教皇レオ十四世、キリスト者に「時代遅れの神学論争を乗り越えよ」と呼びかける
2025年11月24日 お知らせ

教皇レオ十四世は、2025年5月30日にバチカンで
コンスタンティノープルのヴァスソロメオス総主教を迎えた|バチカン・メディア
CNAの記事を和訳
2025年11月23日 バチカン
レオ十四世教皇は、もはや一致の助けにならない「神学論争」を乗り越え、1700年前のニカイア公会議が告白した信仰を共に再発見するようキリスト者に呼びかけた。
教皇は11月23日、王であるキリストの祭日に、新しい使徒的書簡『信仰の一致のうちに In unitate fidei』を発表した。教皇はこの書簡の中で、第一ニカイア公会議の1700周年、2025年の聖年、そして自身のトルコ訪問を結びつけている。教皇は11月30日にコンスタンティノープルのヴァルソロメオス総主教とともにニカイア1700周年の記念行事に臨み、その後レバノンへ向かう予定である。
教皇は書簡の冒頭で、「この書簡が、教会全体が信仰告白への熱意を新たにするための励ましとなることを望む」と述べ、ニカイア・コンスタンティノープル信条について「何世紀にもわたりキリスト者の共通遺産であり、絶えず新たで適切な方法で告白され、理解されるに値する」と強調した。
また教皇は、この記念にあわせて国際神学委員会がまとめた新文書『イエス・キリスト、神の子、救い主──ニカイア公会議1700周年』が承認されたことに触れ、それが神学的・教会的次元だけでなく文化的・社会的観点からも重要な洞察を与えるものであると紹介している。
教皇は教会一致の強い訴えとして、次のように述べる。「ニカイア信条は、完全な一致へと新たに歩み出す際の基礎であり、基準点になりうる。信条は、正当な多様性の中にあるまことの一致の模範を示している。三位一体の一致、そして一致のうちの三位一体である。なぜなら、多様性なき一致は専制であり、一致なき多様性は分裂であるからだ」。
「ゆえに、もはや存在理由を失った神学論争を手放し、共通理解を深め、さらにそれ以上に、聖霊への共通の祈りを育てていかなければならない。聖霊が私たちを一つの信仰と一つの愛のうちに集めてくださるように」。
教皇はさらに「キリスト者の一致の回復は私たちを貧しくするのではなく、むしろ豊かにする」と述べ、完全な可視的一致の目標は「神学的挑戦であると同時に、さらに霊的挑戦であり、すべての者に回心と悔い改めを求める」と語った。
「この信条は私たちに希望を与える」
教皇は今日の危機の中で、聖年のテーマ「キリストは私たちの希望」とニカイアの記念が重なることを「摂理的な一致」と捉え、こう語る。「戦争や暴力の脅威、自然災害、深刻な不正や格差、飢えと貧困に苦しむ数百万の人々のただ中で、この信条は私たちに希望を与える」
教皇はすべてのキリスト者に対し、「調和のうちに歩み、愛と喜びをもって受けた信仰の賜物を守り伝える」よう招くとともに、とくに信条の核心部分である「唯一の主イエス・キリスト、神の独り子……私たちの救いのために天から降りて来られた」という告白の重要性を改めて強調した。
ニカイア公会議が扱った論争の核心
教皇は書簡の大部分を、ニカイア公会議の歴史的・神学的文脈の説明に費やしている。
教皇は、アリウスの教えが「イエスはまことの神ではなく、創造された高度な存在にすぎず、神と人の中間的な存在である」という主張であったことを説明した上で、この論争は「福音のイエスの問い『あなたがたは、私を誰と言うか』への答え」という、信仰の核心をめぐる問題であったと述べる。
ニカイアの教父たちは、イエスが「御父の本質から生まれ、造られず、御父と同質(ホモウシオス)である」と告白した。教皇は、教父たちは聖書の唯一神信仰と受肉の真実を守るために哲学用語を用いたのであり、「ギリシア思想への迎合ではなく、聖書の信仰を明確に表現するため」であったと指摘する。また「ニカイア信条が示すのは、遠く離れ、近づきがたく動かない神ではなく、地上の最も暗い場所においてさえ、世界を歩む私たちの旅路に寄り添う神である」と強調する。そして、神の偉大さは「神が小さくなり、貧しい者や小さな者のうちに隣人となるときにこそ現れる」と述べる。
