天国と聖なる戦いの幻

1987年3月26日 ノート9

(神が幻(ビジョン)を与えてくださいました。)

私を喜ばせなさい、ヴァスーラ、そして神である私は、唯一であることを理解しなさい。私は愛を込めて、私の栄光をもっとあなたに現したい。子よ、天がどのように造られたか知っているか?

あなたによって、あなたを通してです。

そうだ、私はあらゆるものの幅、高さ、深さを計った、すべての寸法が完璧である。どの小さな生き物も私に由来し、まことに私のものである。すべてのいのちは私から生まれる、私の息吹はいのちである。私の天のわざについてもっと学びたいか?

はい、主よ。

では、一緒に私の栄光の中を少し散歩しよう。

(自分が神の現存と共に美しい園の中を歩いているのが分かりました。色彩に富み、明るい光に満ちていましたが、通常の太陽からのものではありませんでした。歩いていると、地平線に今にも触れそうな巨大な光の玉に気付きました。それは大きな太陽のようでした。ところが、目を痛めることなしに見ることができたのです。)

どう感じるか、娘よ?

きれいです。何もかもが不思議です!

何が見えるか?

この「太陽」のようなものが。

そう、それは私の聖なる住まいだ。その光の周りに何が見えるか?

最初は、太陽の周りを回っている点々のようなものが見えました。でもそれは、太陽の周りを取り囲んでいる小さな天使たちだと分かりました。何百万もいるように見えました。

私の栄光の周りを取り巻いているケルビムたちだ。他に何が見えるか?

「太陽」の中へ入る階段でしょうか?

この光の中に入って行こう、用意はいいか? はきものを脱ぎなさい、私たちは聖なる土地に入って行くのだから。さあ、光の中だ。

入って行くと、とても明るい光の中に包まれるのかと思っていましたが、いいえ、違うのです。すべてが青い色をしていました。でも、一番私を驚かせたものは、その静寂さ、そして平和と聖性の感覚でした。信じられないほどでした! 内部のすべては一つの大きな円になっていました。

そう、円だ。

(周りを取り巻いていた「壁」は、壁ではありませんでした。生き物であり、天使たちだったのです。天使たちの壁がドームのように上空をふさいで、天使たちによる「天井」が築かれていたのです……全員が青色で、何百万も、何十億もいました。背の高い天使たちが、互いにくっつきあい、一人の上にもう一人が乗って、堅固な壁を形造っていました。)

私のセラフィムたちは、この聖なる場所を守り、絶え間なく私を礼拝している。彼らの声が聞こえるか? 「至聖なるお方、われらのいと高き神は聖なるかな」。

彼らは何人いるのですか、主よ?

何千もだ、私の子よ。この金色の剣を持った、とても美しい者は誰だろうか?

分かりません。

(一人の天使のような人を見ました。他の天使たちと違っていて、「普通の」色をしており、着丈の長い白衣を着ていて、金色の髪は肩まで掛かり、手には美しい金色の剣を持っていました。剣はきらきらと輝き、衣は最も清らかな純白でした。)

ヴァスーラ、その剣は私の言葉である。私の言葉は純粋。それは刺し貫き、照らす。

(突然、その「ドーム」が開花するように開きました。)

見なさい、小さな子よ、識別してごらん。私がそばにいて助けている。頭上にきたるべき聖なる戦いが見えるだろう。ああ、娘よ、油断することなく、周囲に目を配るように、そして悪魔が存在していることに気付きなさい。何か見えるか?

(この「壁」が花のように開いた時、黒くてビロードのように光る、どうもうな目をした複数の馬が見えました。その映像が遠のくと、次に戦いが見えました。)

私の軍隊はサタンやその手下どもと戦う、私のおきてを破壊しようとしたすべての者たちも含めてだ。私はアルファでありオメガ、初めであり終わりであることを覚えておきなさい。私の言葉は永遠である。さあ、何が見えるか?

大きな蛇のような爬虫類はちゅうるいが一匹、馬から投げ落とされました。

この竜は、私の聖なる者1やりもとで征服されるだろう。これが起きたとき、竜の手下どもも皆、倒れる。ヴァスーラ、これから私の審判の広間を見せよう。

(大きな広間が見えましたが、まだ誰もいません。突然、広間の片隅に一つの集団(複数の魂)が見えました。ガチャガチャという鎖の音が私の注意を引いたのです。彼らは言葉では表現できないほどにやつれ果て、石炭か、こくはんのような染みが付いていました。自分たちがどこにいるのかも分からず、おびえているようです。私たちのことは見えていません。周囲を見て驚いているようでした。)

ラッパの音を聞きなさい。天使たちが私の到来を告げ知らせている。手を貸しなさい、あなたは私の小さな客人なのだから。そう、すべての天使は私の前にひれ伏す。これらの無数の魂を見たか、彼らは地下2から到着したばかりだ。この魂たちは、苦しめられていたが解放された。彼らはサタンの門の所にいた。

誰が彼らを解放したのですか?

私が解放した、私の天のわざによって、また私を愛し、償いをするすべての魂によって。なぜ私を愛してほしいか分かるだろう? あなたが私を深く愛すれば愛するほど、彼らの魂が引き上げられ、私のもとに来るためのより良い機会が与えられる。これらの魂がどうなるかを知りたいか?

はい、主よ。今度は何が起きるのでしょう?

教えてあげよう、私の聖霊によって彼らに洗礼を授け、完全に解放する、聖霊による洗礼を受けるまで、彼らは私の王国を共有することができないからだ。

これらの魂は洗礼を受けていなかったということですか?

受けていなかった。

洗礼を望んでいたのでしょうか?

そう、望んでいた。来なさい、説明する。一緒に座ろう。あなたが見たものはただの映像に過ぎない。彼らが実際に私の広間にいたわけではない。魂は終わりの時まで裁かれることはない。

あなたの広間にいなかったのだとすると、彼らはどこにいたのですか?

