ノート23のメッセージ

なぜ私に沈黙を強いるのか?

1988年4月20日 ノート23

主よ、私の十字架を接吻してくださいましたように、姉の十字架も接吻し、祝福して下さらないかと姉が尋ねています。

私の平和を受けなさい、愛している。私を完全に識別してほしい、識別しなさい。そう、あなたの傍らに座っている。私のいるところが分かった今、ヤヌーラの渡したメダルや十字架を私の唇まで持ち上げなさい。接吻して祝福する。さあ、待っている、そうです1。ヴァスーラ、疑わないように、書きなさい。私は言う、十字架やメダルを祝福してもらいたい人は誰のものでも喜んでそうする、来なさい、疑わないように。

主よ、このすべてが理解できますように、どうぞお助けください!

ただ信じるのです、単純に、子どものようでありなさい、愛している。

(しばらくして)

ヴァスーラ、私は一人であっても私の園を美しく飾れる。そう、たった一人でも私の教会を刷新できる。私は自ら充足し、全能なる者。求めるのは愛だけ、私を愛し、これらのことを分かち合うのを許してもらいたい。

ああ、主よ、限りなく愛しています。

花よ、分からないか? 気がつかなかったか? さあ、教えよう。時の始めから、さまざまな場所で、時代も異なる諸民族に自らを現してきた。ヴァスーラ、あなたの時代が今や私のしるしに気づくことができないのはなぜか? 私自身を、そして私のしるしを現すのをやめると、一度でも言ったことがあるか? あなたの時代は死に、自分自身の指で荒廃をもたらしている……私は主の主、生ける神。なぜ私に沈黙を強いるのか? 死んでいてほしいのか? ヴァスーラ、以前も今も被造物がどうなってしまったかを見せてきた。理解してほしい、私は、結ばれているあなたを引きずりながらこの荒野を渡っている。過去のこと、今までどうあったか、そして残されているものを示しながら。あなたを傷つけることのないように、私は茨を間引き、棘を刈り取っている。あなたに触れるなら、ずたずたに引き裂くだろうから、子よ。ともにいてあなたの道を切り開いている。限りなく愛するがゆえ、私たちの行く手で、茨に捕らえられ、傷つき死ぬほど刺されてほしくない! 彼らが近づくだけで、あなたを完全な苦しみに陥れるに十分であるのを知っている。このすべてが見え、私のヴァスーラ、私の心は深く傷ついている。しかし、愛する者よ、すべての犠牲はむなしくはならない。ああ、どれほど愛するか、魂よ。私を探し求める者は本当に私を見いだす。叩きなさい、そうしたなら本当に戸を開ける、さあ、私の現存を思い出させよう。

一つの祭壇のまわりに集まる

1988年4月19日 ノート23

御父よ、一つの信仰、そして一つの洗礼によって、主の御名のもとに一致しますように。イエス、御父と一つであられるように、あなたのうちに私たちも一つとなれますように、お与え下さった、主の御名のうちに私たちをお護り下さい。

一つの祭壇のもとにあなたたちが集まり、この同じ祭壇のまわりで私を賛美する時、どれほど大きな歓びがあることか。自分たちの間違いを認め、反逆を悔いて、あなたたちに対する私の愛を思い出し、私が愛するように互いに愛し合うなら、子どもたちよ、完全でありなさい!

あなたの時代は死んでいる この一致をどんなに望むか!

