ノート13のメッセージ

私たちを愛で飾りなさい

1987年6月20日 ノート13

(タイ)

明かりをともしてくれて、どんなにうれしかったことでしょう。

(聖マリア)

私たちを愛で飾りなさい、私たちの平和を受けなさい。

(聖マリアは、愛を込めてこの言葉をおっしゃいました。私は十字架のみちきをする前に、聖マリアのためにろうそくをともしておいたのです。)

行い

1987年6月19日 ノート13

ヴァスーラ、行い、行い、私は行いが見たい。あなたから愛の言葉を聞くのも喜びである、それは私の傷を癒やすバルサム、だが、あなたの行いを見るなら、私は一層喜ぶだろう! 来なさい。私が地上で肉のうちにあった時、どのように働いていたか、また私と同じやり方で働くために、私が弟子たちにどう教えたかを思い出させてあげよう。

ピオ神父1はあなたのように働かれました。

彼は私のために働いてくれた。私を尊び、私の名前をよみがえらせるために、彼にあのすべての恵みを与えた。私の名において働くことは、私の栄光をたたえ、あなた自身を清めることになる。覚えておきなさい、私はすべての人を照らしている。

私のような人々も含めてですか?

そうだ、あなたのような魂も含めて。

あなたの御心が行われますように

1987年6月18日 ノート13

イエス様?

私だ。ヴァスーラ、あなたを用いよう。

最後まで用いてください、主よ。

愛する者よ、彼らに伝えてほしい、私の望みどおりに働く自由を私に与えるようにと。そして祈りにおいて、また私へのすべての嘆願において、こう付け加えるようにと。「しかし、私たちの願いではなく、あなたのみこころが行われますように」。私から学びなさい、私を尊びなさい。

あのキレネ人のようであってはならない──一致

1987年6月17日 ノート13

(ダッカ)

あなたは私のみじめさに気付かせてくださいました。その上、私が邪悪で、与えてくださった恵みに全く値しない者であるにもかかわらず、私に近づいてくださったことを分からせてくださいました。聖人たちと比べればそれは明らかです。ですから、なぜ「疑いの波」が来るのか、お分かりでしょう? 理由はこれだけです。私が全くふさわしくないから。思い出してください、あなたはすべてを一から教えてくださいました。思い出してください、私が最初、あなたをどう拒んだかを。あなただと知っていたのに? 言いたいことがお分かりでしょう? このような理由で「疑いの波」が来るとき、私はあなたに逆らい、あなたを傷つけていると分かっています。あなたは以前、こうおっしゃいました。「あなたを闇から救い出した者が誰であるかを忘れるとき、私は傷つく」と。その一方、あなたがどうして私のような魂のもとに来られて、これほど重要な使命をお与えになったのか、聖書を全くの初歩から始めなければならないような者、150パーセントの罪人に。 それを理解しようとすると、私の心は混乱しそうになるのです!
 あなたのお導きが進めば進むほど、奇跡が起きます。主よ、全くの無神論者たちが夢中になったのです。あなたがそれを祝福なさったのですから、驚くべきではありませんが。神を信じていなかった人たちが、次から次へと、メッセージを読んであなたのもとに戻って来ています。「このすべてを、一ページたりとも、私に読ませることは決してできない。私は形あるもの、金、ビジネス……しか信じていないのだから」と言った人の言葉がまだ私の耳に響いていますが、今やその男性は奥様よりも熱心で(奥様は最初、彼を説得しようとして失敗したのです)、イエス様のお導きの全部の版をほしがっており、それによってとてつもなく大きな心の平和を得ていると言っています。私は話すのが得意でないので、彼と話したことはありません。ただそうなったのです。イエス様、当然ですね。あなたは何てすばらしいお方なのでしょう!

私はイエス、神の愛する子。あなたが私の超自然的なわざを信じられるように、これらのすべての本を送り続けている。私のパンであなたを養ってきた。私のわざを決して疑ってはならない。私の恵みのすべてを一つひとつ学んでほしい、だから、すべての新しい啓示に注意しているように。すべては私から来る。

(十字架がまたもや私を押しつぶそうとしているように見えました。「十字架」とは、神のメッセージのことです。)

イエス様?

私だ、持ち上げなさい! 持ち上げなさい! 倒れてはいけない、あなたを助けるために私がそばにいる。私の十字架を持ち上げなさい、あのキレネ人のようであってはならない。喜んでするように。来なさい、愛する者よ、道は険しいかもしれないが、私がいつもそばにいて、私の十字架を分かち合っている。ヴァスーラ、私を見なさい!

