16. ミシェル・タオ・チャン(科学者、仏教僧、スーフィー)

神の単一性と唯一性:理解するとは悟りではない

人間はいかにして絶対的存在の存在を認識することができるのか? 神の単一性と唯一性とは、さまざまな宗教や霊的伝統に立ち寄り、答えのない問いを積んだスーツケースを置くことで句読点を打つ、私たちの永遠の旅なのです……

この黙想の発端は次のようなものです。「神を理解するとは、神を悟るということではない」。言い換えると、「神とは誰なのか、神の特質とは何なのかを理解することを通して、感情的・肉体的な五感を使いながら、私たちは絶対的な存在を悟ることができるのか?」ということです。

I.「理解するとは悟りではない」という不満と苦悩の真実

神を悟るとは、内面から発見されるのを待つ一つの処女大陸です。私たちの興味を引きつけ、想像力をかき立てる神の理解についてはどうでしょうか? それは知るということなのか、知覚するということなのか、感じるということなのか、同意するということなのか、経験するということなのか?

人生の指南書に取り残された理解のスーツケースを取り戻して開き、記憶のフィルムを大スクリーンで展開してください。制止画を拡大することによって、過去に中断された「言葉」を表現することができます。「救い主対知識」という直接法(訳注:フランス語の文法用語)現在形として活用するために。

II.「理解するとは悟りではない」という不満と苦悩の原因

神、信仰、情動という三つの用語の背後にあるイメージと概念をよく深く理解すること、そして感情という、三つの用語の背後にあるイメージと概念をより深く理解することが、私たちの心と精神を明晰にするために不可欠です。

神:自分自身を知る、そうすれば、宇宙と神々の世界を知るでしょう。

信仰:科学は議論し、証明し、疑いますが、信仰は肯定し、引き受け、行動します。心の友情は信仰です。それは私をもう一人の別の私にします。信仰に対する疑いは、あらゆる真理への疑いへと導きます。信仰は、壊れた世界があらゆる光の中に現れるための力です。信仰とは、24時間の疑いの中で、1分だけ希望することです。信仰は山々をも持ち上げますが、疑いを持つ者たちの頭上には、この山々を楽しげに落とします。

感情を読み解く能力:無視された情動は感情的な支配につながります。現在を過去にもう一度注入することだけが、過去を新陳代謝する必要を回復させ、新しくされたこの情動を消化することができます。

心理哲学的な用語、表現、格言を理解し、今日の行き過ぎた消費主義の世界における「もっと、もっと、もっと」に刻まれた幸福の概念は限界に達しているということを理解する。そして、感情を読み解く能力における情動を理解し、より賢明な世界で「より少なく、より少ない欲で生きる」ことで、私たちは喜びと持続可能性の中で成長することができます。

III.「理解するとは悟りではない」という不満と苦悩の終焉

人類の「苦しみ」との戦いは、「究極の審判」としての「感情」との記憶の戦いです。それでもなお、情動こそが人類の進化の源泉であり、原因なのです。

外見や名前の違いが放棄され、あらゆる差別がなくなると、残るのは真に本質的な物事の性質です。物事の本質として断定できるものは何もないため、現実は「そのようなもの」と呼ばれます。この普遍的で、未分化で、ちりばめられない「そのようなもの」こそが唯一の現実なのですが、それは真理、心性、超越的知性、智慧の完成など、さまざまな性格を持ちます。

この教えは、究極の実在の本性──本質は想像を絶するものであるというものであり、すべての聖者たちや仏子(ふっし)たちによって宣言されてきた教えです。そして、万物をこれと完全に一致して理解するなら、人は完全な知識を持つことになります。

IV. 神の悟りへと至る道:神の三つの視点と四つの達成

一つの人類、多くの信仰、神は万物を愛しておられ、万物は神を愛している。
世界とはただの振動であり、振動の魂とは「感情」の情動である。

1. 第一のものは、創造が神の手の業であるという証拠である。数多くの科学者が、自然を研究すればするほど、私たちはデザイナーに過ぎなかったと証言している。宇宙は知的存在によって許されているのであり、万物の背後に至高の知性が存在することを確信せずに、自然の神秘と親しく接したり、物理学を研究したりすることはできない。
2. 第二の道は観想の入り口であり、最も内なる自己で神の実在を感知するということである。神を理解するとは神秘的なものであり、知的なものではない。ブレーズ・パスカルは言った。神を知覚したのは心であり、理性ではないと。
3. 第三の証拠は超自然的なものである。この源にアクセスできる人は少数だが、私たちはそのような体験をした人を信頼できるガイドとみなす。彼らは宗教の創始者であり、霊的な領域を旅した人々である

私は結論に達しました。人類の生来の善良さについては古代の人々に従います。調和のとれた世界、調和のとれた社会を実現するという目標は、間違いなく達成されるでしょう。

1. すべての国の平等な地位と調和のとれた共存を達成する。
2. 異なる民族の平等な地位と調和のとれた共存を達成する。
3. 人類の平和と幸福を維持するために、影響力のある政党や集団の間で開かれた心を持ち、一致する。
4. すべての宗教の違いの中にある共通点を求め、互いを尊重し、平和的に共存する。

これら四つの課題をすべて達成するのは容易ではありませんが、諸宗教の一致を達成することから始めれば、他の三つの分野でも同様の効果をもたらすことはほぼ確実です。それが、今回の巡礼で取り上げる「神のあわれみは、神を礼拝し、賛美するために、私たちを一致のうちに結び付ける」というテーマの深みにある、人間の一部分なのです。