レオ十四世教皇はまた、ニカイア信条が強調したキリストの完全な人性にも光を当て、ことば(ロゴス)が「人となった」と明確に述べられている点を指摘する。ロゴスが単に「身体だけをまとった」にすぎないとする一部の教えに対して、教皇は後の公会議が、「キリストにおいて神は人間全体、すなわち体と魂の双方を受け取り、あがなわれた」と明確に述べたことを想起させる。
さらに教皇は、聖アタナシウスと教父たちの伝統を引用して次のように述べる。「神化とは、まことの意味での人間化(完全に人間になること)である。だからこそ、人間の存在は自らを超えて求め、望み、そして神のうちに憩うまで落ち着かないのだ」。
教皇はさらにこう付け加える。「人間の心の無限の渇望を満たすことができるのは、無限である神のみである。このために、神の子は私たちの兄弟でありあがない主となることを選ばれたのである」。
良心の吟味への招き
教皇は信条について、「口で告白することは、心から発し、生活で証しされなければならない」と語り、次の問いを信者に投げかける。私は今日、この信条をどれほど内的に受け取っているだろうか? 日曜日ごとに唱える言葉を理解し、生きているだろうか? それらは私の人生に何を意味するだろうか?」
また、被造物の管理責任を含む社会的・倫理的課題にも触れ、「私は神の作品である被造物をどう扱っているのか。敬意と感謝をもって用いているのか、それとも搾取し破壊しているのか?」と問いかける。
第二バチカン公会議の教えを踏まえつつ、レオ十四世教皇は、今日では「多くの人にとって、神と神についての問いは、自分の人生においてほとんど意味を持たなくなっている」と指摘し、その責任の一端はキリスト者自身にもあると述べる。キリスト者が「まことの信仰を証しせず、その生き方と行いが福音から逸れているために、神のまことの顔を覆い隠してしまった」からである。
「本来ならばいつくしみ深い神を告げ知らせるべきところで、恐怖を抱かせ、罰を下す復讐の神が語られてきた」と教皇は嘆いている。
キリストに従い、互いに愛し合うこと
信条の中心はイエスを「主であり神である」と告白することであり、教皇はキリストに従うことが「しばしば困難で痛みを伴う道」であることを認めつつ、それが救いの道であると強調する。「見える兄弟姉妹を愛さずに、見えない神を愛すると言うのは偽善である」。また、災害・戦争・惨禍の中で、神に疑いを抱く人々が神のあわれみを知ることができるのは「私たちを通してのみ」であると述べた。
一致は「平和のしるし、和解の道具」
教皇は第二バチカン公会議と聖ヨハネ・パウロ二世の回勅『一つになるように Ut unum sint』を引用し、「世界の分断が深まる中で、キリスト者の一致は平和のしるしとなり、和解の道具となる」と述べる。
完全な可視的一致には至っていないものの、ニカイア信条と唯一の洗礼に基づくエキュメニカル対話によって、キリスト者同士が互いを兄弟姉妹として認め合い、「キリストの弟子の唯一の普遍的共同体」を再発見しつつあると説明する。
そして力強くこう語る。「私たちを分裂させるものよりも、結び合わせるものの方がはるかに大きいのです!」と教皇は強調する。教皇はまた、全教会の殉教者の証しが一致の道を力強く推し進めることを思い起こさせる。
「神の慰め主よ、来てください」
教皇書簡は最後に、信仰の刷新とキリスト者の間にある分裂のいやしを願う聖霊への祈りで締めくくられている。
「来てください、天からの慰め主よ、調和の源よ。信じる者の心と精神を一つにしてください。来てください、交わりの美しさを味わわせてください」と教皇は続ける。
「来てください、父と子の愛よ。私たちをキリストのただ一つの群れへと集めてください。どの道を歩むべきかを示してください。あなたの知恵によって、私たちがキリストにおいて本来あるべき姿──一つ──に再び戻ることができますように。そうして世界が信じるようになりますように。」