マンタマドスの大天使聖ミカエル

2009年9月30日 その他

マンタマドスの大天使聖ミカエル

ギリシャ、レスボス島・ミティリニ市

写真つきの記事は以下のリンク(英語)をご覧ください。
http://www.tlig.org/en/news/2008-11-12/2083/

ヴァスーラは以前、「神のうちの真のいのち」の友人に、ミティリニ市の美しい島、レスボスの守護聖人であるマンタマドスの大天使聖ミカエルについての情報を集めてくれるよう頼みました。以下は私たちの友人がくれた情報で、修道院の歴史、奇跡的な大天使の「浅浮彫り」のイコン、書物に書かれた多くの奇跡のうちのいくつかの要約などが含まれています。この情報を皆さんと分かち合えることを、またこの地が私たちが2009年のギリシャ巡礼で訪問する場所の一つであることを幸福に思います。

ミティリニ市にいる間、私たちは有名な聖ラファエル、聖ニコラス、聖イレネの修道院を訪れます。聖ラファエル、ニコラス、イレネはコンスタンティノポリス陥落後、1463年4月9日の光明火曜日(※注)にトルコ人の迫害によって、ギリシャのレスボス島で殉教しました。聖ラファエルは島のテルミ村(Thermi)に近いカリエスの修道院長でした。聖ニコラスはその修道院の修道士、聖イレネはテルミ村の村長の12歳になる娘でした。この三聖人は奇跡を起こしていましたが、今日までもまだ多くの奇跡を起こし続けています。

※注 光明火曜日 正教と東方教会での教会歴で、復活大祭に続く一週間を光明週間(ギリシア語:Diakaimsimos)と呼び、その週の火曜日はこう呼ばれます。

・マンタマドスの大天使

10世紀から11世紀の間、ビザンチン帝国がその頂点にあった時、サラセン人の海賊もまたその頂点にありました。彼らはエーゲ海の島々を襲撃し、略奪して焼き討ちにし、人々を捕らえ、この人々は後に東レスボスの奴隷市場で売られることになりました。東レスボスはすでに海賊の戦利品となっていた裕福で魅力的な島でした。マンタマドス地区にある修道院は、大天使ミカエルとガブリエル、そしてすべての天使たちに奉献された修道士のためのものでしたが、この世紀のあいだその基礎は失われていました。

この修道院は海賊達にも畏れられていましたが、あるキャプテンがここを襲撃することを決意し、盗賊たちに言います。「私はあの金の杯(カリスを指す)でワインを飲みたいのだ。他のものは何でも持っていくが良い。」彼らは夜陰に乗じて修道院を襲撃し、修道長は祭壇の上で虐殺され、修道士たちは全員残虐に殺されました。しかしひとりの信徒ガブリエルが目撃者として奇跡によって助けられました。ガブリエルが屋上に逃げ込んだところ、とつぜん屋根が大嵐の海となり、その波頭にひとりの巨大で荒々しい兵士が炎の剣を持って現れ、海賊達に向かって進み出ました。海賊達は武器も戦利品も投げだし、恐怖に怯えていました。

ガブリエルは奇跡に畏怖しておののき、大天使ミカエルのイコンの前に倒れ込んで見上げると、そのイコンが神の甘美さをもって生きている大天使の顔になっていたのを見ました。彼は殺された兄弟達の魂の休息と、またその美しい肖像を書く許しを願って大天使に呼びかけました。彼は霊感を受け、スポンジをとって床に流された兄弟達の血を集め、白い粉とまぜて顔を飾るための塗料としました。彼は粘土であっという間に大天使の顔を作り上げ、夜明けまでにそれは完成していました。

翌朝マンタマドスの村人達が修道院に着くと、彼らはその凄惨な殺戮の光景に身震いしました。海賊達は全員殺され、死体は庭に散乱していました。それだけではなく、海賊達は全員まったく同じ状態で、額から腹部までを真っ二つに剣で切り裂かれており、村人達は一体誰がそれをやったのか誰も訊こうとはしませんでした。

このイコンがこの後、数世紀にわたって、巡礼者たちに多くの奇跡をもたらすことになります……(以下略)