先日のミサでパウロ神父が言及されたロシア人作家、ソローキン氏に関する記事の和訳です。
ロシアで最も有名な現代作家の一人であるウラジーミル・ソローキンは、ウラジーミル・プーチンを「怪物」と呼ぶことをためらわず、ウクライナにおける残酷な戦争について「自分の母親を殺すようなものだ」と例えた上で、その真実を広めた。開戦(2月24日)の三日前、彼は妻のイリーナと一緒に、現在住んでいるベルリンに「偶然」行ったことを告白している。4月16日、ニューヨーク・タイムズのアレクサンドラ・オルター記者が、「ツルゲーネフ、ゴーゴリ、ナボコフに匹敵するこの作家の姿と作品に、西側の人々を近づける」という目的で、同社でインタビューを行った。
ニューヨーク・タイムズの記事(英語)
ウクライナ戦争が続く中、ソローキンがロシアを「この国のソビエト史にすでにその悲劇的先例がある、軍国主義的で暴力主義的な政権の支配によって、ゆっくりと排水路に滑り落ちつつある帝国」として描いていることは特に注目されるところである。この記事の記者は、ソローキンは盲目的で無意味な軍事行動を批判しているだけではなく、彼が「セマンテック戦争/意味論的戦争」と呼ぶ、さらに深刻な点を批判していると述べた。これは、作家がロシア政府のプロパガンダの嘘に対して敢然と行う戦いである。この分野こそ、作家は「真実を攻撃する者」によって投げつけられた戦いに応じなければならないと信じているからだ。
ソローキンは、現在の戦争とそれに伴う残忍で野蛮な悲劇について、「人類そのものに『暴力に至る底なしの能力』が眠っているが(このことは、彼の以前のいくつかの著書にも取り上げられている)、特に今、ロシアで顕著に現れているのかもしれない」と指摘した。彼は『暴力が空気のように存在する、誰もがその空気を吸っている国で育ったこと』に言及した。彼の本にはなぜ暴力が多いのかと聞かれたら、自分は幼稚園の頃からこの暴力を肺に吸い込んできた、子供の頃から暴力に『漬け込まれてきた』からだと答えると。
このような作家の告白と誠実さは、彼の深い信仰によるものだろう。彼は政府批判、戦争批判をしたために、キリル総主教から罵倒されそうになったが、ジャーナリストによれば、ソローキンは「深い信仰を持っており」、逆説的に「隠者、あるいは賢者」に似ているという。例えば、サロフの聖セラフィム(1759-1833、1933年にロシア正教会により列聖)や、19世紀後半のロシアの『無名の巡礼者物語』に登場する「聖なる老人」などが挙げられる。
A・オルターによれば、「現在66歳のソローキンは、ウェーブのかかった髪と精神的な穏やかさで、まさに賢人を連想させ、その静かで内省的な話し方は、彼がその著書で容赦なく糾弾する『尊大で偏った態度』とは何がしか対照的である」という。
同時にこの作家は、ロシアの反体制派の古典的モデルからは逸脱している。というのも、記者が書いているように、「(彼の本を読むのは)『ある狂人の悪夢』に入り込むようなものである。しかしながら、1972年にロシアで生まれたアメリカ人の小説家、ガリー・シュテインガートによれば、「そうすること、つまり悪夢に言及することによってのみ、(ソローキンは)真実を表現するための正しい語彙を見出すことができた」のだと言う。
1991年の作品『Сердца четырех/四人の心臓』(Sierdca Czeturioch/Their Four Hearts)は、4人の典型的な主人公たちがグロテスクな罰に遭い、立方体に圧縮されて、人骨でいっぱいの湖に転がされるというものだ。2013年に出版された『テウリア』でも、主人公はケンタウロス、盗賊ロボット、人間の言葉を話す犬という、似たような概念がある。このように、全体主義へと急速に向かう現代ロシアの真実を作家は密かに伝えようとしたのだ。
