1987年6月のメッセージ

彼らに私のやり方を思い出してもらいたい

1987年6月30日 ノート13

(ダッカ)

(イエスが書くように促されたので、急いで来ました。)

あなたを呼んだ!

(イエスが喜んでおられるのが感じられ、またそのように見えました。)

そう、私はうれしい、そう感じている! 来なさい、共に働こう、私の望みを繰り返す。ヴァスーラ、私のわざを示すことを恐れないように。

主よ、親友のマーサのことを思い出しました、直情的なあの人です。今の私は彼女のように忍耐が足りません。ものごとが速く進んでほしいのです。明日、今日、できることなら今、あなたのお望みが全部、今成就してほしいのです。今こそとげが抜き取られて投げ捨てられ、やりがあなたのみこころから引き抜かれて、あなたのすべてのお望みが成し遂げられてほしい!

ヴァスーラ、慌てないように。

(主が御手で私の頭を優しくなでてくださるのを感じました。)

私の望みにもう一度耳を傾けなさい、彼らに私のやり方を思い出させたい、互いに毒矢を放ち合うのはやめてほしい、ヴァスーラ、私は政治家だったであろうか?

(イエスはこの質問で私を驚かせました。お声の調子がいつもと違っていました。)

そうですね、今となっては、私でさえあなたが政治家ではいらっしゃらなかったことが分かります……

そのとおり、私は政治家ではなかった、ヴァスーラ。あなたは私が何であったと思うか?

あなたがこの地上で肉体のうちにおられた時のことでしょうか、主よ?

そうだ。

神の愛する御子であられました。

そうだ、分かるか、私が政治家でなかったことは、あなたでさえ知っている。ヴァスーラ、ちょっと考えさせてほしい。

(イエスはいつもの姿勢で考えておられました。片方の腕はお腹の上に横向きに、もう片方の腕はひじを腰の辺りに置かれ、人差し指を頬に当てておられました。)

あなたは私の導き全体を通して、少しでも邪悪さの片鱗へんりんを感じたことがあるか?

いいえ、ひとかけらも感じたことはありません、主よ。全然ありません。

よろしい。

それはどういうことでしょう、主よ?

ヴァスーラ、あなたはこれまでどのように感じてきただろうか?

(イエスは私の先の質問を無視されました。)甘やかされているように感じていました。あまりにもたくさん愛され、抱き締められ、ゆるされて。

続けなさい。

あなたの愛で高揚し、平和で満たされ、すばらしい気持ちになりました。あなたと共にいるとき以上に、また、あなたが愛をもってもう一度道を示してくださったとき以上に、幸せを感じたことはありません。あなたは私に神の愛、聖性、謙遜を教えてくださいました。

そうだ、分かるか、ヴァスーラ、そこには政治的動乱のかけらもない。全くない。

(イエスは「全くない」ことを示すか、あるいは強調されるような手振りをなさいました。)

それこそが私であり、私は全くの愛である、そしてこれこそが私のまことの、ただし本当にまことの弟子たちに、なってもらいたいものだ。
 ──聞きなさい、私は教会である。決してこれを忘れないように。私の平和を受けなさい、ヴァスーラ。

あなたを愚かなほどに愛しています。今はもうご存じですね、イエス様。

愛する者よ、私の心は愛の炎であなたを飲み込むであろう。あなたを私の心の中にとどめさせてもらいたい。

(前に見た幻(ビジョン)のことを思い浮かべました。)

五本の光線は、私の五つの傷口から出ている。

そして、一本の光線の上にあったろうそくは?

明かりをともしてもらいたい。

十字架のみちきで?

そうだ。

そして、あなたを見ました。

そう、私はいばらの冠をかぶっていた。覚えているか?

はい、覚えています。でも最後の光景は何だったのでしょうか?

私の油注ぎである。

その時、私はどうして押されてひれ伏した状態になっていたのでしょう?

ひれ伏すべきだったからだ。

そして主よ、聖杯は?

