛と限りない慈しみにより、一致の手助けをしに来た。ヴァスーラ、素朴な心で私を求めなさい、私は愛する神、柔和で謙遜な者、私のやり方を覚えておくように、一致を可能とするため、自己中心の意向を捨て去り、私の声を聞き分けなさい、あなたたちみことばを任せ、何千もの魂を任せた者たち、私の羊の群れの頭に任命した者たち、なぜ私でなく、己が利益を求めるか? 私の小羊たちは散らされた、散らされた……私は、花よ、諸国の民を集め、聖職者を召集し、私の愛によって刷新しに、あなたを通して降ってきた。

主なる救い主よ、この人びとはどうやって自らの誤りを認め、知るようになるでしょうか?

自らの誤りに気づく方法は、私の意思を求めること、悔い改めて、私の慈悲を思いめぐらし、その摂理的わざを踏みにじるかわりに、信じなさい、真心こめて私を礼拝し、あなたたちのでなく、私の利益を求めるように。

主よ、「利益」が何かをよく分かっていないかもしれませんが、おゆるし下さい、利益とはこういうことでしょうか、「主のお望みが、今散らされている羊の群れを連れ戻し、集めるだけである」と?

愛する者よ、あなたですら私が何を最も望んでいるかを理解している、しかし私が望むのはこれだけでない、この啓示を読むなら分かるだろう、ヴァスーラ。

はい、主よ。

娘よ、あなたを迫害する者を祝福するのを忘れてはいけない。愛は常に忍耐強く、寛大です、聖なる生活を送りなさい、あなたに示している忍耐を思い起こし、娘よ1、私の似姿となりなさい、私を信じ、希望し、愛しなさい、さあ、私の霊のうちに憩うように、最愛の者よ、私の愛を感じて、あなたの神、私を崇めなさい、「私たち」?

お包み下さっている愛に感謝します、私の霊に示されている忍耐、寛大さと慈しみを感謝します、私は主を信じ、礼拝し、主に希望をおき、愛します、アーメン。

ああ、愛する者よ! この言葉をあなたの口から聞いて、私の心は愛で大きく膨らむ2!!

ああ、神よ、どうして愛さないでいられましょう、あなたのために生きているのです。土くれに過ぎませんが、私はあなたのものです、行うすべてはあなたのため、自分の利益でなく、み名の誉れを求めています。あなたの小羊たちをみもとに連れ戻し、ご意思に従おうとしています、主よ。あなたが大切です、それで主に与えられ、お教えいただいたこの愛ゆえに願います、お望みなら、これからもずっと主の誉れとなれますように、私の信仰を深め、限りなく愛させてください、アーメン。

私の園から取った実で養う、愛する者よ、あなたを迫害する者たちの目の前で養おう、これが私の意思なるがゆえ。

主イエスよ、ありがとうございます。

与えたものをしっかりと保ち、その宝を誰にも奪われないように、私を固く信じなさい、さあ、手を取り、囁くときはよく耳を澄ませて。

私自身の者たちにほとんど理解されていない

1988年1月24日 in ノート20

ヴァスーラ、私の気持ちを(……)に打ち明けたい。聞きなさい。兄弟よ! 魂よ! 「神は奉献された魂にしか近づかれず、引き上げられない」という理論を永久に捨て去りなさい、私は敬虔な魂だけに近づくのではない。私は差別をしない。それをどうして、別け隔てする神だと言うのか? あなたたちの多くが、私の恵みは敬虔な姉妹、兄弟たちだけに与えられるといまだに信じているのを見て心が痛む。わかるか、子よ、私自身の者たちに私がどれほどわずかしか理解されていないかを? 

(イエスは悲しみのうちに、頭を片方に少し曲げ、聖心に手を挙げられました。しばらくこうしたままでした。とてもお美しいお姿で)

私は私の教会の外にいる多くの人びとを訪れている、そう、……みじめな魂たち1、……改心させて、私に熱心に従わせ、使徒とし、聖人とした。それでいて、教会の権威ある人びとの多くはこうした私のわざを見落とし、無視する。この魂たちを全く認めようとはしない、知ろうともしない。彼らの分け隔てによって多くが拒まれてきた。「神は修道服をまとった敬虔な魂たちにしか訪れない」という理論は間違っている。あなたたちは大きな誤りを犯している!

(穏やかな悲しみを湛えたイエスは、今は苦渋に満ちておられました)

どれほど多くの魂に近づいたか、あなたたちが知ったなら、この人びとは必ずしも修道服を着ておらず、私に献身的でさえなかった、ところが聖人に変えられた!