(主を見ました。最も痛ましいお姿で、塀の角をつかんでおられました。いばらの冠をかぶり、血に染まった衣服を着けておられました(体の半分は裸の状態で)。全身が汗と血で覆われ、肌よりも血の部分が多く見えました……むち打たれたばかりで。)

私はこのような仕打ちに値するだろうか?

いいえ! 私の神よ!

私を尊びなさい、娘よ。

誰があなたにこんなことをしたのですか、主よ?

誰かと? 魂だ、ヴァスーラ、それは魂たち。ソドムの生き写し、生き写しとはそっくりだということだ。

(しばらくして)

娘よ、私は教会の一致を切望している! 一致を!!

(イエスは強く主張され、これらの言葉を大きな声でおっしゃいました。)

香港 ──この世の富──エイズ

1987年6月15日 ノート13

(昨日、香港に飛びました(家族の休暇のために)。バンコクでの乗り継ぎの時に、あることが起きました。私は乗り継ぎロビーにあるベンチの端の席で、何かを読もうと座っていました。すると突然、一人のアラブ人が、私のことなど完全に無視して私の足元にじゅうたんを広げ、自分の後ろにいた二人と一緒に、床にひれ伏して神を礼拝し始めたのです。かなり大きな声だったので、周囲の大きな注目を集めていました。私の周りには誰も座っていなかったので、気まずい感じがしました。私は彼らのちょうど目の前にいたので、彼らの邪魔をしているかのように感じました。身動きできませんでした。彼らの声は次第に高くなり、誰かが私の背後から、この気まずい光景全体を写真に撮っていました。

 その後、神は私に話されました。「この男は、自分の祈りを十分に大きな声で唱えた。多くの人々の注目を集めるには十分だった、彼の声は乗り継ぎロビーで聞こえたが、それはあのロビーの中でだけだった。壁は彼の声を聞いた、だが私の心には何一つ聞こえなかった、すべての言葉が彼の唇に残ったままだった。それでも、あなたの声は聞こえた、他の誰にも聞こえず、あなたが私に言ったことを知る者は誰もいなかったが、それはあなたの心から出ていた、口先だけではなかった」。

 このことは書きたくありませんでした。差別のように聞こえるのを恐れたからです。しかし神はこうおっしゃいました。「何を恐れているのか、私は真理である。それに、こういうことはキリスト者にも起こり得ることではないか?」
 今日は、街や郊外のバスツアーに行きました。突然、目の前の高層ビルに代わって、複数の巨大な黒い十字架1が見えました。自分の空想かと思ったのですが、「いや、それはあなたの空想ではない。私の十字架だ」という神の御声が聞こえました。『消費者の楽園』を見た時は、もしそこで生活しなければならなくなったら死んでしまうだろうと思いました。私にとっては拷問です。一年前には、ここは楽園だと思っていたなんて 
 神は、次のことを言わずにおくことも望まれません。バスツアーで、ガイドが香港で最も裕福な人の大邸宅を見せてくれました。そして、香港中でとても有名な億万長者が二人いることを教えてくれました。すると、こう言われる神の御声が聞こえてきました。「だが、私は彼らが誰か知らない。この世に属する者たちだ」。

彼らの富はこの世の富だ。私の王国では何も持っていない。

(神は私に代わって、御自身でこれをお書きになりました。)

愛する者よ、あなたにしるしを与えよう。目を覚ましていなさい、ヴァスーラ、私から聞いたことを信じなさい。

あのアラブ人のことを考えていました。

彼には聖性が欠けていた。あなたでさえそれが分かったであろう。

(しばらくして)

おお、ヴァスーラ、私はもっと尊敬を受けるにふさわしくないだろうか?

(そう言われるのではないかとびくびくしていました。神と共に書くチャンスがないので、息子や夫のいるホテルの部屋で試してみました。テレビがついていたので、「ウォークマン」を耳栓代わりにしていたのです。どこにも行く場所がありません!)

当然ながら、そうした便宜は取り上げる。

なぜですか、主よ?

なぜかと? あなたに神を求めることを教えるためだ。私たちが二人きりになるときまで待ちなさい。

おゆるしください……。

ゆるす。それゆえ、ヴァスーラ、中断されている間も働きなさい。

どのようにしてでしょうか、主よ?

あなたの耳に私のすべての望みをささやかせてもらいたい。ヴァスーラ、私を求めなさい。あなたに授けた恵みを使いなさい。覚えておくように、私の手があなたの手を用いるだけではないということを。あなたの耳を開けた、私をどう見、どう感じたらいいかを示した、だから他の恵みも使いなさい。愛している。

イエス様?

