『神のうちの真 のいのち』が私の目を開かせてくれたこと
須永和宏 前東京家政学院大学教授
元家裁調査官として家庭裁判所の中核を担い、長年、少年非行および家庭紛争の問題にたずさわり、後に大学院教授として心理学・ケースワーク論・児童福祉論を専門とされ、関係する著作を出版してこられました。サンパウロ刊の『家庭の友』誌への寄稿を目にした方もおられるでしょう。近年は「信仰の秘訣―先達二〇〇人からのメッセージ」(2017年、ドン・ボスコ社)「いのちを紡ぐ―聖人たちのことば」(2019年、サンパウロ)等の信仰に関する著作を出版されておられます。
1.『神のうちの
1995年に春秋社から刊行された一冊の本『ヴァスーラへの預言』を手にしたことが、私にとって『TLIG』に導かれるきっかけとなりました。しかし、その時点では神からのメッセージと称する文章の随所に、感傷的ともいえる甘いハートマークがちりばめられてあったせいか、不覚にもそれにつまずいて、結局、一読しただけでそれ以上、関心を抱くことはありませんでした。
ところが日本の命運を左右するような2011年3月の東日本大震災を経験し、直接の被災者ではなかったものの、私の精神も揺り動かされ、信仰生活を送る上でも岐路に立たされました。その年の11月23日(その日は、ちょうど私の誕生日の前日に当たっていました)、私は思い立って東京カトリック神学院でのザビエル祭に出向き、ふと古本市コーナーを覗いたところ、たまたま『TLIG』の導入編ともいうべき『私の天使ダニエル』が私を手招きするように、さりげなく置かれてあったので、ついそれを手に取ったのです。これがヴァスーラさんの本『TLIG』との新たな出会いとなりました。
引きつけられるままに一気に読了し、ついに「これは神からの真実のメッセージだ!」と直観しました。そして直ちに“キリストからのラブレター”と言われる『神のうちの
当初は漠然としたイメージしかつかめなかった内容が、聖霊の導きによるのでしょうか、いつの間にか目の前の覆いが取り除かれるかのようにスーッと開かれ、霊的喜びに浸されることをしばしば体験しました。しかし、巻を追うごとに、その内容はむずかしくなり、混迷のうちに読み進んでいきました。そのため、Ⅱ巻、Ⅲ巻あたりの基礎的な部分の学びをしっかりと深めていかなくてはならないことを痛感し、ときには、また元にもどって主の備えてくださった螺旋階段を少しずつ昇っていきました。自分でも霊的にわずかながらも成長していることが実感できますと、そのうれしさは一入です。
そうこうするうちに、私はついにⅩ巻目の開かれた天上の神秘的な世界にまで到達しました。そして、この『TLIG』全般を通して私たちに与えてくださっている愛と平和に満ちたメッセージの意味が、主のお恵みによって、さらに理解できるようになっていきました。何といっても、このメッセージは聖書の内容と少しも矛盾しておらず、しかも権威ある教会の伝統的な教えとも見事に合致しているという点で、驚嘆すべき本だと感じました。
今では、この『TLIG』は、私にとって聖書をよりよく理解するための、なくてはならない注解書として――いや、それ以上に誤りのない確かな信仰の指針として――いつも机の傍らに置いてあります。しかし、誤解してはならないのは、この『TLIG』は、神ご自身がメッセージの中で語られているように「この呼びかけは決して新しいものではなく……すでに与えられてあること(注:聖書のこと)に新しいものを付け加えようとはしていない」という点です。そして、あくまでもこのメッセージは、神が主イエスを通して2千年前のあの時代に啓示された根本的な真理を、この「曲がった時代」の私たち人類に改めて思い起こさせ、一刻も早く神に立ち帰らせようとしていることに、その意図があるのだと思います。
2.『TLIG』のメッセージの主題(テーマ)
より正確に言えば、この本は、そのための「救いのガイダンスだ」と言ってもよいでしょう。主はヴァスーラ女史の手を引きながら、実にこまやかな愛に満ちた心遣いをもって天のみ国へと導いておられます。それは、ヴァスーラさんのみならず、メッセージを受け入れる人は誰でもその対象となりえることを意味しています。ところで、ヴァスーラさんが受けたガイダンスの手法は神からの語りかけによる対話形式となっていますが、この『TLIG』に初めて接する方は、おそらく「今の時代に神が一人の人間に直接語りかけるなんてまさか?」という思いで信じられないことでしょう。それは無理もありません。しかし、その対話の流れ(内容)を読み進めていくうちに、そのような疑いは払拭され、いつの間にか神からの啓示の豊かさやその深さに魅了されていくに違いありません。ただし、そのためには身を慎んで、素直にこれを受け入れていこうというオープンな心構えが必要です。みずからの力に頼ることをやめ、神にすべてをゆだねようとする人には、神は必ずや真理の照らしを余すところなく与え、このメッセージから流れ出る、くめども尽きない無限の宝を次々とお示しくださることでしょう。そこで、これまでの私自身の乏しい理解ではありますが、神が現今『TLIG』を通してお示しになっておられる、そのメッセージの特徴(ないし主題)のいくつかを、かいつまんで次に紹介してみたいと思います。
