お知らせ

ベス・ミリアム宅配子ども食堂・5月と6月のコメント

2025年7月7日 in お知らせ

「昨日、無事に沢山の食材を受け取らせていただきました。この日をいつも楽しみにしているので、子供たちも大喜びでした。本当にありがとうございます」

「主の平和 食料支援届きました。神に感謝です。いつもありがとうございます。あと、送ってくださる食材はいつも美味しいですけど、今回送っていただいた麺が特に美味しくてびっくりしました。本当にありがとうございました。

「沢山の食材、今無事に届きました♪ 普段は買えない物ばかりなので、子供たちは大喜びしてます。感謝しながら子供たちと大切にいただきます。いつも本当にありがとうございます」

「主の平和 いつもありがとうございます。とても助かります。食べ物を送ってくださり、本当に感謝しています。神様とあなたに心から感謝いたします」

最近のある神秘家の死

2025年7月7日 in お知らせ

 
神のしもべ、ルイザ・ピッカレータに関する2024年9月30日のオンラインミーティングで、イアヌッツィ神父は、数日前に亡くなったヴァスーラ・リデンに関する質問に答えています。大変興味深い内容です。動画の内容を和訳しました。

ジョセフ・レオ・イアヌッツィ神父について

イアヌッツィ神父は神学者であり、ローマの教皇庁立グレゴリアン大学の博士課程修了者です。啓示と預言に関する数冊の著書を執筆し、EWTNに出演し、複数のテレビ番組や全国放送のラジオ番組の司会を務めました。イアヌッツィ神父は、教会の神秘神学の伝統を推進し、「神の御旨に生きる」という神秘的な賜物の適切な神学的提示に専念する「聖三位一体の宣教者共同体」の創設者です。

優れたバイオリニストでありレスラーでもあるイアヌッツィ神父は、医学を学び、1988年にメジュゴリエを訪れ、そこで神学校に入る決意をしました。1991年に哲学の学士号を取得し、キルバーン賞を受賞しました。イタリアでの15年間の任務中、イタリア語、ギリシャ語、ヘブライ語、ラテン語などの言語を学びました。神学の学士号、STL(神学修士)、および教父学、教義学、神秘主義を専門とするSTD(神学博士号)を取得しました。

イアヌッツィ神父は、ローマの教皇ビブリクム大学からイスラエルで神学を学ぶための奨学金を受けた4人の選抜学生の一人でした。ローマ滞在中、彼はローマのチーフエクソシスト、ガブリエル・アモルト神父を補佐し、預言と啓示に関する数冊の著書を執筆しました。多くの神学作品を英語に翻訳し、5つの出版物を著しています。


神父:祈りから始めましょう。父と子と聖霊の御名によって、アーメン。年間第二十六日曜日です。私たちは聖霊を呼び求め、毎週日曜日に祝うキリストの死に対する勝利を記念します。聖霊がすべての真理の認識へと私たちを導き、キリストの言葉を思い起こさせてくださいますように。私たちが呼び求める聖霊が、私たちの思い、言葉、息づかい、願い、意図を満たし、三位一体の第三の位格である聖霊を通して、筆記者ルイザ・ピッカレータにより明らかにされた「神の御旨」に生きる恵みを感謝できますように。栄光は父と子と聖霊に。初めのように、今もいつも世々に、アーメン。

それでは早速質問に入りましょう。今夜は、先週いくつかの想定外の出来事が重なったため、少し短く切り上げます。まず、教会の主任司祭が退任し、11月まで私がその教会を運営しています。現在、三つの教会を担当しており、さらに修道女たちの霊的指導司祭として、週二回のミサをささげています。忙しいですが、それも喜んで受け入れています。神に感謝しています。そのため、いつもより少し早く休む必要があり、今夜は短く切り上げます。ご理解いただければ幸いです。それでは、最初の質問から始めましょう。

マイケル博士: 神父さま、今週、神秘家であったヴァスーラが亡くなられました。彼女との関わりや、彼女の使命への神父さまの協力についてお話しいただけますか?

神父:はい、そうです、ヴァスーラは聖人でした。彼女は聖人です(*訳注:当然ながら、教会によって公式に列聖されたという意味ではない)。ヴァスーラ・リデンですね。この女性は子供の頃、要理教育を何も受けていませんでした。自分の子供の頃を思い出してみてください。カトリックの学校に通ったり、キリスト教の教育を受けましたよね? ヴァスーラはそのどれも受けていませんでした。エジプトで生まれ、スイスで育ちました。そして国連の職員である夫の仕事のために世界各地を回りました。彼女はカトリックではなくギリシャ正教徒です。ギリシャ正教はカトリックと同じ七つの秘跡を有しています。

