(一致祈祷週間に、ロサンジェルス市とサクラメント市で読み上げるために)
私の聖心の娘よ、書いてもらいたい。天から発する私の声を聞きなさい。
私の和解、平和と一致の言葉は聞かれず、尊ばれもしなかった。私は一度語ったが、もう一度語ることはない。
新たに付け加えることは何もない。
主よ、どうやら簡単ではないようです……
一月には、今度こそあなたの声をとどろかせてほしい! 今まで以上に、さらにとどろかせてほしい! あなたは私に代わって語る。全世界に聞かせなさい。日々はもう数えられている、時間はあまりは残されていない、そして人類を包んでいた恵みは突然、不意に取り去られると……来る年も来る年も天から注がれていた私のあわれみと善意が、いかに大きなものであったかを世界が悟ることができるように、これが起こる。……
一致のために働く者たちには、空を見上げるように言いなさい。空が地球からどんなに離れているかを見たか? 彼らの心はそれほど互いから遠く離れている。それほどまでに隔たっている。皆が復活祭を同じ日に祝うように全員一致で裁決し、皆で布告を発してくれるのはいつの日か?
彼らの立派な言葉を聞くのには疲れた。彼らにとってはふさわしく雄弁なのかもしれないが、私の耳にはドラの音のように聞こえる。空の空だからだ。私は彼らに話しかけようと訪れた、第一に案ずる思いから、そしてあわれみから、だが今日に至るまで、私の声を聞こうと自分の声を低くした者は誰もいない。
私に仕えていると言いながら、私の王国が一致と安定を見いだすのを妨げるあなたたちは悲しいかな! だが、私の王国を一つにするのはあなたたちではない…… あなたたちは何も理解せず、これからも理解しないのだから…… 私が天から呼びかけたにもかかわらず、私の心の深みを理解しないのであれば、どうやって私の心が望んでいることを解き明かし、私の聖心の富を把握することができるのか?
私はたとえによって話すことはせず、秘密裏にも話してこなかった。分かりやすい言葉で話しかけてきた。彼らに話すために、当局者たちを一堂に集め、彼らを公式に非難した、だが彼らは私の心の促しに気づいたであろうか? 彼らの務めは正式な声明を出すことだった。私は権威者たちを厳しくとがめた。あの日私が訪れたのは、彼らを責めるためではなく、彼らの灯火を満たすために油を差し出すためだった。私の教会にこれ以上害が及ばないように。彼らのうち何人が、手を天に差し伸べ、私を呼び求めたか? 私の聖血が、二度も水のように流されているのを、彼らは知っているだろうか?
──今回は私のうめきが、彼らの耳にも届くように…… 私の右の手が植えた木はまず二つに、それから三つに引き裂かれ、その後は干からびてしまった。私が植えた健やかなぶどうの木はどこか? ……
かつてぶどうの木があった。季節ごとにぶどうの実が実るのを私は待っていた。それは谷間や山々を覆い、海の向こうにまで枝を広げていた。なぜなら、それは私自身の所有地、嗣業の地に根を張っていたのだから。私はその枝を地上の隅々まで届かせ、その実で世界を満たした。ところが彼らは、世話をする代わりにそれをおざなりにし、刺や茨が周囲に増え、枝や若い芽を次々と締めつけていくにまかせた。私の右の手が植えたあの選びの木はいまや地面に倒れ、その実が持っていた美や輝きは、腐った果実のように地に落ちてしまった。
それゆえ、誇らしげに胸を張ることはない、尊大な目つきをするのもやめなさい、あなたの過ちが増え、あなたの行いがあなた自身の頭に跳ね返ってこないように。私はあなたの灯火に油を満たそうとやって来た、あなたの灯火に火を点し、あなたが向かっている先が見えるように、それを今用いなさい。明かりを点して用いるのを今度怠るなら、誰であろうと、取り上げられて他の者に渡される。この者たちは次の言葉を唱えて祈りなさい。
ああ主よ、
私たちの間に立っておられる御方、
私たちを導いてください。
ぶどうの木の真ん中にあなたの王座を据え、
私たちに命じてください。
ああ、聖なる者の聖なる主よ、
私たちを清めてください。
あなたの家とぶどうの木を、完全なまま保つことができますように。
愛深く介入し、あなたの右の手で栽培された木を守ってください。
私たちはあなたの期待に背きました、ですが知っています、
信じ、信頼します、
あなたが門を大きく開いて、ぶどうの木にいのちの川を注がれ、
そこからもう一度枝が芽吹き、
実をつけて最良のぶどうとなり、
これまで以上に堂々としたものになると。
なぜならいのちの与え主である聖霊が
それを覆ってくださるからです。
アーメン。
そしてあなたは、私のヴァスーラ、苦しみを通して忍耐を学ぶだろう。忍耐は堅忍を、堅忍は希望をもたらすと聞かなかったか? そしてこの希望の上に、私の王国は打ち立てられる。今やあなたのすべてが私の誉れとなるように。
私の聖霊があなたの上に、私の印を押した。だから恐れることはない。牧師、司祭、教師、司教や枢機卿たちが、牧者の呼びかけに気づくであろう。私は彼らの精神を新しく造り替え、古い自己は砕かれる。そして完全に理解するだろう、真理のもつ善性と聖性のうちに、私の被造物全体を変容させるために、私が戻る途上にあることを。
来なさい、私の娘よ、私の大切な者よ。「私はある」が共にいる。