私の子どもたちを受け入れなさい 神の母

1988年12月3日 ノート29

(12月16日の集会に与えられたもの)

わが主よ?

愛しています。ともにいたいと願っています。
主とともにいて、こんなにおそばに主を感じるこの恵み、賜をありがとうございます。
私を教え、主のもとに引き上げて下さり、ありがとうございます。
神に栄光、主に賛美、私たちの主は祝されますように。

主よ?

私です。幼子の‐ような‐信仰をもって信じ、私の聖心を歓喜させなさい。どうしてあなたを選び、私のもとに引き上げたかを追及しないように …… どうして、誰がとあれこれ考えないで、ただ受け入れなさい、どんな疑問も持たず、私が与えたものをただ受け取りなさい。

ああ、私の子よ! 私は何年も戸口の外に立っていた!

おゆるし下さい、主よ。

ゆるしている。過ぎたことであり、非難してはいない、今は再び一緒であるゆえ、私の聖心が歓んでいるのを、ただ示したい。私を受ける器としてあなたを形造った。だから私の子どもたちを受け入れて、私の聖心を喜ばせなさい、この子たちを受け入れるなら、私を受け入れている、はるばるあなたの戸口にまで連れて来よう、時間を犠牲にしてほしい、この子たちには、私の平和と、励ましが必要です、私と親しく交わるように励ましてあげなさい、しかし、同時に、私が聖であることも決して忘れないようにと。

主よ? これらの集会をお望みですか?

それが私の意思です。しっかりとすがっていなさい、そして導かせてほしい、あなた自身を明け渡すように、私、イエスが先頭に立っている。

主よ、よろしいですよね? これらの集会でメッセージを読んで。

私の栄光を称えている、愛する者よ

ありがとうございます、わが主よ!

私が導いているのを決して忘れないように、信頼しなさい。私を愛する者は、私の愛のうちに成長していき、一方、彼らは私を愛するよう、他の者たちも連れて来るようになる。私の聖心は愛の炎で燃え立ち、その内奥に皆を引き入れようと熱望している。愛に渇く。あなたに求めるのは愛のみ、愛は有徳の木の根だからです

来なさい、私と和解していないすべての者たち、来なさい、来て和解し、私自身の平和を受けなさい、来て、私の愛を共有しなさい、まだ私を理解していない者たちよ、来て、私と和解しなさい1、来て、愛と和解しなさい。私、主イエス・キリストは、あなたに私の光の子となってほしいと願っている、そう、私の平和と愛の弟子となって、私を尊ぶように。

ああ、主よ! ほかのどの時代もそうですが、迫害される者もいるでしょう!

分かっている、私の子よ、心がまだ閉じたまま、心でなく頭で判断する人びとによって、迫害を受ける者もあろう、しかし恩寵により、この人びとの多くも、私の聖心のうちに引き寄せる。小さな花たちよ、勇気を、傍らにいて、目をあなたたちに注いでいる、だから怖れないように、私の平和と愛のメッセージが北から南へ、東から西へと広まっていくのは、私の望み、私を信じなさい、あなたの時代のために、それを秘かに準備してきた。

私はメッセージによって、私の教会が一つになるのを求める、父と私が一つであるように、私の教会も一つとなり、皆が一致して一つの群れとなる必要があるゆえ。守護者として、私の再臨まで真理のうちにあなたたちを護るようにと、ペトロを選んだ、しかし人びとは私に背き、分裂し、自分勝手な決まりを布告した。真に言っておくが、私の‐小羊たちの‐ペトロ、今はヨハネ・パウロ二世である、ペトロに反対する人びとに耳を傾けてはならない……この教皇は私に選ばれ、私の霊に愛された者ゆえに、彼を貶める者たちの声を聞いてはならない、彼らは惑わされたのです。

愛する者たちよ、あなたたちが最近分裂した時は、私の一部が引き裂かれた、そう、彼らは私の体の一部を引き裂いたとは知らなかった、ああ、まこと愛する者たちよ……これは私にふさわしい仕打ちだろうか?……なぜ私の心を引き裂くのか?……神の心をかき乱すのか?……なぜ私の眼をさらに多くの血の涙で満たすのか2?……ちょうど、自らの友らによって不具となってしまった、乞食のように、懇願する、皆ペトロのもとに立ち帰り、一つとなりなさい、父と私が一つであるように。

