ヴァスーラの回答(5)

グレッヒ神父へのヴァスーラの回答(5)

質問五:運動としての『神のうちのまこと のいのち』とは?

「神のうちのまこと のいのち」運動の本当のアイデンティティは何ですか。この運動はその信奉者に何を要求しますか。それはどのように組織されていますか?

「神のうちのまこと のいのち」は運動ではなく使徒的呼ぴかけです。

「神のうちのまこと のいのち」は運動ではなく、事務所も構えていません。誰であろうとすべての人びとに対して和解と一致をただ呼びかけるものです。呼びかけはキリスト者にだけ向けられたものでなく、その中にキリスト者以外の人びとも引き入れ、この人びとはキリスト者になっていきます。「神のうちのまこと のいのち」の霊感あふれる著作を読んだ後に、その霊性は三位一体に基づく観想的霊性であり、全くキリスト教的な霊性であるにもかかわらず、ユダヤ人、イスラム、仏教、ヒンドゥー教徒の何人かは洗礼を受けました。キリストは御父にこのことを祈り言いました、「私は彼らのためだけではなく、彼らの言葉によって、私を信じる人々のためにもお願いします。」(ヨハネ17・20)ですから恩寵を通して、神は多くのドアを開けて下さっています。例えば最も初期の頃からこの使徒的仕事が生じるであろうと私は言われました。

「時が来たなら、神はメッセージを示すに必要な平安と力を下さいます。あなたが皆にメッセージを見せることを神は望まれるでしょう……」(『私の天使ダニエル』1986年8月6日)
「恐れることはありません。あなたはイエス・キリストのために働くことになります。他の人々の霊的成長を手助けするでしょう……」(1986年8月7日)
「私の聖なる霊に満たされると他の人々を導いて来れるようになり、あなた方の数は何杯にも増える……」(1986年9月5日、イエスが話される)
「こうしてあなたを呼ぷことによって、他の人々も導くつもりでいる、私を捨て、私の声が聞こえないすべての人たちでさえ。その理由のために、この呼びかけは書かれた形になっている……」(1986年11月18日、御父が話される)

広島の仏教僧もメッセージを知るようになり、彼らのお寺で話すように私を招待してくれました。そこにはカトリックの司教も同席していました。それは原爆記念日でした。彼らに完全にキリスト教的なメッセージが贈られました。私は彼らに黙想のために壁に掛けられる巨大なロザリオとファティマの聖母の像を差し上げましたが、彼らはその聖母像を庭に据えました。

「神のうちのまこと のいのち」を読んだユダヤ人たちは、洗礼を求め、彼らのうちの一人は「神のうちのまこと のいのち」の第一巻をヘブライ語に翻訳しました。それは今出版社にあり、もうすぐ出版されます。彼らは皆イスラエルに住んでいます。

最近バングラデシュのダッカの、野外の広場で人びとに講演を求められました。彼らはその集いを、祈りをもって始めるという招きを受け入れたイマームを招待し、多くのイスラムの人びとが参加しました。そこにはヒンズー教と仏教の代表者と共にカトリックの司祭も同席しました。メッセージは再び(『神のうちのまこと のいのち』の霊感あふれる著作をもとにした)全くキリスト教的なものでした。私が話した中心的で本質的なメッセージは、神を愛として明らかにし、神と、また隣人と和解して互いに尊敬し合うことを学ぶということでした。集会が終った後には、二人のイスラム教徒がキリスト者になり洗礼を受けることを望みました。「私はすべての国民がみことばを聞くように望んでいる。あなたを指導し行くべき道を示す……」(『私の天使ダニエル』1987年1月10日)。

観想的教え

霊感によって書かれたこの著作は読者に神を知り、神を理解することを教えます。多くの人びとは神を信じてはいますが神を知りませんので、神と親密な関係を持つように私たちを励まし、そうすることによって神と一致した生活へと私たちを導きます。キリストの内に、聖霊を通してこのように結ばれますと、信者は一つの同じいのち、キリストのいのちを生きるように招かれます。

聖書にはこう書かれています:「知恵ある者はその知恵を誇るな。力ある者はその力を誇るな。富ある者はその富を誇るな! 誇る者は、むしろこのことを誇れ。私を理解し、私を知ることを」(エレミヤ書9・22-23)