彼らはハデス3にいた。ハデスにいたために、彼らは無力だった。私を選び、私に従いたいと望むなら、あなたたちは救われる、だが私を認識できなければ、そのかたくなさによって墜落してしまう。墜落した先には、永遠の苦難4がある。
あなたたち皆に警告しておかなければならない、今までも言われていなかったわけではないが、聖霊を冒涜ぼうとくする者は誰も決してゆるされないということを、それが私のおきてなのだから。
私の前に目を伏せなさい、子よ。

(そうしました。)

あなたを祝福させてほしい。あなたの罪をゆるす。次の言葉を唱えなさい。

「全能の神である主は、祝されますように、
主のくにが永遠の栄光をもって統治しますように、
聖なるがあがめたたえられますように、
主のことが一人ひとりの心の中に浸透し、そこで憩いますように。
アーメン」。

ヴァスーラ、今日はここまでにしよう。休みなさい。明日また私のメッセージを書き取ってもらおう……

(突然、神が苦渋の思いを抱いておられるのを感じました。)

……私を代理する身でありながら、私に十分な愛を返さず、私の無限の愛から引き出そうともしていない人々のことだ、娘よ。
来なさい、私と連れ立っているように。私には休息が必要だ5。もっと近づきなさい、私の悲しみを共有してほしい。

私の神よ、あなたの望まれるとおりにします。ただ、あなたを心から愛している人々もたくさんいることを忘れないでください。あなたへの愛のために献げている彼らの犠牲を忘れないでください。

そう、彼らは私を悲しみから引き上げてくれる、そして私の傷を癒やしてくれる、だがそのような魂がもっと多く必要だ、償いの心構えができていて、私の無限の愛を拡散し、霧のように広めてくれる者たちが。彼らが心を開いて、私を受け入れてくれるのを切望している。彼らの心を私の愛で満たそう、そして彼らの心から愛があふれ出るとき、その愛は広まり、私の小羊たちを養うであろう。
愛する者よ、あなたの中で休ませてくれるか?

はい、私の神よ、どうぞそうなさってください。

あなたも私の中で休むか?

はい、私の神よ、そうします。

では来なさい。あなたを愛している。

私も愛しています、私の神よ。

私は二つの指輪を持っている

1987年3月23日 ノート9

覚えておきなさい、私は唯一、聖なる三位一体は一つ1である。私とあなたとの一致が完全なものであってほしい。注意深く私を識別しなさい。そうだ、よく見分けた、私は今、二つの指輪を持っている。

銀白色をしていますか? とても輝いています!

純粋な白金でできている。

(ここで私は、悪魔がだまそうとしているのだと思いました。こんなことがどうしてあり得るでしょう?)

聞きなさい、ヴァスーラ、私、イエスである。恐れないように。愛する者よ、来なさい、あなたのためにこの指輪を持ってきた。今これをはめてほしい。私を識別しなさい。

でも、こんなことがあり得るでしょうか?

そうだ、私はあなたとの一致を祝福している!
愛する者よ、この行為は霊的で天的な行為だ。はっきり言っておくが、あなたの魂は私と一つになっている。私を信じなさい、私たちの結婚を聖別しよう。
あなたの指にこの指輪をはめさせてもらいたい。愛している。私を感じなさい。あなたを愛し、祝福する。

イエスはもう一つの指輪を御自分の指にはめられました。

分かるか? もっと識別できることが何かあるか?

(一つのリボンが二つの「円」を結び合わせているのが見えました。)

これを私たちの頭の上に置こう。私たちは今結び合わされた。私たちの一致に冠を授けている。

イエス様、多くの人々が、これを空想だと非難するでしょう!!

どうしてか。多くの人々が私のもとに来て、私と結婚し、私の栄光をたたえる、そして私は彼らと一つになれたことをとても喜んでいる! ヴァスーラ、私はあなたを死から復活させた。私の光をあなたに注いだ。あなたを世話し、あなたを癒やした。娘よ、あなたに私のわざを自由に行い続けられるよう、私に任せなさい。私の望みどおりに形造られることを熱望する、柔らかい石膏せっこうのようでありなさい。あなた自身を私の手の自由に任せ、私を拒むことがないように。

主よ、とてもうれしいです。あまりにもうれしくて、錯覚しているのではないかと不安なほどです!

そんなことはない、上手に識別している。今すぐにこの世から連れ出してしまいそうなほどにあなたを愛している。あなたを救い出して、私の近くに置きたいと切望している、だが私はこのメッセージのためにあなたを造ったのだ。

主よ、識別が間違っているのではないかと不安です。あなたが私に指輪を下さり、私たちを一つにしてくださったと考えることによって、あなたをぼうとくしてしまったのではないかと恐れています。それで間違いないと私は思っているのですが。

私の花嫁よ、私のみじめな花嫁よ、どうして私を恐れるのか? 私を悲しませないで、私に近づきなさい。あなたを愛している。私にり頼み、私たちの結婚を聖別したのは私だということを忘れないように。心配するな、私はイエス、恐れを捨てて近づきなさい。あなたの手を感じた2

(メッセージを書きながら、(大きな方の)主のせいがいの写真を見ていました。無意識のうちに、頭の中で主の頬にかかっていた髪の毛(左側の)を、後ろの方へ優しく流して差し上げました。すぐに反応があったので驚きました。)

私の手を感じられたのですか? 本当に?

感じた。ヴァスーラ、私が神であることに気付いたか?

ごめんなさい、こんなことをして。

謝らなくてもよい。私と親しくなりなさい、そのままのあなたで。さあ、私にあなたの手を預けなさい、そうすれば私の手であなたの手を包んであげよう。

あなたを私の祭壇にする

1987年3月22日 ノート9

静けさは私の愛するもの。静かに働きなさい、そして慌てないように。本を持って戻って来た。

その本には何が書かれているのですか?

