私の教会は元気を取り戻す必要がある

1988年3月31日 ノート23

ヴァスーラ、私、主だと決して疑わないように、恐れてはいけない、私は、イエス。

(もしかしたらこのすべては神からでないかも知れないと恐れ、恐怖に駆られました、でも、そうなら、どうやってこのすべては書かれたのでしょう。混乱しています……)

ヴァスーラ、私はイエス、あなたを救い、死から甦らせた救い主、来なさい、怖れないように……私の教会を引き上げたい、異端が浸透し、真理を分からなくさせ、あなたたちの間に分裂を引き起こしている。真理を遠ざけて。私の教会は元気を取り戻す必要がある、道から逸れたその結果、小羊たちに与えるもののない司祭、司教や、枢機卿のために祈りなさい。彼らは今までも、今も働いていない、自分の利益を求め、私の利益を求めようとはしないで、心を荒廃させ自らもそれを知っている、荒れ地に惹かれる小羊はいない、当然羊もさまよい出て、自分たちを導き、愛し、護り、

養う羊飼いがいないので道を外れてしまう。時の初め以来、私は多くの不思議を世に示してきた、愛する者よ、怒りがこれらの羊飼いに対して燃え上がる、私の神聖なわざを拒み、あなたたちからすべての希望を取り上げ、私を遠ざけて、この羊飼いたちに栄光を表す時が近づいている、そしてそれは、一つの徴、彼らがどのように誤っていたかを理解するようになる一つの壮大な徴によって示される。多くの人が信じるようにと、この徴は与えられよう。祈りなさい、時は近い、平和と愛の大いなる立ち返りのために祈りなさい。

私はやさしさと愛を込めてあなたを形造った

1988年3月30日 ノート23

サタンは今日、このメッセージなどつまらないものだと私を一生懸命説得し、私が神とお会いして書くのを止めさせようと必死でした。私はどん底にまで引きずり下ろされ、疑っている自分の弱さに直面し、確信をいただく必要がありました。それに、私などには付き合いきれないと思われて、神がしまいに忍耐をなくされるのではと恐れています。

花よ、私を怖れないように、あなたを傷つけも拒みもしない。ここまで育てた今、私から突き放すようなことはしない。きついことも、厳しいことも言わない。私はやさしさと愛を込めてあなたを形造った。愛をもって導いている、愛のうちに養い、そっと扱ってきた。怖れないように、来なさい。私が柔和で穏やかだと分かってほしい。あなたの魂に平和。愛している!

主よ、忍耐をもって、直ぐ助けに来て下さり、ありがとうございます。祝福をお受け下さい、主よ。

あなたたちは棄教によって非とされる

1988年3月29日 ノート23

イエス様、ああ、イエス様、「出現」という言葉をあざ笑う教会の人たちにどう答えていけばよいのでしょうか? 私たち1は無力で、最近言われたこの言葉に対してどう答えたらよいか分かりません。「出現? 真理を求めなさい、だが出現にではなく」。これが、一人のカトリック司祭が友人であるベアトリスに言った言葉です。ベアトリスは言葉が出ませんでしたが、私でもそうだったでしょう。私たちは無力です、主よ!

花よ、私は真理であると、そして私の言葉2は真理であるとあなたに保証する。しかし私自身の者たちの多くは私の言葉を忘れてしまった、心を頑なにし、暗やみの中を探し求めている。こう書かれている3、私はすべての人に私の霊を注ぐ、私の子どもたちは再び預言し、多くの人は夢や幻を見る。最も貧しい者にいたるまで、天と地に予兆を示し、あなたたちに希望と勇気を与える。これが今日に4おける私のしるしだ! 赤子の口から真理を聞くだろうと言った! それゆえ、今日の私の神聖なわざを非とする者にはこのように言う。

あなたたちは棄教によって非とされる5!! 信じないために私の園をみすぼらしくしたあなたたちは皆、来て悔い改めよ!! 子よ、来なさい、愛している。

平和を受けなさい、私から食べ、あなたの横にいる私につかまっていなさい。

愛しております、主よ、主に賛美!