ギリシャ正教、ロシア正教、コプト正教はどれも、私たちと同じ有効な秘跡を持っています。ヴァスーラは神からの直接の啓示によって、復活祭の日付を一致させる使命を受けました。これは特別なことではありません。たとえば、ダマスカス(シリア)の正教会の神秘家ミルナがいます。カトリックの司教が彼女の啓示を許可しました。ヴァスーラの啓示も、二人のカトリックの大司教から「印刷許可」と「権威筋の承認」を受けています。今日のマルコの福音と民数記の朗読を思い出してください。モーセのグループに属さないエルダドとメダドが預言するのを止めようとしたとき、モーセは「主の民すべてが預言者になればよい」と言いました。イエスも、ヨハネが「先生、お名前を使って悪霊を追い出している者を見ましたが、わたしたちに従わないので、やめさせようとしました」と訴えたとき、「やめさせてはならない。わたしの名を使って奇跡を行い、そのすぐ後で、わたしの悪口は言えまい。わたしたちに逆らわない者は、わたしたちの味方なのである」と言われました。ですから、神はヴァスーラやミルナを選ばれたのです。彼女たちは正教徒です。正教徒は聖なる人々で、七つの秘跡(機密)を持ち、その教義はカトリックと99%同じです。

マイケル博士が言われたように、ヴァスーラは先週、5日前に亡くなられました。彼女は何人かの教皇と謁見し、ヨハネ・パウロ二世やヨーゼフ・ラッツィンガー枢機卿(後のベネディクト十六世)と会い、著作を献呈しました。

ヴァスーラは2004年にラッツィンガー枢機卿と会談し、枢機卿は著作の普及を許可しました。人々は彼を「ドイツの羊飼い」と呼びます。ラッツィンガー枢機卿が、正教徒であるヴァスーラに、キリスト教会で彼女の著作を広める許可を与えたのです。考えてみてください。枢機卿は何人かの司教に「ヴァスーラと彼女の著作を歓迎せよ」という書簡を送りました。ところがです。このキリスト者の一致はサタンの王国を脅かします。そこでサタンはカトリック教会や、ギリシャ正教会、ロシア正教会の内部でヴァスーラへの攻撃を起こしました。彼らはとてもうまくやりました。その攻撃は、今日でも特定のウェブサイトで彼女を攻撃する内容として反映されています。しかしながら、ヴァスーラの著作が教導権による公式の承認を受けているという事実を否定することはできません。それを否定することは誰にもできません。すると、彼らはどうするでしょうか?

彼女を攻撃する口実を見つけるのです。彼女の著作は、二人のカトリックの司教による印刷許可と権威筋の承認を今なお有効に保持しています。彼女は4つの教会認可を持っています。二つではなく4つです。彼女は亡くなりましたが、現在の教皇たちが継承すべき遺産を残したのです。教皇フランシスコもヴァスーラと会われました。彼女は本物です。彼女は亡くなりましたが、重要なことは、著作の中で、イエスがヴァスーラに、私たちは終末の時代を生きており、これが神から私たちへの最後のいつくしみの呼びかけだと告げているということです。なぜなら、このいつくしみの呼びかけが終わり、私たちの生存している間にそれが終わると、聖ペテロが第二の手紙で言及した火が来るからです。火は地上を焼き尽くし、すべての要素と惑星上の私たちを焼き尽くすでしょう。

ガラバンダルの預言を思い出してください。聖母は4人の預言者に「罰」の幻を与えました。彼らは何と言ったでしょうか? 火です。ガラバンダルでも言われています。日本の秋田でも言われています。ルイザ・ピッカレータの著作でも言われています。天から火が降り、地の底から火が噴き出すと。ガラバンダルの幻視者は何と言ったでしょうか? 人々は火に包まれ、海に飛び込み、海は空気よりも熱くなると。それが「罰」です。しかし、これで全てではありません。その過程で、地球は地軸がずれるでしょうが、私たちはこれらのことを心配する必要はありません。私はただ、教父たちの教えに従い、十戒を守り、月に二度ゆるしの秘跡を受け、少なくとも毎週日曜日には聖体拝領に参列し、自分たちと家族、子供たち、国を二つの御心に奉献する人々は、何も恐れる必要がないと強調するために、このことに触れただけです。

特に、ルイザ・ピッカレータの著作に献身し、彼女の受難の時間に専心する人々です。この人々は、自分自身の保護と免償を獲得します。マイケル博士、ヴァスーラについてですが、質問の内容を覚えていません。思い出させていただけますか?

マイケル博士:はい、神父さまのヴァスーラとの関わりについてお話しいただけますか?