母を拒むすべての人にも呼びかける3、耳を開いて聞くように、母は天の元后、その名が示す通り、神の母

知らなかった人びとを非難してはいない、真理に連れ戻そうとしているだけです。この世の回心のためにも呼びかける、私の全能を忘れている人びとには、私を自分たちと比べないように4と、呼びかける、皆に思い出させているが、あなたたちは時の終わりに生きている、それゆえ、私の印は増え……聖書が成就されつつある……私は平和と愛、私、あなたの主イエスは、慈しみに満ち溢れ、そう、私の慈しみは本当に大きい。私の慈しみを信じなさい、なお、私が義の神であるのも、決して忘れずに。

私の送る清めは、愛によってなされる。これを誤解したり、解釈を誤って、神からの脅し、とは呼ばないように、脅しではなく、愛ゆえに警告している。まさに注意を子に与え、正気を取り戻すようにと、道理を説く父親のように、私も、道理を説き、あなたたちのある者たちが、いかに誤っており、道を逸れているか、罪によって私の光を妨げ得るかを、示そうとしている。多くが深い眠りに陥っているために、起こしに来た。私の限りない慈しみを通して、死者を甦らせに、皆のもとを訪れよう、あなたたち皆に抱く限りない愛ゆえに、悔い改め、生き方を変えて、聖となるようにと、頼みに来た、私は聖であるゆえ、聖なる生き方をしなさい。

私の平和を与える、あなたが平和のうちに留まり、兄弟にもこの平和を分け与えられるように。

さあ、来なさい、この一年の終わりに当たって、祈りのうちに気を集中させなさい、来て、主である私があなたたちを愛するように、互いに愛し合いなさい。あなたたち一人ひとりに、祝福を与える。

私はあなたたちの大祭司 私は神であるがゆえあなたに神性を与える 来てイエスを慰めて下さい

1988年11月21日 ノート29

神に栄光、私たちの主は祝せられますように! わが主よ?

私です。私の聖心がどうあるかを感じなさい。

イエスの聖心は、すべての心の中で最もお優しく、暖かく、ゆるしに溢れています。どうして抵抗できましょう?

(集会のためのメッセージ)

私は愛。愛の究極の源、抵抗しないで、私のもとに来なさい、私の中に飛び込むがよい、私は優しさと平和の大海原、あなたたちの心を満たすように、皆で私の聖心から汲み上げに来なさい。あなたたちを美しく飾り、完全な者としよう、来て私から食物を受けるなら、永久に生きる1、私は生けるパンであり、いのちのパンなのだから!2

愛する者たちよ、私の摂理的な呼びかけを疑わないでほしい、私はまだ、皆の間にいる、あなたたちの会合にいて、手伝いながら、そこにいる、私の現存を感じてほしい、私はあなたたちの心の中で語り、近づくようにと励ます大祭司、私のそばに引き寄せようと本当に努力している、ああ! どんなにか早く皆を腕の中に抱き、計り知れない優しさをもって抱擁したいか! 近づいて親密になってくれるのを、どれほど恋い焦がれているか! 私はあなたたちの大祭司、しかしあなたたちにとって聖なる者、兄、仲間、伴侶でもある、私は創造主であり、あなたたちは皆私の種子……

ヴァスーラ、私は今も、これからも常に、これらの集会の中にいる。あなたの話は私に由来し、私の口よりその言葉は発せられよう3。私の果樹園に水をやり、花壇を潤すと言わなかったか? 私は皆の上を、朝方の霞のように広がり、私の平和と愛の露を残す、そこで抵抗しないように、あなたたちを美しく飾るつもりです、被造物よ! 心を開いて、私の平和と愛の露を沁み込ませてくれる者は幸い、私に忠実で、愛してくれる者は幸い、さらに引き寄せ、愛で包み込むゆえ。

あなたたちは私の似姿に造られ、この似姿のうちに生きるよう招かれている、それは多くが忘れてしまった似姿、しかし、大祭司、私は、私の神性と、聖性について思い出させよう。聖なる者であると、思い出させよう。

(聖マリア)

花よ、私の平和を受けなさい、さあ、注意しなさい、従順であるように、そうすれば何も恐れることはありません、ああ、ヴァスーラ、イエスは限りなくあなたを愛し、心に留めておられます、あなたは主と、主の十字架を分かち合っているのです、イエスは決してお見捨てになりません、永久に。そう、私です。来て休みなさい。ともにいます。『私たち』?

