ノート11のメッセージ

茨の冠 愛をこめてなされた行為

1987年5月7日 ノート11

あなたを愛している、私、あなたの伴侶である。
 私の花よ、あなたを清めてあげよう。これからも続けてあなたを満たし、私の光で生き返らせ、私の力で養っていこう。ヴァスーラ、あなたに私のいばらの冠をかぶせて、誉れを与える。

イエス様、どうして私などを信頼なさるのでしょうか?

あなたを愛している。私の冠をかぶることで、あなたは私が受けた侮辱を理解するようになるだろう、というのも、あなたもすぐに侮辱を受けるようになるからだ。忘れないように、あなたが苦しむのと同じだけ、私も苦しむことになるということを、なぜなら、私はあなたのうちにおり、あなたは私のうちにいるのだから。私自身をあなたに結び付けた、私たちは一つ。さあ、来なさい、私の愛する者よ、私のわざを私たちで続けていこう。最後まで、あなたに十分な力を与えよう。

(後で分かったことなのですが、このメッセージの中で、イエスは私に心の準備をさせようとしておられたのです。私は侮辱され、笑い者にされるでしょう。少なくとも主が私と共におられるので、主と共に侮辱を分かち合うことでしょう。この使徒職のために一度世に投げ出されたら、侮辱と迫害が始まるのです。)

イエス様、私は「あなたを愛しています」と百回言うことすら、まだできていないことをご存じですか。それなのに、あなたはそれを千回言ってほしいとおっしゃいました!

ヴァスーラ、ああ、ヴァスーラ、愛を込めて行ったことはすべて、私に向かって「あなたを愛しています」と言っているのと同じだということを知らなかったのか? そのようなやり方でも私に愛を示すことになる。
 あなたの人生の中で行うことは何もかも、私に対して行っているのだ。
 来なさい。飾りなさい! 咲きなさい! 輝きなさい! 香りなさい! 私を愛の花輪で飾りなさい。私のいばらの冠のとげの一本一本を、あなたの花びら一枚一枚に置き換えなさい。花びらが多くなればなるほど、私を突き刺すとげが少なくなる。あなたを愛している。私を愛しなさい。他の人々に私を愛するように教えなさい。私の訴えを彼らに伝えなさい。

あなたのお助けによって、そうしています。あまり多くのことはできません。

私を愛し、私の傷を癒やしなさい。私のために流す涙が、私の傷を癒やすバルサム(香油)となるように。ヴァスーラ、花輪はとむらいのためだけに作られるのではない──花嫁たちのためにも作られる。八月に、あなたの頭の上に花輪を置かせてほしい。

愛は苦しむ

1987年5月6日 ノート11

(1987年5月6日の神からのメッセージの前に、神に宛てた私のメッセージ──

神が完全に明け渡すようにとおっしゃった意味を学んでいます。離脱すること。すべてを置いて主に従うこと。主のことは象徴的であって、物質的ではありません。明け渡すこと。私はそうしました。主を第一に愛し、他のものすべてを越えて主を愛することによって、また、主に自分を用いていただきたいという気持ちを持つことによって。離脱すること。そうです、私の肉体を離脱するに至るまで、つまり、私には肉体を離脱して主と一つになり、主だけに付いて行きたいと望み、願う魂があることを悟るということです。
 ──苦しむこと。そうです、主と共にいることができないために苦しむこと。地上でまだ物質であるために苦しみ、この地上ではまだ未亡人だという感覚を持っているために苦しむこと。──苦しむこと。そうです、まだ日常の生活、つまり物質的な生活を送らなければならないと分かっているために苦しみます。技術や科学というバルサム(香油)を絶えず塗りたくられ、神を信じない人たち、無神論者たち、私たちは年を取ってりどころを失っているのだと考える人たちに腹立たしい思いをさせられるのは、確かに重荷です。苦しむこと。彼らの考え方に従わなければならないために苦しみます。苦しむこと。この世から離れ、神だけと共にいたい、ただ主と私だけで、他に誰もおらず、周りに邪魔をするものが何もないことを望む気持ちを隠さなくてはならないときに苦しみます。
 今これを書いている時でさえ、私の気持ちを書き表せるよう助けてくださいと神に願っています。自分の気持ちがうまく表現できないからなのですが、神は私の願いどおり助けてくださり、適切な言葉を私の耳にささやいてくださいました! 主は私が人々の間にいることを望まれます。これは私が担わなければならないもう一つの十字架なのです。私の体は痛みます。)

