2025年11月8日

復活祭の日付の一致のためのノベナ

2025年11月8日 in お知らせ

2025年11月18日─26日

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1日目

黙想

「決して祈りを止めてはならない。私を喜ばせ、心を込めて祈りなさい。一致のため、私の体の一致のために祈ってほしい。教皇と総主教のために祈ってほしい。すべての司祭のために祈ってほしい。ペトロの導きのもとにいない羊たちが、ペトロのもとに戻って和解するように祈りなさい。一人の羊飼いのもとに、一つの群れとなるように祈りなさい。あなたたちの間に平和、一致、そして、より大きな愛があるように祈りなさい。あなたたちが一つの聖櫃を囲んで私を賛美することができるように祈りなさい。一致しなさい、愛する者たちよ。一つになりなさい。父と私が一つであり、同じであるように。あなたたち皆を祝福する」
(『神のうちの真のいのち』1989年1月17日)1

祈り

主イエス・キリストよ、あなたはペトロの信仰という岩の上に教会を築かれ2、御父とあなたが一つであるように、私たちも一つになるよう祈られました3。あなたが尊い御血をもって贖われた、あなたの花嫁である教会を、今日、御覧ください4。そして私たちの分裂の傷をいやしてください。あなたの聖霊が私たちを真理のうちに強め、揺らいでいるあなたの家5を建て直し、あなたの栄光を回復してくださいますように。これをあなたに願います。あなたは御父と聖霊とともに、唯一の神として世々に生き、支配しておられる御方です。アーメン。

「イエスよ、
あなたの聖なる御顔を私たちに向け、ほほえみかけてください。
そうすれば私たちは再び生き返ります。
私たちの分裂は火のように私たちを焼き尽くしました。
あなたのみが奇跡を行うお方です。
私たちを一つにしてください。
人々が自分の愚かさを捨てますように。
あなたのご計画は、復活祭の日付を一致させることによって
私たちを一つにし、和解させることです。
私はあなたの聖なる助けを呼び求めます」
(ヴァスーラの祈り、『神のうちの真のいのち』1992年1月20日)

「彼らにこのように祈らせなさい。

『ああ主よ、
私たちの間に立っておられるお方、
私たちを導いてください。
あなたのぶどうの木の真ん中に
あなたの王座を据え、
私たちに命じてください。

ああ、至聖なる主よ、
あなたの家とぶどうの木を、完全なまま保つことができるように、
私たちを清めてください。
愛をもって介入し
あなたの右の手で植えられたものを守ってください。

私たちはあなたに背きましたが、
あなたのぶどうの木にいのちの川が流れ込み、
そこからもう一度枝が芽吹き、
実をつけて最良のぶどうとなり、
これまで以上に堂々としたものになるように、
あなたが門を大きく開いてくださると知っています。
そう信じ、信頼しています。
なぜならいのちの与え主である聖霊が
それを覆ってくださるからです』
アーメン」
(イエスの祈り、『神のうちの真のいのち』1992年12月21日)

2日目

黙想

「兄弟よ、くる年もくる年も耐えている痛みを、またこの季節も忍ばなければならないのか? それともこのたびは休ませてくれるだろうか? あなたたちの分裂の杯を、もう一度、この季節にも飲まねばならないのか? それとも私の体を休息させ、復活祭の祭日を、私のために統一してくれるだろうか? あなたたちが復活祭の日付を統一することによって、私の痛みは和らぐ。兄弟よ、そしてあなたたちは私のうちに歓喜し、私はあなたたちのうちに歓ぶ。そして多くの視力が取り戻されるだろう……」

(『神のうちの真のいのち』1991年10月14日)

・主イエスへの祈り(教会の一致のため)
・ヴァスーラの祈り(1992年1月20日)
・イエスの祈り(1992年12月21日)