イエス様?

(集会のために与えられた先ほどのメッセージのつづき)

私です。私はあなたの主、十字架に架けられた者。私の霊の子どもたち、私の心に愛された者たちよ、愛が深く苦しんでいる。

私がどのように感じているかを理解するように、私の者たちに見捨てられ、忘れ去られ、裏切られたように感じている。今日十字架上で 第二の受難を経験している。地上は未だかつてなかったほど乾燥し、愛する者たちよ、あなたたちはその結果に苦しみ、犠牲となっている。多くは飢え、他の者たちは悪魔に絶え間なく騙されている、皆をどれほど哀れむか! 十字架上よりこのすべてを見下ろし、心は血を流し、眼には血の涙が溢れている。

皆に、これほど多くの印を与えているのに、それでいて、ほとんどの人が気づかない。祈りのうちに訪ねて来なさい、私は現存し耳を傾けている! 救い主の腕の中に抱かれなさい、私にその欠点をくれるなら、あなたを清め癒やそう、私は神であるゆえ、あなたに神性を与え 完全な者とする! ありのままの姿で私のもとに来なさい、怖れないように、私は愛なる神、みじめな者にとって慈しみ深く、あわれみに満ちあふれる神! 私に祈り、話しかけなさい、躊躇しないで! あなたを心待ちにしている…… 

あなたたち皆に対する愛は、本当に大きいがゆえ、聖なる者の中の聖、永遠なる者、被造物すべての頭である私は、はるばる身を屈め降りて来た、あなたたちに届いて、その弱さを癒やすことが出来るように。私はいつまでも、そして終わりの日まで、あなたたちの間にいる。…… 

私の平和と愛のメッセージを広める人びとは幸い! 私のもとに来て、慰めてくれる人は幸い。私と一つであるように。永遠に私の愛に留まっていなさい。

最愛の子どもたち、私はあなたたちの聖なる母、全人類の母です、まこと愛する者たちよ、イエスは人間の言葉では言い尽せないほど、苦しんでおられ、今、第二の御受難のさ中におられます! 私たちの心がいかに悶えているかを感じてください…… 

今日は大きな戦いが展開しているのです。サタンは兇暴に攻撃を仕掛け、聖ミカエルは神の天使たちとともに戦っています、地上はこの大きな戦いの震動を感じ取っており、私にはあなたたちの祈りが必要なのです、愛する者たち、決して祈りをやめないように……祈ってください、まこと愛する者たちよ、この暗やみの中で、光輝く天使のようになるのです、魂のあがないのため、回心のために、まこと愛する者たちよ、祈りなさい、あなたたち一人ひとりを当てにしています…… 

自分の子たちが永遠の火に向かって進んで行くのを見た母親が、どう感じるかを、どうか理解してください、そして愛する者たちの何人かが、この永遠の炎に落ちて行くのを見てどのように感じているかを……

この黙想をしてくれるなら、私をもっとよく理解できるでしょう。

私のメッセージを終えるに当たって、あなたたちを父と子と聖霊の御名によって祝福します。

来て、イエスを慰めてください……

わが主よ?

私です。ロザリオを祈りながら、私を一生懸命喜ばせようと奥義を生き直すように黙想しているのを見る時は、いつも喜びを覚える。祝された子よ、ほかの者たちにも、聖なるロザリオをもっとゆっくり唱えるように教えてあげなさい。口先だけですばやく唱えても何にもならない。どの祈りも心を込めて唱えるように、言っている言葉は感じ取らなければならない。そこで時間をかけてそれぞれの奥義を黙想しなさい。

ありがとうございます、わが主よ。

サタンはあなたに指を触れることが許されていない

1988年11月16日 ノート29

昨日来、サタンが猛烈に攻撃を仕掛けています。イエスは私に注意を下さっていました。サタンは私の弱点を知っていて、そこを目がけて攻撃してくるのです。私の一番の弱点は、この啓示に対する不安定な気持ちです。それはおもに、私自身の中に原因があります。私は天使のようでもないし、聖人でもなく、よく失敗はするし本当は何も知らないのです。それから、時どき、私はイエスがほかの神秘家たちになさるような、何か特別の超自然的な印を何も付け加えて下さらないと思うことがあります。そこでサタンは、そういう点を攻撃してきて、都合のいいようにそれらの弱点を騒ぎ立てて私を苦しめるのです。

ヴァスーラ、私、主です、あなたが疑うたびに、深い悲しみに沈み、私の心は痛む。……私の仕事を続けてもよいか*?

