ノート34のメッセージ

パトモス島 – 黙示録ゆかりの島

1989年7月25日 ノート34

(パトモス、聖ヨハネが追放されていた黙示録ゆかりの島です)

その収穫と良い物であなたを喜ばそうと、肥沃な土地に連れて来た1

わが主よ、聖ヨハネがみことばをいただいた洞窟で、もしできましたらみことばを「受ける」恵みを私もいただけますように、どうぞお許し下さい。主よ、心の底から呼び求めます。あわれみ深く私の願いをお聞き下さい。答えてくださいますことを信頼して。アーメン。

あなたが嘆願を始めた時、ある言葉が語られ、私はそれを教えに来た。「あなたは特別に選ばれた者2

本当は何を意味するお言葉でしょう、主よ?

聞きなさい、私が神であることを皆が知るように、何時でもそばに来なさい。私、みことばは、あなたたちをゆるし、私のもとに皆を連れ帰るためにあなたたちの間に降って来た。

(ロザリオの祈りを身につけるためにパトモス島を訪れた、ギリシャ人たちの聖霊刷新運動のグループに与えられたメッセージです。アテネや、ロードス島からやって来て、パトモス島の巡礼地で合流しました)

目覚めなさい! 愛する者たちよ。私はあなたたちの救い主、十字架に架けられた者、あがない主。私の愛を感じなさい……

あなたたちのために愛を増し加え、悪を減らしに来た。魂に欠けたすべてを補いに訪れている。不安に思わないように、小さな者たちよ、私は豊かではないか? いと高き者ではないか? 父の腕の中にいて、安心していなさい。私、三位一体は唯一であり、同一である。

私の腕の中に身をすっかり委ね、光の生きた柱となるように、形造らせなさい、私の持てるすべてを、あなたたちと分かち合わせてほしい。愛している! いとしい者たち、この暗やみを照らす光が消えかかっている、この世に残されたわずかな光も、悪魔が消そうとしているゆえ。あなたたちの世代は無慈悲にも悪を善と呼び 善を悪と呼んでは悦ぶ。あわれみの欠けらもなく、私の聖なる名を、絶え間なく冒瀆し、喜んで悪魔に顔を向け、その足元にひざまずく、このすべてを見ているのは、どんなに辛いか! 喜々として自らを無神論者と呼べるように、私につながれたへその緒を断ち切ろうともがく、この死んでいる時代を目の当たりにし、傷つき、血を流す、私の聖心を感じてほしい。彼らはこのように言おうとする: 「自分たちが誰のものかなどと考えないでいい、ほら、自由になった、出て行ってバベルの塔を築こう、前にもやったではないか? 神に繋がれる必要があるものか? その掟で何を得するか?」

御父も私をも全然知らないために、彼らはこのように振舞う。この世代のほとんどはバアルの信奉者、そう、偽りの神々を礼拝した先祖たちの末裔。私につながれ魂を養うへその緒を断ち切ったため、彼らは魂を萎びさせるしかない……自ら進んで永遠の火に向かっている、彼らは私の聖なる名を攻撃し、意図的に私を挑発している……

来なさい、私は呼び、あなたたちはその声を聞いた、私は(I Am)あなたたちの主であり、あなたたちは私の民、私自身の者たち、愛と平和をもって私を受け入れなさい、地上はこの世代に足蹴にされ、汚れてしまった、それゆえ私の清めの火が、天から彼らの上に降り、汚れた土壤を清めよう。

あなたたちの魂を私のもとに引き上げ、私と一つとなるように、私の平和を受けなさい、あなたたち皆と、祝福のために持ってきたすべてを祝福する、どのイコンと聖具の上にも私の溜息を送って。

一致しなさい。

イクトゥス

(以上のメッセージは「船の上の出来事」の後で与えられたものです。ロードス島からパトモス島に船で向かっている時、誰かが宗教の話をし始め、十五分もすると私たち十二人は、特に若者たちの大群衆に囲まれていました。そのほとんどは無神論者で、私たちと議論しています。彼らはみことばと戦っていたのです。しかしこうした激しい攻撃や嘲笑のさ中、一人がその場で回心しました)

