ロシア・モスクワ巡礼 テオフィロ・ロドリゲス神父のスピーチ

ロシア・モスクワ巡礼 テオフィロ・ロドリゲス神父のスピーチ

テオフィロ・ロドリゲス神父
神の慈しみにおけるイエスとマリアのみ心修道会
創設者、修道院長

イエスとマリアの平和と喜びが皆さまにありますように!

イエスとマリアのみ心のうちに、最も親愛なる兄弟姉妹の皆さまへ

私たちの分裂にどのように橋を架け、世に平和をもたらすべきかというテーマについていくつかの提案を求められましたので、私はヨハネの福音書14章22節~31節に書かれているユダ・タダイ(イスカリオテでない方のユダ)に対するイエスのお答えに基づきながら、五つの重要なポイントにまとめてみたいと思います。

「私を愛する人は、私の言葉を守る。私の父はその人を愛され、父と私とはその人のところに行き、一緒に住む。私を愛さない者は、私の言葉を守らない。あなた方が聞いている言葉は私のものではなく、私をお遣わしになった父のものである」
「私はあなた方といたときに、これらのことを話した。しかし、弁護者、すなわち、父が私の名によってお遣わしになる聖霊が、あなた方に全てのことを教え、私が話したことをことごとく思い起こさせてくださる」
「私は、平和をあなた方に残し、私の平和を与える。私はこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな。おびえるな。『私は去って行くが、また、あなた方のところへ戻って来る』と言ったのをあなた方は聞いた。私を愛しているなら、私が父のもとに行くのを喜んでくれるはずだ。父は私よりも偉大な方だからである。事が起こったときに、あなた方が信じるようにと、今、その事の起こる前に話しておく。もはや、あなた方と多くを語るまい。世の支配者が来るからである。だが、彼は私をどうすることもできない。私が父を愛し、父がお命じになったとおりに行っていることを、世は知るべきである。」
「さあ、立て。ここから出掛けよう」(ヨハネ14・23―31)

私見ですが、この箇所には、分裂を克服し、世に平和をもたらす五つの重要なポイントが含まれていると思います。五つのポイントとは:

1. 愛することと、みことばを守ること。
2. 神は、あなたや私のうちに、私たちのうちに、住まわれたいこと。
3. 聖霊が教え、キリストの約束を思い起こさせてくださること。
4. 真の平和はキリストのみから来ること。
5. 世の君は、イエス・キリストに対して何の力もないこと。

これらのポイントを一つずつ少し発展させていきましょう。そして、ここロシアで開かれたこの巡礼を、同じ父を持ち、予告された時の終わりの使徒であり、聖霊の証し人であり、イエスの至聖なるとマリアの汚れなきみ心による勝利の証し人である私たちの、偉大な一致の予示的表明といたしましょう。

1.愛することと、みことばを守ること
主のお考えにおいて、「愛する」とは守ることであり、同時に従うことです。「愛しています」と神に告げるだけでは十分ではありません。愛は従順によって、また、みことばを心を込めて遂行することによって証明されるのです。
今年2017年は、ファティマの聖母ご出現百周年を記念する年ですので、私たちは皆「わが過失なり」(Mea Culpa メア・クルパ)と言わなければなりません。なぜなら、もし私たちが聖母のメッセージに従ってさえいたなら、第二次世界大戦は起きなかったでしょうし、共産主義のイデオロギーも生まれなかったでしょうから。更に、今日現れてきた思想で、フランシスコ教皇が悪魔的であるとおっしゃった、ジェンダー・イデオロギー(性に関する思想)も生まれなかったでしょう。

聖母は一つひとつのご出現において、幼い牧童たちに世界の平和と救いのためにロザリオを祈りなさいと願われました。聖母が繰り返し強く求められたことはとても印象的です。

2.神は、あなたや私のうちに、私たちのうちに、住まわれたい
私たちのうちにとどまり、住まわれたいという主のお望みが明示されている箇所は、聖書全体にあふれています。表現は違っても、意味は同じです。例えば、家、住む所、神殿、部屋、契りを結ぶ……等の言葉に表されています。