数人の魂の名前を書いた。私の炎、愛の炎を生き返らせてくれる魂たちの名前だ。私が指さしているところを読んでくれるか?

はい、主よ、その小さな本のことで悩んでいたのです。読むことができなかったので。

分かっている。

(本の表紙が柔らかで金色なのが見えます。)

そう、表紙は金色だ。中を開けて読んでごらん。「あなたを私の祭壇とし、そこに私の心の燃える望みを据えよう、私の炎があなたのうちで生きるようになるだろう。私の心から吸収し、あなたの心を満たしなさい。主である私は、永遠にいつまでも、私の炎を燃え立たせ続けよう」。私の本に今口づけをしてくれるか、娘よ?

(口づけしました。)

あなたに教えよう。

(疑問を持っていました。)

それは私の選んだ魂たちへの霊的指導だ。もう分かったであろう。

(しばらくして、不確かさと疑いの波が私を覆いました。)

ヴァスーラ、恐れないように。私、イエスである。耳を傾けなさい、愛する者よ、どの導きにも相応の苦しみが含まれている。あなたの分には、不確かさがあり、それがあなたを苦しめる。苦しみが魂を清めると言わなかったか? それを受け入れなさい、あなたにとって最善のことを自由にさせてほしい。あなたのうちで働かせてもらいたい。そう望むか?

あなたがイエス様なら、そう望みます。

私はイエス、あなたの救い主! 私たちは共に苦しみ、共に奮闘する。さあ、私にり頼みなさい。来なさい、私たちで共に行こう、そして一緒に読もう。

(しばらくして)

私はここにいる。私のために生きなさい。私を愛することによって、私の栄光をたたえなさい。来なさい、すべては愛と平和への私の益のためだ。決して私を拒まないように。私の計画を止めようと、悪魔が絶えず邪魔をしに来るだろうが、私は勝利する、だから私に任せなさい。

でも主よ、少し愚痴を言ってもよろしいでしょうか?

遠慮しなくてよい、ヴァスーラ。

困っていることをお話ししたいのです。おそらく、私が言ったり考えたりすることは全部間違っているでしょうから、私が何をしたところで、間違っているでしょう。実際、私には現実的な支えがありません。つまりこう言いたいのです。私はこうしてあなたからのメッセージを書いていますが、他にも、明らかに私と同じ経験をした人々がいます。その人たちも、あなたから別のお導きやメッセージを受けましたが、彼らのほとんどは、修道院の中にいました。彼らは修道者や司祭、司教などに囲まれていました。このような超自然的な働きかけが起きると、彼らは注意深く見守られ、詳細に調査されました。ですから、彼らは書いたものを容易に長上に手渡すことができ、そこから司教、そして教皇へと渡されていったのです。長上たちは皆、それをあなたからのものとして受け止めました。
 間違っているかもしれませんが、彼らのよく知る仲間うちの方から来るものの方が、受け入れられやすいでしょうし、そのようにして、書かれたものは編集されたのです。少なくとも部分的には。それらは正式に承認されました1。さて私はどうでしょう。私も司祭たちに近づきました。彼らはたまたまカトリックの司祭でした。私はギリシャ正教の洗礼を受けた者ですが、どこの司祭であっても、私には構わないことです。たとえ私がカトリックで、司祭がプロテスタントであったとしても、私はえり好みしません。皆キリスト者なのです。今のところ、何人かの司祭が私の書いたものについてご存じです。人によって、夜と昼ほどに反応が違います。ある司祭は今日に至るまで、それが悪魔だと、言い換えれば取りかれていると、なぜなら私は憑依ひょういされているからだとおっしゃいます。でも私は、全能の神であるあなただと分かっています。この方は少し読んだだけですぐに決めつけてしまい、それ以上考えを変えようとは決してなさいません。私は悪魔にかれてはいないと分かったとしても、今度は私の潜在意識のせいだと言ってくるでしょう。あなた以外のものであれば何でも良いのです。そしてもう一人の司祭の反応と言えば、「はい、書き続けなさい、それは神聖で、神からのものですから」というもので、この方は神のことだと信じておられます。けれども忙し過ぎて、メッセージについて尋ねもせず、それが「ひと続き」のものだと分かるまで調査しようとさえなさいません。これにはびっくりさせられるのです。もし神がメッセージを伝えようとしておられると信じるのなら、どうしてもっと手間をかけて、それが何であるかを解明しようとなさらないのでしょうか?
 三人目の司祭はこの知らせを受けて、私の話を義務的に、時々腕時計を見ながら聞き、「いいことですね。続けなさい。すばらしいです。書き続けてください」とおっしゃいました。私はこの方に、またいつでも来てください、このメッセージについてお話ししましょうと言いました。その司祭とまたお会いすることはありませんでした。また別の司祭は、メッセージについて知らされても、たった一、二ページ読まれただけでこうおっしゃいました。「意見を述べたいとは思いません。ただ、私たちカトリック信者は、悪魔もこれと同じようにして働くという警告を受けています2。これが悪魔だと言っているのではなく、注意するように言われているということなのです」。私は「分かりました。十分です」と言いました。それにしても、この司祭たちは、皆一つのことには同意しておられるのです。つまり、これは超自然的なものであるということにです。だとすれば、なぜもっと真剣に受け止めて、理解し、明らかにしようとされないのでしょう?
 突き詰めれば、この方たちは神を追い求めている人たちです。これは悪魔だと言った最初の司祭は、神はメッセージをお与えになり、そのようなメッセージが書かれた本は世界中に山ほどあって、よく見られることだと言われました。超自然的な方法による導きはとてもたくさんあり、よくあることなのだと、ただし、ほとんどが彼らの仲間うちの話だと。>
 もう一人の司祭は、それは『みこころの聖なる啓示』と呼ばれるもので、神からのものだと言われました。そしてある神秘神学の教授を訪ねて話をするようにと、その方の住所を渡してくださいました。私が「彼らの仲間」であれば、事はもっと容易だったのにと思います。ただ単に、私が彼らの内輪の人間ではなく、その場にはあまりにもそぐわないというだけのことなのです。