私だ、ヴァスーラ。

私たちはまたこうして一緒にいるのですね。

そうだ、だがあまり長く続かない。あなたが以前の生き方を追い求めていないからと言って、私を後回しにしてはいけない。私をあなたの心の中に閉じ込めなさい、子よ。

主よ、もっと大きな試練に遭うのでしょうか?

ああ、そうだ、もっと多くの厳しい試練に直面するだろう。

(ため息が出ました。)

私を信頼しなさい。あなたのそばにいる。あなたは私のいけにえ、そうではないか? でなければ、どうしてあなたを悪の中に置くだろうか? 私はあなたを悪へと差し出し、邪悪さの中に置いた。

けれど、私も邪悪です。どう違うのでしょう? 私も彼らと同じような者です。

そうだろうか? それならなぜ、あなたは私のもとに戻りたいと望んだのか、あなたの家に?

あなたを愛しているからです。

他の人々を私のもとへ引き寄せるために、あなたを私に似せて造った。この世の心配事からあなたをさらに離脱させよう。待っていなさい、今に分かる。ヴァスーラ、そうだ。

(まさに目の前にイエスを見ました。)

私を愛しなさい。さあ、昨日したように、私の手を取りなさい。

(しばらくして)

ヴァスーラ、エイズという言葉を書きなさい。

エイズ(AIDS)ですか?

そうだ、それを義という言葉に置き換えなさい2。私のあわれみの聖杯はあふれ出している、そして私の義の聖杯もいっぱいになっている、これをあふれ出させてはならない! 世は私に逆らっていると以前にも言った、私は愛の神だが、義の神としても知られている。私は無神論を忌み嫌う!

(しばらくして)

愛する者よ、あなたは私の体の中へ入って来るだろう、私のとげと釘を見せてあげよう、

主よ、そのすべてをどうやって見ればいいのでしょうか?

見ることができるように、視力を与えよう。私の釘ととげを抜き取るための力を与える。私は再び十字架につけられている。

でも主よ、どうして御自身をまた十字架につけるのをお許しになるのですか?

ヴァスーラ、ヴァスーラ、私は私自身の者たちに捕らえられ、愛する者3たちからもないがしろにされている、さあ、私をほめたたえなさい、私を愛しなさい!

あなたを愛します。あなたにつき従います。それはいつ起こるのですか?

ああ、ヴァスーラ、私の前に飛び出さないように。来なさい、何事にもふさわしい時がある。

でも主よ、ご存じのように、私はよそ者です。無に等しい者で、あなたが言われた場所で何が起きているのかも知りません。それなのに、誰が私の文書(あなたのお書きになったもの)を読みたいと思うでしょうか。もし彼らの手に届いたとしても、笑って私の顔に全部投げつけることでしょう。きっと、紙吹雪のように私の周りにばらまくに違いありません。結局のところ、私は何者でしょう? 「本職の罪人」以外の何者でもありません!

あなたを導いているのが誰であるかを思い出しなさい! 私は神である、あなたが友人に何と言ったか覚えているか? そう、神を信じないその人に? それは私の言葉だった。「あなたはまるで、大男のもとから逃げ出すねずみのよう。あなたは小さなちりの粒!」。

(確かにそうです。私たちの友人で、神を信じていない人が、神からメッセージを受けたのです。後で彼はこう言いました。「このメッセージは、俺が丸二十年間抱き続けてきた信念をたった三十秒でぶち壊したよ。俺のような『本職の罪人』が何でこんなメッセージを受け取らなければならないんだ? でも俺は闘うぞ。逃げてやる」。私は笑いました! そして彼に神の言葉を伝えました。)

ヴァスーラ、私を信頼しなさい。

主よ、信頼しています。でも、私が問題なのです。なぜ私を信頼されるのですか? 信頼されるべきではありません。私の主よ、私には善意しかありません、ええ、でもあなたのおっしゃるとおり、とても弱いのです。私を信頼しないでください! とても罪深いのです。

ヴァスーラ、あなたは言葉にできないほど弱い。そんなことは永遠の昔から分かっていた。だが無でありなさい、無であってほしい、もし私たちがばらばらであったら、他にどうやって私だけを明白に現すことができるだろうか? いつも私の自由にさせなさい、そうすれば私はあなたの中で行動することができる。さあ、私にり頼みなさい!

