復活祭の日付の統一への試みの歴史的概要
2025年11月19日 お知らせ

1920年、コンスタンティノープル総主教庁が、全教会が共通の暦を使用することを提案しました。これは、復活祭の日付の統一を目指したもので、エキュメニカル(教会一致)運動の文脈で議論されました。しかし、暦の違いや伝統の抵抗により進展しませんでした。
1970年代以降の動き: 世界教会協議会(WCC)などが関与し、共通の日付の議論が活発化。1970年のシャンベジー会議では、移動祝日としての復活祭の意義を維持しつつ、統一を検討しました。これらは1990年代の基盤となりました。
1990年代には、冷戦終結後のエキュメニカル運動の高まりで、統一の好機が何度かありました。特に、1997年のアレッポ会議が象徴的ですが、うまくいきませんでした。
1994年の準備段階: WCCの執行委員会が、復活祭の日付統一を推奨。イアシ(ルーマニア)とディッチンガム(英国)での会議で、科学的・天文学的な計算方法の採用を議論しました。これにより、1997年の本格的な会議につながりました。
1997年のアレッポ会議 シリアのアレッポで、WCCと中東教会協議会(MECC)が主催した国際会議。東方・西方の代表(正教会、聖公会、ルター派など)が参加し、復活祭の意義(キリストの復活による和解と新しい創造)を再確認しました。
提案されたのは、ニケア公会議の原則を維持しつつ、現代の精密天文学データ(春分と満月)を用いて計算する方法で、エルサレムの経度を基準とするもの。2001年(東西方の日付が一致する年)から実施し、以後統一することを目指しました。この提案は、暦の違いを解消し、キリスト教の一致を象徴するものとして期待されました。 しかし、この試みは失敗に終わりました。主な理由は以下の通りです。
・東方教会の抵抗 正教会を中心に、提案が西方中心の押しつけと見なされました。東方にとっては即時の日付変更を意味し、伝統的なユリウス暦の放棄を強いるものだった一方、西方教会は2019年まで大きな変化がなく、不均衡でした。また、エキュメニズム自体に対する保守派の警戒心が強かったのです。
・合意の欠如 1998年、北米の正教会─カトリック神学協議会でアレッポ声明を支持する共同声明が出ましたが、広範な教会の合意が得られませんでした。2001年に日付が一致したにもかかわらず、恒久的な統一には至らず、機会を逃しました。
・その他の要因 科学的計算の導入が、伝統的な教会暦の象徴性を損なうとの懸念や、地域ごとの牧会的配慮(例: 東方教会の忠実な信徒の抵抗)が障壁となりました。
アレッポ後の1998年、米国正教会─ルター派対話やカトリック─正教会協議会で支持が表明されましたが、実施に至らず。2001年の一致を「一時的なもの」として終わらせ、統一の勢いは失われました。
2000年代以降の動き
1990年代の失敗を受け、2000年代以降も散発的な試みが続きましたが、成功していません。2008から2009年にわたり、カトリック、正教会、プロテスタントの指導者らがアレッポ声明を基に合意を試みましたが、進展なし。シリアやレバノンのエキュメニカルな努力が影響しました。
2014年以降、コプト正教会のタワドロス二世教皇が2015年にローマ教皇フランシスコに統一を要請。2016年、カンタベリー大主教ジャスティン・ウェルビーが固定日(4月の第2または第3日曜日)を提案し、5-10年内の解決を目指しました。2022-2024年、全地総主教バルトロメオスが2025年からの共通の日付を呼びかけましたが、詳細な合意は未だありません。
2025年の機会 ニケア公会議1700周年にあたり、両教会の日付が4月20日に一致します。これを機に統一の議論が再燃していますが、過去の失敗から、保守的な抵抗や計算方法の合意が課題です。
東方教会(主に東方正教会)の抵抗 ロシア正教会は東方正教会全体の約半数の信徒を擁する最大の自治教会であり、保守的な立場から復活祭の日付の統一に強く反対してきました。特に、ユリウス暦の厳格な遵守と、エキュメニカル運動(教会一致運動)に対する警戒心が背景にあります。
ロシア正教会の役割と抵抗の理由主要な抵抗者としての位置づけ ロシア正教会(モスクワ総主教庁)は、復活祭の日付の統一の試みに対して一貫して反対の姿勢を示しています。例えば、1997年のアレッポ会議後の提案(精密天文学に基づく共通計算方法)では、東方教会全体の抵抗の象徴として機能しました。この抵抗は、統一が西方教会(カトリックなど)の影響を強め、東方の伝統を損なうものと見なされるためです。
また、2018年にコンスタンティノープル総主教庁との断絶(ウクライナ正教会の独立承認をめぐる対立)が起きて以降、統一の議論はさらに複雑化し、ロシア側はこれを「分裂を深める」ものとして拒否しています。
暦の伝統の維持 ロシア正教会はユリウス暦を移動祝日(復活祭など)に使用しており、グレゴリオ暦への移行や科学的計算の導入を「非正統的」と批判。1923年のコンスタンティノープル全正教会会議(暦改革を提案)も、代表性の欠如から「大いなる誤り」とされ、抵抗の歴史的基盤となっています。
エキュメニズムへの疑念: 統一を西方中心の押しつけと捉え、キリスト教の分裂(1054年の大シスマ)を助長する恐れがあると主張。バルトロメオス総主教の呼びかけ(例: 「一つの主の復活を別々に祝うのはスキャンダル」)に対しても、モスクワ側は応じず、むしろクリスマス日付の統一(ロシアは1月7日)を優先すべきと指摘し、逆効果を警告しています。
内部的分裂の懸念 統一が採用されれば、東方正教会内で「旧暦派」と「新暦派」の対立を再燃させ、1920年代のギリシャやルーマニアで起こった分裂を繰り返す可能性が高いとされます。
他の東方教会の関与 抵抗はロシア正教会に限らず、他のユリウス暦使用教会(セルビア正教会、グルジア正教会、エルサレム総主教庁など6教会)も共有しています。これらは全体の少数派ですが、保守的な立場から統一に反対。一方、コンスタンティノープル総主教庁や一部のギリシャ系教会は推進派で、2025年(ニケア公会議1700周年)の統一を目指していますが、合意に至っていません。
全体として、東方教会の抵抗は暦の違いや神学的伝統の多様性から生じており、ロシアがその象徴的なリーダー役を担っている形です。