3日目

黙想

「一致のために働く者たちには、空を見上げるように言いなさい。空と地がどんなに離れているかを見たか? 彼らの心はそれほど互いから遠く離れている。それほどまでに隔たっている。皆が復活祭を同じ日に祝うように、一致して定め、布告を発してくれるのはいつの日か?」
(『神のうちの真のいのち』1992年12月21日)

・主イエスへの祈り(教会の一致のため)
・ヴァスーラの祈り(1992年1月20日)
・イエスの祈り(1992年12月21日)

4日目

黙想

「私を愛しなさい。あなたの愛のゆえに、私は諸教会を呼び集め、復活祭の日付を一致させる。私を愛しなさい。あなたのために、この闇を、予見されたよりも早く光に置き換える。私があなたから望む実りは、愛である! あなたの愛によって、私は多くの祈りをかなえることができる」
(『神のうちの真のいのち』1994年4月19日)

・主イエスへの祈り(教会の一致のため)
・ヴァスーラの祈り(1992年1月20日)
・イエスの祈り(1992年12月21日)

5日目

黙想

「復活祭ごとに、私はあなたたちの分裂の杯を強いられ、飲まされている。だがあなたも、娘よ、その杯を飲むことになる。人間の手から渡された苦い杯を私と分かち合うであろう。彼らが復活祭の日付を一致させるまでに時間がたてばたつほど、この時代は厳しい裁きを受ける」
(『神のうちの真のいのち』1994年5月31日)

・主イエスへの祈り(教会の一致のため)
・ヴァスーラの祈り(1992年1月20日)
・イエスの祈り(1992年12月21日)

6日目

黙想

「私の家の者たちが誠実さに欠け、復活祭の日付を一致させようと、私の霊のうちに働かないのを見て、私の心は絶えず憂う。御父が彼らの心を変えてくださるよう、この者たちのために祈ってほしい。私の聖霊によってひとたび目が開かれたなら、悔い改めて、真理を見る妨げとなった自分たちの誤りに気づき、真理から彼らを引き離しているこの傲慢の霊が立ち退き、正気を取り戻すよう、彼らのために祈ってほしい。『彼らが真に私の弟子だと、その愛によって、今やすべての人に知られよう』と私が言えるように、彼らのために祈ってほしい」
(『神のうちの真のいのち』1996年11月27日)

・主イエスへの祈り(教会の一致のため)
・ヴァスーラの祈り(1992年1月20日)
・イエスの祈り(1992年12月21日)

7日目

黙想

「へりくだることによって、造り主の前に証しを立てなさい。復活祭の日付を一致させて、造り主の前に証しを立てなさい。パンをともに分け合って、私に証しを立てなさい。栄えある厳かな祭服を、宗教心と敬虔さの見せかけによらず、へりくだった心で身につけなさい」
(『神のうちの真のいのち』1996年11月25日)

・主イエスへの祈り(教会の一致のため)
・ヴァスーラの祈り(1992年1月20日)
・イエスの祈り(1992年12月21日)

8日目

黙想

「ああ、あなたたちが一つの祭壇の周りに集まり、この同じ祭壇を囲んで私を賛美してくれるなら、どんなにうれしいだろうか。自分の過ちを認め、背いたことを悔い改め、あなたたちに対する私の愛を思い出し、私が愛したように、あなたたちも互いに愛し合うなら」
(『神のうちの真のいのち』1988年4月19日)

・主イエスへの祈り(教会の一致のため)
・ヴァスーラの祈り(1992年1月20日)
・イエスの祈り(1992年12月21日)

9日目

黙想

「私の心は、すべての羊飼いたちが一つの祭壇を囲んで集まってほしいという望みで燃えている。彼らが(……)私の群れの世話をするのを見たいという望みで燃えている。彼らが私の優しさと正しさを語り、私が教えてきたすべてを語るのを聞きたいという望みで燃えている。彼らが愛とあわれみをもって、私の民の世話をするのを見たいという望みで燃えている」
(『神のうちの真のいのち』2006年5月31日)