1988年4月18日 ノート23

(私はイエスのことだけを考えていました)

私です、あなたに平和、魂よ。与えたものを刈り取るように。私の子どもたちに教えなさい、私に反抗するのをやめ、互いに愛し合うように教えなさい、魂のあがないのために祈り、世界教会協議会のために祈りなさい、大いなる立ち帰りのために祈り、新たに生まれ変わるように、死んでいるあなたの時代の、刷新のために祈りなさい、新しい時代を迎えるために、愛するヨハネスが私の聖霊にうながされて始めたことのために、祈りなさい。教会は一致する、私によって新たにされ、多くの魂をこの腕の中に引き戻す! 私の羊は皆散らされてしまった、サタンはあなたたちの上に怒りを振り下ろし、分裂させ、分け隔てて散らし、混乱させている……

ペトロよ! ああ、ペトロ、時の終わりに気づきなさい、あなたたちのほとんどがその時をどうして見分けられないのか? サタンの翼に遮られて、サタンはあなたたちの多くを真理から逸らせてしまった! 私の手をとりなさい、ペトロよ、そうしたらあなたを本当に導く。私の叫びを聞いて、東方の兄弟たちを集めなさい。私の屋根の下で出会うようにと声をかけなさい。私の礎の中にあなたの東方の兄弟たちを集めなさい、私の前に呼び出しなさい。この一致をどんなに望むことか! ペトロ? ペトロよ、もし私の声を聞いてくれるなら、全ての民を私の屋根のもとに召集する。彼らを聖化し、すべてを刷新する、天からは雨のように正義の露を降り注ぎ、私の園は美しくなろう、私の倉庫からは、あなたの倉庫を満たすようにする、声を聞きなさい、ペトロよ、私の王国はあなたの戸口にまで来ている。私の王国はあなたたちのさ中にある、どうしてそれに気づかないでいるか? ペトロよ、自分自身が分裂しているどの王国も、崩壊するのをあなたは知っていた、私の家は分裂し、今日廃墟と化している。愛する者よ、私の救いの計画について彼らに知らせなさい。ペトロよ、私の子どもたちを解放しなさい。あなたたち皆に平和。

イエス、わが神よ、ギリシャ正教の総主教を呼んでおられるのですか? あなたが来るように望んでいらっしゃるのはこの方ですか、主よ?

そう、私の計画とはすべての民を一致させること。東から西まで、北から南まで、そして私の光のもとに、翼のもとに、すべてを連れて来ることです、皆が一致して唯一人の羊飼いが寝ずの番をし、私が見張り護る一つの群れとなって。どのようなことがあろうと決して見捨てないと約束した、そして苦難の時代にあなたのもとにやって来ると、花よ、この約束を守っている。皆を愛し、忍耐強く、あなたたちの心が開いて、私を抱きしめるのを待っている。反逆の時のように、心を頑なにしないでほしい、心を開きなさい、戸口までやって来た! 英知が教え導いて下さろう、私の平和を受けなさい。

神に栄光! 主に賛美! み国が来ますように。

あなたを養う、私のヴァスーラ、「私たち」?

永遠に。そしていつまでも。

あなたは私の網

1988年4月12日 ノート23

昨日以来気が弱くなっている時に、サタンはすきをねらって私を攻撃し、魂はグラグラしました。ただちにイエスが私たちの絆を強く締めなさるのを感じました、その絆は実際、柔らかい紐のように見えます。絆が締まったので主のみ腕全体を感じました。まるでシャム双生児かなにかのように。そういう時は前のほうにかがんで心配そうに覗き込んでくださいます。慰めを感じました。