私の血は噴き出している

1987年6月11日 ノート13

(今ではもうほとんどの家具が送られてしまい、書くときに座る椅子でさえも探さなければならなくなりました。荷造り業者が立ち去った後も、家はまだ散らかっています。あちこちに書類の山があり、どの机の上にも靴やビン、新聞紙、ベルトなどが散乱しています。こんな引っ越しの最中なのに、送別会のビュッフェの準備(一回は八十人、もう一回は三十人)をしなければなりません。神の御手は少しも休むことなく、毎日いつも、二、三時間は神のために書く時間が見つかりました。神は驚くほどの力を与えてくださり、少しも疲れを感じません。私は完全な平和のうちにいます。神の平和です。)

ヴァスーラ、私の魂の愛する者よ、私のそばにとどまりなさい、顔を私の方に向けて、私の指をあなたの心に触れさせてほしい。私の子よ、あなたをどんなに愛しているか知っていてくれたなら。最後まで教え導こう。私のためにもっと犠牲を献げなさい──私のために苦しんでくれるか?

はい、主よ、お気に召すようになさってください。

(主は以前にもこのことをお尋ねになりましたが、私は恐れてためらったのです。今もう一度主がお尋ねになりました。)

ヴァスーラ、とてもうれしい! 私のために、小羊のように自分をいけにえとして献げてくれるか?

お気に召すようになさってください、主よ。

無駄になるものは何もない、すべては平和と愛のためとなるであろう。私の渇きは大きい、ヴァスーラ。あなたを不毛の地に連れて行こう、そこで、あなたの目はこれまでに見たこともないものを見る。あなたを天の力によって導こう、血を流している私の体の、まさに一番深い所に。私の体のとげとなっている聖職者の罪人たちを皆、私の指であなたに指し示そう。私は彼らを容赦しない。私は疲れ果て、傷はかつてないほど広がり、血が吹き出している。私自身の聖職にある魂たちによって、私は再び十字架につけられている!

私の神よ、あなたは私に大きな苦しみをお与えです。どうして彼らはそんなことをあなたにするのでしょう? どうして?

ヴァスーラ、彼らは自分のしていることが分かっていない。愛する者よ、あなたの神と一緒に奮闘しなさい、すすんで私の苦しみを直視し、私と共に分かち合ってほしい。

そうします、あなたをお慰めするために。あなたを愛している人々のことを思い出してください!

その人々は、私の魂の愛する者たち。そのような魂がもっと必要だ、私のために自分の心を献げる者たちが。彼らを愛し、信頼している、彼らは私から食べている。彼らは私のいけにえ、私のとげに取って代わるなめらかな花びら。私のミルラである。

 ヴァスーラ、恐れなくてよい。私たちは闇が支配している場所へ、さらに深く入り込んで行く。あなたを導こう。

(その後、私の魂は神の苦渋を感じ始めました。食べ物も、飲み物も、口に入るものすべてが苦いのです。主は御自身の聖杯から私に飲ませられました。すると息がしづらくなり、私の魂と体が痛みました。)

「神のうちのまことのいのち」と呼びなさい

1987年6月10日 ノート13

(バングラデシュのダッカにて)

(昨日、出発のための最後の荷作りをしました。大変でした!)

主よ、『キリスト意識』と呼ばれる理論について考えていました。これは「私たちの善良な内なる自己」という意味なのだと思います。もしかしたらこの書き物はそこから来ているのかもしれませんね?

ヴァスーラ、私たちは結ばれていると言わなかったか、私たちは一つだ、愛する者よ。それをこう呼びなさい。「神のうちのまことのいのち」と。私のために生きなさい。

 さあ、あなたに書いてもらいたいことがある。

(今度は何を書こうとされているのかしらと考えていました……)

私の望みを、小さな子よ。

(神は聖書のある箇所を読ませられました。)

そうだ、高く上がって来なさい、聞くように、私の教会で私に会いたいか? ヴァスーラ、私のもとに来なさい。

どの教会ですか、主よ、どこの教会のことをおっしゃっているのですか?

すべてが私の教会だ、それらは全部私の教会である、すべて私の、私だけのもの、私が教会であり、私が教会のかしらである。

でも、イエス様、先ほどのおっしゃり方ですと、私にどこか特別な教会に行くことを望んでおられるように聞こえました。そのように理解し、そう聞こえたのですが!

どの教会であれ、いつでも私の所に来ることができる、他の者たちのように区別してはならない。それらはすべて私のものである1。私は唯一の神、唯一の体を持っているが、彼らはそれに障害を与えてしまった。いしうすが私の体を痛めつけてしまったのだ。

私の神よ、あなたはとても動揺されているようです!!

動揺? ああ、ヴァスーラ、なぜ、どうして、彼らは冷酷にも私を切り裂いてしまったのだろうか?