神父:はい、ありがとうございます。ヴァスーラに出会ったのは、私がペンシルベニアで奨学金を得て医学生だった時です。そこでヴァスーラ・リデンの著作に出会いました。1989年のことでした。父が著作をくれたのです。本はなく、まだ出版されていませんでした。ただ印刷されて送られてきたものでした。

それらを読んだのは、私がただの医学生で、パードレ・ピオや他の神秘家に触れた影響から、信徒として神学の知識が少しあった頃です。私は12歳か13歳の頃から神秘家を読み始めました。どうしてでしょう? 私にも分かりません。聞かないでください。私はおかしかったのかもしれません。12歳か13歳の頃から神秘家に惹かれていました。シエナの聖カタリナ、カタリナ・エンメリック、アグレダのマリア、これらを全部読み始めました。するとヴァスーラが現れたのです。医学の授業を受けながら彼女の著作を読み始めました。その後、マリア年であった1988年に、父がメジュゴリエに招待してくれました。そこで私は、聖母マリアから三つの霊感、語りかけ、召し出しを受けました。現在やっていることを止め、神学校に入るようにと。

それでそのようにしました。一ヶ月後、医学の勉強をやめて神学校に入りました。その当時、病院でも働いていましたが、働き始めてから一年も経たない頃、1989年に、父を通じてヴァスーラの著作に出会いました。理由は分かりませんが、父は私の判断を信頼していました。私の父は海兵隊員で、ニューヨークの警察官であり、ニューヨーク市の消防局長です。父は私に、ヴァスーラをどう思うか尋ねました。彼女のノートを二冊読んだ後、私は「これは100%神からのものだ」と言いました。そして1991年、私はローマに送られました。私はアメリカの大学の哲学科を首席で卒業していたからです。

ローマで、私の共同体は、教皇ヨハネ・パウロ二世とのサラー・デッレ・ベネディツィオーニ(祝福のホール)での謁見に招待されました。家族や友人を一人同伴しても良いと言われました。私はイタリアでヴァスーラの著作を読み続けており、それを持っていきました。著作には「私のヨハネスにこれらのメッセージを受け取ってほしい」と書かれていました。つまりヨハネ・パウロ二世です。そこで私は考えました。「私の共同体が教皇様と会うなら、ヴァスーラを招待しよう。友人を連れて行ってよいわけだから」。私はヴァスーラに会ったことも、話したこともありませんでした。そこで、少し調べて、当時バングラデシュにいた彼女の霊的指導者に電話をかけました。当時は携帯電話はありませんでした。1989年のことです。

そして彼は電話に出ました。ついに連絡が取れました。私は言いました。「ご存知の通り、著作では、イエスがこのメッセージを教皇に伝えるように言われています。私は約二週間後に教皇様と会う予定です。友人を招待してもいいと言われました。彼女に一緒に来てもらえませんか?」彼は「ヴァスーラに連絡を取ってみます。後で連絡します」と言いました。そして連絡を取りました。長くなるので省略しますが、彼女はローマの私の自宅に、マイケル・オーキャロル神父と共に現れました。彼は第二バチカン公会議の神学者で、アイルランドのブラックロック大学の教授でした。非常に知的な人物で、聖霊に関する三巻の百科事典を出版したマイケル・オーキャロル神父です。彼が当時のヴァスーラの霊的指導者でした。

最初の霊的指導者はファナン神父、次にローランタン神父、それからマイケル・オーキャロル神父でした。そしてもちろん、私がその後に続きました。しかし、ヴァスーラはマイケル・オーキャロル神父と共に戸口に現れました。私は「ああ、これは良い」と思いました。そして、私は彼女を一般の部屋に迎え入れました。翌日、私たちは謁見に行き、ヴァスーラは教皇に会い、すべての著作を手渡しました。その後、当時のバチカン国務長官だったアンジェロ・ソダーノ枢機卿は、「教皇はあなたの著作を受け取り、近日中にじっくり読まれるでしょう」と言いました。ところが教皇様は階段で転倒し、右肩を骨折して入院されました。何をしていたのでしょうか? ヴァスーラの著作を読んでおられたのです!

それがヴァスーラとの初めての出会いでした。1993年11月のことです。その後、彼女と何度か会いました。はい。ですから長い、長い旅路でした。

マイケル博士:聞いてよかったです、神父さま。すごい話でした。スルタナさん、神父様に質問はありますか?

スルタナ:私の質問は、(ピッカレータの啓示の)第2巻の1899年6月5日からです。初期の巻ですが、判断力についてです。イエスが私に「他に何か欲しいか言いなさい」と言われました。するとルイザは「聖なるイエスよ、私の聴罪司祭を聖人として、彼の身体に健康を授けてください」と願いました。しかし、この神父が来ることは完全にあなたの御旨なのでしょうか? するとイエスは「そうだ」と言われました。そこでルイザはどうすべきか尋ねました。すると、彼が来ることは神の御旨であると言われました。

ルイザは『もし御旨なら、彼を健康にしてください』と言いました。するとイエスは、「ルイザ、落ち着きなさい。私の判断を深く詮索してはいけない」と言われました。そして識別について、私は自分が正しく識別できているかどうか、いつも確信が持てません。つまり、今では自動的に両方のために祈るようになったように感じます。

神父:わかりました。こう答えましょう。イエスを怒らせてしまうのではという心配はいりません。イエスはあなたの意図を見ておられます。だから、不適切なことを尋ねても心配しないでください。なぜなら、あなたの意図が崇高で、誠実であれば、たとえそれが彼の意志に反していても、イエスは怒らないからです。わかりましたか?