そばにいる、さあ、祝福を与えよう、愛している、私のヴァスーラ、特にこういった弱さが襲う瞬間は、あなたから決して目を離さない、本当に私たちの絆をきつくする。考えてごらん、ヴァスーラ、今でもあなたたちの間に私がとどまっていることを世が知るように、あなたを癒やした、ヴァスーラ*。あなたを用いるために癒やした、私の腕からあなたを放り出し、そう、私の腕の中から世に、私の網として投げた。娘よ、このように用いるのを許してもらいたい、私は時折り綱を引き上げ、網の中に獲物があるのを見ては喜ぶ。そう、私の利益を求めなさい、そうすれば理解する、世にもう属さないため、世の中で生きることがとても辛いのは分かっている、私はあなたの起源を知らせた、そして始めから誰のものであるかを、しかし悪魔がずっとあなたを騙しつづけていた。あなたは私のものであって、私に由来している、私の種アベルのように。世にあっても、世はあなたを自分のものとして認めないため、罠にかけようとするだろう、私はあなたを悪徳のさ中、あなたを滅ぼそうとする場所に置いている、あなたは蔑まれ、拒絶されよう、私はこのすべてを明らかにした、前もって心の準備をし、これらすべての試みを、前途に横たわるすべての試みを、忍ぶことができるように、あなたの十字架を示した、しかし私はともにいてそれを分かち合っている、あなたは一人でない、私がそばにいる、そして私のうちに憩いを見出そう、勇気を持ちなさい、娘よ、疲れている時は倚りかかりなさい、そうするなら本当に憩わせ、慰めよう。さあ、微笑みかけなさい、教えたことを忘れないように。私の現存を決して疑わないように。私の王国をひろめなさい、娘よ、あなたたち皆を愛している、

* イエスのお声は悲しみにうち沈んでおられました。

主に賛美、神に栄光!

私は聖三位、三位一体

1988年4月11日 ノート23

主よ、御目にとって最も小さい私を拒まないで下さい、私をあわれみ、養ってください、お望みなら、たとえ食卓からこぼれ落ちた残りのパン屑だろうと、主よ。聖マリア、どうぞ私を蔑まず、慈しみをもって、残るわずかなパン屑でも主が投げて下さるようにお願い下さいませ、どうぞ生きていけますように! アーメン。

来なさい! 私のパンを受けなさい、あなたを拒まない! 自らの手で養う、私は、ヴァスーラ、あなたを美しくする。私を悦ばせて、称えなさい!

主を賛美します!

さあ、書きなさい、書きなさい: カインはこのたびは自分の計画を実行にうつし、兄弟を亡き者にするようなことはない、私が邪魔をし、驚かせる。部屋に私が入っていくのを彼は知らない、盗人さながらに入ってゆこう*、カインを素裸にし、その計画をむなしくするために、悔い改めながら私のもとに来るまで彼はその状態でいよう、この時のために祈りなさい、嘆願や懇願や恐れが昇っていく時のために、それは義の時となる。祝福を受けなさい、私の子よ、あなたの聖なる父が愛している。私は(I Am)聖三位、よく見極めた! 書きなさい。

* 今イエスはそうしておられるのでしょうか?

イエスが、あなたの聖なる父、とおっしゃった時、識別したのです、ちょうどある派手な絵画のように、イエスが三重に見えたのです、一人から互いが発していて、皆そっくり三人が同じで重なり合ったふうに。

私は聖三位、三位一体。愛している、来なさい、子よ、すべては私の栄光のために、深い神秘を打ち明ける、手を握っていなさい、私はあなたを創造した者、「私たち」?

はい、主よ!

愛の生けにえ

1988年4月9日 ノート23

(聖土曜日(復活節))

愛している、今では私と結ばれ、あなたのたどるどの一歩も祝福する、私の子よ、私はあなたのいのちの源、私は復活である。

主よ、このメッセージは多くの信徒を回心させ、彼らは歓喜していますが、教会の33の権威筋にコピーを送ったのに、二人しか返信を下さらず、悲しいです。それに、一人は考えを述べる促しがないと言い、もう一人は仕事がいっぱいで、こんなことに関わっていられないとおっしゃいます。主よ、本当に悲しい気持ちです!

