12.ヴァスーラ・リデン 歓迎スピーチ

神の憐れみは、神を礼拝し、称えるように私たちを一つに結び付ける

エジプト 2023年9月23日 歓迎スピーチ

(アラビア語で)

おはようございます。皆様一人ひとりにご挨拶します。世界の母であり、素晴らしい歴史を持つ国、エジプトへようこそ。ご一緒する良い機会を持てることに感謝します。私はナイルの娘です。私の目がこの世に開かれるとすぐに、エジプトの光を見ました。私のへその緒はまだエジプトに繋がっています。私はこの国とこの国の人々を愛しています。 私はエジプト人を知っています。彼らの心は愛に満ちています。私たちは皆、神の御名を称えるためにここにいます。ここにおられる皆さんの巡礼の日々が素晴らしいものでありますように。そして神の祝福を願います。

(英語で)

エジプト巡礼に参加された皆さんにご挨拶できることを大変嬉しく思います。エジプトは偉大な歴史を持つ国であり、ファラオの国であるだけでなく、聖なる祝福された国でもあります。異なる信仰を持つ私たちがここに集まった理由は、壊れてしまった私たちの間の架け橋を強めるためだけでなく、私たちが皆、創造主である神の似姿として造られたアダムとイブの子孫であることを思い出すためでもあります。

エジプトは、私たちの主イエス・キリストを殺そうとしたヘロデ王から身を隠した聖家族を保護した聖なる国です。エジプトからは多くの偉大な聖人や預言者が出ました。聖家族はエジプトの大地を歩きました。ですから、彼らが一歩踏みしめるごとに、エジプトは祝福に祝福を受けていたのです。

コプト教会のドームの上に聖母の出現が何度もありました。光できらめく聖母を誰もが目にし、聖母の訪問の間には多くの奇跡が起こりました。私たちはマアディのナイル川沿いの教会も訪れます。修道士たちが、修道院の近くのナイル川のほとりに聖書が浮かんでいるのを見つけました。この聖書は開いていて、そこはイザヤ書19章25節の箇所でした。 「万軍の主は彼らを祝福して言われる。『祝福されよ、わが民エジプト』」。

この旅で、私たちは食事を共にし、話をし、一緒に食べ、一緒に歩き、一緒に旅をし、いろいろな場所を訪れ、こうしてお互いについての知識を深めていきます。このような一体感は、多様性におけるいのちの一致と呼ばれ、それは一致を実際に実践していることになります。異なる宗教や教派による対話は良いものですが、十分ではありません。もし実践しないなら、それは不毛な、灰のようなものになってしまいます。

私たちの旅は砂漠を越え、モーセが神から十戒を授かったモーセの山を訪れ、また有名な聖カタリナ修道院を訪れます。預言者ムハンマドがアシュティナームと呼ばれる契約を結び、署名したという歴史的な出来事がありました。それは、聖カタリナ修道院の修道士たちに与えられた、イエスに従う者たちに保護とその他の特権を与える憲章、または文書です。そこには預言者ムハンマドの手を表す刻印が押されています! この手紙の原本は修道院の博物館にあり、私たちもそこにも行けることを希望します。

今、この「時の終わり」において、神はこれまで以上に御自身を顕し、その限りないいつくしみをはっきりと世界に示しておられます。神のいつくしみは、神が私たちに対して抱いておられる無条件の愛から来ていることを理解しましょう。主の慈しみは、1985年に主が私に次のように言われたとき、私たち皆に次のことを思い出させ、私たちを一緒になるように結び付けます。「あなたは私から来ている、あなたは私に由来し、私に属している、あなたは私のもの、私の子孫である……」

私たちは皆、宗教が違っても、世界のどの地域の生まれであっても、同じ太陽の下に生きており、神の御目には、神の光の下にある一つの大きな家族なのです。違う宗教に属している人々も、神に似せて造られた被造物として劣るのではなく、最終的には神の家に住む運命にあります。兄弟として近づこうとする私たちのこの努力が、神に祝福され、喜ばれるものでありますように。

しかし、もし私たちが神の掟に従わないなら、神は私たちに、あらゆる無慈悲な行為、神の掟への不従順、神に対する私たちの冷淡さ、傲慢さ、偽善、そしてあらゆる不十分さの責任を問われるでしょう。神の言われることに耳を傾けなければなりません、そうしなければ、昔のイスラエルの民がそうであったように、神は私たち全員を追放してしまわれるでしょう。

神が私たちを選ばれたのであって、私たちが神を選んだのではありません。私たちは平和、和解、多様性における一致をもたらす神の大使として選ばれたのです。神は、喜んで出て行き、長続きする良い実を結ぼうとする者であれば、誰にでも委ねられます。私たちの第一の使命は、神を愛し、神に仕え、互いに愛し合うことです──残りの人生において善を行い、そうすることで神を称えるのです。私たちは主の御声を聞くために自分の声を低くし、主の御頭が見えるように自分の頭を低くし、主が私たちを引き上げてくださるように、完全に身を低くしなければなりません。

そのようなわけで、1991年1月31日に聖母から与えられたメッセージで終わります。

「主に賛美、あなたたち皆に平和。神はあなたたちをご自分のもとに呼んでおられます。これを黙想してください。神はあなたたちが生まれた時から呼んでおられるのです。あなたたちは神のために生まれ、神を愛するために生まれ、神をお喜ばせするために生まれ、神のもとに戻るために生まれたのです。(……)神はすべての人をご自分のもとに呼んでおられます。神の平和の呼びかけを分かろうとしてください。平和のために祈るよう、強く勧めます。平和を熱心に願うように、祝された子どもたちよ、もう一度言わせてください、私にはあなたたちの平和を求める祈りが必要なのです、春の花束として。全能の神のところにそれを全部持って行き、お捧げしますから。あなたたちの祈りは無駄にはなりません、それは神にとって本物の栄光です。あなたたちの愛を証しするものです……」

ありがとうございました。