神に栄光、私たちの主は祝されますように、と言ってください。

神に栄光、私たちの主は祝されますように!

ヴァスーラ**……ヴァスーラ、私の子よ、サタンに騙されてはいけない。彼は暗示によってあなたと戦い、私の計画と戦っている、あなたの足が一歩高い段に上がるたびに、彼は怒りで荒れ狂う。私は注意を与えようと、小さな者よ、あなたの傍らにいる。

ヴァスーラ、このたびは、この啓示に対する私の印を限った、このようにして与えたため、もっと大きな栄光を受けている、理由は説明した、信仰が優先するように望むからです、それでこの啓示には余り多くの特別な印がなく、平易であってほしい。すでに述べたが、与える唯一の印とは、あなた自身とその果実、おもに回心の数々。あなたの時代に、信仰がいかに失われているかを知っている、それだからこそ、あなたは迫害を受ける、しかし、私も迫害されただろう? 私の果実によっても信じてもらえなかった。

あなたに多くの恵みを与えている、ヴァスーラ、それらは全くあなたの功徳ではない、あなたよりはるかに功徳のある僕たちがいるが、その恵みを制限している。あなたを裁いているのではなく、気づかせようとしているに過ぎない。求めるのは、愛だけだと。あなたの神である私を、全霊を込め全精神を込めて愛しなさい、私を愛するためにあなたを造った、深く、測り知れない、特別な愛し方で愛するようにと。

私は天の門を開けて、あなたを中に入れ、義人たちだけがいることを許される、私の王宮に迎え入れた。義人たちには、私の救いの計画を知らせてある、それは限りない慈しみにより、秘かに、準備されたもの。それを私の王宮で発表した。あなたに眼を注いでいると彼らには話した、すべての被造物の中で最も小さな者、初めから終わりの世に至るまで最も弱く、惨めな者を選び、私の偉大な慈しみと権威とを示すと言った。はるばるあなたのところまで降りて来て、死者の中から探し出し、私のもとに引き上げ、甦らせた、これは私の意思であったゆえ。

次に食卓をあなたのために、整え、自らの手で、あなたの口に私の食物を運んだ。あなたの神、私はどれほどあなたを愛するか!! 嫉妬せんばかりに愛している! それからあなたに油を注ぎ、私のものとした、あなたを伴侶とし、主人となった、私は恵みであなたを覆い 私の宝石を富として与えた、私の十字架、釘と茨の冠を贈っただろう? 伴侶がその愛する者へ、これ以上の尊い宝を与えることができようか?

愛の霊である私は、どう私を愛し、この愛のうちに成長するかを教えた。私の天使たちに紹介し、持てる全てをあなたと分かち合っている。あなたは私の家に、私の聖心のうちに住んでいる。私自身の手で祝福し、恩寵によって聖とされた者よ、サタンがなぜしつこく追い回すかを解ろうとしなさい、彼は私の計画を破壊しようと狙っている、どんな戦いがくりひろげられているか、あなたに分かったなら! しかし地上は、この戦いによる震動を感じとっている。サタンを警戒し、欺かれないように

主が助けて下さらなければ、何ができましょう! どうぞサタンにそうさせないで下さい! どうぞ、閉じ込めておいてください!