わが主よ、
あなたの嫉妬深い愛を彼らにお示し下さい。
あなたは私たちの平和と希望。
あなたの愛も慈しみも私たちは受けるにふさわしくありません。
どうぞ共にいてください、私たちは弱く花のように脆く、
あなたの樹液に養っていただく必要があるのです。

私が聖であるように聖となりなさい、みことばを読み、私のために、私だけのために生きてほしい、愛をもって悪に報いるように。ぶどうの幹から芽吹いた若枝のようでありなさい、間もなく蕾を持ち、花を咲かせ、世界をその実で潤そう。私の平和を受け、私の懐に留まっていなさい。私の名は聖、あなたも聖となるのを、忘れないように。

来なさい。

永遠の昔からあなたとともに、あなたのうちに、そしてあなたが私のうちにいるようにと恋い焦がれた

1989年7月19日 ノート34

聖なるお方、私の魂はあなたの聖心に恋い焦がれます。聖心のうちに生き、終日礼拝できる方がたは幸せ。あなたの恵みを受けている方がたは幸せ。死んで横たわったままのすべての人びとを生き返らせてください、あなたのうちに歓ぶことができますように。彼らにあなたの愛を示し、聖心をお示し下さい、新しい愛の讃歌をあなたに向かって歌えますように。

私の魂に愛された者よ、私の手を取り、英知の与えているすべての教えを評価してみなさい。私は愛の言語をもって教え、私の声を識別し、聞き分けられるようにした。あなたの主、私をどのように見いだすかを教え、魂を生き返らせた。私がうるわしい者、そして愛の究極の源であるのを思い出させた。永遠の昔からあなたと共に、あなたのうちに、そしてあなたが私のうちにいるようにと恋い焦がれた。私のこの熱烈な愛をそろそろ理解し始めただろうか? それにあなたの神、私がどれほど熱意に満ち、愛を求めているかを? 花よ、私はいつもともに、最後まで、永久に至るまで一緒だろう。私の聖心をあなたの住まいとしなさい、鳩にその巣があるように、私の聖心をあなたの憩う家とさせなさい。あなたたち皆を愛する思いは永久に続く。

私は私の群れの大いなる牧者

1989年7月17日 ノート34

主よ?

私の子よ、聞いて書きなさい、私は私の群れの大いなる牧者。群れの番をするように羊飼いたちを訓練した、しかし仲間たちの多くはこの仕事の道具として不適格で、迷子の羊を放っておき、道に迷った羊を群れに連れ戻そうとしない。一番の友人たちが最大の悲しみをもたらしている、私の体に最も深傷を負わせているのは、私自身の手で与えた者たちの杖。彼らは一番の親友、しかし彼ら自身の手で、見分けがつかないほどの

深傷を負い、背中は絶え間なく鞭打たれている。全身が痛みで打ち震え、唇はカラカラに渇いてけいれんする、彼らは怖れなく平和を求めて叫ぶが、平和はない、合理主義、不従順と虚栄心に捕われ、魅せられるのを自らに許してしまったゆえ。彼らはなんという悲しみを与え、私を傷つけていることか!

主よ? どうして人によっては、これほど難しいのですか?