愛する者よ、香りによってあなた自身が私の現存を識別したことを、本当に忘れてしまったか? 私の香りであなたを包み、祝福したのを! さあ、今に学ぶだろう。私は多くの魂を私の平和と愛のメッセージで回心させ、失われた小羊たちは戻って来て、腕に飛び込んできてくれた。歓びなさい、魂よ! 迷子の小羊が主人を見つけるほど、大きい奇跡があろうか! 羊飼いにとっても、迷子の羊を再び見出す以上の歓びがあろうか2! 私の誉れとなりなさい、……私のわざに栄光を与えなさい、愛する者よ……私の種子を蒔きなさい。私の誉れとなり、平和と愛の十字架を担いなさい。羊飼いの呼びかけに気づいて、私の救いの奇跡を兄弟たちに知らせなさい! 隣り人たちに告げなさい! よい知らせを告げなさい、私のわざを知らせなさい! 私のわざが知られ、奇跡が知られるように。

私はあなたを訪れ、あなたの燭台に油を注いだ。私の光を与えた、あなたの床の下にこの明りを隠してはいけない、それでは役に立たない。さあ、台の上で輝くようにあなたの燭台に油を注いだゆえに歓びなさい、兄弟よ、皆がその明りを見て、私からのものであることを知るように。私はあなたを訪れた、魂よ、あなたには私が分かった。魂よ、私を招き入れてくれて、私はあなたの食事を分かち合った、歓びなさい!

私の神聖なわざを宣言し、皆に見えるよう、私の光を屋根の上に掲げて私を称えなさい。皆が見えるようにしなさい。この明りを見たなら、皆ははるばる遠くから集まってくる、私がどうやってあなたを訪れ、この明りを与えたかを知らせなさい。

私の平和を持つように……

あなたたちは聞き、再び聞くが、理解しないであろう

1988年1月18日 in ノート20

主よ、すべてがみ旨からのもので 起こるすべてが主のご意思によるのでしたら、どうしてメッセージを受け入れてもらいたいと願っておられる魂たちの心を開かれないのか私には分かりません、主がそれをお望みなのですから。この方がたをどうして照らされないのでしょう?

ああ、娘よ、愛する者よ、あなたを癒やし、改心させたことを歓び、幸せに思いなさい。私を畏れる者たちには代々に私の慈悲が及ぶ、しかし棘となって突き刺す者たちに対してはイザヤの預言が繰り返されている、「あなたたちは聞き、再び聞くが、理解しないだろう、見て、再び見ながら、悟らない。この国の心は粗雑になり、耳は聞く力を鈍らせ、目は閉じてしまった、目で見て、耳で聞き、心で理解し、私のために改心し、癒やされるのを恐れて」娘よ、永遠の昔からこの人びとの頑なさを予見していた、この時代に与えられた私の摂理的わざを拒み、彼らはその特権を失った、ヴァスーラ、あなたたちのうちに一番見いだしたいもの、それは信仰希望1 だが、これらが身につくよう、繰り返し繰り返し何百回も祈り求めなさい。

主よ、皆の中でもジェームズ神父とディビッドに主は光を与えられました。

私を見て、聞き分け、感じるように、二人を照らした、誠実である証しを立てる者には光を与える、知者は誠実さに欠けるがため、光を与えない、主なる私は貧しく卑しい者を探し求めている、あなたが小さいほど、私は偉大さのうちに上からかがみ、引き上げようと手を差しのべたくなる、あなたが小さく、つまらない者であるほど、私の聖心の奥深くに入りやすくなる、ヴァスーラ! 見えるか?

(イエスはあるヴィジョンを下さり、そこには廊下と通路を遮る大きな岩の塊がありました、その向うには強いまぶしい光が見えますが、その岩があって廊下には光が射していません)

その岩とは私に通じる道を塞ぐ者たちだ、大きいあまり、私を求める人びとの上に光が射すのを妨げてしまう、この者たちに、主なる私は言う、あなたの権勢を忍ばないだろう、その傲慢にあきあきした、私の杯は満ちている、時が訪れたなら、一人ずつ呼んで悔い改めさせる、忠実でない者は災い、私と顔を合わせる日が来るだろうから。

イエス、分かり始めたのですが、身を低くする謙遜な本当の弟子たちは主の啓示を喜び、主に不忠実な者たちはこの啓示を喜ばないでしょう、つまりある人にはよくて、ある人には悪いわけです。

そう、ヴァスーラ、これで分かったか2

聖マリア、私はみじめな者ですが、支えとなっていただけますでしょうか? 勇気をお与え下さい、位階職で耳をかして下さる権威ある方が一人でもおられないでしょうか? 一人だけでも。