私はイエス。ヴァスーラ、私に頼り、休みなさい。時代よ、ああ、時代よ、あなたたちは私の言葉に一瞥いちべつも返さないうちに評価を下しているのか? あなたは一見、私の栄光をたたえているように見えるが、いやいや私を擁護することによって、かえって私をろうしているのか?
 ヴァスーラ、愛している。私にり頼みなさい、愛する者よ。

主よ、まだ他にもあるのです。私が疑いの気持ちをお伝えしたり、表したりするとき、間違いなくあなたを傷つけていると思うのです。あなたを疑っているわけですから。たとえ疑っていなかったとしても、もしもこのお導きがあなたからのものでなかったら、やはりあなたを傷つけることになります。なぜなら、私が自分でこれをやっていることになるからです。だから私が何をしたとしても、あなたを傷つけてしまうのです。あなたからのものだと信じようが信じまいが、私が何を思おうが、あなたの心を痛めることになります。それが私には悲しいのです。あなたを決して傷つけたくはないですから! そのことでも私は苦しんでいます。

ああ、娘よ、嘆き悲しまないでほしい。私が愛によって傷つくなどと、決して思わないように。あなたがしなければならないのは、私から食べることだけだ。私はイエス、イエス・キリスト、そしてあなたの食べているものは私のパンである。魂よ、ああ、私の愛する魂よ、それ以上自分を苦しめないように。私を信じなさい、愛する者よ、そして私に愛されていると感じなさい。

こんなにも弱いことをおゆるしください……

あなたを完全にゆるそう。私がどれほどあなたを愛しているかを感じなさい。あなたの弱さは私を最も引きつける、言葉では言い尽くせないほどのあなたの弱さ! あなたのみじめさは言語を超えている。ああ、私のもとに来なさい、ここに、私の心の中に、私の中であなたの魂をすっかり消滅させなさい。私の天国でありなさい、愛している。私の平和を今受けなさい。

あなたの全身全霊を私の中に浸透させなさい

1987年3月21日 ノート9

私、イエスである。ヴァスーラ、訓練を受けてくれるか、愛する者よ? あなたの心で私を識別できるようになるために1。ヴァスーラ、私を見なさい。

(見ました。)

そうだ、それでいい。

御手を机の上に置かれましたか?

置いた。

今は腕を組まれましたか?

組んだ。

今度は片方の腕を上げて手を頬の方に伸ばされ、人差し指を頬に付け、もう片方の腕はそのままにされていますか? 何かを考えていらっしゃるようなポーズで?

そのとおり! 私は自分の現存を強調している。ヴァスーラ、私を見なさい。

(本をお持ちですか? 右手でマントの左側から取り出されましたね?)

本を持っている。

(それほど大きい本ではありませんね。)

そうだ、よく識別している、ヴァスーラ。本の中を見て、何が書いてあるか読んでみなさい。

(読もうと思うのですが、なかなかうまく読めません。)

ええと……

「私の祭壇はあなたである」。

イエス様、読めません。あとは分かりません!

もう一度やってみなさい、「私の祭壇とし、そこに……」

(見えません。間違って読んでいるような気がします!)

小さな子よ、私がいなければあなたはどうするのか? あなたの魂を私までもっと引き上げなければならない。ヴァスーラ、私が助けよう。自分を完全に私に委ねなさい、気を落とさないように。また後で、本を持って戻って来よう。

(とても落ち込みました。自分の魂を十分引き上げることができなかったので、イエスを失望させてしまったと思い込んで。イエスは私を他の魂と交替させるだろうとさえ思いました。イエスの忍耐にも限度があると!)

ヴァスーラ、あなたを交替させるなどと、絶対に考えてはならない。私を信じるか? さあ、また次の時にやってみよう。今やったように、あなたの心を使って私を識別してみなさい。ヴァスーラ、全身全霊を私の中に浸透させ、私の中に溶かしなさい。完全に。
 私を愛し、他の人々のために償うように。上昇しなさい、あなたの魂を高めるように教えてあげよう。さあ、私たちで共に行こう。

あなたの全存在を私の中に融和させなさい

1987年3月20日 ノート9

ヴァスーラ、ひと言言わせてほしい。最後まで私を愛し抜くように、なぜなら最後は甘く、私と一緒になるのだから。

あなたはどんなに苦しまなければならなかったのでしょう!

私の苦しみは無駄ではなかった。あなたを悪から解放したのだから。

たまにはあなたにも幸せなときがあってほしいです。

愛する者たちの間にいるときは幸せだ。

その方たちはあなたを幸せにしているのですか?

そう、私を悲しみの底から引き上げてくれる。

二千年前に戻ってあなたと一緒にいられないのが残念です。

娘よ、私は今もあなたたちの間にいる。

イエス様、あなたの口づけを受けて(昨晩のこと)から、今日一日中、あなたの中で「溶けてしまった」ような気がしています。自分が透明になったかのようで、とてつもなく大きな平和に満ちているのです! まるで自分が空洞になったような……

ヴァスーラ、私は平和である。絶えずあなたに平和を与えよう。あなたの全身全霊が私と一体となるように、そうすればあなたを私の中で溶かしてあげよう。ああ、ヴァスーラ、いつも私の中に来て、私の平和を感じなさい。
私に形造られたいとまだ望んでいるか?