私の教えを保つように努力し、それに従いなさい、私、主が愛している。あなたのいるところはどこにでも現存する、そこで私を見て微笑みかけなさい!……心の素朴な者は幸い、天の私の王国は彼らのもの。が君臨し、私の家は素朴ななかに完全さをまとい、新たにされるだろう。子よ、神聖なみことばをあなたのうちに刻むのを許してもらいたい、失望はさせない。私の心のうちに憩い、あなたの主も、その心のうちに憩わせなさい。

イエスよ、み旨を行う力と信仰と愛をお与え下さい。主に従い、身を低くすることをお教え下さい、迫害する者をゆるし、悪を愛で返すことをお教え下さい。

教えているところです、ヴァスーラ、そう6、微笑みかけなさい。私の現存を信じなさい、離れないで、私の反射となりなさい。そう、ヴァスーラ、私の体は痛んでいる、この心の真っただ中に、槍の刃先が突き刺さったままだ。

どこにですか、主よ!

まさに聖所の中に、そして基のある中心に、私の聖なる心は血を流している。私は苦しみのさ中、彼らに警告を与えたいと望んだ、立ち上がりなさい、娘よ! 教会はあなたを必要としている。私の家は棄教と罪によって暗やみの中にある、そしてその罪によって私の群れは散らされた、十字架からどんなに叫ぶことか、ああ、ペトロよ7。あなたのもとに来た、忠実なままでいたのを知っているがゆえ、ああ、ペトロ8、私の心を見なさい……叫びを聞きなさい、愛する魂よ。私、主には愛が見い出せない。あのカインたちには神聖さが見当たらない、この人びとは数多く、私の家を砂漠にしてしまった。その手の中が空であれば、何によって小羊たちを養えばよいのか? 私の礎を荒廃させてしまったために、小羊たちに与えるものが何もない。祈りなさい、ペトロ、そうしたらこの荒涼とした荒れ地を、上から目で見ることができるようにあなたを引き上げ、私の心の傷の奥にまで入るのを許そう。槍の突き刺さった刃先を見せる、それを見たなら、あなたの心は痛みで叫ぶだろう。ペトロよ、それを引き抜くのに必要な力と勇気を与える。

イエスは非常に大きな苦しみのうちにおられました。前ページの終わりで、もう、今日のメッセージは終わったと思い、立ち上がりました。けれど、数分後にこの、促しがある時に感じるある特別な感じを受けました。心の中に神の苦しみを感じはじめ、それは主からのものでした。その苦しみが全身を走り、鏡のように私の上に映し出されたのです。主の叫び声を聞き、ほとんど涙で見えないまま、急いで戻って来ました。イエスは苦しんでおられ、痛みのさ中、これを言うのも、書くのも、主にとって非常に辛いことでした。

ヴァスーラ、闇の中を歩き、汚れにまみれた魂たちは私を苦しめ、心を傷つけている。私のヴァスーラ、その魂の外で戸を叩くが、心を開けようとしない。毎日の忙しさの中で、救い主に与える場所がないのだ。その魂はより深く闇の底に沈んでいく。知性と認識の恵みを与えているが、私を受け入れるのを拒むかぎり、彼女は変わらないだろう。私は何も求めない、ちょっと気がついてくれることを、少しばかりの愛だけを求めている。見なさい、ヴァスーラ? (イエスは悲しんでおられました)この魂の創造は私にとって喜びだった、しかし、私を締め出している今、そのようなことが彼女に分かるだろうか? そうだ9、ヴァスーラ、愛しなさい、私のヴァスーラ、あなたは慰めを与えてくれる、私を愛さない人びとに代わって愛してほしい。

イエスはある客が原因でこう書かれました。親戚の一人がいま、数日間一緒に滞在しているのです。メッセージのことを耳にして、彼女は見せてほしいと言いました。ノート17のどこかを見るとそこを離れ、(あくびをして)それから言います。「引退の歳になったらバラ園のお世話をし、霊的生活のことも気にかけようかしら、でも今はいいわ」書いているところを見たいと頼みます。その現象を見て好奇心を満足させるためです。私は申し出を断りました。神がその方を呼ばれるとき以外は誰も見ることがありません。二回、一度はある特別な場合に、それからダッカにあるカトリックのカリスマ・センターで一度、そういうことがありましたが。それは神聖なもので、好奇心によって汚されるべきではないのです。

私への愛は私の栄光となり、あなたを清める

1988年3月26日 ノート22

わが神よ、
もうみ顔から目が離せません、
目はあなたに据えられたまま、
何時間でも礼拝し続けます。
心も、愛するお父さま、
あなたから離すことができません。
地上の一瞬一瞬、そして天国でも
あなたに惹きつけられたまま、あなたと共にあります。

あなたのために生き、あなたのうちに呼吸し、
私の歓びはあなたであって、あなたは私の微笑みです。
私は信じ、礼拝し、希望し、
終わりなくあなたを愛します。

愛している、魂よ。あなたの上に平和。私を礼拝しなさい。祝福されるように。あなたの神、私に顔を向け、私を悦ばせなさい! この時が来るのを首を長くして待っていた、そばに連れて来るのをどのように待ちこがれていたか!

