メッセージの紹介
神がこのメッセージの中で語ってくださる時、そこには常に神の与えてくださる希望の響きが感じられます。確かに神は何度も私たちを叱責されますが、それは私たちの父親だからであって、どんな父親でも自分の子どもが間違ったことをしていれば叱ってくれるのと同じです。天の御父もそうなさるのです。しかし天の御父は愛そのものでいらっしゃるので、愛をもって叱責されます。また愛ゆえに私たちを創造されました。それは私たちもまたその愛を御父にお返しするためなのです。
このメッセージには神の被造物に対する親密なイメージが啓示されており、神は私たちの側からも一人ひとり個人的に神との親密な関係を持ち、神を知るようになることを求めておられます。しかしその親密さと共に、神は、ご自身が聖なる御方であることを決して忘れてはならないともおっしゃられます。それは私たちが「神への畏敬」を実践するためなのです。
このメッセージは、自分自身の本当の礎に立ち戻るようにという私たちへの呼び掛けであり、みことばと神の存在を思い起こさせるものです。神ご自身がヴァスーラにこうおっしゃいました。
「このメッセージは人々を騒ぎに巻き込むためではなく、霊魂の深刻な現況と回心の緊急性、また人生を変えるべき重要性に人々が気付き、聖なる生き方をさせるために与えたものである」
キリストはこのメッセージにおいて、キリスト教の諸教会が一致することを懇願しておられ、特に復活祭の日取りを一致させるよう求めておられます。また聖パウロが新約聖書『テサロニケの信徒への手紙二』の第二章で、私たちの時代における激しい反逆の霊について予告しているとおり、メッセージの多くの箇所で非常に大きな棄教について言及されています。この反逆の霊は今や煙のように教会内に浸透し、カトリックの司教、司祭にまで影響を与え、中には自らの牧者(ローマ教皇)に反旗をひるがえす人々まで現れる事態に及んでいます。キリストはこれらの人々がローマ教皇に忠実であり続けるよう呼び掛けておられます。とはいえ、今や悪に対する勝利は遠くありません。二つのみ心(イエスの聖心とマリアの汚れなき御心)がこの悪に勝利するでしょう。
またこのメッセージは、神性におけるキリストの現存と、ご聖体におけるキリストの現存を私たちが悟り、マリアを神の母として理解することを呼び掛けています。聖霊について言及している箇所は五千箇所に及び、聖霊の働きについて深い教えが述べられています。
また神はロシアの教会についても預言的なメッセージを啓示され、ロシアが他のどの国々にも増してキリストの栄光をたたえる国となり、霊的に多くの国々の頭となるであろうとも述べておられます。しかしメッセージの中で私たちが最も驚かされることは、私たちに示されている神の優しさであり、神の計り知れない善意と慈しみです。神についての表現はキリストのこの言葉の中にうまくまとめられています。「私の父は王でありながら、とても母親的である。裁き主でありながら、非常に思いやり深く愛にあふれている。アルファでありオメガでありながら、非常に柔和である」
神はこのメッセージにおいて、私たちの中で死んでしまったものを生き返らせようとしておられます。だからこそ聖霊を私たちの上に注いで神に立ち帰らせ、神のうちにある真のいのちを生きるように導いておられるのです。神は、間もなく人類に対して、歴史上かつてない程に聖霊を注ぎ、地上全体を変容させると約束しておられます。これこそが私たち皆が探し求めている希望です。
またこのメッセージの中には、イエス・キリストによって新約聖書の『ヨハネの黙示録』や旧約聖書の『ダニエル書』の多くの内容について開示されているところが出てきます。
なぜ今の時代に、神がこれほど力強くご自身を再び啓示しておられるのでしょうか。それは私たちを救うためでなくて何でしょう? 主はメッセージの中でこう語っておられます。
「私は今日、地上に目を注ぐが、見なければ良かったと思う……決して見たくなかったものが目に入り、聞くも恐ろしいことが私の耳に入ってくる! 父として、私の心は悲しみに打ち沈んでいる。私は人を私の似姿に形造ったが、人びとは自らを堕落させ、今日、何と多くの者が野獣(悪魔)の似姿を呈していることか! 地の果てまで見渡しても、見えてくるものは私の心が切望しているようにはなっておらず、私の心は痛む……あなたたちの父は全てを支配している、だが、あなたたちの自由だけは違う、人はその自由を悪用している……」
このため、私たちの創造主であられる神は、この時代に再び介入しなければならないのです。
二つのみ心のうちに
ヴァスーラ