私のヴァスーラ、放っておきなさい。ヴァスーラ、私のやりたいように任せておきなさい、あなたに与えた私のわざを、いつの日か確立する。あなたは、私の子よ、この名を担う。「愛-の-生けにえ」、あなたを決して見捨てない、裏切ることも絶対にない。どの言葉も、時の終わりまでに何千回と繰り返し書かれるだろう。あなたと私の間に永遠の契約を打ち立てた、この契約は私たちの間の愛の縁組み、それは私の名を担い、永遠に、いつの世に至るまでも続く。主である私は、あなたたち皆を愛し、真理を求める人のために来て、真理がまことに存在し、忘れられた真理が本当は何であり、何を意味するかを示しに来た。私は真理真理とは愛、はかり知れない愛、気高い愛、永遠の愛。私の本はの書物。花嫁よ、来て愛しなさい、あなたの愛により私は栄光を受ける。今こそ、どうしてあなたを通して降って来たかを理解しなさい、子よ、あなた一人のためだけではなく、被造物すべて1の者たちに私の愛を現すためだ!

私がどれほど彼らを愛しているかを思い出させようとやって来た。あまりに多くの被造物がサタンに負けてしまうのを見て、私の心は引き裂かれ、苦しんでいる! 私の聖職者たちの何と多くが、身の破滅に落ちていくかを見てどれほど苦しいか! 私はみことばである、聖なる者の中でも聖なる者、永遠の神、エマヌエル。あなたが大昔に槍で貫き、何度もそれを繰り返してやまない、あなたの救い主である。本当に、肉のうちに十字架に釘付けられた昔の時代と今とで、どれほどの差があるというのか。あなたたちの頑迷で横柄な態度、棄教と、聞く耳のない頑なさによって、私は繰り返し貫かれている。私のしるし、奇跡、神聖なわざに対する鈍感さは変わっていない。今日も、昨日と同じように私をあざ笑う。あなたは私を嘲っている。何百万もの魂を任せたのに、私を再び十字架に架け、その冷淡さをもって、ふたたび木に釘付けにしている。ああ、心を不毛2なまま、石のように固くさせてしまったすべての者よ、私に触れさせ、柔らいで、心を開いてはくれないか3? いつの日か、もう私を貫くのをやめてくれるだろうか4? 口は愛に渇いてカサカサになり、目はあなたが祭壇に言葉をこぼしていくのを見ていて疲れ果てた、あなたの祈りは、私のもとに届く前に霧のように蒸発してしまう、あなたの心の奥深くに何があるかを知っているので、あなたたちから目を背ける。私の種が空しい言葉でいっぱいなのを見ていて、息が詰まる!……窒息しそうだ! 神聖な私たちの心5をそのようにおおっぴらに踏みにじりながら、怖れもなく私のもとにやって来るのを見なければならないとは! このように堂々と! 私の小羊たちがあなたたちを信頼するとどうして期待できようか? ああ、ヴァスーラ! 私の心は激しく血を流している。この心に入って来て、あなたの神の傷を感じなさい。

J-E-S-U-S!!私の心は痛みで叫んでいます、あなたがこんな状態におられるのを感じて、ああ、愛する神よ! 彼らは何をしたのでしょう?……何をしているのでしょう?

私の愛のわざを現しなさい、人類すべてに現しなさい、あなたをペテン師のように扱う人びとにも、私の子よ、この人びともいずれは私の栄光を見る。

私はガタガタです、主はそれをご存じです、すでにペテン師として扱われているのです。詐欺師として、ものに憑かれた者として、偽キリストとして、精神を病む者として。人が私に近づいて傷つけようとするとき、その気持を隠そうともしないで、屈辱を与えられます。このまま耐え続けられるでしょうか、こういった状況で? 私は弱く……魂は疲れてしまいました……私の二人の証人も、本当の権限や力がありません、同じ道をたどっています。馬鹿にされ、拒絶され、不信に囲まれ、無視されて、皆同じ苦い杯から飲んでいるのです、イエスと分かち合って。

ヴァスーラ、あなたの前にいる、私は終わりの時に私の栄光のすべてをあなたに現すあなたの神。義、平和と愛の道具となるようにあなた、ジェームズとデイビッドを選んだ、またその手には私の三つの冠を委ねる、それぞれ義、平和と愛の冠を

主よ! 私たちは皆あまりにも無力です!

