悔い改め──2007年、ロサンジェルスでの講演より
2025年2月9日 in その他
神は私たちに何を求めているのでしょうか。この時代の人々から、まだ本当の悔い改めの叫びを聞いていません。そのため、私たちは心の内に戦いを抱え、それが外へと表れています。ニュースを見ればわかるでしょう。絶え間なく繰り返される殺戮、戦争、動乱、そして憎しみ。
この世代、つまり世界全体が背教へと陥っています。キリスト教徒は怠惰になり、眠っています。彼らは快適さを求めています。アメリカに来ると、何千人もの人々がスタジアムに集まり、主の言葉を聞いています。教会にいても、ガムを噛んだり、ポップコーンを食べたりしているのを見かけます。それはまるでショーのようであり、社交の場のようです。彼らは真剣ではありません。
なぜ、人々はこのメッセージを受け入れないのでしょうか。なぜなら、それが厳しいからです。このメッセージは悔い改めを呼びかけ、償いの行為を求め、心を変えるよう訴えています。そして、終わりの時の使徒となることを求めています。しかし、自分の家や快適な生活を捨てる者はどれほどいるでしょうか。それは厳しく、難しいことです。
主は私たちに立ち直ることを望んでおられます。そうでなければ、私たちは追いやられてしまうでしょう。神は、私たちに対し21年間、そして他の人々を通しても語り続けておられます。私たちの人生を絶え間ない祈りへと変え、聖なる者となるように、心を悔い改めるようにと。
「私はすでに回心した」と思うかもしれません。しかし、回心とは停滞するものではありません。回心とは、天へと続くはしごを上るようなものであり、神に近づくたびに、さらに神の深みに入り込んでいくことです。それは天国へと導く階段の一歩一歩なのです。
回心とは一度きりの出来事ではなく、神を知るための歩みなのです。神を知り、神を理解すること。それは神の御心を行うこと。しかし、神の御心を行うことは容易ではありません。なぜなら、まず悔い改めなければならず、そうして初めて聖霊を受け、聖霊を通じて神の道を知ることができるからです。
「真のメタノイア(悔い改め)」が必要です。メタノイアとはギリシャ語で「悔い改め」を意味します。しかし、人々は本当の意味で悔い改めていません。彼らは神に助けを求め、正しく悔い改めることを学ぶ必要があります。そうして初めて、聖霊が彼らを満たし、導くことができるのです。
人々は真実を聞くことに関心を持っていません。なぜなら、真実は厳しいものだからです。そして、この世代の人々が正しく応えなかったために、このメッセージは激しく迫害されました。神の言葉を沈黙させるために、悪魔が働いているのです。迫害が起こるとき、それは悪魔が神の口を封じようとしている証拠なのです。
もし私が攻撃されるなら、それは神が攻撃されることを意味します。キリストが攻撃されるのです。私が受ける非難は、私だけではなく、キリストを通して語られているこれらのメッセージに向けられたものなのです。
私の以前の生活はとても快適でした。友人と楽しみ、テニスをし、クラブで競技をし、社交の場に出かけ、パーティーを開き、旅行をし、モデルとして服を披露し、アートに関わり…。まさに多くの女性が望むような生活を送っていました。しかし、神に呼ばれたとき、それらをすべて捨てました。そして、私は後悔していません。以前は自分のために生きていましたが、今は神のために生きています。
時々、私は自分を「神の秘密エージェント」と呼びます。なぜなら、誰も私がこのような重大な使命を持っているとは思いもよらないからです。それは私の能力を超えるほどの大きな仕事ですが、神がともにおられ、道を開いてくださいます。
私の使命は、このメッセージをあなたに伝えることです。そして、あなたがさらに他の人々に伝えること。このメッセージは、人の魂を砂漠のような状態から天国へと変える力を持っています。なぜなら、これは神から来るものだからです。
私の役割は、天の父からの長い手紙を皆さんに届ける郵便配達人のようなものです。その手紙を開いて読むかどうかは、皆さん次第です。私は私の役目を果たします。もしそれをしなかったなら、神の前で責任を問われることになります。しかし、私はそれを行っています。たとえ非難されようとも、私は気にしません。
イエスは弟子たちを二人ずつ送り出したとき、「道の途中で誰にも挨拶をしてはならない」と言われました。これは、何を言われようとも気にするなという意味です。もし人の反応を気にし始めたら、使命を果たせなくなります。ですから、まっすぐ進み、神が望まれることを行うのです。
私の義理の兄は、私がローマに行くことを知ったとき、「ヴァスーラ、彼らはコロッセオを修復しているのを知っているか?」と真剣に言いました。「なぜ?」と尋ねると、「彼らはお前をライオンの前に投げ込むために準備しているんだ」と言ったのです。
しかし、実際にはその逆でした。主が予言されたことは、すべて成就してきました。そして、これから成就するものもあります。例えば、主は私に、「ローマに行くことになる。そして、良いことが起こるだろう」と言われました。その証として、「いちじくの木は実を結び、ぶどうの木は葉を茂らせ、私の言葉は海を越えて広がる」と語られました。そして、それは実現しました。
今、世界は大きな危機の中にあります。神は私たちを助けようとしておられますが、サタンはそれを妨げようとしています。神は、津波やニューヨークの同時多発テロを予言されました。すべては、人間の悪によって引き起こされるものです。神が悔い改めの叫びを聞かれないため、私たちは神の裁きを招いているのです。
今から来る災いは避けることはできませんが、祈りと心の改心によって、その影響を和らげることはできます。私たちは、回心していない人々のために祈るべきです。神の宴を味わった私たちは、飢えている人々のために祈るべきではないでしょうか。それが隣人への愛の証となるのです。
神は今も語っておられます。しかし、誰が耳を傾けるでしょうか?「聞く」ことと「従う」ことは違います。「従う」ことこそが、私たちに求められているのです。