ヴァスーラ、私の娘よ、イエスはあなたを愛しておられます、あなたが愛おしい、祝された者よ、イエスと私が今助けましょう、主のご好意を得られるよう、祈りなさい。

はい、お母さま、正しい言葉が見つかりますよう、お助け下さい。

私です、花よ。皆を愛している。決して疑わないように。

助けをお与え下さり、ありがとうございます。

愛が多くの試練を堪え忍ぶよう、助けてくれます、子よ、イエスがご自身の力をお与えになります、いつも励ましてあげましょう、怖れないように3 、あなたを護っています。

私は主、愛する魂よ、今から私の誉れとなり、ともに歩みなさい、私の望みを達成する力を与えよう、どんなに愛しているか! あなたの魂が決して把握し得ないほどに、その愛は大きい。

私の平和と慈悲、愛と正義のメッセージが今あなたたちの間に降る。私を称えなさい、私の愛が、義によって下される罰からあなたたちを救うだろう。

ああ、ペトロよ4 、私が自ら選び出し、聖化した者よ、あなたから目を離したことはない。この長い年月あなたを見守り続けてきた、今私は戸口に立っている、兄弟よ、いとしい者よ、戸を叩いて、中に入れてくれるか? 私を拒まないように、ペトロよ、愛している、耳をかしなさい、私の声を聞いてほしい、私の声を聞き分けなさい。それは主なる私です。あなたに平和、魂よ、歓びなさい! 血を流す私の体を一致させ、小羊たちを集めに来た、私の園を灌漑しにやって来た、私はイエス、あなたの救い主。見るように5 ! 見るように、ペトロよ、私の聖心には再びこれほど多くの棘が突き刺さっている、愛する者たちから受けた棘が!私の魂は再び傷つき、われわれ二つの御心は踏みにじられ、どちらも茨の冠を再び被せられている6 、この脇腹は大きく引き裂かれ、血がほとばしりでている。今あなたの戸口に立ち、密かな救いの計画を携えてきた、それはここにある。この啓示は私の声、心を込めて、心を込めて、あなたたちを愛する。

私は自由にみことばを与える

1988年1月10日 in ノート20

わが神よ、私と同じようなみわざが行われている魂について時々耳にすると、本当に嬉しいです、方法は違っていても、超自然的な仕方で。すでに二人の婦人たちのことを耳にしました、私とほとんど同じメッセージを受けていますが、この方がたは、聖ヨハネのように脱魂状態になるのです! 聖霊から与えられて。

私は自由にみことばを与える。常にそうする、愛する者よ、私を喜ばせ、ともに祈りなさい、私の魂があなたに好意を示した。

さあ、ともに祈ろう1

御父よ、正義なるお方、み旨を喜んで行います。

限りなく感じやすい御心を、進んでお喜ばせする用意があります。

まだ突き刺さっている、その棘を私の愛におき換えて。アーメン。

さあ、もう一つ祈りを教えよう、あがないとして大変効果的な祈りを。次の言葉を私について唱えなさい。

主を信じます。

礼拝します。

希望します。

そして愛します、アーメン。

けれど主よ、これはファティマであなたの平和の天使が唱えた祈りです。

こう祈るよう私が天使たちに教えた、今度はあがないのために、私の子たちにもこの祈りを教えている。

そうです、主は本当に私の希望、私の幸せ、ほほえみです。
主を信じます、
あなたは私の人生の喜び、いのちです。
永遠に主を崇め、礼拝します、アーメン。

さあ、私のもとに来なさい2、十字架の印をするように、

(私は立ち上がり、主のもとに行き、ひざまずいて十字を切りました)

そう、三位一体のうちに、愛している、娘よ、「私たち、共に」?

はい、主よ。

皆に知らせなさい、知らせなさい。

主がおっしゃっているのは、十字架の印をする時、東方教会で教わったやり方をしたということなのです。親指、人指し指と中指を合わせるやり方、つまり三位一体です、三位一体を確認するやり方です。

科学

1988年1月9日 in ノート20

主よ、聖痕を受けた人びとを信じない科学者たちについて読みました。そのような人びとは精神病者であって、聖痕は暗示によって植えつけられたと言い、自分たちが奇跡を信じないことをはっきりと認めています。すべては自然的に説明できると言いながら、何ひとつ説明はしていません。

科学は、私に敵対するための知者たちのお気に入りの武器であり続けるだろう、あなたたちの間には決して耳を開かない魂がある。彼らは私の目に最もあわれみを誘う。この失われた魂たちのために祈りなさい。

ラザロを復活させたように、ロシアを復活させよう

1988年1月4日 in ノート20

ヴァスーラ1! ああ、ヴァスーラ! 私の愛する娘の一人が死んで横たわっている! あなたの姉妹の一人が!