あなたたち自身を清めるため、そして私の聖体を尊ぶためだ。

ありがとうございます、主よ。

ヴァスーラ、私の体の奥深くで、私の心にやりの先が突き刺さっている、それはいつもそこにある。このやりが取り除かれることを願っている。平和、一致、そして愛を達成して、私の体の栄光をたたえなさい。

愛する神よ、そのすべてが、私にはあまりにも漠然としています。お言葉の意味が分かりません。

私の頭に突き刺さっているいばらを取り除きなさい。ヴァスーラ、私のためにそうしてくれるか。私はいつもあなたの目の前にいる、私の体を癒やしなさい、痛みを和らげてくれるように。五つの傷は大きく開いている、見えるか? 私を愛し、私を飾り、美しく飾り付けなさい、自分の命以上に私を愛していた初代キリスト者たちのことを、彼らに思い出させなさい。

主よ、私にはあなたのメッセージをコピーして、人々に配る以上のことは何もできません!

あなたはそれよりもっと多くのことを行うだろう。あなたを導いている者が誰であるかを決して忘れないように。

はい、主よ。あなたに頼っています。

あなたの造り主の恵みの中にとどまりなさい

1987年6月27日 ノート13

(ようやく今分かりました。私は分離されていたのです。私の体は動き回っていましたが、私の魂はその中にはありませんでした。私の魂を―─私の神よ、あなたは取り去られました。私はまるでなきがらになったようでした。完全に離脱していたのです。このようなことを体験した人がいるでしょうか? 少なくとも目が覚めている間中、神のことしか意識していないなんて。毎日二十四時間、しかも一年以上にわたって、神だけを意識し続けた経験をした人がいるでしょうか? しかも、私の意識がれ始めると、すぐに主の御手であごをつかまれ、ほほ笑んでおられるイエスの御顔の方に、私の頭をまっすぐ向けさせられるのです。そのような状況においてさえ、他のいろいろなことに対処できていることに、私自身驚いています!)

ヴァスーラ、今やあなたの心を取り上げて1、私の心の中に置いた。私はヤハウェ、あなたを愛している! 私の愛を優しく抱きなさい。被造物よ、あなたの造り主の恵みの中にとどまりなさい。

どうやって、どのようにして、あなたの恵みの中にとどまればいいのでしょう?

聖なる者とならなければならない。

どうしたら聖となれるでしょう?

私を熱心に愛することによって。

では、もしそれがあなたのむねなのでしたら、そうなれるように助けてください。

あなたを助けよう、私の祝福を受けなさい。あなたに害を及ぼすようなことは決して求めない。このことをいつも覚えておきなさい。

来なさい、私の心の最も深いないおうにある望みを打ち明けよう。それをあなたの上に刻みつけさせてほしい、小さな子よ。

油注がれた者の幻

1987年6月26日 ノート13

(バンコク)

(午前七時半に、色鮮やかな一つの雲を見ました。目を奪うような美しさでした。すると、そこから五つの光線がまるで星のように姿を現したのです。私が「見て!」と言うと、誰かの手が私の背中を前に押し出しました。するとさらに変化が起き、一つの光線の上に一本のろうそくが現れたのです。私はまた「見て!」と言いました。背後の手が私を押したので、私はひざから倒れてしまいました。でも、誰がそんなことをするのかとわざわざ振り返ったりはしませんでした。目の前の光景を一瞬たりとも見逃したくなかったからです。五つの光線はそのうちくるくる回り出し、そのスピードで一つの光る輪のようになりました。すると突然、その光る輪のちょうど真ん中からイエスが現れたのです。私は「見て!」と言いました。すると、誰かの手がまたも背後から私を押したので、今度は地面に手を突いてしまいました。突然、イエスを礼拝する何百もの声が聞こえてきたのです。彼らはただ、「イーエース」とずっと言い続けていました。その後、イエスの姿が消え、代わりに別の光景が現れました。もう一度「見て!」と言うと、あの手が私を押し、私は地面に突っ伏して、今やひれ伏した状態になり、頭だけを持ち上げて最後の光景を見上げていました。誰かが五人の人たちに取り囲まれ、ひざまずいている姿が見えました。その場面の正面には、まばゆいばかりの銀色の聖杯がありました。五人の真ん中でひざまずいているその人に、その五人が何かをしています。その時、油注ぎという言葉が聞こえてきました。その途端、すべてのものがぱっと消えたのです。)