「心を開いて、私の恩寵の霊がなぜ、この世代にこれほどまでに豊かに注がれているのかを理解しようと努めなさい。すべての世代が、一人の羊飼いのもとに、一つの聖櫃を取り囲んで、一つとなる日が近づいている。主である私は、彼らにとって唯一の主となる。だから祈りなさい、愛する者たちよ、主である私が万全の準備をもって進めているこの一致のために祈りなさい」
(『神のうちの真のいのち』1989年6月19日)

・主イエスへの祈り(教会の一致のため)
・ヴァスーラの祈り(1992年1月20日)
・イエスの祈り(1992年12月21日)

シノドス性と「神のうちの真のいのち」のメッセージに関する省察

2025年11月8日 in お知らせ

イエスは呼びかけの初めに、ヴァスーラを通して、「神のうちのまことのいのち」の読者に問いかけられました。「どちらの家の方があなたをより必要としているだろうか?」(1986年10月23日)
ヴァスーラは正しく答えました。「家」とは「教会」を意味すると。私たちは知っています。イエス・キリストによって創設された教会は本来ひとつですが、私たちの罪のために、カトリック教会、正教会、そしてさまざまな宗派の他の教会へと分裂していることを。ローマ・カトリック教会は、イエス・キリストの家の重要な一部です。イエスはその後、ヴァスーラと「神のうちのまことのいのち」の読者たちにこう語られました。「私は今日、多くの国の民にあなたを遣わし、私のこだまとして教会を生き返らせ、一致させて、美しく飾らせている」(1994年12月18日)

ヴァスーラが世界中を旅して証しを始めた後、イエスは彼女を通して私たちに語られます。「帰って来なさい! 皆ペトロのもとに戻って来なさい、なぜならあなたの神、私が彼を選んだのだから」(1988年6月21日)また、「何が起ころうとも私の教皇に従いなさい。忠実であれば、私が必要な恵みと力を与える。彼への忠実を守り、反逆する誰からも遠ざかるようにと勧める。なによりも、彼を追放しようとする誰の声も聞かないように。決して彼に対する愛を欺かないように」(1993年3月17日)ともおっしゃいました。

ヴァスーラがこのメッセージを受けた当時の教皇はヨハネ・パウロ二世でした。そして今、私たち「神のうちのまことのいのち」の協力者にとっての教皇はレオ十四世です。彼はヴァスーラがブエノスアイレスの司教であった頃に出会った教皇フランシスコの死後、教皇となりました。その時以来、世界は変わり、教会もまた変化しています。つまり、私たち「神のうちのまことのいのち」の協力者が生き、メッセージを広めている状況は、もはや以前と同じではありません。各国、各都市の「神のうちのまことのいのち」の読者の会は、この変化を意識し、現代の新しい文脈に応じてメッセージと霊性を実践する方法を考える必要があります。そうしてこそ、人々はこれらのメッセージを自分の日常生活において意味あるもの、必要なものとして受け止め、生きることができるのです。

2021年10月、ヴァスーラがまだ存命中に、教皇フランシスコは第16回通常シノドス司教会議を「シノドス性(協働性)」をテーマに招集し、全カトリック教会を対象とした「シノドス的プロセス」を開始しました。このプロセスは、すべての地方教会でも行われるべきものです。シノドスの目的は、第二バチカン公会議の権威ある教えとその後に発表された関連文書(聖霊に霊感を受けたと信じられる内容)を実現することであり、「シノドス性」とは何か、なぜそれが必要なのか、どのように地方教会(司教協議会や教区)で実践するか、どのような変化が求められているかを示すものです。