ひとたび偽りの笏を握るなら、手放すのは難しい、人間的な教義や決まりを捨てるのは難しい、自らの欲望に対して死ぬのは難しい、自らを-卑しめる-衣を纏うのは難しい、こうした者たちに対してはこう言う: 泣きわめくがいい、羊飼いたちよ、地面にころがり、わめくがいい、群れの支配者たちよ、屠殺される日が到来し、肥えた雄羊のように一人ずつ倒されるだろうから。私は友人の中でも最も美しい遺産を与えた、正しい者たちと肩を並べさせ、私の家督を、任せた、しかしあなたたちは私の掟を守らず、教えを棄て、私が悪と見なすことを行った、声をかけたが、聴こうとせず、私に従わなかった*……。

ああ、わが神よ、私たちをあわれんで下さい。これらの羊飼いたちの咎をきれいに洗い、罪から清めてください。

私の小さな花嫁よ、私の悲しみをともに分かち合うのを許してほしい、

愛します、主よ、わが神よ、本当にお優しい、慈しみ深いお方、あなたのためだけに生きています、私の眼差しはほかの誰でもなく、あなただけに置かれています、あなたを礼拝します!

ああ、その愛の言葉は、どれほど私の義を癒やすか! 愛のどの一滴にも、意味がある、数え切れない魂たちが、愛によって救われ得る。私の石版としてあなたを用いるのを許しなさい。私の傷を示し、私の悲しみを分かち合ってくれる友として、あなたを訪れた、あなたに聖心の傷をさらしている。

私たちの主に賛美。

私のヴァスーラ、今はあわれみの時代、あなたたちの上に私の恵みの霊が注がれているのに気づいただろう? 悔い改める時は今、生き方を変えるのは今、絶え間なく祈りなさい、愛を込めて祈りなさい、反逆し続けようといつまでも思わないように、恐ろしい義の時が間近かに迫っている、その時は審判者としての私に、顔を向ける用意があるように、私の娘、息子たちよ、はるか以前にあなたたちを、死に繋がれた鎖から解放し、大いなる思いやりをもって連れ戻した、悪霊からあがない、あなたたちの先祖に貫かれた私の心臓を示した、あなたを自由にするために自らを犠牲にした。あなたの時代は絶え間なく挑発をしかけてくる、それでも私は、大いなるあわれみゆえに、私の恵みの霊を通して、私の教えをあなたたちに思い出させている、今日私の慈しみは地上の隅々にまで及ぶ、今日の私の声に耳を澄ましなさい、今日の私の慈しみを受け入れなさい、心を込めて祈るようにと、厳かに求める、断食し、悔い改め、互いに愛し合いなさい、あなたたちの変容を通して私の栄光を示せるように、自らを改め、すっかり新しく整えられた群れとなりなさい。

* 苦渋の思いが込められていました。

私は見張り番

1989年7月15日 ノート34

わが主よ、おいで下さい、私を引き上げ、主とお会いできるようにしてください。あなたの光を注いで下さい。主の掟を忘れないように努力しています、私が暮らすこの荒野では、迫害者たちの締めつけが緩む気配もありませんが。けれど心におられる主を思い起こすと、勇気が湧いてきます。主の臨在に歓喜します、聖なる方がたのうちの聖なるお方。

私の聖心のヴァスーラ、私を愛しなさい、愛さない人びとに代って償うように、この小さな祈りを覚えて私の聖心を喜ばせなさい。

ああ、イエスの聖心よ、私の魂を生き返らせ、

聖心のうちに、私の心を隠してください、

生きることができますように、アーメン。

この祈りを私の聖心に献げなさい。

娘よ、あなたの骨折りは無駄にならない。ああ、私の形見よ、祈りを絶やさないように、私から目を逸らすことなく、目を私に据えていなさい。私は聖なる、聖なる、聖なる者である、それゆえ思いの中に私をいつも現存させているように。あなたを迫害する者たちは、私の子よ、私の迫害者たちでもある。ぶどう畑を荒らしに夜忍び込んで来るのはこうした者たち、しかし怖れないように、私はあの略奪者たちに対しては見張り番、私のぶどう畑の実に誰も触れさせはしない。

私の聖所の壁は造り直されよう

1989年7月9日 ノート34

主は、エルサレムを建て直すという聖書の箇所を読むように指示されました。主よ?