スルタナ:わかりました。とても参考になりました。神が祝福してくださいますように。

神父:今夜の素晴らしい集まりに感謝します。皆さんから学び、私も皆さんを豊かにします。皆さんと一緒にいるたびに、私は多くのことを学びます。時々、ジョセフ神父は神の御旨を知っている、という考えが出てきますが、実際はそうではありません。それは相互作用です。あなたが私を豊かにし、私があなたを豊かにするのです。そして最終的に、私たちは共に豊かになります。それは素晴らしいことです。では、そのために祈りましょう。神があなたを祝福し、至聖なる御心によってあなたを豊かにし続けてくださいますように。父と子と聖霊の御名によって。アーメン。

レオ十四世:ニケア公会議はすべてのキリスト教徒の完全な一致への羅針盤

2025年6月7日 in お知らせ

レオ十四世:ニケア公会議はすべてのキリスト教徒の完全な一致への羅針盤

教皇レオ十四世は、「ニケアと第三千年期の教会:カトリックと正教会の一致に向けて」というシンポジウムの参加者を謁見で迎え、パスカ(復活祭)の共同祝賀への意欲を再確認し、一致は聖霊の働きを通じて受け取られる贈り物であると強調した。

バチカンニュースの記事を和訳

ベネデッタ・カペッリ──バチカン市国

教皇レオ十四世は、「ニケアと第三千年期の教会:カトリックと正教会の一致に向けて」というシンポジウムの参加者に謁見し、ニケアの信仰、シノダリティ(協働性)、パスカの日付という三つのテーマに焦点を当てた。これらのテーマは、今日6月7日の午後にサン・トンマーゾ・ダキーノ教皇庁立大学で終了する同シンポジウムでも取り上げられたもの。このシンポジウムは、アンジェリクム(サン・トンマーゾ・ダキーノ教皇庁立大学)のエキュメニズム研究所であるエキュメニズムと国際正教会神学協会が主催した。教皇は英語で話し、遅れを詫び、ユーモアを交えて「この新しい任務に就いてまだ一か月しか経っていないので、我慢してほしい」と述べました。そして、シンポジウムが未来志向であることに満足を表明した。

「ニケア公会議は過去の出来事にとどまらず、すべてのキリスト教徒の完全な目に見える一致へと我々を導き続ける羅針盤でなければなりません。」

教皇はさらに、第一回公会議が「カトリックと正教会が第二バチカン公会議以降に歩んできた共同の道のり」にとって重要であったと強調しました。また、正教会にとって、1700周年を迎えるニケア公会議は「卓越した公会議」であり、「318人の父祖」によるキリスト教信仰の規範、信仰告白が公布された場であると付け加えた。

ベス・ミリアム宅配子ども食堂 4月分への御礼のコメント

2025年5月17日 in お知らせ

「食品が届きました。連絡が遅くなってしまい、申し訳ありません。本当に助かってます。神様の祝福が豊かにありますように」

「心から感謝してます、お祈りのおかげで、私たち3人家族がすくわれています」

「沢山の食材、無事に受け取らせていただきました!GWもあるのでとても助かります。早速子供達にたまごロールパン作ったらめっちゃ喜んで食べてました。赤ちゃんにもイチゴバナナヨーグルトを離乳食であげました。旬の食材を子供達に食べさせてあげられるのも、こうしてご支援してくださる皆様のおかげです。感謝しかありません。大切にいただきます。本当にありがとうございます」

バチカン、すべてのキリスト教徒に復活祭の共通の日付の設定を呼びかける

2025年4月12日 in お知らせ

復活祭の共通の日付を見つけることは、長年にわたるエキュメニカルな取り組みの一部である。カトリックと正教会が異なる暦を使用することによる分断が、祝日の日付の違いを生んでいる。

教皇フランシスコ(左)とコンスタンティノープル総主教バルソロメオス(右)は、2014年11月30日、イスタンブールの総主教庁での奉神礼の後、信徒たちに語りかけた/Gokhan Tan/Getty Images

LIFESITEの記事を和訳

2025年4月3日(木)午前8時20分(米国東部時間)
マイケル・ヘインズ、上級バチカン特派員

バチカン市国(LifeSiteNews) — バチカンの神学諮問機関は、ニカイア公会議の1700周年を記念する文書を発表し、すべてのキリスト教徒が復活祭を共通の日付で祝うように呼びかけた。

国際神学委員会が4月3日に発表した新文書は、「神の子、救い主イエス・キリスト」と題され、325年のニカイア公会議の1700周年を記念するもの。

この文書は、「公会議の基本的な意義を思い起こし、信条の特別な資源を強調し、教会が現在の時代変革の中で取り組むべき新たな福音宣教の段階の視点でそれらを再推進する」という二重の目的を持つ。