はい、イエス様、いつも。

そうか、私があなたに行いたいと思っていることを何でも自由にさせてほしい。私の益のためだけに、あなたを純真で、敬虔な者に造り上げていこう。あなたは私の益のためだけに、私の力を受けて、試練に耐え抜くだろう。私の言葉は小川のようになり、流れ出て、やがて急流となり、あふれ出て大海へと至る、平和と愛の大海原へと。

(しばらくして)

ヴァスーラ、どうして私を全然賛美しないのか? 私はあなたを暗闇から救い出した主である。自分が何者かを悟りなさい。あなたは最もみじめな者たちの中でも、はるかにひどい者だ。

(私はため息をつきました。)

それでもあなたを愛している。私を賛美しなさい、ヴァスーラ、あなたを解放したのだから。

(何を言うべきか思案しました。言葉に詰まりました。)

こう言いなさい。

「私の神よ、愛しています、
私に光を見せてくださったのは、
あなたのあふれんばかりの愛とあわれみを通してでした。
は祝されますように、
アーメン」。

(イエスのお言葉を繰り返しました。)

あなたには完全であってほしい

1987年3月19日 ノート9

私はここにいる。私、イエスである。
 ヴァスーラ、私のもとまで上昇しなさい。あなたに完全な者になってもらいたい。私を喜ばせ、完全になりなさい。完全な者になりたいか?

(何も言うことができませんでした。)

あなたにそうなってもらいたい。あなたに頼んでいる、ヴァスーラ。

でも主よ、完全になるというのはほとんど不可能なことです。今の私には、善良な者になろうとするだけでも大変なことなのです。

ヴァスーラ、私が完全になれるように教えよう。はっきり言っておく、それは不可能ではない。ただ私にあなたを形造らせなければならないだけだ。あなた自身を私に完全に明け渡しなさい、そうすれば、あなたを私の望みどおりの者に形造ることができる。

イエス様、私は決してそのような者にはなれないと思います。私を形造るのは難しいでしょう、岩を成型するようなものです。

ヴァスーラ、ああヴァスーラ、私が信頼できないのか? 私は神であり、たとえ岩であっても、どのような形にでも望みどおりに成型することができる。なぜあなたを選んだか知っているか?

はい、主よ。

もう一つ理由がある。あなたを選んだのは、あなたが弱いからであり、その弱さが私を引きつけるからだ。子よ、来なさい、そして私の心を感じなさい、私の心は愛されたいと熱望している。来て、あなたの心で私の心を感じなさい。ヴァスーラ、用意はいいか? 私を感じなさい。

(私はすくみ上がりました。)

私を悲しませないでほしい、さあ、私を感じなさい。あなたは私を感じていない1

ええ、まだ感じていません。そうする勇気がありませんでした。

何を悩んでいるのか言ってくれるか。

もっと悪くなってきました。

なぜ?

(自分はあまりにもふさわしくないと感じて恥ずかしいのです。)

ヴァスーラ、なぜ? 私を悲しませないでほしい、問題を話してみなさい。

あなたの心に触れるのが恥ずかしいのです。自分がまるで重い皮膚病をわずらった者に見え、健康な人の体に触れに来たような感じがします。あなたに近づこうとする私とは、一体何者でしょうか!

あなたが恥ずかしさを感じる度に、私はより一層愛する2。娘よ、私たちは永遠に一つであり、あなたは私のものなのだから、あなたの心の奥深くまで私自身を浸透させよう。私と婚姻を結ぶとは、私の栄光をたたえることであり、あなたを清める。私たちは結ばれている。

はい、主よ、でも、どんな者と結ばれているか見てください!

愛している、来て、今私にり頼みなさい。ヴァスーラ、私の心を感じるように。

(しばらくして)

(主のみこころを感じました。とても温かく、愛されたいという望みでどきどきと鼓動を打っていました。)

私の心を感じるのに、恥ずかしさなど覚えなくてよい。私はそれを望んでいるあなたの神、私の望むようにあなたを使わせてほしい。あなたに口づけさせてもらいたい。

(悪魔が私を罪に陥れようとしているのではないかと疑いました。)

私は主イエス・キリスト。恐れないように。

(まだ警戒していました。悪魔の気配は感じられませんでしたが、それでも疑っていたのです。)

恐れてはいけない。

(自分を「解放する」ことができませんでした。またもや「重い皮膚病をわずらった」感覚がよみがえってきたのです。身動きできませんでした。)

私がどれほどあなたを愛しているか分かるか?

はい、分かります、イエス様。

ではなぜ私の口づけを拒むのか3

なぜかというと、私にはあなたから口づけを受ける値打ちなどないからです。

ヴァスーラ、私には何一つ拒まないようにと以前に言わなかったか? その時あなたはどう答えたか?

決して何も拒みませんと言いました。

そうだ、ではなぜ私の口づけを拒むのか? ヴァスーラ、私を拒まないように。私があなたに何かを願うとき、その願いは愛から出ている、あなたに口づけさせてほしい、そうさせてもらいたい! 今そうしてもいいだろうか? 私のもとに来て、私の口づけを感じなさい、あなたの額への天の口づけを、用意はいいか4
 あなたを愛している。

あなたは私の種子、私のもの、私は私の教会を刷新するために来た

1987年3月18日 ノート9

あなたに私を愛し、認識することを教えた。私の天のわざを示した、私の心のあらゆる神秘を注ぎ出し、言葉では言い表せないほどのあわれみを示した、私の啓示の源となるようにあなたを清め、世界に私の恵みを示した。まことに、私はこの飽くなき愛をあなたに授けて、どれほど愛することができるかを私の子どもたちに示した1。だからといって、あなたが他の子どもたちと何か違っているわけではないということ、そしてこの導きを隠しておいてはならないことを、あなたに思い出させてきた。
 私からほとばしり出る言葉でこの世を包みたい、それが私の意志なのだから。ヴァスーラ、私の望むようにあなたの中で働かせてほしい。
 さあ、来て私を慰めなさい、そうだ、私を愛することによって。私はヤハウェ、あなたが頼っているのは私であり、来て黙想している相手は私である。あなたは祈りの中で私に呼びかけている、あなたが礼拝しているのは私であって、他の誰でもないから、心配しないように2
 私の願いは、私の子どもたち皆が私のもとへ帰って来ることだ。
 娘よ、このメッセージのためにあなたを育てた。私の言葉を完成してくれるか、ヴァスーラ? 私のために働き続けてくれるか?