あなたをどのように、守っているかを知ったなら……さあ、これを見るように、

(自分が立っていて、回りを天使たちが囲み、こうして手をつないで通過を塞いでいるのが見えました)

サタンはあなたに指を触れることが許されていない***、あなたにこう約束する。私は、私のほうからは、決して見捨てたり、なおざりにはしない、私とともにいれば何一つ不足しないだろう。あなたに平和を与え、小さな魂に対して特別に抱く愛を示した、私の聖心を、示した。

そこで、私のヴァスーラ、あなたは私を測り知れないほどに愛し、私の霊を悦ばせるようにと造られている、私を常に望み、従うことによって喜ばせなさい、私の怒りを和らげ、慰め、憩わせてほしい、私を礼拝し、私のうちに希望し、完全に盲目的に信じなさい、これらが私の心の指針。

私を尊び、私の反射となるように。そして与える全てを受け取り、私の栄光を称えなさい。花よ、私の利益と栄光だけを、生きる目標とするように、与えるすべてを いつも喜んで受け入れなさい

はい、わが主よ。そう努力しています。

私は常に現存する、覚えておくように、あなたを救いに来なかったなら、今私を、そして私だけを望んでいようか?

いいえ、主よ。

私のうちの真のいのち、が何を意味するかを教えた。しばしば祈り、毎日聖なるロザリオを唱えなさい、この小さな鎖は、サタンをつなぎ、征服するとなるゆえ! 私の平和を与える、決して疑わないように、「私たち」?

永えに、アーメン。

聖書の中で「サタンは鎖でつながれるだろう」(黙示録20・2)とありますが、それは全人類がロザリオを唱える時だと思います。地球全体が。この日が来る時、サタンは征服されて、踏みつぶされるでしょう。ロザリオの「鎖」によって。

* 私は疑っていました。
** イエスは、とても軟らかな優しいお声でしたので、私の心は溶けてしまいました。
*** 病いや死をもたらし。

私はあなたの聖なる者、しかしあなたは私を非難している

1988年11月15日 ノート29

(今日は肩にイエスの十字架を感じました。主の御心が恐ろしいほどの痛みで満ちているのが感じられます。主はなんとお苦しみでしょう……それは世が主を拒むからです)

主よ。

私です。

十字架を感じ、私を休ませてくれるように、私の光の子よ、本当に疲れ果てた、傍らにいてほしい、この悲しみのさ中、慰めてもらう必要がある。私のヴァスーラ、聞いて書くように。

ああ、被造物よ! 私の種子よ! 私はあなたの聖なる者、しかしあなたは私を、非難している、はるか永遠から、愛し続けてきたが、あなたは私を、蔑んでいる、死から救い出したが、それでいて私を攻撃する。日々あなたを私のパンで養い、私のぶどう酒で満たしてきた、しかし悪をもって私に背いている。私は愛に渇くが、あなたは私を渇いたまま、見捨てた、あなたが疲れているのを見ては私の心のうちに迎え入れ、休ませたが、それでいて、私が疲れている時は、拒む。私の心を開いて、あなたがどう傷つけたかを見せるが、悪に眼がくらんだあなたは、私を刺し続け、幾度となく、私の心を刺し貫いている。あなたを迎え入れ、抱擁しようと腕を広げるが、あなたはそっぽを向き、背中しか見せない、優しさをこめて、暖めようと、私の聖心を開き、あなたを訪れても、私の面前で心の扉を閉ざし、外の寒さに、置き去りにする。物乞いのように一日中、あなたを呼び続け、引き上げ、癒やそうと、手を差し伸べている、にもかかわらずあなたは、私を無視し 拒絶する。私の眼も、御母の眼も、苦しみで疲れ果て、体はもとの姿をとどめないほどに、傷で痛めつけられている。あなたに求めるのは、平和と愛だけだが、私の嘆願を聞こうとはしない……私はまず、私自身の者たちのもとを訪れた、しかしここでも、彼らに拒まれ、蔑みと迫害を受けた。あなたたちは私を追い立て、道化のように扱い、裏切った

(*1)

……その裏切りによって、私に残された、最後の一滴の涙も、流し尽くした、あなたたちの悪意は、永劫を貫き、悪魔たちでさえ、その悪意に唖然としている。

ああ、ヴァスーラ……同情と深いあわれみにより、注意を与え、死から救い出そうと、私はやって来た、私自身の者たちに、あなたを遣わしたが、彼らは私の声を、押え込んでしまった、明るみに出て、己の非が露になるのを恐れて。私の声を押え込み、真理の霊を迎え入れないので、私は彼らの罪を、よそ者たちによって暴かせる。あなたたちの家の屋根の上で、ラッパのように私の声を響かせよう(*2)…… 