雅歌1・4
「お誘いください、私を。急ぎましょう、王様。私をお部屋に伴ってください。私たちもあなたと共に喜び祝います。ぶどう酒にもまさるあなたの愛をたたえます。人は皆、ひたすらあなたをお慕いします」
イザヤ32・18
「わが民は平和の住みか、安らかな宿。憂いなき休息の場所に住まう」
ホセア2・21―22
「私は、あなたととこしえの契りを結ぶ。私は、あなたと契りを結び、正義と公平を与え、慈しみあわれむ。私はあなたとまことの契りを結ぶ。あなたは主を知るようになる」

フランシスコ教皇は、2016年10月2日にアゼルバイジャンで開かれた宗教間対話の会議において次のように宣言されました。「善を見分けることを助ける宗教、また、行いや祈りや内面的生活を深める努力を通して善を実践する宗教は、出会いと平和の文化を築くよう呼ばれています。それは忍耐と理解、謙遜、そして具体的な歩みに基づいています。それこそが人間社会に最善に仕える道なのです。その部分において、人間社会は常に、宗教的要素を巧みに利用してしまう誘惑に打ち勝たなければなりません。宗教は決して道具となってはなりません。争いや不和を支持したり是認したりすることに手を貸してはならないのです」

このポイントについては、神の霊から与えられた1995年4月3日の預言的メッセージを思い出さずに終わりたくありません。「私の聖霊が上から、いと高き天から、あなたたち皆に注がれる時、新しい天が与えられる。そしてあなたたちの霊魂によって天が築かれ、この新しい天で私の栄光がたたえられるであろう」(『神のうちのまこと のいのち』より)

ファティマにご出現になった聖母が、1929年6月13日、スペインのトゥイの修道院でルチアに求められたことは、聖母の汚れなきみ心に全世界を奉献することでしたが、その時ロシアについて特別に触れられました。そして教皇は全世界の司教たちと一致して世界を奉献したのです。

ファティマは新しい時代に向けて扉を開きました。それは聖マリアの汚れなきみ心の時代です。神への不従順は、プライドの所産であり、悪魔自身によって増大していきます。悪魔は謙遜することを知らないからです。
ヴァスーラは、1987年6月2日に主から一つの使命を受け、それが多くの苦しみを産みましたが、それはイエスの最も深い望みであり、ヨハネの福音書17・21に現れています。

「父よ、あなたが私のうちにおられ、私があなたのうちにいるように、全ての人を一つにしてください。彼らも私たちのうちにいるようにしてください。そうすれば、世は、あなたが私をお遣わしになったことを、信じるようになります」

三本の鉄の棒が互いに接近して直立していたビジョンにおいて、三本の棒はそれぞれローマ・カトリック教会、プロテスタント教会、東方正教会を表していました。この三つに分かれたキリスト教派は、従順することに抵抗していますが、聖霊の火を通して互いにみ、一致に達するでしょう。

主は言われました。「一致するためには、皆が屈まなければならない。あなたたち全員が柔らかくなることによって、自らすすんで屈む必要がある。屈まずして、どうやって彼らの頭(教会の権威)が出会うことができるだろうか?」(『天国は現実、しかし地獄も現実』p.120)

3.聖霊が教え、キリストの約束を思い起こさせてくださる

ファティマの第三の秘密は、2000年5月23日に聖ヨハネ・パウロ二世によって公表されました。
シスター・ルチアは1944年1月3日、従順のうちにこのように書いています。

「二つの秘密については既に説明しましたが、聖母がその二つの秘密を語られた後、私たちは、聖母の左側の少し上の方に、炎のような剣を左手に持った天使を見たのです。ぱっと炎が噴き上がり、まるで全世界に火が放たれるかのようでした。ところが、聖母の右手からその天使に向けて発せられる壮麗な光の輝きに応じるかのように、炎は消滅してしまいました。すると天使は右手で地を指しながら、大声で「償い、償い、償い!」と叫んだのです。そして私たちは巨大な光の中に、その光とは神でしたが、その光の中に、人の姿を見たのです。ちょうど“鏡の前を通り過ぎる人の姿がその鏡に映るように”見えたのですが、白い衣を着た司教様でした。教皇様のような印象を持ちました。そして他の司教様たちや神父様たち、また男女の修道者たちが、険しい山を登っておられ、その山の頂上に、樹皮の付いたコルクのような木でできた、荒削りの大きな十字架が見えたのです。頂上にたどり着くまでの間、教皇様は、半ば廃虚となった大都市を、半ば足を震わせながら立ち止まりながら通り過ぎ、痛みと悲しみに苦しまれながら、途上で目にする遺体の霊魂のために祈っておられました。山の頂上にたどり着くと、教皇様は大きな十字架の下にひざをついて倒れられました。兵士の一団が銃弾と矢を放って教皇様を殺したのです。そして司教様たちや神父様たちも、男女の修道者たちも、また様々な立場の一般信徒たちも皆同じように次々と亡くなったのです。大きな十字架の二つの袖の真下には、二人の天使がそれぞれ水晶でできた聖水盤を手に持って立ち、殉教者たちの血をその聖水盤に集めて、神に向かって歩んだ霊魂たちの上に振りかけていました」