「シノドス性」に関する前回のシノドスに関して、司教会議事務局から数十の文書が発表されました。その多くは、世界各地の司教協議会からの協議結果に基づく作業文書や報告書です。中には非常に長く、内容豊かなものもあり、現代の教会が直面している新たな司牧上の課題を提示・分析しています。それは、聖職者や信徒に関わる教会内部の問題、家庭司牧、さらには気候変動、戦争と暴力、貧困、移住などの社会問題にまで及びます。これらすべての問題は、「教会は何を語るべきか」「どのような役割を果たすべきか」という問いへと私たちを導きます。

このプロセスは段階的に進められます。まず教区レベル、次に国家レベル、大陸レベル、そして最後に、教皇フランシスコ臨席のもとで行われるバチカンの司教会議(普遍レベル)へと展開されます。2024年10月の第二会期で普遍段階のシノドスが終了した後、教会全体は2025年から2028年までの三年間、「シノドス性の実施段階」へと入りました。
司教会議事務局の公式指針によれば、司教たちは2028年10月にローマに集まり、それぞれの教区でのシノドス性実践の結果を報告することになっています。
これは、神の民──すなわちすべての洗礼を受けた人々──が、自らの教区、小教区、共同体の刷新と自己形成に積極的に関わり、今日の世界における神の救いの計画を成就するために生きることを意味します。

教会が存在する理由は、時の終わりまで福音を宣べ伝え、すべての人が教会を通して救われるためです(マルコ16・15–16参照)。
しかし今日、何百万もの人々がイエス・キリストを知らずにいます。このため、2021〜2024年の司教シノドスは「交わり、参加、宣教──シノドス的教会のために」というテーマに捧げられました。
簡単に言えば、シノドス的教会とは次のような教会です。「シノドス」とは「共に歩むこと」を意味します。教会のすべての構成員──例外なく洗礼を受けたすべての人──が宣教者であり、互いに交わりのうちに自分の使命を果たすよう召されています。それは、洗礼による召命に基づき、それぞれの身分、奉仕職、カリスマに従って、教会共同体の識別に参加することによって果たされます。「シノドス性」は教会にとって新しい概念ではなく、むしろ再発見し、評価し、推進すべきものです。言い換えれば、「シノドス的プロセス」は摂理的な機会であると同時に、全教会──すなわちすべての信徒──が深い変革を遂げ、福音宣教の使命を果たすために必要不可欠なものなのです。多文化的で変化の激しい現代世界において、あらゆる宗教的信念や価値観が存在する中でこそ、教会の刷新が求められています。

「シノドス性」という言葉自体は「神のうちのまことのいのち」のメッセージには現れません。しかし、その内容やヴァスーラの証しにおける教え──「悔い改め、回心、和解、赦し、福音宣教、キリスト教一致、諸宗教対話」など──は、明らかに「シノドス性」に関する司教会議と同じ目的を反映し、響き合っています。
したがって「神のうちのまことのいのち」のメッセージはその実現に大きく寄与し、教会を導き支配する聖霊の呼びかけに応えています。
しかしながら、「神のうちのまことのいのち」のメッセージは「シノドス性」に還元できるものではなく、また単なるその実践手段として限定されるものでもありません。それには、「シノドス性」に関する公文書には見られない深い神学的教えと霊的洞察が含まれています。
同様に「神のうちのまことのいのち」のメッセージが触れていない豊かな司牧的内容や法的根拠もあります。
したがって、両者を対立的に扱うのではなく、むしろ調和させるべきです。メッセージを黙想し、関連する教会文書を学ぶことによって、ペトロ、すなわち教皇レオ十四世に真に従い、「今この時、聖霊が教会に語られていることに耳を傾ける」ために(参照:教皇フランシスコ『シノドス的教会のために──交わり、参加、宣教—最終文書』付随覚書、2024年11月24日)。

「父よ、あなたがわたしの内におられ、わたしがあなたの内にいるように、すべての人を一つにしてください。彼らもわたしたちの内にいるようにしてください。そうすれば、世は、あなたがわたしをお遣わしになったことを、信じるようになります」(ヨハネ17・21)

オッフリー・チャン神父

台北、2025年10月12日