私の選んだ者を知っている、三人のどうしようもなく弱い道具を選んだ、三人とも無であり力がない。そう! 私は被造物すべての中で最も小さい者を見出した、あなたたちからではなく……直接私から、そして私からのみ、あらゆる権威が降ることを全ての人に分からせるよう、あなたたちを選んだ! ヴァスーラ、私はこの園の番人、そして私以外に高い木を阻止する者はなく、低い木を育てる者はいない、みことばは雷のようにあなたたち被造物の上に降る! 不実な者は災い! ヴァスーラ、心の中に私を保ちなさい、私たちの平和を持つように。

愛しなさい、私の敵を打ち負かすであろう

1988年4月8日 ノート23

聖金曜日

イエス様?

私です。どうして疑ったか*?

* 1988年3月29日のイエスのみことばに該当する聖書の箇所を見ていました。それを使徒言行録で見つけましたが、聖書のほかの箇所にもあるのを知っていました、イエスがそのところも見せて下さったことがあるからです。聖書全体でどこだったかをもう一度教えて下さるようにイエスにお願いしました。しばらく探しても見つからなく、わらの山から針を探しているような感じでした! もしかしたらイエスは私の声が聞こえなかったのかもしれないと思い、さらに大きな声で言いました、「ああ、イエス。もしかしたら叫ぶべきかも知れません。私の声をお聞きにならなかったのでは」最後の言葉を言い終える前に探しているページを開いていることに気づきました。それは、まん前の目と鼻の先にあったのです。それでイエスがおっしゃったのです、「どうして疑ったか?」と。

ああ! 求めるのは愛だけ、私を愛しなさい、そうしたら渇きが癒やされる! 私を愛しなさい、そうしたら傷は癒える! 愛しなさい、そうしたら私の霊はあなたのうちに歓喜する! 愛しなさい、私の敵を本当に打ち負かすだろう! あなたの上には私の霊がある、子よ、「私たち」? 「私たち」?

はい、主よ。はい、聖マリア。いつまでも永遠に「私たち」。

私の血はあなたのために河のように流された 私の杯を分かち合いなさい

1988年4月7日 ノート23

イエス様?

私です、平和を受けなさい、ヴァスーラ、はるばるここまで連れてきて、あなたを形造りながら、今になって見捨てはしないことを悟りなさい、あなたたち皆を愛している、魂を癒やし、あがなうために探し求めているのは私、主、ああ、魂よ*! そう、それは私、あなたの救い主、癒やそうとして、愛する魂よ、あなたを訪れた**、扉を叩いているのは私、主、ああ、こんなにも愛されている魂よ、あなたを私のもとに連れてきて、今養っている***、来なさい! 近づきなさい、あなたを飾り、清め、傷をすべて癒やし、回復させよう、私の子よ、あなたのもとにやって来たのは私、探し求めていた、魂よ、来てくれるなら、慰めよう、来て、私のうちに憩いなさい、魂よ、来て、私を食べなさい、来て私を飲みなさい、あがない主の声を聞くなら、魂はいのちを得よう、愛している、いとしい魂よ。私の血はあなたのために河のように流された、その救いのために。魂よ? 来て私のマントを分かち合いなさい、あなたを護る、砦となる、私はイエスであり、イエスとは救い主を意味する、

* これは今主のみことばを読む者に向けられた叫びです。
** ここでイエスは主のメッセージを読んでいる者に話しかけておられます。
*** 養うとは、読んで理解することを現しています。

(イエスはこのメッセージを通し、今読んでいる人に話しかけておられます。たまたま主の愛と平和のメッセージを読んでいても、それは偶然ではありません。主イエスがあなたを探し求め、あなたのところに来て、このメッセージを読むように与えられたのです)

今しているようにメッセージを配り、私の王国をひろめなさい。私のわざを確立し、王国をひろげるのは私、覚えておくように、私は常に目的を達する。あなたの救い主に微笑みかけ、祝福しなさい。