ニカイア公会議の1700周年が今年迎えられることから、多くのエキュメニカルな関心が寄せられている。2025年は、ローマ教皇庁と東方の諸教会が復活祭を同じ日付で祝う稀な年であり、これが双方のエキュメニカル機関にさらなる動機を与えている。

2025年にさまざまな典礼暦が一致するという注目すべき側面を強調し、国際神学委員会は、今後、復活祭の共通の日付を共有するよう次のように述べた。「これは、キリストの受難と復活、『すべての祝日の祝日』(ビザンチン・復活祭の朝の祈り)を、すべてのキリスト教コミュニティで交わりの中で祝い続けるための、天の摂理による機会ではないのか」

すでに多くの現実的な提案が、一致した日付のために存在する。この問題について、カトリック教会は対話とエキュメニカルな解決策に対して開かれた姿勢を維持している。

復活祭の日付をめぐる論争と議論は、教会の初期の数世紀にまで遡り、特に東西の分裂の一部を形成してきた。

ニカイア公会議以前は、復活祭は異なる日付で祝われていた。そこで、春分後の最初の満月の後の日曜日に祝うことが定められた。しかしその後、ニカイア当時に使用されていたユリウス暦と、ユリウス暦が季節とずれていたために、1582年に教皇グレゴリウス十二世の命令でヨーロッパで導入されたグレゴリオ暦の間に差異が生じた。

ローマ教皇庁はグレゴリオ暦に従い、3月21日の春分の満月の後の最初の日曜日に復活祭を定める。

一方、正教会はユリウス暦に従い、復活祭の日付を決定するための正確な規則を使用する。ユリウス暦の精度が低いため、春分と必ずしも一致しない日が使用され、異なる復活祭の日付が生じる。

グレゴリオ暦は年の季節とより同期しているが、バチカンは、復活祭の共通の日付を決定する際にどの暦を採用するかは未定のままにしている。

今年初めのキリスト教一致祈祷週間の式典で、教皇フランシスコは、復活祭の日付の一致を再び呼びかけ、聖年開始の教皇勅書で述べた訴えを繰り返した。

「この一致が、すべてのキリスト教徒が復活祭の共通の日付をめぐる一致に向けて決定的な一歩を踏み出すための訴えとなるよう、私は再び呼びかけます。カトリック教会は、誰もが望む日付を受け入れることに開かれています。それは一致の日付です。」

復活祭の共通の日付の設定は、世界教会協議会などの多くのエキュメニカル団体にとって重要な課題である。「ニカイアの記念が、将来すべてのキリスト教徒が復活祭を共に祝うための勢いを生み出すことを願う」と、同団体の信仰と秩序プログラム責任者マーティン・イレルトは述べた。

2022年11月のバチカン訪問後、コンスタンティノープルのバルソロメオス総主教も、教皇と共に復活祭の共通の日付を見つける共同の願いを表明した。「詳細について話す時期はまだ来ていないかもしれないが、正教会とカトリック側に、キリストの復活の祝祭を最終的に共通の日付で設定するという良い意図があることを強調したい」と彼は述べた。

しかし、カトリックと正教会の指導者から復活祭の共通の日付を見つけることについての多くの文書や声明が出されているにもかかわらず、どちらの側もこれを実行に移す公の動きを見せていないという問題が常に存在する。

解説者たちは、グレゴリオ暦が年の季節とより正確に一致しているため、それに従うべきだと主張している。しかし、正教会側から公式な妥協がなされていないことは、共通の日付を見つけるプロセスが容易ではないことを示唆する。

この目標の達成の可能性について、伝統主義団体である聖ピオ十世会は二月に次のように述べた。「教皇フランシスコは、もし健康を回復すれば、すべてのキリスト教徒のための復活祭の日付を統一することに成功するだろうか。そう願いたいが、それは非常に困難な課題かもしれない。」

国際神学委員会は、1969年に教皇パウロ六世によって信仰教理省(現・教理省)を助言するために設立された神学者団体であり、教理省の後援の下で活動する。

今日発表された約70ページの文書は、報道機関に一時間未満の期限という制限(エンバーゴ)付きで提供された。しかし、5月20日の文書に関する会議のプロモーション資料は一月末からバチカンの教皇庁事務所に掲示されていた。この文書は、2022年から2023年にかけて国際神学委員会内に設立されたグループによって書かれ、全会一致で承認された後、教理省長官ビクトル・マヌエル・フェルナンデス枢機卿に提出され、12月16日に教皇の承認を受けた。

これは、カトリックと正教会がキリストの復活の祝祭で一致することを提唱する、より大きな活動、特にエキュメニカルな取り組みの一部を形成する。この目標が達成されるかどうかはまだわからない。最初に日付を提案するのは誰になるのかが注目される。