私です、今読んだすべては実現する。私は 私の教会を、再建しよう。教会は今日荒廃し、ひどく破壊されている、しかし誰もが私の掟に従う日が、間もなく訪れる、その心に今播いている、愛の種子ゆえに、彼らは、私の掟を心深くに保ち、至高者の証し人と呼ばれよう。この人びとは私の民となり、私は彼らの神となる、そして私自身の口から直接知識を得、がその師となり、彼らは弟子となろう。こうして私は、決して廃れることのない秩序を打ち立てる、彼らは皆、徳を持たない者たちさえも、私の聖なる名をもって、私を知るようになる、私は無限の慈しみ、ゆるし、そしてあわれみであるがゆえ。そう、私の聖所の壁は造り直されよう、一段ずつ、石を積み重ね、私自身の手ですべてを造り直す。その後死者を探しに、あらゆる町角に出て行って、一人ずつ甦らせよう、私の新たな代弁者となるように、そしてあなたたちに仕えるよう、私の霊とともに送り出す、彼らに: 「誰がこの権威を与えたか?」と尋ねるなら、彼らは権威ご自身によって与えられた、と答えよう。そしてあなたたち。まこと愛する者たちよ、この荒野で苦しんでいるあなたたちは、水をえた園のようになろう、涸れることない泉のように、愛があなたたちの間に生きるだろう、そして私は、私自身の者たちに囲まれ、彼らは皆私の新しい聖なる名のもとに一致し、賛美し、ほめ称えるだろう、もはや反逆は収まり、終焉を迎える。みことばに射し貫かれ、死に絶え、二度と起き上がることなく。私は悪霊の手からあなたたちを救い出すつもりです、私の光*のうちに、あなたたちを強めて。私を愛し、生けにえとなる人びとゆえに、そのためだけに私の火を減じる、あなたたちのために、愛する者たちよ、私の手は、語られていたほど強くは振り下ろされないだろう。あなたの時代の咎はいまだに大きく、その罪は数え切れない、その罪悪は深刻なため、木々は実をほとんど実らせていない。ぶどうの木にぶどうがないと驚くのか? 果実の木に実がないと驚くか? もはや緑の葉もないと? 花を咲かせ、よい香りを放つのをやめたと? それは、私の園を灌漑する泉を敵が毒し、わずかに残る実も干からびてしまったゆえ。一輪ずつ花を根こそぎにするのを私は見た、蝮のように邪悪で二心あり、私の聖所に夜忍び込んでは、怖れもなく忌むべき意向を明かしていく、しかも悪人どもの巧みな煽動に、誰もその悪行を拒絶しない、

けれど主よ、あなたが見ておられると彼らは知っているでしょう!

彼らは、私の掟に反逆する、反逆者たち、聖書に書かれてあるのはこういった人びとのこと: 「彼らは私の民の傷を心を込めずに手当てする。平和、平和と口にしながら、平和がない、恥らいも愛も持ち合わせていない、心がないのだ」 しかし私のひと息で、この反逆者たちを打ち倒し、偽りの高座に自らを据えたあのカインたちを打ち滅ぼそう。彼らの高座は、私にとって何の役に立つというのか? 私は警告してきた、だが警告すればするほど聞くのを拒んだ、私のほうを向き回心しないですむように。数世紀に渡ってこのカインたちは棄教を押し進め、悪行の手を緩めようとしなかった、彼らは幻想と偽りにしがみつき、私に献身的な者たち、私のペトロに忠実な者たちを踏みにじる、そう、ペトロをいまだに信じる人びと皆を、彼らは嘲笑う。これらのカインたちは私の教会を傷つけるため、私の目は泉のように涙を流している、昼夜となく嘆き続け……。

わが神よ、なんと辛い……あなたの定めは素晴らしいのに。どうして主にこのような仕打ちをする人がいるのでしょう? あなたの定めは私の永遠の遺産、ああ、限りなく愛すべきお優しい、主よ、他の人びとがあなたの掟をおろそかにするため、私も目から涙が溢れてきます。

だからこそあなたたち*にこうした弱い、つまらない、軽蔑すべき愚か者と呼ばれる人びとを送っている、私は自らを賢いと呼ぶ人びとを辱めるつもりです、不意を突かれ、自分の名も出身も分からなくなるほどの混乱に陥らせよう。愛する者よ、もう休みなさい、あと少し時間をともに過ごしたいと思っている、あらゆる危険に対して目覚めていなさい、信仰のうちにしっかりと立ち、行うすべてが、愛をもってなされるように、あなたを祝福する、「私たち共に」?