(私は振り向いてイエスを祝福しました)
あなたを祝福します、イエス・キリスト、祝福をお受け下さい。

私もあなたを祝福する、今夜は私に合わせなさい、私は兄弟たちに見捨てられ、その一人に裏切られた、ゲツセマネでの苦悩を分かち合いなさい、私を見捨てないでほしい。

はい、主よ。

いつも思いの中に私をおき、こうして慰めてほしい、見捨てないことを示しなさい、ヴァスーラ、私の苦しみを、杯を分かち合いなさい、最後まで一緒にいてほしい、私の受難を生き、私の栄光となるように! 近くにいなさい。

イエスよ、はい、そういたします。(イエスは受難を再び生きていらっしゃるように見えました)

ああ、ヴァスーラ! 私の聖心に入って来なさい、その深淵に入るなら、平和を見いだす、主である私は、あなたのために場所を取っておいた、あなたは私のものであって、私はあなたのもの、愛が道を案内する。

主よ、御身に私の心を差し上げました。お好きなようになさってください。

では私を信頼し、手を取りなさい、決してがっかりさせない!

私を導いてください、主よ、あなたは私の道案内、そして神です。

さあ、私を忘れてしまわないように。ビアトリスを祝福しなさい、主である私は彼女を祝福する、「私たち」?

はい、主よ、永遠にともに。

聖木曜日(復活節)

水曜日は教会に行き、神父さまが油に混ぜたミルラで一人ひとりを祝福なさいました。教会によって祝福されたそのミルラは綿の一片に浸し、持って帰ることが許されています。ビアトリスが到着し、私たちは教会に行きました。イエスは彼女を祝福するようにとおっしゃいましたので、持っていた油とミルラで彼女を祝福しました。こうやって祝福をするのです。祝福する時はその油とミルラの混ざった綿でひたい、左と右の頬、あごと手、手は手のひらの内側と外側に十字を切ります。―― 司祭は、体と心の癒やしについて、何かお祈りをなさいました。イエスは、ご自身がこれらの言葉をその時言っておられるのだと内的に分からせてくださいました。
その後教会の中では、言葉がよく分からないため、ときどき気が散りました。古文体のギリシャ語で、ほとんど何も理解できません。この三時間気を散らさないでいるのは難しいことでした、けれどイエスはそうならないようにして下さったのです: 思いが離れはじめるたびにイエスはおっしゃいます: 「そばにいなさい」十回かそこら、そうおっしゃったように思います。

あなたたちは私の園の世話を怠った

1988年4月5日 ノート23

神に栄光、イエスと共に働いてくれますか?

はい、聖マリア。信仰、希望と愛を大きくし、主に従えますようどうぞお教え下さい。

そうします。柔軟であるように努めなさい、子よ。私の平和をお持ちなさい、英知があなたを教えるでしょう。すべてを主の御手にお任せなさい、主があなたを裏切られることはありません。イエスが来られました。

(イエスは私の左側に立ち、主の御足と私の足が結ばれているのを示されました)

永遠に結ばれていることを忘れないように、私はいつも側にいる。来なさい、魂のあがないのために祈りなさい、私の受難を黙想してもらいたい、この週に十字架に架けられた、決して疑わないように。

私のミルラよ、教会を美しく飾りなさい。与えた賜物を誰にも取り上げさせないように。あなたの明かりを点し続ける油を尽きさせはしない、燭台を満たしつづける。私の家は今日荒廃し、教会はあなたを必要としている。

ヴァスーラ! 壁を新たにし、私のこの古い基を建て直しなさい、聖所を新たにしなさい。私は主、私の力でこのいにしえの廃墟を建て直し、古い基を美しく飾る。壁を新たにしたなら、すべての死者を再び生き返らせ、死骸を起し、いのちを吹き返させる。これが大いなる立ち返り、いのちへの大いなる立ち返り。私の輝やかしい露があなたたち被造物を美しく飾るがゆえ! 私は王国をひろげ、天全体は歓喜するだろう!