教皇フランシスコは、ニカイア記念のために5月にトルコを訪問する予定だったが、彼の不安定な健康状態により計画は保留されている。

ベス・ミリアム宅配こども食堂、3月分への御礼のコメント

2025年4月3日 in お知らせ

「おはようございます。昨日、無事に沢山の食材を受け取りました。いつも本当に助かります! さつまいも、さっそくお昼の離乳食であげたいと思います。上の子達のお菓子もありがとうございます。おやつまで買ってあげられる余裕がないので本当に助かります。4人で大切にいただきます。ありがとうございました」

「食材届きました。ありがとうございます。たくさんの量に私達家族びっくりしています。ありがとうございます。次回は赤ちゃんのミルクとお米頼む予定です。よろしくお願いします。現在はまだあります。ありがとうございます。神に感謝」

「おはようございます。本当に必要なものがたくさん届き、その上どれも品質も良くて、神に感謝です。ベス・ミリアムのみなさんいつもありがとうございます。また、よろしくお願いします。神に感謝」

ヴァルソロメオス総主教、ニカイア公会議の記念式典が近づく中、1054年の教会大分裂を「克服するのは不可能ではない」と語る

2025年3月19日 in お知らせ

コンスタンティノープルの全地総主教ヴァルソロメオス一世、2025年3月12日水曜日に
イスタンブールでドイツ聖地協会の巡礼団と謁見された/Credit:Martin Rothweiler/EWTN

CNAの記事を翻訳

AC・ウィマー/CNAニュースルーム
2025年3月15日午前8時

コンスタンティノープルの全地総主教ヴァルソロメオス一世は水曜日、伝統的に1054年とされる、ローマとコンスタンティノープル間の「大分裂」の出来事について、希望に満ちた歴史的評価を示した。総主教は、緊張は時間とともに徐々に高まったものであり、「克服不可能ではない」と述べた。

総主教は12日、イスタンブールでドイツ聖地協会の巡礼団と謁見された際に「もちろん、問題は千年以上にわたり積み重なってきました。しかし、私たちは数年でそれらが解決されることを大いに期待しています」と強調した。

世界正教会の名誉指導者である総主教は、メルキト・ギリシャ・カトリック教会の名誉総主教グレゴリオ三世ラハムが同席する中でコメントされ、CNAのドイツ語ニュースパートナーであるCNA Deutschがこれを報じた。

この巡礼は、西暦325年に開催されたニカイア公会議の1700周年を前にしたもの。

ヴァルソロメオス総主教は、1054年にカトリック教会と東方正教会間の突然の分裂が起きたとする伝統的な見方よりも、これらの緊張はむしろ時間とともに徐々に強まったことを示唆した。

しばらく前から、エキュメニカルな関係における歴史的な突破口の可能性が高まっている。1月、キリスト教一致祈祷週の閉幕の晩課で、教皇フランシスコは、今年の復活祭がグレゴリオ暦とユリウス暦の両方で同じ日付になる「摂理的な」タイミングであることを強調した。

「信仰の共通の根源を再発見しましょう」と教皇は促し、「一致を保ちましょう!」と呼びかけた。

キリスト教一致推進評議会の長官であるクルト・コッホ枢機卿は、共通の復活祭の日付を求める努力を長年支持してきた。2021年、枢機卿は、2025年が東方と西方のキリスト教徒が一緒に復活祭を祝うための典礼暦改革を導入する理想的な時期であるという提案を歓迎した。

当時、枢機卿は「共通の復活祭の日付に合意するのは簡単ではないでしょうが、そのために努力する価値があります」と述べ、教皇フランシスコとコプト正教の教皇タワドロスにとっても、この取り組みが「非常に大切である」と付け加えた。

典礼暦の議論

325年に開催された第一ニカイア公会議は、復活祭を立春後の最初の満月の後の最初の日曜日に祝うと決定し、最も早い日付は3月22日、最も遅い日付は4月25日とした。

現在、正教会のキリスト教徒は復活祭の日付を計算するのにユリウス暦を使用している。これは、1582年に導入され、世界のほとんどの地域で使用されているグレゴリオ暦とは異なっている。ユリウス暦では一年がわずかに長くなり、現在ではグレゴリオ暦より13日遅れており、その結果として、ほとんどの年で復活祭の日付が異なっている。

普遍的な合意への障害の一つとして、異なる教会間の継続的な緊張が挙げられるかもしれない。2018年、ロシア正教会は、ヴァルソロメオス総主教がウクライナ正教会の独立を認める意向を確認した後、コンスタンティノープル総主教庁との関係を断絶した。

2024年11月にバチカンで開催された国際神学委員会との会合で、教皇フランシスコは、この重要な年を記念するため、2025年5月にトルコを訪問する意向を確認した。

教皇フランシスコは「私はそこに行くつもりです」と述べ、ニカイア公会議が「教会だけでなく、全人類の旅路にとっても節目です。なぜなら、イエス・キリストへの信仰──私たちのため、私たちの救いのために肉となられた神の子──が定式化され、告白されたことは、現実の意味と歴史全体の運命を照らす光だからです」と指摘した。

