ギャヴィン・アシェンデン主教──なぜ私はカトリックになったか(参考記事)

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*ギャヴィン・アシェンデン主教は国際的に著名な聖公会の聖職者であり、古くからのメッセージの読者で、巡礼にもほぼ毎回参加されています。この記事はカトリックへの改宗についてのもので、カトリック教会の護教的な内容を含んでいますが、『神のうちのまこと のいのち』のメッセージは、特定の教派への改宗を勧めるものではありません。改宗は個人が自由な意志で行うものです。しかしながら、この記事は、ヨーロッパの社会や教会で何が起こっているのか、「共産主義の復興」とはどういうことか、その他のことについて多くを示唆しているため、参考のために全文を訳出しました。

ギャヴィン・アシェンデン主教

80年代初期、聖公会の若手司祭として、私は密輸人となった。聖書と本と薬を奪われた正教徒とカトリック信徒たちのために、それらの全てを持って「鉄のカーテン」をくぐったのである。

プラハへの私の旅は、とくに、カトリックの地下神学校に神学書を供給するために、それらを積んだスーツケースを持って行くことに関連していた。国の統制下にあったカトリック教会で叙階が禁止される中、司祭たちを養成し、叙階し続けることを可能とするためである。地下カトリック教会は、全体主義に対するイデオロギー的な代替として活動していた唯一の組織だった。

1989年にベルリンの壁が崩壊した時、これはマルクス主義の終焉だと私は考えた。だが私も、他の多くの人々も間違っていた。チェコスロバキアでの地下カトリック教会における経験が、私を真実の霊的な家へと導く触媒として働くことになるとは思いもよらなかった。

マルクス主義は戻ってきた。しかし違う形で。マルクス主義2.0と呼んでもよいかもしれないもの、文化的マルクス主義、あるいは新マルクス主義として。これが、政治的公正さ(ポリティカル・コレクトネス)への苛立ちとして多くの人々に知られているものを駆動する動力なのだ。これは単なる苛立ち以上のものである。これは、自由民主主義とキリスト教会に対する新たな脅威なのだ。

キリスト教信仰に対する差別と、メディアや職場、公共の場におけるキリスト者の声を封じる試みが、最近始まっている。職場において十字架をつけることに対して反対するキャンペーンとして始まったものが、キリスト者たちをメディアや政治、公務から排除する段階にまでギアを上げたのだ。

25年間にわたって、私は聖公会の最も進歩的な大学の一つで、司祭として、また教員として働き、宗教心理学を教えてきた。私は進歩的な理念の支持者となったが、次第に不安を感じるようになった。進歩的な価値体系の背後に、思想犯罪の導入と言論の自由の破壊という、互いに関連する双子の悪を促進しようとする新たな決意が存在していたからだ。

大学の文化は、外の世界での生活よりも10年から15年は先を行っている(またはかつてはそうだった)。この信仰に対する世俗的「十字軍」が、すぐに私たち自由民主主義社会の至る所に広がるであろうこと、言論の自由、信仰の自由、宣教と礼拝の自由が危機に瀕していることを私は悟った。

どの世代にあっても、キリスト教はそれをとりまく文化を転向させるか、あるいはその文化によって転向させられるかのどちらかでなければならない。西洋の歴史とはこの戦いの歴史だった。

聖公会信徒として、私は自分の信仰を広教会(聖公会において、信仰箇条や礼拝規定を広く解釈する自由主義の立場をいう用語)において理解するという強みを持っていると、しばらくの間は信じていた。だがそれは、聖公会がますます強烈になる世俗文化の妥協なき要求に、突然降伏し始めるまでのことだった。

聖公会が内的な品位の崩壊に苦しみ、世俗社会のポスト・キリスト教文化への転落を大量に飲み込むのを私は見た。

なによりもまず、「愛」の再定義である。これは自己犠牲的な慈悲心の価値を、ますます自己に陶酔していく(ナルシシズム)文化に置きかえる。それは物の見方を狭い範囲に集中させ、力による階級、つまり力の再分配といわゆる特権階級というレンズを通してのみ、人類を理解するように視野を制限する。

文化的な複雑さという領域の複雑さに直面し、マルクス主義的な「結果の平等」の追求に突き動かされて、聖公会はキリスト教的な批評を提供する代わりに、それを大量に飲み込んでしまった。非常に多くの自由主義プロテスタント教会がそうしたように。このキリスト教文化の解体に対抗する代わりに、懐柔しようとしてしまったのである。

西洋の全教会がこれと同じ試練に直面している。友人の何人かは私に、カトリックの柵の中に入ったところで、もっと青い牧草を見つけることはないだろうと警告した。もちろんそうだ。カトリック教会も全く同じ、霊的、文化的、政治的な危機に直面している。しかし、巡礼とは安楽を求めるものではなく、真理と誠実さを求めるものなのだ。

特に三つのことが、私をカトリック教会へと導いた。

第一のものは、1963年のガラバンダルにおける聖母マリアと子供たちとの遭遇についての調査である(これはまだ聖座によって承認されていない)。私は友人の児童心理学者と一緒に、好奇と疑いの目で、ガラバンダルの聖母出現の記録映像を見た。友人はこう言った。『この子たちに何が起きていたにしろ、基本的に本物だ。なぜなら、子供が脱魂状態を偽ることはあり得ないからだ』

私はそこから、3世紀のグレゴリオス・タウマトゥルゴスに始まり、1968年のカイロのゼイトゥンに至るまでの聖母出現の全歴史と、もちろん現在も起きていることを発見した。これは非常に説得力があるものだ。このような環境が、カトリック教会の聖母出現の専門家、ルネ・ローランタン師との友情へと私を導いた。そして私の神学的視点はロザリオに深く依存することで開花した。興味深いことに、これは好ましからざる形而上学的な(高度に抽象的な)悪の訪れを伴うもので、それはロザリオを通してのみ克服できるものだった。

二つ目は聖体の奇跡の発見である。聖体の奇跡が聖公会版の聖体祭儀を行う人々の間で知られていないという事実は、明らかに言外の意味を含んでいる。

ミサが本物のミサである教会共同体に属するということは、これ以上ない慰めだ。聖母マリアと聖人たち(特に私の場合、聖パードレ・ピオ、聖ファウスティナ、聖ジャン・マリー・ヴィアンネ)との関係を堂々と祝うということは、安堵させる。私が長年愛してきたトゥールの聖マルチノ、聖アウグスティヌス、聖アンセルモといった大人物たちとの霊的交わりに入り、彼らに属するということ、そしてペトロの座と完全に和解するということは喜びである。

だが、三つ目の理由は教導権である。私たちの時代においてますます危険になっている信仰への攻撃に直面して、聖公会の保守的な信徒たちを、共に教会の一致へと導く神学的手段がないことを私は見いだした。私たちは毎日、毎週毎に、異なる聖公会主義を見つける。カトリック教会だけが、教導権の重みによって、教会の完全さと神学的成熟、信仰を擁護し、社会を刷新し、信仰の完全さのうちに霊魂を救うことができる霊的潜在力を持っていることを悟るに至った(ニューマンとチェスタトンの両者がその理由を説明してから、すでに長年起つにもかかわらず)。デウス・ウルト(神がそれを望まれる)。

(*ギャヴィン・アシェンデン氏はエリザベス女王の元聴罪司祭であり、聖公会グループの教会の主教である。)