不気味なグロテスクさのほかに、ソローキンの作品のもうひとつの特徴は、「体制に対する見事なまでの嘲笑」 である。ロシア系アメリカ人の作家で『ニューヨーカー』の編集者であるマーシャ・ゲッセンは、「(その卓越した見識眼で)彼はソ連体制の滑稽さ、不条理さを見抜き、同時にこの体制に立ち向かうこともまた滑稽で不条理な行為だと示すすべを知っていた」と述べている。1983年にフランスで出版された『オクゼリード Oczeried’』という作品の中で、何かのために長い行列に何時間も並んで、何のためかもわからないまま立ち話している人々を表現している。「私は、この別の一つの目標、つまりKGBがこの文章を差し止めないことを達成したかったのです」──と著者は説明した。この本は、ソ連が崩壊した後、ロシア国内にロシア語で出版されたので、彼は最終的に成功した。
ソローキンの作品のこの点について、もう一人の評者であるハーバード大学スラブ研究教授ナリマン・スカコフは、作家が行ったおそらく最も重要な「意味論的戦争」に注意を促している。「意味の分野はお前のものではない、お前に属してもいないと、この全体主義的な国家と体制に宣言している。彼は単に、これらの言葉の意味を非常に強力な方法で国家から取り上げたのである」──とスカコフは書いた。
21世紀初頭のこと、ソローキンは、プーチン政権下のロシアにおける人権攻撃の拡大と、同時に同国の孤立を目の当たりにした。これを「暴力的で中世的なロシアへの回帰」と解釈した。
このような観察から、彼は2006年に、彼の著書の中で最も政治的な『オプリチの日』を書くことになった。 彼は、いわゆるオプリチーナ (1565年から72年にかけてのロシア史における一時代、また当時の皇帝イヴァン4世が追求した政策)に言及した。オプリチニナの主な目的は、内部のあらゆる反対勢力を弾圧し、皇帝の権力を強化することであった。モスクワ国家の大部分をボヤールという支配階級の権力から切り離して、土地だけを残した。接収した土地は、彼とオプリチニキと呼ばれる彼の親衛隊の恐怖に直接さらされたのである。
プーチンのロシアを批判した本書について、ソローキンは「わずか数年前、私が現代のロシアはオプリチニナの匂いがすると書いたとき、多くの評論家は私は大げさだと思った。数年が経ち、その同じ批評家たちが私を笑わなくなったのは、同じ悪臭がついに彼らにも及んだからだ」と言った。
ロシアと世界の未来をどう見ているかという質問に対して、作家は「世界は予測不可能な方法で変化している」と答えた。彼の著作にはこのテーマを扱ったものが多く、特に最新作の『ドクターガリン』は、すでにパンデミックの真っただ中にあった2021年に書かれたものである。ソローキンは、「古典的で現実的な散文では、もはやこの『予測不可能な』世界を捉えることはできない」と強調する。「それは、すでに飛び去った鳥を撃つようなものです。だから、私は二つの光学に手を伸ばしたい。過去と未来の二つの望遠鏡で現実を見るのです」と言って、タイムズ誌との対談を締めくくった。
ウラジーミル・ソローキン 1955年8月7日、モスクワ近郊のビコフで生まれる。17歳のとき、雑誌『Zakadry nieftianikow』でデビュー。現在では、ヴィクトール・ペレーヴィン、ヴィクトール・エロフェーエフと並んで、 ロシアのポストモダンを代表する三人のうちの一人と見なされている。短編小説、映画脚本、ドラマ、小説を執筆。親プーチン派の組織「ゴーイング・トゥギャザー」は、作品にポルノ的な内容があると見て、彼の『青い鞍』をトイレの模型に投げ込んだし、『氷』の出版後、ファシズムの非難がこの作家に降り注いだ(青い目の金髪が小説内で特権的地位にあった)、彼の作品を非常に問題視する人も少なくない。だが彼の作品は、ポーランドを含む十数カ国語に翻訳され、成功を収めた。2022年3月、ロシア語を代表する作家たちとともに、ウクライナ戦争の真実をロシア国内で広めるよう、すべてのロシア語圏の人々に呼びかけるアピールに署名した。
J.J神父(カイ東京)/ニューヨーク