しかし、教皇の健康状態がこのトルコへの巡礼の計画に影響を与える可能性がある。教皇は継続的に入院しており、旅行に耐えられるか疑問を投げかけられている。

ヴァスーラの最後の証し

2025年3月19日 in お知らせ

2024年4月、ヴァスーラは私を彼女のギリシャの自宅に数日間招待してくれました。私は喜んでその誘いを受け入れ、ロードス島に行きました。私がそこにいる間、ポルトガル語を話すグループからヴァスーラに電話がかかってきました。ポルトガル人とブラジル人数名で構成されたグループで、彼らはクルーズ船でロードス島に短時間立ち寄る予定でした。彼らはヴァスーラに、船上で昼食を共にして、彼女の経験を短い証しとして分かち合ってほしいと頼みました。

私たちはすぐに、彼女の自宅にあったポルトガル語の書籍を全部──かなりの数でしたが──を袋に詰め、ヴァスーラが彼らと会うことができるよう、港へ向かいました。グループのガイドがクルーズ船の外で私たちを迎えましたが、残念ながら、ヴァスーラが船に乗り込む許可を得ることができなかったと告げられました。いずれにせよ、音楽が騒がしく鳴っている部屋で証しをするのは難しかったでしょう。そこでヴァスーラは、もし彼らが興味があるなら、彼女の自宅に来てもいいと伝えました。彼らは大喜びし、その提案を受け入れました。

少しして、タクシーの列がヴァスーラの自宅に到着しました。そこで彼女は、美しく家庭的な雰囲気の中で証しをしました。彼らは皆、真剣に耳を傾け、ガイドが彼女の証言を通訳しました。ヴァスーラはいつでも、私たちの主が求めることを分かち合う準備ができていました。彼女は自身の経験がどのように始まったのかを説明し、「神のうちの真のいのち」のメッセージの多くのテーマを明らかにしました。彼らはヴァスーラの話に引き込まれ、深く心を動かされました。

彼らの限られた時間が終わりを迎え、グループはまもなく出航するクルーズ船に戻らなければなりませんでした。私たちが贈り物として渡した本を手に、彼らは去っていきました。それは彼ら自身のためだけでなく、来られなかった同行者たちのためでもありました。自宅に残った私たちは、主がどのように働かれるのか、そしてヴァスーラが知らないうちに証しの機会を整えられたことに驚嘆しました。これがヴァスーラによる最後の証しとなりました。

テレザ・ペリ

イアヌッツィ神父の最近のコメント、時の終わりと免償について

2025年3月7日 in お知らせ

 

「状況が厳しくなると、告解できる司祭を見つけるのが難しくなるでしょう。」

時の終わりと免償に関するイアヌッツィ神父の最近のコメントが紹介されています。参考にしてください。

<和訳>

主をたたえよ、私の魂よ、私の中にあるすべてのものよ、主の聖なる御名をたたえよ。

「エブリシング・カトリック」にまたお越しいただき、本当にありがとうございます。このチャンネルをサポートしてくださって感謝しています。いつもここにいてくださる皆さんが、特に教会や聖人たちについて多くを学んでくださること願います。

今回の動画では、ジョセフ・イアヌッツィ神父のある動画を共有したいと思います。彼は「剣の預言」のようなものについて話しています。もしこれが一般の人やその話題について語る資格のない人から出たものだったら、おそらく共有することはなかったでしょう。しかし、イアヌッツィ神父は神秘神学を専門とし、このテーマについて教え、語る資格と権限を持っている方であるため、私は喜んでこの動画を皆さんに紹介したいと思います。どうぞお聴きください。


多くの皆さんが、現代の動向や、今日の教会と世界の霊的状況に敏感だと思います。時が非常に迫っています。私の意見では、もはや何年という単位ではなく、数か月の話です。私が時が近いと言う理由を強調するために、4つの情報源を挙げて説明します。

昨年9月に亡くなった神秘家が受けた「神のうちの真のいのち」のメッセージを思い出してください。2024年7月のイエスからのメッセージが公開され、そこで「これらの出来事が起こり始めるまで、あと一、二年しかない」と言われています。もちろん、これらの出来事は私たちが回心するかしないかに依存しています。私たちはそれらを完全に防ぐことはできません。それらは必ず起こります。しかし、私たちの回心次第で、それらを和らげたり、あるいは延期したりすることが可能です。

これが第一の例で、昨年7月に「あと一、二年」と言われたのです。また、ガラバンダルの聖母は4人の預言者たちに、これらの出来事が起こると告げました。空に警告のしるしが現れ、その後に「懲罰」が訪れると。そして、4人の教皇がさらに続く後に「時の終わりの始まり」が来ると言いました。「神のうちの真のいのち」でも、時の終わりの出来事が1~2年後に始まるとされています。ガラバンダルでは「この後4人の教皇の後に時の終わりが始まる」とあります。関連性が見えます。