私の神よ、あなたが与えてくださった夢が理解できませんでした。

知恵があなたを教え導くであろう。

私をあなたの霊的指導者としなさい

1987年6月23日 ノート13

イエス様、あなたは一番初めから、私の師でいらっしゃいました。ですが、少しだけ指導してくださるような、いわゆる霊的指導者のような方を、私に付けていただくことはできないでしょうか? 今までのところ、私には誰もおりません。私が接触した方々は、興味がないか、忙し過ぎるか、怖がられるかのいずれかでした。「私の子よ、こうしなさい、ああしなさい」と穏やかに言ってくださり、面倒を見てくださるような方は一人もいませんでした。唯一、はっきりと指示を出してくださった方は、「やめなさい。これは神からのものではないから、書くのをやめるのです、少なくとも数日間は。そして様子を見なさい」とおっしゃいました。その方の言われたことを聞き入れて、私は本当に書くのをやめました。けれど、私が自分のメモを書いている時に、あなたの御手が思いがけず、「神である私はあなたを愛している、このことを決して忘れないように」と書かれました。あなたは私の手を完全に捕らえられました。数分後、もう一度書かれました。「私、神があなたを愛しているということを、何があっても決して忘れてはならない」と。それはまるで、私を愛する誰かが、牢の中にいた私を訪ねて来てくれたような、突然の訪問でした。すばらしかったです!

私の子よ、私をあなたの霊的指導者としなさい。私では十分に満足できないと言うのか? 私はあなたの欠けたところすべてを補う者。ヴァスーラ、十字架のみちきのやり方を変更して、私を喜ばせなさい、ただ明かりをともして、一つひとつのりゅうの前でひざまずくことによって。さらに指導を与えていくことにしよう、すべてふさわしい時を見計らって。

イエス様、デイビッドに会わせてくださり、ありがとうございました。

私の子よ、私の言ったことを伝えて、デイビッドにこう尋ねなさい。「あなたを使わせてくれるか?」と。

主よ、以前にも同じことをお尋ねになりませんでしたか? 何をおっしゃりたいのか、はっきり教えてくださいますか?

彼が私のために喜んで働いてくれるかどうか、という意味だ。私の十字架は重い、少しの間、私から下ろしてくれるだろうか?

はい、主よ。

もっと近づきなさい。

私の体は傷を負っている

1987年6月21日 ノート13

主よ、なぜこんなに多くの人々が、あなたを忘れてしまったのでしょう?

ああ、ヴァスーラ、私の体は麻痺まひするほどの傷を負っている。ヴァスーラ、十字架のみちきの一つひとつのりゅうでひざまずき、明かりをともしなさい。

(私は黙ったままでいました……)

ヴァスーラ、私が話した、

主よ、私に何ができるでしょう?

何もできはしない、私にすべてを行わせなさい。

(はい、けれど、誰も知らないのですから、それを行う人は誰もいないでしょう!)

信仰も私から与えられる恵みだ、ヴァスーラ、私への信仰を持ちなさい。

(しばらくして)

今やあなたは私を魅惑してしまわれました、私はこれからどうなるのでしょう?

知りたいか? あなたを私の腕の中から、捕囚の民となってしまった私の被造物たちの中へ投げ入れる! あなたは彼らの中で生きるだろう!

私の神よ! もう私を愛しておられないのですか?

(かなり動揺しました。)

あなたの御腕の中にいるのは本当に素晴らしかったのに、今度は私に出て行ってほしいなんて!

ああ、ヴァスーラ、どうしてそんなことが言えるだろう1
 このひどい悪の中に置かれたあなたを見て、私の心は引き裂かれ、傷ついている。私の子よ、私が神無き人々の間に、あなたをいけにえとして置いていることを理解してほしい。あなたをかりまいの地に置いておくために、私はつらい思いをしている。娘よ、多くの人々があなたを傷つけようとするだろう、今のところは、あなたが苦しむのを私は何とか耐え忍べる2、だが、彼らがあなたを傷つけるのは容赦しない、決して、容赦しない。

どうなさるおつもりなのですか、主よ?