私のことを全く知らない、よそ者たちによって、私は受け入れられた。戸を叩くと、中に入れてくれた。貧しいながら、彼らの糧を分かち合い、その貧しさゆえに、私を探し求めてはいなかったが、それでいて、私を見いだした。一番の友人たちによって出来た傷を彼らに見せると、それを見て、彼らは私の傷の前に膝を屈め、傷の深さに打たれ、私の体に加えられた暴行に心打たれ、心は蝋のように溶けた、泣かないでよい、私の子よ……

私の声は、よそ者に運ばれて行く、そのこだまを聞いたなら、私から発せられたと知るように。私を求めたことのない、よそ者によって、私は高められ、それまで私を知らなかった人びとから、栄光を受ける、そして私は、彼らの師となり、教えを説く、彼らの欠点を消し去り、道理を説く、彼らは私を理解しよう。彼らが私の傷を、癒やす。 

私は牧者、羊飼たちに打たれ、散らされた、小羊たちを集める、ああ、ヴァスーラ、このすべてはもう、本当に間もなく成就する。

来なさい、私のうちに憩い、私もあなたのうちに、休ませてほしい、愛に結ばれ、分かち合いながら。

はい、わが主よ。

「私たち」

永遠に、アーメン。

*1 イエスのお声は苦みに溢れていました。
*2 間があり、それから悲しみを込めて。

反逆が霧のように広がっている

1988年11月8日 ノート29

今日はイエスの十字架を感じました。イエスが悲しそうにしておられるのを感じ、御絵の中でも悲しそうです。

私である。まこと愛する者よ、私の十字架を受け、荷を降ろしてほしい。あなたのキリストは本当に疲れている、私の苦痛を和らげるため、私の血をあなたの心に、数滴滴らせてもらった。サタンはあなたを落胆させようと、今や心に決めている、しかしあなたに触れるのを、私は許さない、私によって始められ、祝福されたものは成し遂げられ、私の栄光となる。

今日はあなた自身の手書きで、私のメッセージを書き記させる、私が恩寵であなたを満たしたことをまだ十分にわかっていない人々が、あなたに私の声を聞く恵みも与えたのを理解するために、今日は口述筆記でやってもらいたい、声を聞いて、書くように。

(訳注:ここからヴァスーラ自身の筆跡に変わる)

ヴァスーラ、残りの日々は今や数えられている。それらはあなたにとって清めの日々だ。私の教会の刷新のために、祈っていた人びとの祈りを聞き遂げた。その祈りはすべて聞き遂げられ、主なる私は教会を新たにすると、あなたたちに約束する。その中にある汚れた生き方によって出来た染みをぬぐい去り、新しく造り直す。

だが、その日まで彼女1はさらにどれほど苦しまねばならないか。愛する者たちよ、私は告げるのも恐れる。彼女に完全な刷新を遂げさせる前に、その心には大きな苦難が起こるだろう、その日は聖書が成就されるために、来なければならない。

しかしその悲しみの日々に、私を愛する全ての人びとを慰める。あなたたちの心に、今までよりいっそう近づいて、私を感じさせ、皆を慰めるために、天使と聖人の群団を送る。だから勇気を出しなさい、愛する者たちよ、勇気を! 私は今苦しんでいて、私を愛するあなたたちは それを感じている、私の傷を感じ、悲しみにあえいでいる、私の聖心を感じている、あなたたちの上に注ぐ、眼差しを感じている、被造物よ。闇に伏す者たちよ、血の涙で私の眼は溢れる、そう、あなたたちの大半が、サタンの罠に落ちて行くのを見ながら、ほかに今日どう感じられようか? しかし、聞きたくない者どもは、悪行を続けるがよい、もう数年来彼らに注意を促してきた、悔い改めるようにと呼びかけてきたが、どの警告に対しても、心を留めようとはしない。私は疲れ果て、その盲目さと頑なさを前に、疲れ切ってしまった。