今、教皇様は病院にいらっしゃいます。また、メジュゴリエでは、聖母が6人の預言者に告げられました。彼らが十の秘密を受け取った後、時の終わりの出来事が始まると。6人のうち5人は十の秘密を受け取り、1人は9つを受け取っています。あと一つの秘密が明かされれば、これらの出来事が始まるのです。その切迫性がわかりますね。

さらに、NASAが数年前に発表したことがあります。彼らは小惑星アポフィスを発見し、さらに別の天体も見つけたと。その一つが2029年4月13日金曜日に地球に衝突すると言いました。その後、ウェブサイトからその情報は削除され、「おそらく地球をかすめるだけだろうが、確信はない」と訂正されました(*訳注:現時点ではアポフィスの衝突可能性はないことが分かっている)。でも、今、二つの小天体が漂っていて、これらすべてが、私たちが「いつくしみの時代」のまさに終わりを迎えている兆候なのです。

イエスは聖ファウスティナに、「いつくしみの時代は終わりを迎え、私の義に道を譲る」と言われました。これは神学では「主の日」、聖書では神の怒りが現れる時として知られています。公認された預言の文書から、この「懲罰」が何を意味するのか、私たちがどう備えるべきかを知ることができます。四旬節とは、まさにこれらの時に備える方法についてのものです。これは私の神学的な意見で、間違っていることを願うものですが、私たちの前には、あと二回の、信頼できる「神のいつくしみの主日」があるだろうと思います。3回、4回、もしかしたら50回あるかもしれませんが。誰にもわかりません。ただ、私が見聞きしていることから判断すると、状況が厳しくなると、告解できる司祭を見つけるのが難しくなるでしょう。

ガラバンダルの聖母はこう言われました。「警告」が起こる時、それは空のしるしの前、懲罰の前ですが、状況が非常に悪化し、教会に行くことすらできなくなると。私たちはコロナ禍でその一部を経験しましたが、次はそれよりもずっとひどくなります。その「次」が何を意味するのかはわかりません。でも、教会にも行けなくなる期間が来るでしょう。だからこそ、私は「神のいつくしみの主日」をとても真剣に受け止めてほしいのです。それは復活祭後の最初の主日です。美しい機会です。なぜなら、東方教会と西方教会が同じ復活祭の日を一緒に祝うことはあまりないからです。そのため、この「神のいつくしみの主日」のゆるしを受ける人もいるでしょう。

「神のいつくしみの主日」は、復活祭後の最初の主日です。私は以前に人々に言いました。教会の「全免償」と「神のいつくしみ」の全免償には違いがあると。希望の聖年における教会の全免償と、神のいつくしみの祝日の全免償は別のものです。でも、神のいつくしみの主日は教会の全免償よりも特別で偉大です。なぜそう言うのか。教会が定める全免償には五つの条件が必要で、聖年の間は一日に一回の全免償が得られます。一方、神のいつくしみの主日には二つの条件しかありません。

教会の全免償は、過去の聖人たちが積み上げた恵みの宝庫から来ます。しかし、神のいつくしみの主日は、神のいつくしみの深みそのものから直接与えられるもので、聖人の宝庫からではありません。ここに違いがあります。教会の全免償で、すべての罪と罰の完全なゆるしを得るのは難しいのです。なぜなら、すべての罪からの完全な離脱が必要だからです。でも、神のいつくしみの全免償にはそれが求められません。

かつて1950年代、ピオ神父が悔い改めたある人に聞かれました。彼は一群の人々を連れて、聖フランシスコが教会を建て始めた場所へ行ったのです。聖フランシスコは主の言葉「私の教会を再建しなさい」を文字通り受け取り、実際に建て始めましたが、それが意図したものではないと気づき、やめて亡くなりました。毎年そこを訪れる人々には教会から全免償が与えられます。聖フランシスコの祝日に簡単に行けますね。1950年代、数千人の魂がそこへ行き、その悔い改めた人がピオ神父に「何人が全免償を受けましたか」と尋ねました。ピオ神父は手を挙げて二本の指を示しました。人々は驚きました。「みんなくれたんじゃないんですか?」と聞くと、彼は「免償は得たが、完全ではなかった。すべての罪から完全に離れていなかったからだ」と言いました。でも、神のいつくしみの祝日にはそれが必要ありません。必要なのは痛悔だけです。

痛悔は、恐れ(不完全な痛悔)とは違います。恐れは地獄への恐怖でしかありませんが、痛悔は神への愛を証明する決意を伴います。イスカリオテのユダには恐れだけがあって、悔恨の心がありませんでした。教会は、恐れだけでは大罪はゆるされず、小罪しかゆるされないと教えています。悔恨は神への愛であり、それが大罪をゆるします。神への愛があるかどうかは、決意によってわかります。ユダは決意をしませんでした。彼は恐れていましたが、聖ペテロのように「ごめんなさい、もうしません」とは言いませんでした。だからこそ、この神のいつくしみの祝日を最大限に活用することがとても大切だと思います。

英隆一朗神父(イエズス会)による四旬節黙想会

2025年3月2日 in お知らせ