傍観するつもりはない。

でも、なぜあなたは私を抱きしめ、魅了されてから、私を放り出してしまわれるのですか? それはあんまりです!

(私はほとんど叫んでいました!)

あなたは私のいけにえになると、私は言わなかったか? あなたを用いている。あなたは私の網である。そう、私はこの世にあなたをはなっているのだ。あなたは魂たちを私に献げることになる。彼らの救いのために、私が彼らをあがなう。それは、あなたの苦しみ無しに実現することはない。悪魔はあなたを憎み、ためらうことなく、あなたを焼き尽くそうとするだろう、だが、彼らはあなたに指一本触れることもできない。私がそれを許さない。

(こう言われて、先日、私たちが乗ったばかりのボートの上で、排気管に触ってしまった時のことを思い出しました。目玉焼きを作るのにも十分なほど熱いパイプに左手を置いて、全体重をかけてしまったのです。痛くて気絶しそうでした。左の手のひら全体にやけどを負い、痛みを和らげるために、左手を海に入れたい衝動にかられましたが、やけどをした皮膚を冷水に浸すと、かえって傷つくのでいけないということを思い出しました。十分間、手はヒリヒリし、真っ赤に腫れ上がったままでした。ところが、三十分後には何もかも消えていたのです。痛みも、やけどもなく、もう片方の手と同じ感覚が戻って、すっかり元通りになっていました。)

子よ、あなたが傷つくのを私が見ることはないだろう。あなたを愛している、そして愛ゆえに、あなたのために私の清めを選ぶことにしよう。あなたにどんなけがれができることも私は許さない、これがどういう意味かを悟りなさい3

主よ、あなたから来るものは、どんなものでも愛することにします。喜びであれ、苦しみであれ。

愛する者よ、そうだ、心の中に私の天国を築きなさい。子よ、あなたからその言葉を聞いてどんなにうれしいか4
 そう、私を喜ばせると考えて、あなたの意志で選ぶなら、どんな苦しみも私の目には嫌悪すべきものとなる。自分自身を欺くことになるだけだ。そのようなものは悪魔のためであって、私のためではない。償いは、私によって導かれるであろう。

あなたを愛し、あなたに完全に頼ります。

私を愛することによって、私の栄光をたたえることになる、そうだ。

(サタンがこう言っているのが聞こえました。「その瞬間は、俺にとって拷問だ!」 サタンは、神の私に対する愛の中で私が喜々としていることに、そして私の神への愛に耐えられないのです。互いに愛し合っていることに。)

それは、サタンの全身に赤熱する十字架を押し当てるようなものだ。

私たちを愛で飾りなさい

1987年6月20日 ノート13

(タイ)

明かりをともしてくれて、どんなにうれしかったことでしょう。

(聖マリア)

私たちを愛で飾りなさい、私たちの平和を受けなさい。

(聖マリアは、愛を込めてこの言葉をおっしゃいました。私は十字架のみちきをする前に、聖マリアのためにろうそくをともしておいたのです。)

行い

1987年6月19日 ノート13

ヴァスーラ、行い、行い、私は行いが見たい。あなたから愛の言葉を聞くのも喜びである、それは私の傷を癒やすバルサム、だが、あなたの行いを見るなら、私は一層喜ぶだろう! 来なさい。私が地上で肉のうちにあった時、どのように働いていたか、また私と同じやり方で働くために、私が弟子たちにどう教えたかを思い出させてあげよう。

ピオ神父1はあなたのように働かれました。

彼は私のために働いてくれた。私を尊び、私の名前をよみがえらせるために、彼にあのすべての恵みを与えた。私の名において働くことは、私の栄光をたたえ、あなた自身を清めることになる。覚えておきなさい、私はすべての人を照らしている。

私のような人々も含めてですか?

そうだ、あなたのような魂も含めて。

あなたの御心が行われますように

1987年6月18日 ノート13

イエス様?