(神はとても動揺しておられました。イエスがエルサレムの神殿で「両替人」たちの台をひっくり返された時のことを思い出しました。主がこれほどまでに動揺されたのは、今まで一度も、聞いたことも、見たこともありません!

ヴァスーラ。

イエス様?

私だ。

そんなにも動揺されているとは、本当にあなたでいらっしゃるのですか?

ああ、そうだ、私だ。ああ、そう、やっとあなたの上に私の言葉を置くことができる。ヴァスーラ、カリスマ(聖霊のたまものは、あなたの利益のために与えられるのではない、それが与えられるのは、私の言葉をあなたの上に刻みつけるためである。

そんなにも心を乱しておられるのはこれまで感じたことがありません! そうなのですか?

そうだ。私の体は痛む。それは引き裂かれている。

私の神よ! でも私に何ができるでしょう? 私は無力です!

そのすべてを私が承知していないはずがないであろう、ヴァスーラ? 最後まであなたを用いる。私を恐れなくてよい、娘よ。私の教会を一致させることは、私の体の栄光となるだろう。私の平和を受けなさい、愛する者よ。

はい、主よ。左も右も後ろも見ません。まっすぐ前を見ることにします。

そうだ、私の働き方を理解しなさい。今のように静かにしていなさい、進んで私を喜ばせ、私と一つになるように。

主よ、あなたが聞いてほしいと思っておられる人たちが、もし聞かなかったら? どうなるのでしょう?

あなたは今、私より一歩前に出ている! 子よ、私と一緒に歩くように。共に、そう、私に付いて来なさい、私に信頼して。さあ、あなたを案内しよう。

(不意を打たれてハッとしました。犬が吠えたのです(普段はないことです)。そして私の寝室の扉が開き、三日前の晩に私たちの部屋に忍び込んでお金を盗んで逃げた泥棒が目の前にいることに気付きました。あの泥棒がまた来ていたのです。出て行くように命じました。彼は振り向いて出て行きました。そして私は警報を鳴らしました。間違いなく、神が私に何かを伝えようとされているのが分かりました。)

ヴァスーラ、あなたにあることを思い出させている。その盗賊2が部屋に入って来た時、あなたはそれを予期していたか?

いいえ!

私もそのようにして来る。突然に。彼に気付いた者はいなかった、そこに盗賊が来るとは誰も予期していなかったからだ。

(イエスは十人の荷造り業者と事務所の人たちのことを言われたのです。彼らはその泥棒を見たのですが、泥棒だとは思いませんでした。主が言われた最後の文はとても重要であり、言外にさらに多くの意味が隠されていると感じました。「気付いた」という言葉にも、とても深い意味があります。)

他にも何か思い出したことがあるか? 教えよう、その盗賊は罪を犯した、だが、彼に裁きを下して背中をむち打つ者たちも、罪のうちにいたのではないだろうか?

私に何を理解させようとされているのか分かりません。そうです、私たちは皆罪人です。

ヴァスーラ、この一部始終を見ながら、私は黙っていられるだろうか?

あの泥棒を擁護しておられるのですか、主よ?

いいや、ヴァスーラ、そうではない……3 罪を犯したことのない人の名を一人でも挙げてみなさい。

(誰の名前も浮かびません。)

大きな罪も、小さな罪も、みな罪である、罪を犯すことは私を深く悲しませる。ヴァスーラ、私はあまりにも多くの罪を目撃している。愛は苦しんでいる。愛は嘆き、嘆き悲しんでいる。……被造物よ! 私の被造物よ、愛に立ち帰りなさい……

 娘よ、私を愛で満たしなさい、償いなさい、愛する者よ、償いなさい。

被造物の中に私を見なさい

1987年6月9日 ノート13

(昨晩、空に神の御顔を見ました。空は美そのものでした! 腕のいい画家が描いた絵のようでした。その中に神の美しさを認識したのです。それは明らかでした。)

そうだ、ヴァスーラ、被造物の中に私を見なさい。私を認識し、私を愛しなさい。

私に頼るように

1987年6月8日 ノート13

ヴァスーラ、私のわざを確立させたい。

どうすればいいのでしょうか?

あなたを教え導こう。さらに先へと導こう、私に頼るように、私の平和を受けなさい。

私を慰めるにはそれほどわずかで足りる

1987年6月7日 ノート13

ヴァスーラ、そう、私の顔を見つめなさい。私を見てくれたなら、慰められる。彼らに伝えなさい、私を慰めるにはそれほどわずかで足りるのだと。来て、私をほめたたえなさい、私を愛して。

(目の前にせいがいの写真がありました。このメッセージをイエスが書かれた時、その写真を見ていました。)