永遠に、わが主よ。

来なさい、私の聖心のうちに憩いなさい。そこはあなたの家

* 急に、火による清めを思い浮かべました。

あなたの単純さで私を夢中にさせなさい

1989年7月7日 ノート34

あなたへの従順をお教え下さい、あなたは私の神でいらっしゃり、私を教育しておられるお方ですから。この追放の身のさ中、霊がくじけてしまいそうで、慰めも感じることができません。主よ、私の懇願の声をお聞き下さい。どこにおいででしょうか?

花よ、あなたに平和、そばにいる、これからはもっと信じてほしい。私はあなたの教育係りではないか? 心配は要らないだろう? 安らかでありなさい、私はゆるしを与える者。私への忠実に留まり、あとは任せておきなさい、私のパンも私の愛も、決して拒まない、互いに労り合い、しばしば私に向かって祈りなさい、たとえほんの一瞬でも、私はあなたの前にいつもいて、道案内する唯一の者、私と手をつないでいるのだから、心安らいでいなさい。あなたが貧しいのを知っている、しかし私は無限の富ではないか? 心配は要らない、あなたの必要を整えるのは私、闇の中に置き去りにするとは、一瞬たりとも思わないように。あなたの燭台に油を注ぎ、たえず養い続ける、小さな者よ、私はあなたの世話をしている。絶え間なく祈りなさい、最後まで私をあなたの教育係りにさせなさい。あなたの愛で私を愛撫し、あなたの祈りで私を飾ってほしい、その単純さで私を夢中にさせるがよい、私を探し求めるなら、心の単純さのうちに私を見いだそう、私を熱望しなさい、私に飢え渇き、愛ゆえに愛をもって、倦むことなく宣教するように、主である私はあなたを嫉妬深く愛している。私の聖心のうちに留まっていなさい。私の聖心はあなたの魂に欠けているすべてを与える。私は愛の源であるゆえに、こうした愛を求める。愛が皆を愛している。

教会の根とは愛

1989年7月6日 ノート34

主よ、この何日か、きっと私にみ顔を隠しておいででしょう。以前ほどあなたの光を感じません、どうして私をお見捨てですか? 主よ?

私です、決して祈りを絶やさないように。私はあなたのあがない主、聖なる者、あなたに対する愛は大きく、魂にとってためになることを教えている、あなたを形造るのは私、見捨てたとは考えないように、嘆かないでほしい。その汗水は空しくはならない、聞くように、私のヴァスーラ、あなたを愛しており、私のパンで養うのをやめない。聞きなさい。私は、非常に大きなあわれみをもって、すばらしいぶどう畑をこの時代に準備している。私はぶどうの木のように、優雅な若枝を出し(*1)、花は愛と平和の実をつける。私を望む者は、近づいて来なさい、そして私の実で満たされるように1。私を食べる者はさらに食べたいと欲し、私を飲む者はさらに飲みたいと欲する(*1)。ああ、娘よ、どの魂も私に飢え渇くようにと、どれほど望むか! そうすれば、今ほど教会は荒廃していなかっただろうに、愛が欠けているなら、私にとって儀式や形式は何になろう? 根がないなら、木は生きていけようか? 教会の根とは愛、では愛が見当たらないなら、私の教会はどうして生き残れよう?

イエス、お慰めしましょう。

あなたの愛をもって、私の頭を休ませてほしい、私を愛し、あなたのうちに憩わせなさい。私の聖櫃の前で皆に会えるのを、非常に歓んでいる2。愛があなたを愛しむ、私は(I Am)主、安心していなさい。

あなたの苦しみは私の苦しみに比べれば何でもない

1989年7月5日 ノート34

わが主よ?