祈りのグループの形成

「神のうちのまこと のいのち」の著作は、心からの素朴な祈りを実践し、絶えず神の内に、そして神も私たちの内に生きることである絶えまない祈りに、私たちの生活を変えていくように教えています。しかし世界中で祈りのグループを形成することにも強く呼ばれています。60か国以上の国々の人びとが、私が証しをするように集いを催しましたから、これらすべての国々で祈りのグループが形成されています。それぞれの国にはいくつかのグループがあります。例えばフランスには「神のうちのまこと のいのち」の霊性に触発された48のエキュメニカルな祈りのグループがあります。より大きな国であるブラジルには300以上のエキュメニカルな析りのグループがあり、どの祈りのグループも、キリスト者とは言っても正教会、ルーテル教会、聖公会、バプテスト派だったりしますが、すべての人びとがロザリオを一緒に唱えることから始めます。

「どんなにこの日が待ち遠しいか! あなたを全人類に送る日が、皆も私を愛することを覚え、もっと私を理解するようになる。英知はその富を全人類と分かち合うだろう……」(1987年1月25日、イエスが話されます)

教会の教えに忠実であることを鼓舞される

著作を読む人は、教会に忠実であり続けることを学びます。「たとえあなたが教会から追放されたとしても、窓からよじ登り、決して教会を捨ててはいけません」と私は人びとに話します。著作は、御聖体訪問をし、崇敬のうちにイエスと共にいる時間を過ごすことを私たちに教えています。教会の秘跡を守り、伝統を保ち、自己放棄、悔い改め、断食することを学び、特に告解の秘跡にあずかるようにと私たちに教えています。もし可能であれば、毎日ミサに与りたいと私たちが熱望するように導きます。御聖体の重要性について説明しています。

「この聖体拝領によって私を受けるすべての人を聖化し、神化し、我が肉の肉、骨の骨とならせよう。私を拝領するなら、私は神聖なゆえ、あなたと私は霊的に一致し、一つの体となる。私たちは血縁となる、私は我が特性にあなたを与らせて神々とさせられるがゆえ。我が神性を通して、私は人間を神性なものとする……」(2000年10月16日、イエスが話されます)。

活動:読者によって運営されている慈善の家

1997年、ベトレヘムのキリスト降誕地の外に立っている時に、私は恵みによって聖母のヴィジョンをいただいたあと、マリア様が霊的食物だけでは十分ではなく、貧しい人びとのことを考え彼らを養ってもいかなければいけない、と言われるのを聞きました。
そこですぐこのことを私たちの析りのグループに知らせますと、多くの人びとが貧しい人びとに食物を提供するための慈善の家を開くために自らすすんで助けてくれました。それらは「ベス・ミリアム」(マリアの家)と呼ばれています。バングラデシュに一か所、ベネズエラに4か所、ブラジルに5か所、フィリピンに二か所、ケニアには一つの孤児院があります。プエルトリコに一ヵ所、インドに一ヵ所、ルーマニアに一ヵ所、ウクライナには一つの孤児院が間もなくオープンします。このことについての情報を同封しています(添付2)。すべての仕事はボランティアによってなされています。ベス・ミリアムは献金だけによって運営されています。それぞれの家は関連するどんな組織も持たずに、すべてその地域の人びとによって始められた、その地域に根ざした家です。彼らは自分たちで家を維持し、同じ人びと(祈りのグループ)が家を運営し、貧しい人びとに仕えるという任務を引き受けています。彼らは貧しい人びとに食物を提供するためだけでなく、医療奉仕、衣料、子供たちの教育にも発展しています。最後に、それらは絶えざる祈りの精神によって運営され、いつも本質的にエキュメニカルな活動です。

「できる限りどこにでも、私たちのベス・ミリアム(マリアの家)を立ち上げなさい。虐げられた人びとを引き上げ、孤児を助けなさい、私を擁護し、極貧から救い出し、私の避難所となり、私を養い、私の重荷と疲れを取り除いてほしい、私を支え、励ましてくれるように。我が兄弟の最も小さい者にしてくれることは、私にしている……私のいのちを支える者たちを祝福する、彼らが徳に秀で、愛深いように、私が共にいる……」(2002年3月27日、イエスが話される)