反逆が霧のように広がり、私の家の中にまで浸透してきた、彼らの指導者であるペトロに対し何をすべきかを指図している。そう、ペトロは聞いてもらえず、むしろ背後では罵られ、欺かれ、その言葉は無視され、隅へ追いやられている。ああ、彼はすべてを知っているが、反対し、裏切る者があまりに多く、私の家は、反逆者の館となってしまった。そこには私を認知し、尊ぶ人はほんのわずかしか残っていない。清めの日に、主である私は、すべての聖人と天使たちを伴って降臨し、これらすべての悪を焼き尽くす。北から南へ、東から西へと私の火は降りて来る! 待っているがよい、今に分かろう……

(「イエス様?」)

聞いているだけで、よくやった、子よ。これは、ヴァスーラ、私の声が全然聞こえないまま、ただ手だけが動かされていると思う人びとのためでもある。彼らの何人かは、主である私があなたを導いていることを信じなかっただろうから。今度は私の好きなように続けるとしよう、私のヴァスーラ。

(訳注、ここから筆跡が元に戻る)

私の平和を受け、油断しないように、

お願いです、主よ、C……を癒やしてあげてください、もし、主がここに肉体として一緒におられたなら、そして彼女に会って下さるようにお願いし、主の腕をとって彼女に主を紹介したなら、主の聖心は抵抗なく、彼女を癒やされたでしょう。

私の子よ、彼女はあなたを信じていない、あなたの言うすべてを即座に払い退けてしまう。私に心を開いてくれないなら、どうしてその心に入り、慰めてやれるだろうか。

それでも、たとえ彼女が聞こうとしなくても、主には癒やすことがおできになるのを知っております。

では彼女のために祈りなさい、ヴァスーラ、彼女を愛している、だから祈り続けるように。私の聖なる現存を、私とあなたは愛のうちに一致していることを、あなたに思い出させよう、

「私たち、共に」?

はい、主よ、「私たち、共に」。

私の種子よ、私はあなたのアッバ

1988年11月2日 ノート29

ロードス島

ヴァスーラ、私の平和を受けなさい。

 来なさい、あなたをこの役に就けたが、それに対して、私を理解しようとする努力に喜んでいる。愛する者よ、私を愛して、私の痛みを和らげてほしい、あなたの神に、幼子の-ような‐信仰をあらわし、そのようにして私を喜ばせ、頼り切っていなさい。

そうします、主よ、私自身のお父さま以外のどなたに頼れましょう。あなたしかおられません。

私の種子よ、絶えず私を愉しませ、歓びとなりなさい。私はあなたのアッバ。私の種子よ、元気に育ち、美しくなってその実で多くを養うように。私の計画はあなたが生まれる遥か以前に形作られた、私は(I Am)権威ある者ゆえ、私の教会が下からではなく、常に上から導かれるだろうことを、人びとは忘れやすい。すべての権能は上から与えられたものだということをすぐ忘れてしまう。

 だからあなたに告げる、どの地上的権威も、私の教会に侵入したどんな地上的王国も長続きしないと。私がそれを粉々に打ち砕き、塵の山とする。あなたたちはこのすべてを前々から知っていたのに、私に聞き従おうとはしなかった。あなたたちは私を締め出したが、その扉をすべて開け、窓さえも開け放つ、私の領地の中で私の霊が自由に呼吸できるように。誰も私の開く道をふさぐ力はない。私がアルファでありオメガであることを、再び彼らに思い起こさせる。私は、聖なる者の中の聖なる者、唯一なる‐三位‐一からだ、権威者、間もなくあなたのもとを訪れる、私を愛する全ての人を私の心のうちにおき、私の心が彼らの新しい住まいとなろう。

 私は上から訪れ、あなたの新しい住まいは、上から降って来る、これは私の贈物となり、私自身の新しい聖なる名は、再びあなたたちに返されよう、まこと愛する者たちよ。では来て、私を賛美し、栄光を称えなさい。来て私と和解するなら、私の家をあなたに開き、私の者として迎え入れよう。私のところに来なさい。

 そう1、しかし今では私があなたを愛する主、祝福を受けなさい、私の子よ。「私たち」?

はい、主よ。

「私たち共に」、

はい、聖なるお母さま。

結ばれて一つ

1988年10月31日 ノート29

(ロードス島で街に出ようとバスに乗りました。車掌が来たので「一枚お願いします」と言い、乗車券を一枚もらいました。イエスがそばに座っておられ、私は一人で笑いながら、振り向いて言いました。「一枚だったけれど、本当は二人だとは、車掌さん、思いもしなかったでしょうね」イエスは「おや」というお顔で振り向かれ、こう言われました)

何を言うか! 私たちは結ばれて一つとなっているのではないか? 