はい、私の主よ、それがヤハウェだと見分けられる限り。

小さな子よ、私はヤハウェ! 私の平和を受けなさい、小さな子よ、そして成長しなさい。決して書くことに疲れないように。私のメッセージの最後まで、あなたを使わせてほしい。
 小さな子よ、あなたの父は誰か?

(その質問に驚きました。)

あなたです。

(世界へのメッセージ)

私である。あなたは私の子孫、私のもの。
 私の子どもたちは私に背を向けてしまい、心は利己主義で凍りついている。彼らは私を忘れてしまった。彼らに尋ねたい。なぜ私を拒絶するのか? 私が一体何をしてあなたたちを不快にさせたというのか? あなたたちへの怒りをほのめかしたことがこれまであっただろうか? 私と向き合うことをどうしてそんなに恐れているのか? 愛する者たち、あなたたちの罪を責めたりはしない。今ゆるそう。あなたたちの面前で扉を閉めることはない。はっきり言っておく、私は百万回でもゆるすことができる、私のもとに来て、あなたたちへのこの愛を感じてほしいと願いながら、両手を広げて目の前に立っている。あなたたちの心に、私が火をともすことができるようにさせなさい。来て、私を知るように。来なさい、私を避け、怖がっているあなたたち皆よ。私を知らないすべての者たちよ。もっと近づきなさい、そうすれば、私が愛に満ち、情け深く、あわれみに満ちた神であることを理解するであろう。
 私をまだ知りもしないうちから拒絶しないでほしい。私の有り余るほどの愛によって、善と悪とを見分け、そのどちらかを選ぶために有効な恵みを与える。あなたたちには選ぶ自由を与えた、だが同時に、あなたたちをより優れた存在へと作り上げる資質も与えている。私はたまものを与えた。授けられたたまものを用いなさい、そして私が与えた知性と心で、理解し、前進しなさい、私を受け入れ、もっとよく知るように。
 愛することができるように、あなたたちの心を照らした。この恵みを与えたのは私である。この恵みを受けてくれるか?

(以前の自分を思い出しました。)

でも主よ、あなたを知るチャンスのなかった人たちもいます。誰にも教えてもらえないままで。それは実際、その人たちのせいではないですね? だとすると、彼らは一体どうやってあなたのことを考えたりできるのでしょうか?

ヴァスーラ、そのとおりだ!
 娘よ、私の教会は新しくされる必要がある。私は私の教会を一つにするために来た。さもないと、大勢の人々が失われてしまうだろう。ヴァスーラ、私は戻って来て、敬虔な者たちにメッセージを与える。私から離れてしまった子どもたちに対する私の願いを、最後まで言わせてほしい。私は愛の源、この源から、すべての被造物を包むこの無限の愛が流れ出る。あなたたちに求めるものは、愛に応えてくれることだけだ。
 あなたたちの多くが、私を怒るに早い神だと信じてしまい、怖がっている。あなたたちは私に近づくのを恐れている。中には、私ははるか手の届かないところにいて、自分の栄光を楽しんでいるだけで、あなたたちのことなど気にかけておらず、敬虔な者たちだけに目を注いでいると考える者もいる、そうすることによって、私が偏愛に満ちた神だというイメージを作り出している。あなたたちが弱ければ弱いほど、みじめであればあるほど、私はより一層探し求め、愛するということを知らなかったのか?
 私は聖である、だが同時に、私はあなたたちと親しくなり、聖なる連れ合いにしてもらいたいと熱望していることを分かってほしい。
 放蕩ほうとう息子の例え話を知っているか、ヴァスーラ?

はい、幾らかは。

彼は罪を犯したが、彼の父はどのように彼を受け入れただろうか?

大喜びしながらですか?

それ以上だ、父親は息子を絶大な愛で受け入れ、その出来事を祝った。
 私を悲しませないように、愛する者たちよ、私のもとに帰って来なさい。あなたたちを拒んだりはしない。この腕で抱擁し、歓迎しよう。恐れずに私のもとに帰って来なさい。

苦しみはあなたの魂を清める

1987年3月17日 ノート9

ヴァスーラ、私の十字架を今背負ってくれるか?

背負います、あなたのむねに従って、イエス様。

感じなさい。それがどれほど重いかを感じなさい。私は休息する必要がある。付いて来なさい。もっと私に近づきなさい、私の尊い十字架をあなたの上に下ろそう。

(その日しばらくして、言葉では言い表せないほどの悲しみを感じました。ゆううつで、今度は私が慰められなければならないほどでしたが、慰めは見つかりませんでした。)

あなたは私のとてつもない重荷を感じた。私の十字架を決して拒まないように。私の荷は重い。
 ヴァスーラ、あなたを私のもとにまで引き上げた理由を詮索しないように2。私が救い出しに来るまで、あなたに私がしたいことを何でも自由にさせてほしい。愛する者よ、あなたの導きにはそれなりの殉教が伴う、その導きの中に真実を見つけようとしても見つけられないとき、あなたは殉教の苦しみを味わうことになる。私のために苦しみなさい、苦しみはあなたの魂を清める。あなた自身を私へのいけにえとして献げなさい、理解しようとして詮索しないように[/note]。ただ信じなさい。
 あなたのうちで自由に働かせてほしい、あなたを通して私の言葉をはっきりと現し、それによって私の子どもたちを癒やすことができるように。私のあがないの愛を信じなさい。
 私の十字架は重い、そうだ、あなたにそれを託すために、私はさらに何度も訪れるだろう。あなたは私の花嫁、私の愛する者、私の花である。私のために十字架を背負うことによって、私を楽にすることができる。あなたのうちに吹き入れた啓示の中には、私の魂の奥底から流れ出てくる悲しみと痛み、つらい苦しみの受難が含まれている。来て、もう一度私の心に耳を傾けなさい、そして私の心がどれほどずたずたに切り裂かれているかを感じなさい。私の心はどれほどあなたたち皆を探し求めていることか!

