霊は活動しており、生きている
1991年1月24日 in ノート49
私の主よ?
私である。私の平和を与えよう。書きなさい。
(祈りの集いのためのメッセージ)
あなたたちに平和。愛する者たち、私の心が絶え間なく引き寄せようとしているあなたたち。私の心が愚かなまでに愛しているあなたたち。私の崇高な愛ゆえに創造した者たち。私がその体を私の神殿として造った者たちよ、聖なる生き方をしなさい……そしてたえず罪を犯し、背きつづける者たちよ、私の心はゆるしを与えた。
喜びなさい! 歓喜しなさい! あなたたちの主人はそれほど遠くなく、あなたたちの主が再臨の途上にあるのだから。さあ、私をたたえなさい、来なさい……私の再臨に際して、小石や岩でさえも、間もなく「王の訪れに祝福を!」と叫びを上げるだろう。私のもとに来る者は誰であろうと、罪の状態にあるとしても、悔いているなら、私は追い返さない。
だが今日にいたるまで、私のあわれみも愛も信じない者たちがいる。この者たちは信じないだけではなく、私を裏切っている。かつて言ったことを今日も言おう、「父がお許しにならなければ、誰も私のもとに来ることはできない1」と。それゆえこう言う、御父のあわれみを通して、恵み、回心の恵みを皆が受けるように祈りなさい。そうだ、私のもとに「来る」ためには、天から与えられた恵みによって運ばれて来る必要がある。この恵みを受け入れた人たちを、私は決して誰も拒まない。そこで私の霊の業を非とし、異議の理由を探して時間を無駄にはしてはならない。私が呼び掛けたのに、それに応えないのなら、あなたたちは恵みに応えていないのだ。愛する者たちよ、信じて回心する恵みを皆が受けるように祈ってほしい。
私が与えている言葉は霊である。あなたたちを引き上げ、生き返らせ、あなたたちの中の闇に光を注ぐ。私の子どもたち、あなたたちには、聖霊が生き生きと活動していると信じるに価する多くのしるしを与えてきた、だから物質的なしるしを待たないように。この日々、私の霊は全勢力で訪れ、暗闇があなたたちの周囲を飲み込もうと迫る中、今、助けを与えておられる。この暗闇の中を、小さな手で探りながら道をたどるあなたたちを見ていて、私の心はどれほど哀れむか! この時代はかつてなかったほど
、人類すべてに私の霊の注がれている時代だとあなたたちが信じられるように、私はしるしを数多く与えている。そこでいまだに迷い、信じずに疑い、世界に広まる他のメッセージの中に、このメッセージが私からであることを示す印はないかと求める者たちには、再びはっきりと言う。天からの糧を先祖たちに与えたのは、モーセではなく御父だった。御父が彼らに天からパンを与えた。あなたたちを養っているのも御父である。神のパン2とは天から降り、世に生命を与えるものだ。
あなたたちの先祖は砂漠でマンナを食べた。そして私は群衆に聖体の前印として、パンを増やして養った。生命を与える私の聖体であなたたちを養っているように、私は魚も増やした。魚とは、あなたたち – を – 養う – 者の象徴、私の名の象徴のしるしである。イクトゥス:
ΙΧΘΥΣとは、イエス・キリスト、神の子、救い主を意味する。そこで今日ははっきり言っておく。私の霊によってあらゆる国民に注がれるメッセージは、単なる言葉ではなく、霊であって生命である。聖書で読まなかったか、「見よ、私はあなたたちのために、天からパンを降らせる3」と。これらのしるしは、あなたたちを説得するには十分ではないのか? 今日はあなたたちの内的砂漠を、もう一度新しい奇跡的なしるし、天からのパンで養っている。それは消滅することのない、霊を生かす奇跡の糧、そして土に新たなものが育ち、庭で種子が芽を吹くように、私の栄えある糧は、あなたのうちに生命を、熱意と情熱を再び生き返らせる。火を点す火花のように、私の聖霊もあなたに臨み、うちなる消えかかった炎を、愛の燃え尽くす炎とする。
聖書にはこう書かれている。「この世の命だけに生きる人は、神の霊に関することを愚かしいとして受け入れません。また、悟ることもできません。神の霊に関することは、その霊の働きがあってこそ判断を下されるからです4。」新しい天と新しい地は、今や戸口まで来ている。しかしあなたたちの多くは理解せず、すべてを空想と見なす。この霊的でない者たちは、全ての私のしるしを表面的に受け取り、天からの私のメッセージを嘲笑したがる。しかし聖書は実現されつつある。終わりの日々に、私の約束を嘲る者たちが現れるだろうと、聖書はもちろん宣言しているのだから。
人には罪を犯す無限の能力があり、時の終わりには、私の聖所で敵が王座に就くことを知っていた。それゆえ私は新たな聖所を打ち立て、私の霊の初穂となるべき残りの者たちを確保している。かつてエリヤの時代に、バアルに屈まない7千人を確保したように、今日も、私は恵みによってこの残りの者たち、14万4千人5 を確保し、このすべての者たちの額には、私の名と御父の名が書かれている6。この人々は口に偽りを許さず7、新しい天と新しい地の初穂、生命の木8であって、月に一度、年に129 の収穫を実らせる、そしてその葉は異教徒10 に取って癒やしとなる。
記憶を呼び覚ますために、預言者エゼキエルの書11をもう一度説明しよう。「川のほとり、その岸には、こちら側にもあちら側にも、あらゆる果樹が大きくなる。」これは、油注がれた司祭から一般人までを指す。「葉は枯れず、果実は絶えることなく、月ごとに実をつける。水12 が聖所から流れ出るからである」。
「この水13 は、神と小羊の玉座から出て、都の広場の中央を流れていた14」
「その果実は食用となり、葉は薬用となる」。常に忠実な私の聖霊によって、あなたは木のようになるだろう、そしてその葉は薬用となる。そう、あなたは証しによって病人を癒し、国民を次々に回心させるだろう。しかしあなたの力によってではない、話すのはあなたではなく、あなたのうちに住まう聖霊である。そして私は、あなたたちを家造りのように世界の隅々にまで送り、手には計り竿15のように杖を持たせ、荒廃し、悪魔どもの住み家となった16私の聖所と祭壇を造り直させる。
愛する者たちよ、全ての人々に回心の時が与えられるようにと祈ってほしい。恵みが降って、真理に気づき、彼らがそれを認めるように祈りなさい。真理よりも神話の方を向いてしまった者たちのために祈ってほしい。世界の回心のために祈りなさい。すべての魂のうちに私が住まい、私の嗣業の地とできるように祈ってほしい。「都の中央を流れる川17」のように、この魂たちのうちに私も流れることができるよう祈ってほしい、この人々の回心のために犠牲をしてほしい、小さな子どもたちよ。私のそばにいなさい、ヒョウ18がすぐそばにひそんでいる、私のそばにいて、絶え間なく祈りつづけ、計り知れないほど多くの祈りを献げなさい。皆を祝福する、額に愛のため息を残させてほしい。私の聖なる名のもとに一致しなさい。
さあ、私のヴァスーラ、これは多くの人々を養うであろう。
愛している、私の子よ、愛があなたを祝福する。私を祝福しなさい。
主よ、あなたを祝福します! マラナタ!