2017年5月13日、フランシスコ教皇はファティマに訪問した際に、聖母のご像の前で次のような祈りを公表しました。

「百年前、あなたが神の慈しみにおけるあらゆるご意向を知らせてくださったこの地において、あなたの光の衣を見つめながら、私は白い衣を着た司教の一人として、この人々を思い浮かべます。洗礼という光り輝く衣に包まれ、平和を獲得するために神のうちに生き、キリストの神秘を語ることを熱望する全ての人々のことを」

4.真の平和はキリストのみから来る

「これらのことを話したのは、あなたがたが私によって平和を得るためである。あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい! 私は既に世に勝っている」(ヨハネ16・33)

ファティマのルチアは聖母の三度目のご出現について記憶していることを書き、地獄について語っています。
「あなたたちはあわれな罪人たちが行く地獄を見ました。この人々を救うために、神は私の汚れなき心に対する信心を打ち立てたいと願っておられます。私の言うことが成し遂げられるなら、多くの霊魂は救われ、平和が訪れるでしょう」

「この戦争は終わります。けれども人々が神に背くことをやめないなら、教皇ピオ十一世の在任中にもっとひどい戦争が起きるでしょう。夜が未知の光に照らされるのを見たら、神が罪の世を今にも罰そうとされる大きなしるしであると知りなさい。それは戦争、飢饉、また、教会や教皇への迫害という形で現れるでしょう」

「これを防ぐために、私はロシアを私の汚れなき心に奉献するよう、そして毎月第一土曜日に償いのために聖体拝領をするよう頼みに来るでしょう。私のこの要求に心を留めるなら、ロシアは回心し、平和が訪れます。もし留めないなら、ロシアは世界中に自らの過ちを拡散し、戦争を起こし、教会を迫害するでしょう」
私たちは忠実の誓いを新たにしなければなりません。そうすれば平和が広がっていくでしょう。
1992年9月17日、私たちの主はこう言われました。

「私の心は穏やかで謙遜であり、あなたたちの心のうちにある全てのことを知っている。だから私の霊に求めなさい。そうすれば私の霊があなたたちを助けに来る。聖霊が今あなたたちにこの祈りを唱えるよう求めている。

『イエスよ、死も命も、天使も君主も、現在のものも、未来のものも、どのような力も、どのような高さも深さも、またどのような被造物も、あなたから私を引き離すことは決してできません。あなたに忠実であり続けることを誓います。これは私の心からの誓いです。この誓いを永遠に守ることができますよう助けてください。アーメン』(『神のうちのまこと のいのち』より)

5.この世の君は、イエス・キリストに対して何の力もない

「私が神の指で悪霊を追い出しているのであれば、神の国はあなたたちのところに来ているのだ。」(ルカ11・20)
ファティマの秘密の最後の部分は既に公表されていますが、悪霊に対する神の最も厳かな勝利宣言であり、それは「最後には私の汚れなき心が勝利を収めるでしょう」というものです。
キリスト教会は、その存在の初めから、絶え間ない迫害と殉教、教会内外からの攻撃の連続に遭ってきました。けれども私たちの主のみことばは勝利するのです。「私も言っておく。あなたはペトロ。私はこの岩の上に私の教会を建てる。の力もこれに対抗できない」(マタイ16・18)

ファティマ一世紀を記念し、私たちの愛するロシアから、イエスとマリアのみ心による全世界の人々の平和と一致の勝利を宣言したいと思います。アーメン。アーメン。

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注:スピーチの原文(英文)に使用された聖書のみことばは、Christian Standard BibleもしくはNew International Versionから引用されています。(なお、日本語訳は新共同訳聖書から引用しています)また、フランシスコ教皇とシスター・ルチアの言葉は、一般に公開された英語訳の諸文献から引用しました。