ヨキエル神父様の紹介

ヨキエル神父様は、1925年6月26日にドイツのシュレイゼンで誕生しました。生後20日目に洗礼を受けました。シュレイゼンは地理的に東ドイツですが、オランダとポーランドに接していて、現在はポーランド領になっています。父ルドルフと母マリアの長男として生まれました。6人兄弟で、下に3人の妹、2人の弟がいます。父は新聞記者でしたので、度々引っ越しました。

学校は小学校が4年(中学がなくて)高校が8年でした。高校は本来は9年ですが、第2次世界大戦が始まったので、8年で卒業しました。

名前はハインリッヒ(ドイツの聖人)・ヨハネ(洗礼者)・コンドラッド(ドイツの聖人)・ヨキエルです。長いので、ハインリッヒ・ヨキエルが通称名です。

子供時代は本が好きでした。ピノキオが愛読書でした。機械が好きだったので、将来は機関車の運転手になるか、叔父が神父だったので司祭になることが夢でした。夏休みには2000キロ離れた叔父の教会に行きました。戦争が始まったので、18歳で高校を卒業すると兵隊になりました。兵役を2年間務めましたが、実際の戦闘は半年でした。ロシアと戦いました。戦車部隊にいましたが、戦車の中で、左側にいたときは、右側の兵隊が戦死し、右側にいたときは、左側の兵隊が戦死しました。また、ロシア軍に囲まれてロシアの捕虜収容所に入れられましたが、怪我人だけは船でドイツに帰ることが出来ました。ヨキエル神父も銃で打たれ怪我をしたので、ドイツに帰ることが出来ました。今でも銃の鉄の破片が右腕と背中に残っています。幸い痛くはありませんが、レントゲンで今も確認できます。

高校では外国語を習いましたが、ラテン語を8年間、ギリシャ語を6年間、英語を4年間学びました。(ラテン後は神学校で役に立ち、ギリシャ語は聖書理解に役に立ち、英語はコミュニケーションに役に立ったと思われます。)両親が子供たちのために日記を書き、写真もそこに入れていましたが、戦争のとき、自宅はロシアに火をつけられて焼かれてしまいました。写真は残っていません。

叔父は西ドイツのアルプスに近いところの教会の司祭でした。家の近くに聖霊会修道院がありました。そこで初聖体を受け、侍者をしました。聖霊会修道院では度々、宣教師がミサをしましたので、宣教地に興味を持ちました。11歳の時、神言会修道院の学校に入るか? 普通の高校に行くか? と考えましたが、その時は宣教師になる自信がなかったので、普通の高校に行きました。ところが、ナチが教会に関係のある学校を閉鎖したので、その神言会の修道会の学校は閉鎖されてしまいました。ナチは宗教の時間も制限しました。一人の神父がある修道院の地下室で聖書を教えたので、そこで学びました。教会にも青年のグループを作ったのでそこに行きました。

そこの地下室には、ポーランドの黒い聖母(チェンストホヴァの聖母)のレプリカがありました。どうして黒い聖母になったかというと、ローソクの煙で黒くなったのです。モンゴルのジンギスカンがドイツに侵攻したとき、モンゴルの兵隊が聖母像の顔に2ヶ所キズを付けました。レプリカですので、顔に2ヶ所のキズもついていました。

戦後、生きてドイツに帰れましたが、そこでも収容所に入れられました。40万人近い兵隊が収容所にいました。一番先に収容所を出られたのは百姓でした。2番目に解放されたのは、神学生でした。そこで神学生になる決意をして手をあげました。収容所にいたのは4週間でした。イエズス会に入会したのは、叔父が百科辞典を持っていたので、いろいろな修道会を調べました。イエズス会の仕事は、教会、宣教地、学校、黙想指導などいろいろあり良いと思いました。ドイツで司祭として働こうと最初は思っていましたが、宣教地に行きたいと思うようになりました。ドイツの神学校で2年間、哲学を3年間学んだあと、総長にラテン語で「わたしを日本に送ってください」と手紙を書きました。日本は戦前は宣教が大変難しいと聞いていましたが、戦後は自由になっていました。アフリカにも宣教地がありましたが、アフリカは暑いだろうと思い選ばなかったのです。アフリカに行った神学生は殺されました。アフリカに行っていたら、殺されていたかもしれません。

日本では2年間横須賀の栄光学園で日本語を学びました。20か国から神学生が来ていました。(アメリカ・スペイン・ポーランド・フランス・ドイツなど)

その後1年間、神戸の六甲学園で学びました。また1年間鳥取県米子教会にいました。管区長に日本で神学を勉強したいと頼みました。この上石神井の神学院の1期生となり、日本人の神学生と共に学びましたが、日本語ではなくラテン語でした。ここで4年間神学を学びました。

その後1年間の修練を経て、司祭に叙階されました。(10年間かかったのでしょうか。間に日本語学習等4年間もありますね)

広島県の長束修道院で働きました。その後、管区長にエリザベト音楽大学に行くように言われました。音楽大学ではお金集めのためにドイツに行くように言われ、ドイツを周りました。父が手伝ってくれました。日本についてのスライド、広島についてのスライドを見せ、帽子にお金を入れてもらいました。