私です、あなたに平和。

主よ、ときどき難しく感じます。

私のヴァスーラ、確かに砂漠で生きるのは難しい。しかし私の目が決してあなたから離れないのを忘れてはいけない、私に倚りかかっていなさい。みことばはこれまでと変わっていない、どの世代にも絶え間なく回心を呼びかけてきた。大いなる愛とあわれみをもって、いつでも手を差し伸べよう。私の愛のわざを続けてもよいか?

はい、主よ、お望みのように。

私は望む、地上の魂をどれも美しく飾りたいと望む、誰もが私のパンを味わうようにと望む、皆を愛している。あなたを満たし、しかも無償で満たし、神無き人びとに正気を取り戻させたいと望む。私のヴァスーラ、私の聖心を感じなさい、この暗やみの時代ほど、私の心が引き裂かれ、痛めつけられた時代はない、

ああ、神よ……

しかも、まっしぐらに永遠の亡びへと向かう、これほど多くの魂たちを見るのはいかに苦痛の極みか……。分かってほしい、私の子よ、私に比べ、あなたの苦しみは何でもないと。あなたのうちに休ませてほしい。平和を。

あなたの意志だけがほしい 聖ミカエル

1989年7月4日 ノート34

わが主よ?

私です。どの集会でも気を集中させなさい、気を集中させなさい、怖れないように。私の教えは健全、魂の教育を私に許してほしい、神なる私の計画を続行させてもらいたい、あなたの意志だけがほしい1、私の平和を与える、愛する者よ、永遠に。決して失望させない。平和を、私の子よ。御母の言葉を聞きなさい。

はい、主よ。

(聖マリア、私たちの聖母)

ヴァスーラ、イエスの聖心のうちに魂を憩わせ、あとは主にお任せなさい、さあ、私のメッセージを書き留めてもらいましょう2

あなたたちに平和。私はここで、この集会に参加されている皆の上に手を差し伸べ、皆を祝福しています。英知のみことばに耳を傾けてください。主はあなたたちの心だけを求めておられます、どうぞ拒まないで下さい。心をお献げするなら、魂の故郷、あなたの住まいである聖心にまで導き入れようと、愛の賜を与えてくださいましょう。主のもとに立ち帰り、意志をお献げなさい、至高者に立ち帰るなら、愛の香りで包んでくださいます。あなたたち皆を今日は励まそうと、声をかけているのです。あなたたちの時代がそうなってしまった、この悲惨と苦しみの世界で、私たちの呼びかけは、この暗やみの世界いたるところに及んでいます。イエスと私がさまざまな方法で、世界中これほど多くの場所で、どうしてあなたたちの回心を呼びかけているかを熟考するように、一人ひとりの魂にはっきりと求めます。私たちはあらゆる手段を用いて警告を与えるために、あなたたちに届こうとする、気も狂わんばかりの両親のようです、あなたたちはそんなにも愛された子どもたちなのです。どうぞこころして私たちの、警告や呼びかけを受け入れてください。悔い改め、心を込めて祈り、愛を込めて主のもとにお出でなさい、来て、主を礼拝なさい。主が与えようとされている愛を受け入れてください、礼拝の時間に皆が訪れ、御心をお悦ばせするように、愛は愛を熱望し、愛があなたの心を求めておいでなのです。ですから愛のもとにお出でなさい、愛にお応えする魂を求めて、叫ばれている聖なるお方のもとにお出でなさい。私はあなたを愛している聖なる母、疑わないように。皆を父と子と聖霊の御名によって祝福します。アーメン。 

(聖ミカエルがメッセージをくださいます)