福音を述べ伝える呼びかけ

『神のうちのまこと のいのち』に感動した読者の何人かは、神の福音を広めることに貢献するために、世界各地に出かけてその証し人となれると感じます。言葉と信仰の感覚という恵みを聖霊から与えられ、聖霊の従順な道具となった彼らは、今や世界中に出かけて証しをし、人びとを祈りの生活へと招き、祈りのグループを形成するように教えることが可能です。目的は人びとの生活を変え、絶え間のない祈りの生活を生きるように導くことです。ダッカの祈りのグループの数人は、(イスラム教徒の)村々に出かけて行ってメッセージを声に出して読みます。多くの人が信じ、キリスト者になることを望みます。

「一人ひとりを、愛のかまどの生ける松明としたい。今や私を尊び、愛のために、愛をもって宣教するように」(1989年1月27日、イエスが話されます)

おとめマリアに対する信心

マリアの汚れなき御心はイエスの聖心と決して離れることなく、イエスの聖心と完全に一致していますので、「神のうちのまこと のいのち」は私たちを神の母の子となるように導きます。私たちのこの母は私たちの支えであり、私たちはそれを知っています。祈りのグループに参加するすべての人びとは、プロテスタント、カルヴィン派その他どの宗派であろうと、皆聖母、および聖人たちを尊敬し彼らに祈るように教えられています。

「私の心が常に彼女の心で和らぎを得、その心に好意を示してきたかに気づいたか? あなたの王を身ごもった、この心が私に求める何であろうと、どうして拒めよう? 御母の心を祝福するなら私の心を祝福しているがゆえ、すべての信徒は彼女の心を祝福する」(1996年3月25日、イエスが話されます)

「神のうちのまこと のいのち」の読者の会

いくつかの国々に『神のうちのまこと のいのち』の組織的な会があるにしても、それは福音を述べ伝えるこの仕事を支えるためと、本を出版することに関連した法的な目的だけのためにあります。ある国々での会を創設したとしても、それはただその地元の法律に従うためです。一つの例をあげますと、『神のうちのまこと のいのち』の名前に関連して郵便私書箱を開設する。しかし私は決して運動を作りあげようと考えたことはありません。本は38の言語に翻訳されましたが、パルヴィス出版だけは、編集者がそれが規則だと言うので例外ですが、他のどこからも印税をいただいていません。このお金は慈善活動や、資力を持たない第三世界の国々で、出版費用や証しをする旅行費用を賄うことなどに回されます。

他の活動

二年毎に、祈りのグループのボランティアがエキュメニズムに関する国際シンポジウムを開催するために、すすんで私を助けてくれます。同時に巡礼の旅としてこれを行っています。
今までに、シンポジウムは4回開催されました。2000年に聖地で(教皇様が聖地に来ておられるときでした)行われたものが一番大きく58か国から450人の人びとが参加しました。12の異なった教会から75人の聖職者も加わって下さいました。今年はエジプトで行おうとしています。

何といっても、私は主の家を愛し、何よりも私は神を愛しています。私は主が与えて下さった恵みを神に負っています。主は私に一度言われました。「私は無償で与えたのだから、あなたも無償で与えなさい」。そこで、これを私は実行しようと努力しています。私は聞きたいと望む人には誰でも主の御言葉を無償で伝えます。

私の著作と活動に関しての疑問に光を注ぐことを私に許可して下さったことに、もう一度感謝致します。『神のうちのまこと のいのち』のウェブ・サイトをこ覧になれば、もっと多くの情報を得られます。私の仕事を説明するこの機会を設けて下さったことに、もう一度感謝しつつ、ジョセフ・ラッツィンガー枢機卿猊下、タルチジオ・ベルトーネ司教閣下、ジャンフランコ・ジロッティ司教閣下、また教理省顧問団の司教各位にも私からのご挨拶を、あなたが親切にも伝えて下さるようにお願い致します。この内容が、ご期待にそう仕方でなされたようにと願っております。このほか何か質問がおありでしたらそれも喜んで、口答か書面かでお答えします。そして『神のうちのまこと のいのち』の書物の中に含まれる特定の表現を明確化させるために、あなたが与えて下さる提案を私は受け入れる用意があります。必要であれば、私の本の新版に、そのような説明を加えることもできます。

私の心からの敬意と誠意こめた祈りとご挨拶をお送りします。

キリストのうちに

ヴァスーラ・リデン