私の体もだ。あなたが感じることのすべてを私も感じている。娘よ、私を祝福しなさい。

あなたを祝福します、私の愛する神よ。

(しばらくしてからも、まだ神のうちで溶けている感覚がありました。)

あなたを愛している、分かるか? 愛は苦しむ、愛は束縛する、愛はあふれるほどの忠実さを献げる、愛は犠牲を惜しまない。
 ヴァスーラ、時間は飛ぶように過ぎ去り、あなたの時は近づいている。自分自身を献げ、謙遜のうちに成長し、私の手から食べなさい。私の愛する者、私があなたの鎖を外す、あなたの魂はもうすぐ私のもとに飛んで来るであろう。

あなたを愛します、私の神よ……

私の種粒を広げなさい あなたをすっかり捕らえさせてほしい

1987年5月5日 ノート11

(神の愛が私(私たち)に注がれているのを感じるとき、私の心はよろめいて倒れそうになってしまいます! 主が御体の中で私を溶かし、御体によって私の体が消滅してしまうとき、私は自分がまるで空気のようになり、間違いなく、肉体を持たない霊であることを実感します! これはこうこつ状態なのでしょうか? このような言葉をもってしても、神の愛が私にもたらしてくださる状態を完全に説明することはできません。主の恵みと善良さを表現するのは不可能であり、主の聖性のあまりの偉大さと輝きを表現する言葉はありません。それなのに、主が近づいて来てくださるまで私は主を拒絶していたとは、何ということでしょう!)

ヴァスーラ、私のもとに来なさい。私の五つの傷は開いている。ヴァスーラ、この傷の中に入って来て、私の痛みを感じなさい、さあ、私の傷の中で、私の血によってあなたを聖化させてほしい。私の栄光をたたえなさい。あなたを案内しよう、娘よ。私が惜しみなく与えるのだから、あなたも惜しみなく与えなさい。主である私は、私の聖なる書物を持って戻って来よう。

(イエスは小さな本を持っておられました。)

識別して、私が指し示す所を読みなさい、「婚約者よ、私の魂に祝された者、私の娘よ。私の小羊たちを養いなさい。私のこくつぶを広げて豊かに実らせ、それを収穫して、私のパンを惜しみなく与えなさい。私はいのちのパンである。私の羊たちを養いなさい、私は時の終わりまで、いつもあなたたちと共にいる1」。

私の神よ、あなたのお導きに感謝します。こんなありふれた言葉では味気なく聞こえますが、そう紙に書かずにはいられません。が祝されますように、世々に、とこしえに!

愛している。あなたを見捨てない。私たちは一緒に働く。書くことに疲れてしまわないように。私の平和と愛のメッセージを今封印した、案内しよう、ヴァスーラ、私のもとに来なさい。

主よ、あなたに付いて行きます。愛しています。

あなたのうちで、私に自由に行動させてほしい。

主よ、むねが行われますように。

知恵によってあなたを教え導こう。

(しばらくして)

(昨日、神のメッセージを受けた後、私のうちに神がおられ、神のうちに私がいることを強く感じ、もはや離れることなど決してできないと感じました。)

私の道連れよ、あなたを愛している。ヴァスーラ、私に何もかも渡しなさい、持っているものすべてを。

私の愛をお献げしました。私自身をお献げしました。私の気持ちを地上から離脱させました。自分を明け渡しました。これ以上差し上げられるものがあるでしょうか?

娘よ、あなたから明け渡すという言葉を聞くのがとてもうれしい。あなたをすっかり捕らえさせてほしい。

(その晩、イエスがとても強く感じられ、他の時には簡単には見えなかった主の御顔が、はっきりと見えました。その晩、イエスはとても真剣で、情熱的で、熱烈であるように感じられました、まるで、生ぬるい人を説得しようと、熱意を持って決意して来た人のようでした。)

私の傷に口づけしてくれるか?