私は聖ミカエル。あなたたちを保護し、悪霊から護るようにと、あなたたちが祈っている聖ミカエルです、怖れることはありません、この祈りを通して、あなたたちの苦労はとり除かれるでしょう。愛の霊が、恵みの呼びかけを広げようとなされるのを、許しなさい、恵みのみ霊に、耳を傾けなさい、霊の仰しゃることをよく聞くように、その慈しみは偉大です。聖なる御方のメッセージを受け取る人びとを、先祖たちがしたように窒息させてはなりません、このヴィジョンを受け取る人に:「ヴィジョンを見るな」と言い、預言者たちに、「預言するな、私たちは真実のうちにいるのだから」と言って、むしろ、目を挙げて見回すように、人びとは皆集まってきて、神に立ち帰ろうとしています、息子たちは遠くから、娘たちはそっと抱きかかえられて、主はこのように宣言されましたから: 夜闇があなたの時代を支配しているが、私の光はそれを貫き、地上を覆い、民はこぞって私のもとにやって来る、そして私は群れを私の聖なる名のもとに、一つの聖い群れとして再び集めよう、と。ああ、祈りなさい、主の子どもたちよ、赤児と身分の低い者の口から出る言葉を受け入れて、主が民を癒やされるのを許しなさい、恐れないように、救いはあなたたちのそばに、戸口まで来ています。父と子と聖霊のみ名によってあなたたちを祝福します、アーメン。

主があなたを用いるのをお許しなさい、ヴァスーラ、主を恋い焦がれ、主を愛しなさい、主は実にあわれみ深いお方です。 

後ほど。まだ神に飢え渇いていましたので、たった10秒でもと、お与え下さったこの特別な方法で主のもとをお訪ねしました。親密なちょっとの交り、救い主との会話が必要だったのです。主よ、お慕いします。

私です、花よ、私を慕いなさい、あなたは私を歓ばせている、近づくように、そばにいる。

私をほめ讃え、礼拝しに来なさい、私は聖なる者ゆえ

1989年6月29日 ノート34

唯ひとり不思議を行われる、全能の、主に賛美。わが神よ、あなたはみことばをお教え下さり、私は今でも不思議の数々を宣べ伝えています。あわれみを込めて主は私の罪をおゆるし下さり、正気に戻してくださいました。「私を食する者はもっと欲するようになり、私を飲む者はもっと飲みたくなる」(シラ書24・21)という知恵のみことばを理解し、悟らせてくださいました。夫を亡くした女のように、この砂漠をさまよい、頭を横たえ憩うことの出来る、あなたの永遠の泉と緑の牧場を探し求めています。

娘よ、実のない木であったあなたを、栄えて実がなるようにさせた。敵意を持つ異教徒であったあなたを、熱心な礼拝者とした、無関心の代わりに、あなたの神、私に対する熱意を与えた。来なさい、私の好意に留まり、一致していなさい。

主よ、昨日の集まりはどうだったでしょう……

主である私は、私の特使たちにはこう知らせる、見なさい、あなたの手から今日、鎖をはずした。自由だと感じなさい……ついて来て、私の平和と愛の十字架を分かち合ってもよいなら、ついて来なさい。あなたの面倒を見る。自由に感じるがよい……私が自ら充足した者であるのを、あなたはよく知っている、私は至高者。あなたの無邪気さがいとおしい、それで私の印を与えずにはいられない、私の名を称えるよう、貧しい者乏しい者にも、与えよう。清い心で私のもとに来なさい、あなたを向上させる。私をほめ称え礼拝しに来なさい、私は(I Am)聖なる者ゆえ、愛が永遠にあなたを愛している、来なさい。

主よ?

私です、祈るように、そして書き留めさせた祈りで、あなたが祈るのを聞かせてほしい、

「ああ、イエスの聖心よ、崇むべきわが主よ、
私の意志をお献げします。
あなたの平和と、あなたの愛の道具にしてください、
聖心の燃えるようなお望みの、生けにえとさせてください。アーメン」

小さいまま、私の霊のうちでのみ成長しなさい。決して見捨てない。