その後、教会で働きました。鳥取県米子教会、山口県下関の長府教会、広島県三原教会、大分県、長崎県など。

その後ローマのイエズス会本部で総長アルペ神父の秘書をしました。ラテン語や英語を使いました。その後長崎に戻って働いた後、今から15年前、2005年に77歳で上石神井の修道院に来ました。(現在は92歳でおられます)

この間、40代くらいから皮膚がんや大腸がんなど大小あわせて5回手術をしました。現在は癌はありません。(現在は心臓にペースメーカーを入れておられ、目があまり見えません)

大分では犬を飼っていました。(犬がお好きなようです)大分にいたころ、海の見えるところで車の運転をしていて、疲れを感じたので、少し休もうと思って、車を停めようとしたのですが、そこは川の近くで橋でした。川に車ごと突っ込み、車が逆さまになりました。車から出ることもできず、水が上がってきて、意識も失いました。そこへ気づいた人が警察を呼び、警察が車を引き揚げてくれました。救急車で病院に運ばれましたが、肋骨を折っていました。その警察官は信者の方でした。

戦争の時も、事故の時も、病気の時も、神様がいつも守って下さっていました。守護の天使の働きは大きいです。

2018年2月20日に、上記をヨキエル神父様(当時92歳)に質問しお答えいただきました。

文責 小松 多佳子

神様は私たちがヨキエル神父様にお会いでき、ミサやお説教や、ゆるしの秘跡で霊的に栄養を与えてくだされるように、戦争や事故や病気による度々の命の危険から守り、おはからいくださっていたのだと思います。ヨキエル神父様、私たちのために、疲れを知らないお働きをありがとうございます。ヨキエル神父様を私たちにつかわしてくださった主よ、あなたに賛美と感謝をおささげします。

また、来月続きをお聞きする予定です。

ヨキエル神父様の紹介 続
               イエズス会修道院にて  2018年3月20日

①子供時代から青年時代にかけての懐かしい思い出はありますか?

叔父が神父だったので夏休みに叔父の教会に行った。叔父が湖でボートに帆をつけて船にした。また、アルプスの山に登山をした。昔カトリックの青年会で両親が出会った。カトリックとドイツの文化が融合したものだった。アルコールとニコチンを使わない会だった。その同じ青年会に加わりキャンプや遠足、ワンダーフォーゲル、スライドなどで楽しんだ。

②神様との出会いはどのようなものでしたか?

子供の時から、家族で食事の前後、また、朝と晩にランプを点けて夕方の祈りをした。信仰が自然と入った。イエズス会に入って修練生のとき、午前に1時間の黙想、午後に30分の黙想をした。聖書を読んで黙想した。イグナチオの霊操をした。考えて、反省して、終わりに神と聖母と聖人と会話をした。北九州でプロテスタントの牧師と出会った。自分の言葉で祈った。これは後にカトリックの共同祈願に繋がる。祈祷書を使って祈るのは良いことだが、私たちが心から神に話すとき、心だけあれば良い。心から祈れるように、望み、探し、求めると良い。そのことを神が望んでいる。私たちが心から神を礼拝し、神に感謝し、神を愛することを神は望んでいる。

あるとき、一か月の黙想が終わり、林の中にいた。喜びが心から湧いてきた。よく説明できないが、神と近いと感じ、今死んでも良いと感じた。神との近さ、慰めを感じた。慰めの反対はすさみ。神を感じることが出来ないこと、リジューの聖テレジアやマザーテレサにはこの状態があった。そのとき、神は人の心の温かさをもって他の人を救う。私たちの良い言葉、良い行い、良い心を使って他の人を救う。神と一致している共同体の中で、煉獄の霊魂を助ける。彼らの苦しみを小さくする。愛があれば、イエスが人々を助ける。新しい時代が来る。もっと多くの人が祈れば、愛すれば、変化が起きる。良い人によって、イエスが人々を救い、イエスの傷も癒す。

今の時代は眠っている。良い人が増えれば、全世界は良い世界になる。神を第一にしないと、悪魔が影響を及ぼす。このことは神を傷つける。私たちがもっと祈れば、愛すれば、教会は一つになる。イエスにとって教会は一つ、洗礼は一つ。世界にも影響を及ぼす。世の終わりの前にイエスが来る。イエスが来るのは愛として来る。愛は心を一つにして同じことを感じて、皆を一つにしたい。天国ではキリストを着る。一致している。

この世は大事ではない。大事なことは神と一致すること。(この世を大事にすると神を忘れる)愛の心で家事や仕事をすれば、それは祈りになる。人間には自由意思がある。神は強制しない。教会で互いに励まし合い、賛美し、話し合い、良いことも悪いこともつながっている。神のみ心と一致する努力がいる。イエスを知って欲しい。死ぬ前に死って欲しい。今、生きているイエスを味わう。聖体拝領でイエスを食べる、飲む。

ご聖体拝領はイエスと一致すること。心を込めてイエスをいただくと、イエスにとって大きな喜び。神は私たちを猛烈に愛している。神は私たちの愛が欲しい。親しさが欲しい。