私だ。ヴァスーラ、あなたを用いよう。

最後まで用いてください、主よ。

愛する者よ、彼らに伝えてほしい、私の望みどおりに働く自由を私に与えるようにと。そして祈りにおいて、また私へのすべての嘆願において、こう付け加えるようにと。「しかし、私たちの願いではなく、あなたのみこころが行われますように」。私から学びなさい、私を尊びなさい。

あのキレネ人のようであってはならない──一致

1987年6月17日 ノート13

(ダッカ)

あなたは私のみじめさに気付かせてくださいました。その上、私が邪悪で、与えてくださった恵みに全く値しない者であるにもかかわらず、私に近づいてくださったことを分からせてくださいました。聖人たちと比べればそれは明らかです。ですから、なぜ「疑いの波」が来るのか、お分かりでしょう? 理由はこれだけです。私が全くふさわしくないから。思い出してください、あなたはすべてを一から教えてくださいました。思い出してください、私が最初、あなたをどう拒んだかを。あなただと知っていたのに? 言いたいことがお分かりでしょう? このような理由で「疑いの波」が来るとき、私はあなたに逆らい、あなたを傷つけていると分かっています。あなたは以前、こうおっしゃいました。「あなたを闇から救い出した者が誰であるかを忘れるとき、私は傷つく」と。その一方、あなたがどうして私のような魂のもとに来られて、これほど重要な使命をお与えになったのか、聖書を全くの初歩から始めなければならないような者、150パーセントの罪人に。 それを理解しようとすると、私の心は混乱しそうになるのです!
 あなたのお導きが進めば進むほど、奇跡が起きます。主よ、全くの無神論者たちが夢中になったのです。あなたがそれを祝福なさったのですから、驚くべきではありませんが。神を信じていなかった人たちが、次から次へと、メッセージを読んであなたのもとに戻って来ています。「このすべてを、一ページたりとも、私に読ませることは決してできない。私は形あるもの、金、ビジネス……しか信じていないのだから」と言った人の言葉がまだ私の耳に響いていますが、今やその男性は奥様よりも熱心で(奥様は最初、彼を説得しようとして失敗したのです)、イエス様のお導きの全部の版をほしがっており、それによってとてつもなく大きな心の平和を得ていると言っています。私は話すのが得意でないので、彼と話したことはありません。ただそうなったのです。イエス様、当然ですね。あなたは何てすばらしいお方なのでしょう!

私はイエス、神の愛する子。あなたが私の超自然的なわざを信じられるように、これらのすべての本を送り続けている。私のパンであなたを養ってきた。私のわざを決して疑ってはならない。私の恵みのすべてを一つひとつ学んでほしい、だから、すべての新しい啓示に注意しているように。すべては私から来る。

(十字架がまたもや私を押しつぶそうとしているように見えました。「十字架」とは、神のメッセージのことです。)

イエス様?

私だ、持ち上げなさい! 持ち上げなさい! 倒れてはいけない、あなたを助けるために私がそばにいる。私の十字架を持ち上げなさい、あのキレネ人のようであってはならない。喜んでするように。来なさい、愛する者よ、道は険しいかもしれないが、私がいつもそばにいて、私の十字架を分かち合っている。ヴァスーラ、私を見なさい!

(主を見ました。最も痛ましいお姿で、塀の角をつかんでおられました。いばらの冠をかぶり、血に染まった衣服を着けておられました(体の半分は裸の状態で)。全身が汗と血で覆われ、肌よりも血の部分が多く見えました……むち打たれたばかりで。)

私はこのような仕打ちに値するだろうか?

いいえ! 私の神よ!

私を尊びなさい、娘よ。

誰があなたにこんなことをしたのですか、主よ?

誰かと? 魂だ、ヴァスーラ、それは魂たち。ソドムの生き写し、生き写しとはそっくりだということだ。

(しばらくして)

娘よ、私は教会の一致を切望している! 一致を!!

