1990年─1991年 インド
パパンサム(タミル・ナードゥ州)在住のインド人、トマス・ケネディは、1990年8月1日にルネ・ローランタン神父1に宛てて次のような手紙を書いた。「聖母はヴァディアッカドゥで大きな奇跡を起こそうとしておられます。ヨビの妹が未熟児を死産し、赤ん坊は病院に埋葬されました。ところがその直後に、聖母が(ヴァディアッカドゥの幻視者メアリー・アンマを通して)その赤ん坊を引き取り、キリスト教の典礼に従って、家の窓際の棺に埋葬するように求められたのです。それは実行され、棺は窓の左側に置かれ、墓には十字架が置かれました。すると、聖母はメアリー・アンマに言われたのです。『私はこの子を生き返らせます』、つまり、聖母がこの子を棺桶から生きたまま取り出してくださるという意味です」
神父はあり得ないと言う
ローランタン神父は「ありそうもない予言」と言って、これにほとんど注意を払わなかった。ところが、トマス・ケネディは同年12月17日にも、幻視者メアリー・アンマへの聖母の最新の伝達を引用して、再びローランタン神父に手紙を書いたのである。「ケネディ、私の子よ、私がこの埋葬された子を蘇生させることをフランスに宛ててはっきりと書きなさい。奇跡が成し遂げられたら、ローランタン神父はフランスからやって来るでしょう」。神父はその手紙をふたたび無視した。
1991年の夏の初め、ローランタン神父は突然、発掘が行われ、奇跡が起こったという数通の手紙を受け取った。神父はそれでもインドには行かず、4年経って初めて、発掘の様子を撮影したビデオを見たのである。
未熟児の遺体は布に包まれて埋葬された
このビデオは1991年6月17日の深夜、午前2時20分から始まり、その後の数時間を順を追って映し出している。約50人が集まった。聖母は、メアリー・アンマを通して、小さな墓には墓石の代わりに白い十字架を置くよう求め、これに向かってロザリオを祈るよう求めた。病院では、未熟児であったモーセの小さな遺体は布に包まれて埋葬されていた。カメラは、手入れされていない庭の窓の下にある墓を映し出す。
掘り起こすのに鉄棒を使ってはなりません
午前2時25分頃、4人の男性が、慌てず騒がず掘り始めた。他の二人の男性も加わった。メアリー・アンマが窓から観察しているのが見える。掘っている男性の一人は、一番固い土を砕くための鉄の棒を持っていた。メアリーは彼にそれを使わないように命じる。シャベルは小さく、簡素なものであったため、掘削は遅々として進まない。棺は3フィートの深さに埋められていた。
メアリー・アンマのいる場所から悲鳴が聞こえる
午前2時26分57秒、メアリー・アンマのいる場所から悲鳴が聞こえた。男性がまた鉄の棒を持っていたからである。「鉄の棒が子供の心臓に届くかもしれない」という声が聞こえた。数分後、棺というよりも小さな箱が現れ始めた。上部は三枚の板で完全に密閉されている。
感動に打たれ、家に逃げ帰る
メアリー・アンマは聖母の求めに応じて、家から出てきて、棺を開ける。午前2時48分7秒、メアリーが板を広げ、子供を見るのが見える。感激のあまり、彼女は家に逃げ帰った。どうしたらいいのかわからず、掘っていた人たちは作業を中断し、人々は祈る。カメラが棺にズームアップし、子供の体と顔の一部が映し出される。午前3時20分23秒、赤ん坊の泣き声がはっきりと聞こえる。
赤ちゃんは本当に生きていた、メアリー・アンマは気を失う
人々に励まされ、また祈りに支えられて、メアリー・アンマ自身が祈りながら二枚の板を取り除く。3時22分、彼の姿がはっきりと見える。健康で、本当に生きている。メアリーは気を失う。何人かが彼女を助け、家に連れ帰る。
モーセは口に手を突っ込む
小さなモーセが棺の中で動いているのが見える。板の間から、彼の顔と開いた目が見える。午前3時24分、モーセは口に手を突っ込む。人々は「主よ、感謝します」としか言えない。そして、騒ぐことなく祈りを再開し、まだ土で覆われている最後の三枚目の板を外し始める。赤ん坊の全身が見えるようになった。最初の埋葬場所で埋められていた布はバラバラになっており、その切れ端が口の中に入っている。
赤ん坊は本当に地下3フィートにいた
ローランタン神父は、この子が本当に地下3フィートの箱の中にいた証拠は明白である、と報告した。私たちの理性は、特殊効果説やその他の様々な仮説を考え始めるかもしれない。だが目撃者たちの誠実さ、彼らの冷静さ、現地語での会話、わずかな呼気もない祈り、悲鳴も興奮もない、掘削者たちの冷静で不器用な仕事、そして私たちの目であるカメラの目さえもが、ごまかしや作為を排除している、とローランタン神父は結論づけた。
司祭を含む全員が聖母の声を聞いた
この近隣はカトリックが多い地域ではないが、カトリック信徒たちは団結している。彼らは特定の日の特定の時間に、聖母の声を聞いたと証言しており、その中には地元の司祭であるプラサード神父も含まれる。しかし聖母の姿は見えなかった。
赤ん坊は普通に生きていたかのようによく成長している
この子はもともと死産だったので、未熟児を見つけることも予想されたが、そうではなく、普通に生きていたかのように、5、6ヶ月の均整のとれた赤ちゃんに成長していた。
「今ここで起きたことは、これまで起きたことがありません」
ローランタン神父に渡された報告書によれば、聖母はこう言われたという。「ここで起きたことは、これまで起きたことがありません」。午前5時24分10秒まで、メアリー・アンマはまだ意識がない。誰もが祈りながら、その徹夜の作業を「指示」されていた聖母からの指示を待っていたため、箱が地面から離されることはなかった。小さなモーセの母親と二人の妹(グナとティギラ)は、祈りの中で落ち着いてその場に留まった。
発掘作業は三時間続いた
視聴者たちにとって最も意外で印象的だったのは、聖なる出来事に直面した人々の全般的な自制心である。発掘者たちは即席の担架を作り、その上に箱を置いた。時刻は5時24分を過ぎている。絶え間ない祈りを伴う発掘作業は三時間に及んだ。ローランタン神父はこの映像の一貫性を確信した。
それ以来、ローランタン神父はインドを訪れ、「人は私を狂人と呼ぶかもしれない」と言いながらも、意見を変えていない。神父はこの発掘が本物だと信じている。ヴァスーラは1999年11月、モーセに会いに行った。彼は今、元気な普通の少年になり、「自分がそこから来た」場所である、庭の穴を熱心に見せたり指さしたりしている。
2001年イースター「神のうちの真のいのち」ニュース28号より訳出
*この記事は、2001年10月25日発行の天使館『天使のたより』創刊1号にも掲載されています