主よ、それは誰ですか?

私が深く愛する娘、ロシアだ。来なさい! さあ、彼女を見せよう。

(神は私を砂漠の端まで連れて行き、腕を伸ばして、はるか向こうを人差し指で指し示し、焼けつくような太陽の下で死んで倒れている主の娘、私の姉妹をお見せになりました。虐待によって痩せ衰えた彼女の体は、荒れ野の真ん中に横たわっていました。死にひんしてさえも見捨てられたようでした。慰めてくれる者もなく、孤独な死を遂げていました。この痛々しい姿を見た時、私はかわいそうで思わず泣きだしてしまいました。彼女を見ておいおい泣きました。)

ああ、泣くな。私が彼女をよみがえらせる、ヴァスーラ。私の栄光のためによみがえらせる。ラザロを復活させたように、彼女を復活させよう。

ああ、神よ、あまりにつらくて……

あなたの感じているつらさは私のつらさとは比較にならない。彼女を愛している、ヴァスーラ、あなたも彼女をあわれみなさい。死んで横たわり、熱風にさらされたままにはしておかない。ヴァスーラ、あなたの姉妹を愛しなさい。彼女をあわれみ、彼女のもとに行き、愛しなさい、愛しなさい、誰からもまったく愛されていないのだから!
ヴァスーラ、彼女は私を見捨て、背を向けた。成長し、彼女が愛する時が来ると、私に背を向けてしまった。私のマントを分かち合おうと呼びかけたが、そうはせずに行ってしまった。大人になったと感じ、自分で自分を養っていけると信じた。私に背を向け、歩み去った、不貞の妻のごとく逃げ去ったのだ。
 愛する者よ、娘を失うとはどんなことか分かるか? 私の心は引き裂かれた。私は泣いた。それではまだ不十分だとばかりに、彼女は誇らしげに、自責の念などみじんも見せず、自分の父である私とすべての殉教者の聖人に対して、公然と宣戦を布告したのだ! 彼女はもはや私を信じなかった。私を礼拝することも、私に希望を置くことも、そして私を愛することもやめた! かつて分かち合った私との愛を忘れてしまったかのようだった。
 彼女に息子や娘たちを与えたが、怒りにまかせて私の子どもたちを虐殺し、焼き尽くす献げ物のようにサタンに手渡した。そしてそれでも不十分だとばかりに、自分の望みをすべてかなえてくれるならと、サタンを頼り、彼に忠誠を誓い、私の代わりにサタンを礼拝するという契約を結んだ。サタンは、自由に振る舞わせるならという条件で承諾した。そしてサタンは、彼女を私から完全に引き離した。サタンが私との絆を断ち切るのを彼女は許した。サタンは自分を信頼させた。裏切り者であるサタンは、私の娘をまず沼地に連れて行った、そこは、泥沼に足を取られる恐怖のために、どうしてもサタンに頼る他ない場所であった。娘はサタンにすっかり頼らせてほしいと願った。
 ヴァスーラ、かつてエルサレムは、私の家、私の聖なる家から逃げ出して、道徳心のない娘となり、次から次へと子どもたちをいけにえとして献げた。私の娘であるロシアは、それと同じことをするのが賢明だと思ったのだ。私の聖なる贈り物をサタンに献げ、サタンはそれらすべてを武器へと変えた。サタンは自らの栄光で彼女の目をくらませ、目が見えなくなった彼女を沼地から連れ出して、渇きで死ぬように荒れ野の中に置いた。彼女が裸で歩き、自ら流した血の中でもがくのを私は見た、彼女に呼びかけたが、聞こうとはしなかった。再び呼びかけたが、私の声を聞こうとはしない。むしろ私を挑発し、自分の道徳を支持させようと妹たちを呼びつけた。妹たちが拒むと、剣で強要した。「剣を振り上げる者は、剣で滅びる」と私は言わなかったか?
 彼女が私のパンを必要とするように、彼女のパンを制限した、しかし私から食べるよりも飢えることを選んだ。力尽き、飢えながらも、邪悪な行為を秘密裏に続けようとして、妹たちを遣わした、彼女の虚栄心は、虚栄心そのものであるサタンにかき立てられていたからである。彼女の土地には、自分を養うだけの十分な収穫もなかった。私の敵の、いわば「被扶養者」となってしまったのだ。
 娘よ、ここまでにしよう。このメッセージの続きはあしたにする。さあ、祝福させてほしい、娘よ。
 私から糧を受けなさい。私たちで、共に?