(イエスは強く主張され、これらの言葉を大きな声でおっしゃいました。)

香港 ──この世の富──エイズ

1987年6月15日 ノート13

(昨日、香港に飛びました(家族の休暇のために)。バンコクでの乗り継ぎの時に、あることが起きました。私は乗り継ぎロビーにあるベンチの端の席で、何かを読もうと座っていました。すると突然、一人のアラブ人が、私のことなど完全に無視して私の足元にじゅうたんを広げ、自分の後ろにいた二人と一緒に、床にひれ伏して神を礼拝し始めたのです。かなり大きな声だったので、周囲の大きな注目を集めていました。私の周りには誰も座っていなかったので、気まずい感じがしました。私は彼らのちょうど目の前にいたので、彼らの邪魔をしているかのように感じました。身動きできませんでした。彼らの声は次第に高くなり、誰かが私の背後から、この気まずい光景全体を写真に撮っていました。

 その後、神は私に話されました。「この男は、自分の祈りを十分に大きな声で唱えた。多くの人々の注目を集めるには十分だった、彼の声は乗り継ぎロビーで聞こえたが、それはあのロビーの中でだけだった。壁は彼の声を聞いた、だが私の心には何一つ聞こえなかった、すべての言葉が彼の唇に残ったままだった。それでも、あなたの声は聞こえた、他の誰にも聞こえず、あなたが私に言ったことを知る者は誰もいなかったが、それはあなたの心から出ていた、口先だけではなかった」。

 このことは書きたくありませんでした。差別のように聞こえるのを恐れたからです。しかし神はこうおっしゃいました。「何を恐れているのか、私は真理である。それに、こういうことはキリスト者にも起こり得ることではないか?」
 今日は、街や郊外のバスツアーに行きました。突然、目の前の高層ビルに代わって、複数の巨大な黒い十字架1が見えました。自分の空想かと思ったのですが、「いや、それはあなたの空想ではない。私の十字架だ」という神の御声が聞こえました。『消費者の楽園』を見た時は、もしそこで生活しなければならなくなったら死んでしまうだろうと思いました。私にとっては拷問です。一年前には、ここは楽園だと思っていたなんて 
 神は、次のことを言わずにおくことも望まれません。バスツアーで、ガイドが香港で最も裕福な人の大邸宅を見せてくれました。そして、香港中でとても有名な億万長者が二人いることを教えてくれました。すると、こう言われる神の御声が聞こえてきました。「だが、私は彼らが誰か知らない。この世に属する者たちだ」。

彼らの富はこの世の富だ。私の王国では何も持っていない。

(神は私に代わって、御自身でこれをお書きになりました。)

愛する者よ、あなたにしるしを与えよう。目を覚ましていなさい、ヴァスーラ、私から聞いたことを信じなさい。

あのアラブ人のことを考えていました。

彼には聖性が欠けていた。あなたでさえそれが分かったであろう。

(しばらくして)

おお、ヴァスーラ、私はもっと尊敬を受けるにふさわしくないだろうか?

(そう言われるのではないかとびくびくしていました。神と共に書くチャンスがないので、息子や夫のいるホテルの部屋で試してみました。テレビがついていたので、「ウォークマン」を耳栓代わりにしていたのです。どこにも行く場所がありません!)

当然ながら、そうした便宜は取り上げる。

なぜですか、主よ?

なぜかと? あなたに神を求めることを教えるためだ。私たちが二人きりになるときまで待ちなさい。

おゆるしください……。

ゆるす。それゆえ、ヴァスーラ、中断されている間も働きなさい。

どのようにしてでしょうか、主よ?

あなたの耳に私のすべての望みをささやかせてもらいたい。ヴァスーラ、私を求めなさい。あなたに授けた恵みを使いなさい。覚えておくように、私の手があなたの手を用いるだけではないということを。あなたの耳を開けた、私をどう見、どう感じたらいいかを示した、だから他の恵みも使いなさい。愛している。

イエス様?

私だ、ヴァスーラ。

私たちはまたこうして一緒にいるのですね。

そうだ、だがあまり長く続かない。あなたが以前の生き方を追い求めていないからと言って、私を後回しにしてはいけない。私をあなたの心の中に閉じ込めなさい、子よ。

主よ、もっと大きな試練に遭うのでしょうか?