……

来なさい。

私の現存を黙想しなさい

1988年10月24日 ノート29

わが主、神よ?

私です (I Am)。私の平和を与える、子よ。愛している。娘よ、祈りを通して、すべての魂を私のもとに導き、そのあがないを願い求めなさい。あなたを拒む人びとをゆるし、私の聖心を喜ばせなさい、非難も、糾弾もしないように。裁き手は私であり、審判の日には私が裁く、そこで私の子よ、彼らを赦さなければならない、悪には愛を返すように。私に寄り添って憩い、私の聖心のうちに慰めを見いだしなさい、その内奥に、私の愛撫を見いだすがよい。

来なさい、「私たち」?

はい、わが主よ。

では、あなたがそう言うのを聞きたい、私を忘れないでいてほしい! 私の現存を思い出すように。私の現存をこのような仕方で黙想するのを、どれほど望んでいるか分かるか? 私の現存も、あなたたちのほとんどが忘れているかに見える、非常に重要な秘義です。私の現存を黙想しなさい。永遠の愛をもって愛する、子どもたちよ、私が実に現存しているのを思い出して、喜ばせてほしい、私たちあなたあなた、「私たち」というこれらの言葉を用いて、自らを訓練するように。あなたたちの活動、話し合いや思いの中に加えてほしい、私が聖なる者であるのを決して、忘れず、私の現存を尊ぶように。私が(I Am)ともにいるのが分かっていて、それを覚えているなら、私を思い出して、罪も犯さなくなっていこう。

私、ナザレの人、イエス・キリストがあなたたち皆を祝福する。

私を望み、そうすることによって私の栄光をたたえなさい

1988年10月23日 ノート29

私の子よ、どのように好意を示したかを悟っているか? ヴァスーラ、私を望み1、そうすることによって、私の栄光をたたえなさい、花が水を求めるように、私を渇望しなさい。……もうすでにあなたは近づいている2、そう! 私は心待ちに残りの日を数えている。知性の目で私を見なさい、心の目で、魂の目で、見なさい。私を認識するカリスマを与えた、それを用いて私を見いだし、微笑んでほしい。愛を込めて微笑み、自分の利益だけのためにやって来て、決して微笑んでくれない魂たちの償いをしてほしい。

「私たち、共に」?

はい、主よ。「私たち、共に」。

神のうちのまことのいのちとは何かを示す

1988年10月19日 ノート29

神に栄光。 (聖ミカエルへの祈りに答えて)
主に賛美。 (聖マリアへの祈りに答えて)

私の平和を与えよう、来なさい。

(聖心への祈りに答えて)

主である私は皆に1こう伝える。一人ひとりを祝福し、私の神聖なメッセージを支援するすべての人を祝福する、特に私のために余暇を献げる人を。

私の呼びかけは無駄にはならない。私があなたたちを愛するように、互いに愛し合いなさい。あなたたちをあざ笑う人びとにもメッセージを広めなさい。光を求めて祈り、互いを公平に扱いなさい。愛する者たちよ、私はいつの時代にも現存する。私、イエスは、永遠の愛をもってあなたたち皆を愛している。

私のもとを訪れ、ヴァスーラ、皆に私の聖心を示しなさい。主である私は、共に歩むことを教え、神のうちのまことのいのちとは何であるかを示す。彼らが皆私の種子であり、私のものであることを分からせよう。サタンが皆をだましたことを、そしていかに狡猾であるかを見せよう。サタンが実在することを繰り返し伝えたい。彼こそが悪霊、世の初めからあなたたちをだまし、終わりの日には征圧され、粉砕される。祈りなさい、愛する者たちよ、私は耳を傾けている。祈りのうちに話しかけなさい、私は現存し、あなたの聖なる仲間であり、いつも皆の間にいる。この私の現存の奥義を信じなさい。

あなたたちに対する愛は永遠、天国に入った時初めて、その深さと豊かさを理解しよう、私の現存を感じなさい…… 私の現存を感じなさい……

あなたたち皆を祝福する。