(すると、もはやこれ以上は耐えられないかのように、その悲しみに満ちた魂から出る叫びとして、次の言葉がイエスの魂の奥底から出てきました。まるで、悲しみのために主の魂が死にひんしておられるかのようでした。)

被造物よ! 私の父が御手によって創造した者たち、なぜ、どうして、これほどまでに私を悲しませるのか!!

(するとイエスは私の方を振り向かれました。その御顔と御声は深い悲しみに満ちていました。イエスはこう言われました。)

私が訪れるまで、あなたは私のことを考えたことがあっただろうか?

(罪悪感を感じながら。)

いいえ、ありませんでした。

(イエスはまだ深い悲しみに満ちておられます。)

もし私があなたを探し求めず、見つけていなかったら、あなたは私のもとに来ていただろうか?

いいえ、そうは思いません。(なおさら罪悪感を感じました。)

今は私を愛している。

はい、私の主よ、愛しています。

私の導きがあなたを変えた、そうではないか?

はい、そうです3

私の子どもたちを呼び集めて、養ってくれるか?

(無力さを感じました。)

私の神よ、一体どうしたらそんなことが、どうやって!?

(感謝の気持ちをお伝えして主をお喜ばせしたいのですが、できません。)

私を信頼するように。私に導かせなさい、ヴァスーラ。私の子どもたちを私に集めさせなさい。あなたが無力なのは分かっている。弱いことも知っている。分かるか、私無しではあなたは何もできない。さあ、メッセージを完結させる時まで、あなたを私の道具として使わせてくれるか?

はい、そのメッセージがあなたからのものである限り、イエス様。

私はイエス、決して疑わないように。書くことに疲れないように。私の唇が発するすべての言葉が、私の傷をあなたに感じさせるだろう。私の敵が支配する闇の中へあなたを引きずり下ろし、魂たちがいかに苦しんでいるかを見せた4。私を深く傷つける苦悩のすべてを、あなたの上に吐露した。わが司祭よ、というのもあなたは私の司祭だからだが5、私と共に歩きなさい。あなたを見捨てることは決してない。共に私の十字架を分かち合おう。共に苦しもう。共に奮闘しよう。私のうちに休みなさい、私もあなたのうちに休もう。

心の中に私の居場所を設けるのをどうして拒むのか?

1987年3月8日 ノート9

ヴァスーラ、愛する者よ、他の子どもたちよりもあなたを特別扱いしたわけではないということを、もう一度思い出してもらいたい。あなたには何の功徳もなく、私の目にはむしろ、他の者たちよりも劣って見える。しかしそうだとしても、私はあなたを愛している。この恵みを与えたのは、それが私の意志だからだ。私の伝え手となりなさい、あなたを通して、私自身をはっきりと現そう。
 私が自己矛盾しているとは思わないように。あなたへの愛は限りない、あなたは私の愛する者、なぜなら私が選んだのだから。あなたの弱さを指摘したからと言って、その分、私の愛が減るとは一瞬たりとも思ってはいけない。私はあなたをよく知る聖なる父、私があなたの間違いを指摘しなければ、一体誰がするというのか? ヴァスーラ、あなたは私のか弱い花、私が形造り、成長することができるように、私の力を少しずつ飲ませている。
 あなたの中に吹き入れている啓示は、あなた自身の益のためだけではなく、私のパンを切実に必要としている他の人々のためでもあることを思い出させたい。飢えているあなたたち皆を養うために私は来た。私のメッセージは平和と愛のメッセージであり、あなたたちの土台と、あなたたちを創造したのが誰であるかを思い出させるためのものである。
 私の体とは私の教会であることをあなたたちに伝えに来た。そうだ、すべての被造物を満たす教会。私はこの世に私のあわれみを示すために来た。
 ヴァスーラ、あなたこそ私を傷つけ、私の愛に少しも応えようとせず、私につらい思いをさせた群衆の中の一人だった。これほどまでに大きな愛、これほどまでに渇いている私の愛に、少しも応えてもらえないということほどつらいことがあるだろうか?
 それどころか、あなたは自分の荒れ野で、日々物質的な喜びを追い求め、それらを神々の象徴とし、偶像化し、より一層私から遠ざかり、私につらい思いをさせ、私の心を傷つけた。それは求められることもなく、愛されることもなかった生ける神の心、完全に忘れ去られてしまった神の心。娘よ、私はそれほどまでに、あなたから遠く離れていただろうか?
 来なさい、来て私の心を感じるように。私の心はあなたたち皆に向かって叫んでいる。息子たち、娘たちよ、来なさい……私にもっと近づくように、私の方を向きなさい、あなたたちを抱き締めさせてほしい、私の心の奥深くにあなたたちを押し入れるのを許してほしい、私の心があなたたちを包み込み、あなたたちに深い平和が与えられるように。
 来て、私の平和と愛の霊的な世界に入りなさい。
 私のもとに来なさい、そして私の体から食べなさい、私のパンは純粋であり、あなたたちを清めるのだから。私の体はあなたたちを求めて叫んでいる。来て私に会いなさい、あなたたちを養おうと、昼も夜もせいひつであなたたちを待ちわびている。私を恐れたり怖がったりしないように、私を知らないと言わないように。あなたたちの心の中に私の居場所を設けるのをどうして拒むのか?
 来なさい、そして私を知ってほしい、そうすれば私を愛するようになるだろう。見知らぬ者や、あまりよく知らない者を愛することができるだろうか? 私をよく知るように努力しなさい、そうするなら、熱烈に私を愛するようになるだろう。
 ヴァスーラ、あなたは道を外れ、そのために私から離れていた。真理に背を向け、善を悪に変えて、善よりもむしろ悪に愛着していた。
 だから来なさい、私をまだ避けているすべての者よ、あなたの罪を持って来なさい、私がゆるすことができるように。来て私から食べなさい、来てあなたたちの心をすっかり私に差し出しなさい、それらを私の愛で満たさせてほしい。
 あなたたちが弱いのは分かっている、ただあなたたち皆の中で、私が働くことができるようにさせてもらいたい。あなたたちの承諾がほしい、愛する者たちよ。私がすべての罪を根こそぎにして、それらを投げ捨て、私の平和と愛の種をあなたたちのうちにくのを許してもらいたい。あなたたちを清めさせてほしい。ヴァスーラ、もうよい、後でまた続けることにしよう。
 私の現存を忘れないように。覚えておきなさい、いつも、私たちで共に、ということを。