その1。神はけっして“天の遠いかなたに鎮座している”といったような存在ではないということを改めて教えてくれています。それまで私は神は近づきがたい縁遠い存在としてのイメージでとらえていたため、身近に感じられませんでした。ところが、この本では、神はヴァスーラさんに対して「子どものような心で、親密さ(intimacy) をもって私に近づきなさい」と繰り返し語っておられます。ただし「親密さをもって近づきつつも、同時に聖なる超越的な神であることを忘れないように」とも教えさとしています。
その2。今述べた「親密さ」と関連することなのですが、神は私たち一人ひとりを計り知れない愛(狂おしいまでの愛といってもよいでしょう)をもって愛しているということを繰り返し教えています。もちろん、神は人間の側からの愛をも切に求めておられることは言うまでもありません。神は相互の愛によって愛の交わりを深め、一致したいのです。ところが神は「近年、第一のおきてが守られていない」と嘆いておられます。そう言われてみますと、確かに私たちは隣人を愛することには極力努めているものの、「神を愛する」信仰的態度からはほど遠く、むしろ、それをなおざりにしてきたではないかと思えてきて、自戒せざるを得ません。ヴァスーラさんは、信仰を促された当初、守護の天使ダニエルから真先に「神を愛するように」との重要性を教えられたのでした。
その3。神は私たちに「悔い改め」による回心を迫っておられます。ヴァスーラさんは、みずから語っておりますように、神からのメッセージを受けるような、いわば聖女とはほど遠い罪深い人間であることを自覚していました。そのためメッセージの受け手としてはふさわしくないとして、何度も辞退しています。しかし、神は、ヴァスーラさんが「みじめ」で「無力」かつ「罪人」の人間だからこそ、その対象として選んだのだと説得し、その使命をつづけるようにと励ましておられるのです。そしてヴァスーラさんは、信仰生活を本格的に開始した段階で、3週間にわたって霊的浄化のための砂漠状態(暗夜といわれます)に置かれました。それによってヴァスーラさんは、1985年11月に劇的な回心を遂げたのでした。
その4。神はヴァスーラという小さな道具を通して「主の聖心への信心」の復興を求めておられます。主は「私は我が聖心の信心を生き返らせるために、ふたたび訪れた」(Ⅷ巻)と述べていますように、私たちの信仰生活の中から、今や「主の聖心の信心」は消えかかっているからです。このお示しは「主の聖心」が愛の深淵であることを私たち人類に理解させようにしていることにほかなりません。十字架と切り離せない、この「主の聖心」を崇め礼拝することによってこそ、神との一致ひいては教会の一致が実現可能だと言います。また「イエスの聖心」は「汚れなき聖母マリアの御心」と固く結びついていることは言うまでもありません。私たちは、この二つのみ心に自分自身を奉献し、祈りと償いを捧げていくことが、今こそ緊急に求められていることなのです。
3.『TLIG』は愛と希望のメッセージ
この『TLIG』のメッセージは基本的には愛といつくしみに満ち満ちていますが、ときには歯に衣を着せず舌鋒鋭く、この時代の悪と罪を告発し糾弾している箇所に出合います。そのため、初めてこれに触れた人は“人心を煽って不安や恐怖に陥れているだけのメッセージではないか”と短絡的に受けとめてしまう人がいるかもしれません。確かにそのような箇所では神の口調は決して穏やかなものではなく、まるで審判者のような顔をのぞかせています。しかし、それは人間を永遠の滅びから救おうとする、いたわりに満ちた神の警告なのです。各人がこの深い闇に閉ざされた時代に静かに身を置いて内省するならば、神の目から見て、いかに人間の罪の数々が天にまで積み上げられているかに思い至らないはずはないと思うのですが──。
このような絶望的な時代状況にありながら、にもかかわらず神は、いつくしみとあわれみをもって私たち一人ひとりをしっかりとご自分の胸に抱きとめ、闇から光へと導こうとして働きかけておられるのです。その意味では、このメッセージは不安や絶望に陥れるメッセージどころか、むしろ愛と希望に満ち溢れたものなのです。私たちが身を正して聖霊の導きを願いつつ、このメッセージを熟読していくならば、至るところに最終的な勝利を約束してくださっている主のみことばが、その輝きを放っていていることに気づかされるのではないでしょうか。イエスが「木は、それぞれ、その結ぶ実によって分かる」(ルカによる福音書6章44節)と言われましたように、神は、私たちがよく吟味もせずに直ちにこのメッセージを批判して離れてしまうのではなく、神に大きく心を開いて、まずはその豊かな実を確かめようとする謙虚な思いで読み進めていくことを切に望んでおられるのです。
なお、この1月に待ちに待った『天国は現実、しかし地獄も現実』という新しい本の日本語訳版が出版されました。副題が「来るべきことについての目撃者の証言」となっていますが、ここには、これまでの『TLIG』などの著作ではうかがい知れなかった内容の記述がふんだんに盛られています。文字通り天国と地獄ないしは煉獄のビジョンなどが啓示という形で詳細に描き出されていますが、キリスト教信仰をもたない人でも、神との遭遇の物語がリアルにつづられていますので、興味深く読み進められるでしょう。『TLIG』への入門編として、お薦めします。