はい、主よ。

イエスとは救い主を意味する

1988年1月2日 in ノート20

全能の神よ、私たちが過ちに陥らないよう、お護り下さい、世の初めのときのような、たった一つの過ちが、全民族を消滅させて、破滅を意味することもあるからです。

そう、ヴァスーラ、この疫病を恐れなさい、過ちは本当に感染する疫病であるがゆえ。

わが神、どこかで読んだのですが、教会が新しい啓示をなかなか受け入れようとしないのは、知るべきことがすでに聖書にすべて書かれてある体ということです、それで新しい啓示を受け入れないのです、新しいといっても、テーマが新しいのでなく、聖書とは別だという意味で新しいので、聖書からはみ出すことを恐れています、新しい個人的な啓示は道を逸らせはしないかと考えて……

ヴァスーラ、被造物が目の前で今にも敵の罠に落ちそうになっているのを見るとき、急いで助けたいと思うかわりに、ただ座って落ちるのを眺めているだろうか? 安息日に水腫の人を助けたのを覚えているか? ファリサイ派の人たちに何と尋ねたか?

主よ、聖書の中を調べなければなりません。

では、みことばを取って来なさい。

(そうしました、そして調べました。――ルカ14・1-6)

そうだ、娘よ、私は尋ねた、「安息日に人を癒やすのは、法に背いているか、いないか?」彼らは答えなかった、私は言った、「ここにいるあなたたちのうちで、自分の息子や牛が井戸に落ちたときに、安息日だからといって引き上げるのをためらう者がいるだろうか?」これに対し、今日まで彼らは答えを見出せないでいる1。今日この啓示を拒む者たちにこの問いを投げかける、「あなたの時代に、今日の摂理によるわざによって、私たちの被造物を転落から救うことは、私の法に反するか?」ヴァスーラ、私はイエス、そしてイエスとは救い主を意味する。

皆に知らせてください、主よ、それなら皆に、主よ、今言われたすべてを思い出させてください。

愛する者よ、彼らは心に茨の冠をかぶせた、私の聖心は血を流している。

イエス、皆はこのことに気づいているでしょうか?

私は黙って戸口に立ち、前触れなく家に入り、聖心を示す、誠実な人なら自分の誤りに気づくだろう。来なさい、娘よ、「私たち、共に」?

はい、主よ、一致のうちに。

私はあなたの力

1988年1月1日 in ノート20

わが神よ。

私である。私の手を取りなさい、今度はもう片方の手を取って歩きなさい!

(以前にも一度こう言われました、新しいテーマに入ってゆくべき時に、神は両手を取って歩かれるヴィジョンを下さったのです)

歩いて! 歩きなさい、愛する者よ、前に進みなさい! 恐れないで。私を運ぶ者としてあなたを選んだ、私の被造物の一部にだけでなく、全体のために。

ヴァスーラ、今に分かるだろう。まだ私のメッセージの中ほどにも差し掛っていない。私はあなたがいなくとも働くことができる、ヴァスーラ、しかしあなたと私のわざを分かち合うのが嬉しい、花よ。私は神、そして自ら充足している。あなたの踏み出す一歩一歩を祝福する、前に進みなさい、愛する者よ、私とともに前進し、前に向かって歩みなさい。

全能の神よ、お望みですので、前に進めるようにお助けください。独りではできません、いつものように、担いで下さるようお願いします。何につけても私は全く無力です。

ヴァスーラ、助けよう、私があなたの力なのだから。

どの花も光を求める

1987年12月31日 in ノート20

私の神よ、諸教会があなたのメッセージを信じるように、お祈りしています!

ヴァスーラ、私を信じるのは私が与えた恵みによる1
 聞きなさい、ヴァスーラ。あなたは私の口から話し、私の教会が通る苦難について語るであろう。その啓示は私の声である。時のしるしを見分けなさい。私のメッセージを受け入れなさい、私のメッセージを味わいなさい、私のメッセージを食べなさい。信じない者は不幸だ。

(しばらくして)

小さな子よ、私を愛するか?

永遠にあなたを熱愛します、主よ。

そうだ、ヴァスーラ、私を愛しなさい。あなたの過去の埋め合わせをしなさい。私を愛していない人たちの分も埋め合わせなさい。花よ、どの花も光を必要としている、それが花びらにどんな効果をもたらすかを知っているからだ。娘よ、悔い改めるか?

(過去の罪と現在の罪を悔い改めました。主は私のために、聖体拝領の準備をしておられました。)

それらのすべてを魂の底から忌み嫌いなさい。汚れ2を忌み嫌いなさい、これはソドムの悪徳だったのだから。