あなたたちは私の園の世話を怠ったが、主である私はその主人であって、あなたたちを気もふれるほど愛し、わずかに残された花を、茨ややぶが窒息させてしまうのを見るに耐えない。茨ややぶを取り除き、私のつぼみが花開いて園を美しく飾れるよう、きれいに片づける時が来た。

が支配し、主なる私は、彼らを私に和解させる。誠実な者たちは、悔い改めながら戻って来よう、私を探し求め、私の完全な道を知りたいと恋い焦がれる者は、来なさい。十字架から叫ぶ私の声を聞くだろう。愛、愛、愛が必要です。心を開くなら、あなたたちを必ず癒やし、慰める、被造物よ。

ペトロよ、集めなさい、ペトロ、すべての民を。彼らを私の心に引き入れなさい。十字架から呼びかける、すべての羊たちを養いなさい、ペトロよ。もう一度尋ねる、ペトロよ、ここにいる他の人びと以上に私を愛するか? もしそうなら、カインたちに説得されてしまわないように、しっかりと立っていなさい。この者どもは正しいと思える律法を求めてくる、どの魂も好きなように扱えるようにと、まさにその律法は人の思いから出たもの、説得されてはならない、私、主がどうであるかを思い出しなさい、私は柔和で謙遜、私の反射となりなさい。

もし私に近づいてほしいと願っているなら、なぜ彼らには私の声が聞こえないのか? 私は戸口のまん前に立ち、叩いている。どうして聞くのを拒むか? 彼らが私に恋い焦がれながら声が聞こえないとすれば、ヘドロのように濃くなってしまった棄教のため。私は今ここにいて、心開くのを待っている、しかし彼らは私を脇に追いやって押しつぶそうとする。

目を挙げて見るように、そうするならあなたの救い主が見えよう。私に気づきなさい! 私の摂理的なわざを踏みにじって、子どもたちに平和を拒むことがないように。そのようなことをすれば、誰もあなた自身の伝統に従う者はいなくなる。私の平和を与えなさい、私自身を表すために用いる弱い器に驚かないでほしい、私は神、望むように人を選ぶ。

娘よ、私により頼み、信頼していなさい、「私たち、共に」?

はい、主よ。

来なさい。

私の教会は元気を取り戻す必要がある

1988年3月31日 ノート23

ヴァスーラ、私、主だと決して疑わないように、恐れてはいけない、私は、イエス。

(もしかしたらこのすべては神からでないかも知れないと恐れ、恐怖に駆られました、でも、そうなら、どうやってこのすべては書かれたのでしょう。混乱しています……)

ヴァスーラ、私はイエス、あなたを救い、死から甦らせた救い主、来なさい、怖れないように……私の教会を引き上げたい、異端が浸透し、真理を分からなくさせ、あなたたちの間に分裂を引き起こしている。真理を遠ざけて。私の教会は元気を取り戻す必要がある、道から逸れたその結果、小羊たちに与えるもののない司祭、司教や、枢機卿のために祈りなさい。彼らは今までも、今も働いていない、自分の利益を求め、私の利益を求めようとはしないで、心を荒廃させ自らもそれを知っている、荒れ地に惹かれる小羊はいない、当然羊もさまよい出て、自分たちを導き、愛し、護り、

養う羊飼いがいないので道を外れてしまう。時の初め以来、私は多くの不思議を世に示してきた、愛する者よ、怒りがこれらの羊飼いに対して燃え上がる、私の神聖なわざを拒み、あなたたちからすべての希望を取り上げ、私を遠ざけて、この羊飼いたちに栄光を表す時が近づいている、そしてそれは、一つの徴、彼らがどのように誤っていたかを理解するようになる一つの壮大な徴によって示される。多くの人が信じるようにと、この徴は与えられよう。祈りなさい、時は近い、平和と愛の大いなる立ち返りのために祈りなさい。