(「神秘的な」やり方でそうしました。それからイエスに、私のそばの椅子に座ってくださるように頼みました。するとすぐに、イエスが座られたのを再び「神秘的に」感じ取りました。イエスは私の正面に座られ、テーブルの上に腕を伸ばされ、その腕が私のノートに届きました。こういった印象を私の心に刻まれました。)

私の花よ、あなた自身を私に完全に献げなさい、私の声を聞く用意ができているか?

はい、イエス様。

婚約者よ、私の魂に祝された者よ、私は惜しみなく与えた、だから惜しみなく与えなさい。私と結ばれるように、私と一つになりなさい。私の目を見つめなさい。

(そうしました。)

イエス様、もっと私にできることがありますか?

私を愛しなさい。

でも、あなたを愛しています。何度もそう申し上げましたし、私が本気で言ったこともご存じです。私の魂はあなたに思い焦がれています。私が離脱することをお望みでしたので、そうしました。

ヴァスーラ、私もあなたに思い焦がれずにおられようか2? あなたの神として、私も苦しまずにいられるだろうか3? 愛する者よ、私のうちに住みなさい、私もあなたのうちに住もう、あなたは私のうちに、私はあなたのうちに、私たち。
 私に順応し、私と結ばれなさい。

でも、あなたは既に、私をあなたに結ばれました、イエス様。そうしたとおっしゃいましたわ!

言った。

(急に体が疲れたように感じたので、その場を離れる許可を求めました。)

さあ、行きましょうか、イエス様?

娘よ、どうして?

疲れました、イエス様。

愛する者よ、ここにいてほしい、ここにいてくれるか?

(イエスが私に強く要求されたのは、これが初めてでした。)

それなら、ここにいましょう……

独りにされると、私の心は引き裂かれてしまう。

でも、あなたは私と共におられます。私たちは一緒です……

今はあなたと一緒にいるが、あなたは本当に私のことを何度も忘れる。私の自由にさせてほしい、そして私の神聖な手によって、私の望みどおりにあなたを形造らせてほしい。あなたを私の似姿に形造ろう。あなたのうちで私を自由に働かせなさい。私はイエス、そしてイエスとは救い主を意味する、娘よ。あなたをねたむほどに愛している。あなたのすべてが私のものであってほしい。あなたのすることすべてが私のためであってほしい。私と張り合うものは許さない。私を礼拝し、私のために生きてほしい。
 私のために呼吸し、私のために愛し、私のために食べ、私のためにほほ笑み、私のために自分自身を献げなさい。これからは、することなすことすべてを私のために行いなさい。あなたを焼き尽くしたい、あなたを燃え立たせて、だけを求めるようにさせたい。あなたの花びらで私を飾りなさい、私の花よ。あなたの愛の冠を私にかぶせなさい。私のいばらの冠を外して、あなたの柔らかい花びらと置き換えるように。あなたの芳香で私に香りを付けなさい、を愛しなさい、私だけを。
 私は崇高な愛によって、あなたのために自分のいのちを投げ出した。あなたも、あなたの伴侶に同じことをしてくれないか? 婚約者よ、あなたの伴侶を歓喜させなさい、私を喜ばせなさい! あなた自身を永遠の絆で私に結び付けなさい。私のために生きなさい、私だけのために。私のいけにえ、私の標的、私の網となりなさい。被造物よ、私を愛するか?

私の神よ、あなたを愛さずにいられるでしょうか? 愛しています!

言いなさい、何度でもそう言いなさい。私にその言葉を聞かせてほしい、それを聞くのがとてもうれしい。一日に千回そう言いなさい、毎朝私のうちで休んだ後は、私と向き合って、「私の主よ、あなたを愛します」と言いなさい。

イエス様、あなたを愛します、でもどうしてそんなに厳しくなられたのですか4

(きっと私が十分できていないからでしょう。)

おや、私を誤解しないように! それは愛5が語るもの、それは愛の望み、それは愛の炎、それは愛の熱情の愛である。張り合うものには耐えられない。あなたの聖なる父、伴侶、道連れ、そして神に、り頼みなさい。さあ、お互いの中で休もう。私を愛しなさい、娘よ、それも熱情の愛で6