忘れません。心がけます、主よ。

さあ、私たちで共に行こう。

私たちで共に。

(続き)

来て、私をもっと知るように。私は手の届かない存在ではない。私たちは並んで歩いている、あなたたちは私のうちに生き、私はあなたたちのうちに生きている。決して離れることはない、決して。
 来なさい、そして私の無限の善から引き出しなさい、あなたたちの冷酷さを、私の清さの中で溶かしてしまうように。
 ああ、娘よ、私の愛する子どもたちの多くを洗礼によって聖なるものとしたにもかかわらず、本当の私を知っている者はほんのわずかしかいない。彼らは私を愛情深い父として見上げることを忘れている、多くが私から離れ、私を手の届かない存在だと思っている。彼らの多くが自分たちのやり方で私のことを思い描き、終わりのない卑しい傾きから来る感情を私のせいにしている。私に恐怖心しか抱いていない者もいれば、私の無限の愛を疑っている者もいる1

(ここで中断しなければなりませんでした。注文していた『せいがい』の写真が届いたのです。それを見てしばらく黙想し、またそれを見ながら筆記に戻りました。)

覚えておきなさい、私は今も苦しんでいる。ヴァスーラ、どれほど苦渋を感じているか。なぜ、どうして、これほど多くの私の羊が散らされてしまったのか。彼らを見なさい、私の犠牲は無駄だったのか。娘よ、私はどれほど感情を害しているか、私の魂はどれほどひどく打ち砕かれているか。私は苦しんでいる。
 私の羊たちを養いなさい。書くことに疲れてしまわないように。

はい、主よ、疲れません。

必要な力を与えよう。来なさい、共に働こう。共に続けよう。私はあなたの教師。私を喜びで満たしなさい、そして私の現存を忘れないように。
 ヴァスーラ、あなたは私の現存を感じた。そのとおり、私はあなたのベッドの角に座っていた。私が書いたものを編集させてほしい2。「私はイエスである、今は座っている、しかしこの瞬間、立ち上がろう、あなたも立ち上がるのだから」。

(イエスが書き終えた途端、せき立てるようにドアをノックする音がして、私は跳び上がりました。すっかり当惑したまま、そこに立っていました。この晩、イエスは私に御自分の現存を非常にはっきりと示しておられました。それは(他の時もそうだったように)とてもはっきりしていたので、確認するために一枚の紙を取ると、そこにイエスが括弧内の文を書かれたのです。(戸口には手伝いの人が何かの連絡ごとで来ていました。))

あなたを愛している。書くことに疲れないように。この自由3を私に与えてくれることが、私の望みだ。

イエス様、あなたはすばらしいです!

私が朗らかな時はいつも朗らかでいなさい。後に付いて来なさい。
 あなたが私の現存を忘れるなら、私は深く悲しむ。決して私の現存を忘れてはいけない、決して!

でも主よ、それは難しいです。車を運転しなくてはならないときもありますし、そのときは道路に集中しなければなりません。友達とたわいない話をしたり、息子の宿題を手伝ったりするときだってあります。それなのに、あなたの現存をいつも意識していられるでしょうか? ほとんど不可能です!

ヴァスーラ、私の花よ、そのようなときには謙遜、敬虔、柔和で、潔く、誠実で、愛深くあることによって、これらの徳を覚えておくだけでよい。そう、徳を行うことで、私を覚えていることになる。さあ、共に行こう。
 私がまさに超自然的な方法で近づき、メッセージを与えるということをあなたたちに知ってもらいたい。私があわれみの神であることを忘れてはならない、あなたがみじめで、私に無関心であったにもかかわらず、私はあなたを愛している。あなたが私の唇から直接学ぶように、このカリスマ(聖霊のたまものを与えた。ヴァスーラ、あなたの心の中で休むのは心地良い。

(しばらくして)

(またもや疑いの波が私を覆いました。)

来なさい、苦しみはあなたを清める。私にり頼みなさい。苦しみを受け入れるように。償いなさい、償いなさい、他の人々のために償いなさい。さあ、私たちで共に、私の子どもたちを生き返らせよう。

(そのとき、私はかなり苦悩していたのです!)

でも私の神よ、私は無力です。一体何ができるでしょう?

(主はとても優しくおっしゃいました。)

私がこの先、あなたを見捨てたりするだろうか? 私の穀物の粒を使い、それらを畑にき、平和と愛の実りを収穫しなさい。私の言葉を皆に知らせなさい。私はいつもあなたと共にいる。

もし人々がそれを疑い、拒んで、脇へ置いてしまったら? 何の役にも立たないと思ってしまったら? あなただと信じてくれなかったら!

聞きなさい、私のヴァスーラ、なぜ怖れているのか? 被造物はすべて私の手によって創造された、私が全能者であることを忘れたのか? すべての被造物は私の意志に従う。小さな子よ、私は至高なる者。私の栄光をたたえなさい。生きるために私の光を必要とする花のようでありなさい。