ロシア・モスクワ巡礼 ヴァスーラの最後のスピーチ
もしも、人々が神の祈りへの呼び掛けに真剣に耳を傾けたなら、男も女もすでに聖人になっていたでしょう。もし人が、主が求めておられるように、教会間の多様性における一致を受け入れ、実践したなら、イエスの御父への祈り(父よ、彼らが一つになりますように)が成就する希望があります。私たち一人ひとりのために『神のうちの
そして、私たちが言葉に表せない恵みといつくしみの時を生きており、神が被造物を全力で新しくしておられることを誰もが理解したなら、私たちは昼も夜も絶え間なく神を賛美し、私たちの心は熱意で燃えさかるかまどへと変えられるでしょう!
いにしえの預言者たちから学びましょう、神自身と神のご意向を最初に置くことによって、彼らがどのようにして自己放棄と自己否定を学んだかを。彼らは自分のエゴと、自分の意志を脱ぎ捨てることを学んだのです。
今日、くじけない勇気を神に願い求めて、正義の戦士となりましょう、私たちの熱意と神への愛が、善と神の栄光へと向けられるように。私たちは弱いかもしれませんが、神は、私たちをその強さのうちに支えてくださいます。それは簡単なことではないかもしれません、しかし私たちの戦いにおいて、神に信頼を置くことができます。神はどのようにして耐え抜き、神に栄光を帰すことによって私たちの使命を完遂するかを教えてくださるでしょう。
神があらゆる現世的なものから私たちを引きはがし、神ご自身の聖なる似姿を私たちのうちに刻みこんでくださるようにしなければなりません。私たちを苦しめるものは厳しいかもしれませんが、私たちは破れることも圧倒されることもありません。むしろ、彼らは私たちの存在に縮み上がるでしょう。私たちが霊において貧しければ、知恵によって私たちを照らす神の光をもって、神が私たちのうちに侵入される余地を与えます。私たちのみじめさと無力さのうちに、神は私たちに、神のみ言葉を運ぶ霊の気高さを与えてくださるでしょう。
ですから、世が私たちに与える心地よさと自己満足から逃れ、自分自身の外に張ったこの快適なまゆを破り、手かせ足かせを破って、自分自身を解放しましょう。いにしえの預言者たちが受けたものを得るために。そうするなら、私たちの心の扉の外におられ、この長い年月の間ずっとドアを叩いておられた方がどなたであったかを理解し、私たちの霊魂は改悛の涙の泉へと変わるでしょう。
イエスはある日、こう言われました。「どんなことがあっても失望してはならない、もし直ちに平和が訪れないとしても、一国は一日にしてならずと聞いたことがあるのではないか? あなたたちの祈りが神に届いた時、地が新鮮なものを育てるように、庭園が種を芽吹かせるように、あなたの創造主も、あらゆる国々の眼前に、完全さと平和を芽吹かせるだろう」
一本の木にまつわる短い例えをご紹介して、私のお話を終わりにしたいと思います。「もし根っこが聖であるなら、その木のすべての枝は聖である。枝のいくつかが切り落とされたのは疑いない、オレア・アフリカーナの苗木のように、他者とその木から来る豊かな樹液を分かち合うために、お前は接ぎ木されたのだ。だが、お前が未だに自分は他の枝に勝ると考えるなら、お前が根を支えているのではないことを思い出すがよい。根がお前を支えているのだ。この根とは神である」
ですから、平和と一致を守るために、私たち全員に重要な役割があるだけではなく、義務もあるのです。私たちの努力によって、平和を実現する日が来るであろうことを心から願っています。私たちが目指している平和、神が私たちに望まれている平和、そして、私たちがいつか、お互いに対して心からこう言える平和です。「私の兄弟、私の姉妹よ」。