ああ、そうだ、もっと多くの厳しい試練に直面するだろう。

(ため息が出ました。)

私を信頼しなさい。あなたのそばにいる。あなたは私のいけにえ、そうではないか? でなければ、どうしてあなたを悪の中に置くだろうか? 私はあなたを悪へと差し出し、邪悪さの中に置いた。

けれど、私も邪悪です。どう違うのでしょう? 私も彼らと同じような者です。

そうだろうか? それならなぜ、あなたは私のもとに戻りたいと望んだのか、あなたの家に?

あなたを愛しているからです。

他の人々を私のもとへ引き寄せるために、あなたを私に似せて造った。この世の心配事からあなたをさらに離脱させよう。待っていなさい、今に分かる。ヴァスーラ、そうだ。

(まさに目の前にイエスを見ました。)

私を愛しなさい。さあ、昨日したように、私の手を取りなさい。

(しばらくして)

ヴァスーラ、エイズという言葉を書きなさい。

エイズ(AIDS)ですか?

そうだ、それを義という言葉に置き換えなさい2。私のあわれみの聖杯はあふれ出している、そして私の義の聖杯もいっぱいになっている、これをあふれ出させてはならない! 世は私に逆らっていると以前にも言った、私は愛の神だが、義の神としても知られている。私は無神論を忌み嫌う!

(しばらくして)

愛する者よ、あなたは私の体の中へ入って来るだろう、私のとげと釘を見せてあげよう、

主よ、そのすべてをどうやって見ればいいのでしょうか?

見ることができるように、視力を与えよう。私の釘ととげを抜き取るための力を与える。私は再び十字架につけられている。

でも主よ、どうして御自身をまた十字架につけるのをお許しになるのですか?

ヴァスーラ、ヴァスーラ、私は私自身の者たちに捕らえられ、愛する者3たちからもないがしろにされている、さあ、私をほめたたえなさい、私を愛しなさい!

あなたを愛します。あなたにつき従います。それはいつ起こるのですか?

ああ、ヴァスーラ、私の前に飛び出さないように。来なさい、何事にもふさわしい時がある。

でも主よ、ご存じのように、私はよそ者です。無に等しい者で、あなたが言われた場所で何が起きているのかも知りません。それなのに、誰が私の文書(あなたのお書きになったもの)を読みたいと思うでしょうか。もし彼らの手に届いたとしても、笑って私の顔に全部投げつけることでしょう。きっと、紙吹雪のように私の周りにばらまくに違いありません。結局のところ、私は何者でしょう? 「本職の罪人」以外の何者でもありません!

あなたを導いているのが誰であるかを思い出しなさい! 私は神である、あなたが友人に何と言ったか覚えているか? そう、神を信じないその人に? それは私の言葉だった。「あなたはまるで、大男のもとから逃げ出すねずみのよう。あなたは小さなちりの粒!」。

(確かにそうです。私たちの友人で、神を信じていない人が、神からメッセージを受けたのです。後で彼はこう言いました。「このメッセージは、俺が丸二十年間抱き続けてきた信念をたった三十秒でぶち壊したよ。俺のような『本職の罪人』が何でこんなメッセージを受け取らなければならないんだ? でも俺は闘うぞ。逃げてやる」。私は笑いました! そして彼に神の言葉を伝えました。)

ヴァスーラ、私を信頼しなさい。

主よ、信頼しています。でも、私が問題なのです。なぜ私を信頼されるのですか? 信頼されるべきではありません。私の主よ、私には善意しかありません、ええ、でもあなたのおっしゃるとおり、とても弱いのです。私を信頼しないでください! とても罪深いのです。

ヴァスーラ、あなたは言葉にできないほど弱い。そんなことは永遠の昔から分かっていた。だが無でありなさい、無であってほしい、もし私たちがばらばらであったら、他にどうやって私だけを明白に現すことができるだろうか? いつも私の自由にさせなさい、そうすれば私はあなたの中で行動することができる。さあ、私にり頼みなさい!