ヴァスーラの手紙、2024年3月31日
2024年4月4日 お知らせ
ヴァスーラの手紙、2024年3月31日
親愛なる友人の皆さん
主のご復活おめでとうございます!
昨日、3月30日土曜日、私たちの祈りの集いで何かが起こりました。それを皆さんと分かち合いたいと思います。この日は、カトリック教会では聖週間の聖土曜日でしたが、正教会では今は四旬節の始まりにあたりますので、聖土曜日ではありませんでした。正教会とカトリック、プロテスタント教会の復活祭は、今年は5週間もずれているからです。
ロードスの祈りのグループが私の家に来て、週に一度の土曜日の祈りを始めました。ロザリオの祈りから始まり、次にイイススの祈り、そして心からの祈りが続きます。そしていつものように、集いの人たちは聖書を私に渡しました。私が聖書を無作為に開いて、目が留まった場所を朗読するためです。開いた場所はヨハネ福音書の第一章でした。正教会の受難週間(聖週間)の聖土曜日に、ギリシャ正教会はヨハネによる福音書の第一章全体を読み上げます。私たちは驚きました。聖書を読んだ後、私が無作為にメッセージの単巻版を開くと、私の目はこの日付に留まりました。1988年4月9日です。このメッセージは聖週間の聖土曜日に書かれたものでした。以下の通りです。
https://tlig.jp/messages/1988/04/09/3143/
(聖土曜日(復活節))
愛している、今では私と結ばれ、あなたのたどるどの一歩も祝福する、私の子よ、私はあなたのいのちの源、私は復活である。
主よ、このメッセージは多くの信徒たちを回心させ、彼らは歓喜していますが、教会の33の権威筋にコピーを送ったのに、二人しか返信を下さらず、悲しいです。それに、一人は考えを述べる促しがないと言い、もう一人は仕事がいっぱいで、こんなことに関わっていられないとおっしゃいます。主よ、本当に悲しい気持ちです!
私のヴァスーラ、放っておきなさい。ヴァスーラ、私のやりたいように任せておきなさい、あなたに与えた私の業を、いつの日か確立する。あなたは、私の子よ、この名を担う。「愛-の-生けにえ」、あなたを決して見捨てない、裏切ることも絶対にない。どの言葉も、時の終わりまでに何千回と繰り返し書かれるだろう。あなたと私の間に永遠の契約を打ち立てた、この契約は私たちの間の愛の縁組み、それは私の名を担い、永遠に、いつの世に至るまでも続く。主である私は、あなたたち皆を愛し、真理を求める人のために来て、真理がまことに存在し、忘れられた真理が本当は何であり、何を意味するかを示しに来た。私は真理、真理とは愛、はかり知れない愛、気高い愛、永遠の愛。私の本は愛の書物。花嫁よ、来て愛しなさい、あなたの愛により私は栄光を受ける。今こそ、どうしてあなたを通して降って来たかを理解しなさい、子よ、あなた一人のためだけではなく、被造物すべて1の者たちに私の愛を現すためだ!
私がどれほど彼らを愛しているかを思い出させようとやって来た。あまりに多くの被造物がサタンに負けてしまうのを見て、私の心は引き裂かれ、苦しんでいる! 私の聖職者たちの何と多くが、身の破滅に落ちていくかを見てどれほど苦しいか! 私はみことばである、聖なる者の中でも聖なる者、永遠の神、エマヌエル。あなたが大昔に槍で貫き、何度もそれを繰り返してやまない、あなたの救い主である。本当に、肉のうちに十字架に釘付けられた昔の時代と今とで、どれほどの差があるというのか。あなたたちの頑迷で横柄な態度、棄教と、聞く耳のない頑なさによって、私は繰り返し貫かれている。私のしるし、奇跡、神聖なわざに対する鈍感さは変わっていない。今日も、昨日と同じように私をあざ笑う。あなたは私を嘲っている。何百万もの魂を任せたのに、私を再び十字架に架け、その冷淡さをもって、ふたたび木に釘付けにしている。ああ、心を不毛なまま、石のように固くさせてしまったすべての者よ、私に触れさせ、柔らいで、心を開いてはくれないか? いつの日か、もう私を刺し貫くのをやめてくれるだろうか? 口は愛に渇いてカサカサになり、目はあなたが祭壇に言葉をこぼしていくのを見ていて疲れ果てた。あなたの祈りは、私のもとに届く前に霧のように蒸発してしまう。あなたの心の奥深くに何があるかを知っているので、あなたたちから目を背ける。私の子孫が空しい言葉でいっぱいなのを見ていて、息が詰まる!……窒息しそうだ! 神聖な私たちの心をそのようにおおっぴらに踏みにじりながら、怖れもなく私のもとにやって来るのを見なければならないとは! このように堂々と! 私の小羊たちがあなたたちを信頼するとどうして期待できようか? ああ、ヴァスーラ! 私の心は激しく血を流している。この心に入って来て、あなたの神の傷を感じなさい。
J-E-S-U-S!! 私の心は痛みで叫んでいます、あなたがこんな状態におられるのを感じて、ああ、愛する神よ! 彼らは何をしたのでしょう?……何をしているのでしょう?
私の愛のわざを現しなさい、人類すべてに現しなさい、あなたをペテン師のように扱う人びとにも、私の子よ、この人びともいずれは私の栄光を見る。
(私はガタガタです、主はそれをご存じです、すでにペテン師として扱われているのです。詐欺師として、ものに憑かれた者として、偽キリストとして、精神を病む者として。人が私に近づいて傷つけようとするとき、その気持を隠そうともしないで、屈辱を与えられます。このまま耐え続けられるでしょうか、こういった状況で? 私は弱く……魂は疲れてしまいました……私の二人の証人も、本当の権限や力がありません、同じ道をたどっています。馬鹿にされ、拒絶され、不信に囲まれ、無視されて、皆同じ苦い杯から飲んでいるのです、イエスと分かち合って。)
ヴァスーラ、あなたの前にいる。私は最後に私の栄光のすべてをあなたに現すあなたの神である。私の選んだ者を知っている、私は被造物すべての中で最も小さい者を見い出した、あなたたちからではなく……直接私から、そして私からのみ、あらゆる権威が降ることを全ての人に分からせるよう、あなたたちを選んだ! ヴァスーラ、私はこの園の番人、そして私以外に高い木を阻止する者はなく、低い木を育てる者はいない、みことばは雷のようにあなたたち被造物の上に降る! 不実な者は災い!
ヴァスーラ、心の中に私を保ちなさい、私たちの平和を持つように。
このすべてが偶然だとは思いません。聖土曜日の朗読を正教会から取り入れ、同時に、単巻版を開くと聖週間の聖土曜日に直行し、「私は復活である」と読み上げたのです!! 私たちはメッセージ全体を読みました。
イエスがまさに、今私たちの間に現存しておられることを強く感じました。私たちが祈っている間、そして祈るために集まっている間、イエスは本当に私たちの間にいてくださることが分かるように、これが皆さんの励ましとなることを願います! 主に栄光! マラナタ!
キリストのうちに
ヴァスーラ