御名が称えられますように、主よ!

私の聖心の深淵に場所をそなえておいた。あなたの家は私の聖心のうちにある、来なさい! 私のもとに来なさい。

(イエスは十歳の頃と同じ霊的直観を今、再びお与えくださいました。そして同じお言葉です。「来なさい、私のもとに来なさい」それがイエスの私への最初の呼びかけだったのです)

来なさい、愛している。ヴァスーラ、つかまっていなさい、案内しよう。あなたは初めから私のものだった。娘よ、私を愛するか?

気も狂うほどに、主よ。

私への愛は私の栄光となり、あなたを清める。私の足跡に従いなさい、居てほしいと思うところにあなたを導く。ともに祈ろう。

「聖霊、私たちの上に降り、新たにしてください、
あなたの愛で魂を満たしてください、
悶える魂に憩い、平和をお与え下さい、
主の翼で覆い、あらゆる悪からお護り下さい、
私たちを低くし、あなたの光の中を導いてください、
あなたのお望みを悟って、成し遂げることができますように、
アーメン。」

最後には私たちの心が勝利します

1988年3月24日 ノート22

あなたの上に平和。

(聖マリアです)

愛しています、神の栄光を称え、魂のあがないのために祈りなさい、主を運ぶ者として、み旨に従い、その栄光を称えなさい、主は優しくあなたを愛しておられます、魂よ、書くことに決して疲れてしまわないように、来て祈り、主にこうお伝えなさい:

「全能の神よ、あなたの僕に道をお教え下さい、

謙遜、忍耐と愛の道を、正義と徳の小道を導いてください、

私自身を明け渡し、意志をお献げします、

どうぞ罪をゆるし、私を新たにし、

十分に用いていただけますように、ふさわしい者としてください、アーメン」

ああ、ヴァスーラ、いつまでも手をかしましょう、私の手を取りなさい。教会は生き返り、最後には私たちの心1が勝利します。
 神の御わざに対して魂を勇気づけるために、私は現れています、私たちに立ち帰るようにと呼びかける警告なのです。今年は多くの者に現れましょう、霊的直観を与え、それを受ける者が出現するでしょう、聖なる教会が初代の頃に立ち帰るように、祈りなさい、神のすべての御わざが不信仰や軽蔑を受けず、疑われることなく受け入れられた過去の時代のように、聖なる教会の信仰も再び新たにされるよう、祈りなさい、そして奇跡、出現や霊的直観を信じるように、これも神があなたたちに語りかける一つの方法だからです、刷新を願い求めなさい。

ありがとうございます、聖マリア2

心配しないように、昼も夜も祈っていますよ。イエスです。

ヴァスーラ3、私です、私を見なさい、魂よ、彼らには聖さが見出せない。

イエス様、今日のあなたの御わざを否定する人たちにですか?

そう、全然見当たらない、十字架から叫ぶごと、その瞬間、私自身の者がサタンに負けるのを見たのです、ヴァスーラ、私自身の者、私の司祭よ、愛している、

イエス様、女性の司祭が許されていないときになぜ私を司祭とお呼びになるのですか?

魂よ、私があなたを聖化し、あなたを選んだ、魂よ、私の目はあなたの魂を見ているのだと分かってほしい、私の心はあなたの魂を感じている、あなたの魂は身体の中にあるが、私は身体でなく、魂を愛している。みことばを悟るように努力し、神なる私があなたの魂を見ているように、

あなたも魂を見なさい。

(神にとって意味があるのは魂なのです。死後は天国に行って女性とか男性という区別がなく、すべての魂は天使と同じようになります。イエスはそれを担っている体ではなく、魂をご覧になるのです、そこで主の選ばれた者たちの間に区別をなさいません。)

愛している、私の足跡をたどりなさい、さあ、「私たち」。

はい、主よ。

素朴さと貧しさは私を夢中にさせる 愛は苦しむ

1988年3月23日 ノート22

イエス様?

私だ。愛は勝利する、私は愛、私の平和を受けなさい。怖れないように、私、イエスである。私のもとに来てくれるか、待っている、私を愛しなさい。他の人たちを案内した所に、あなたも案内しよう。愛する者よ、そこに連れていく。祈りなさい、私のヴァスーラ、悪魔の罠に警戒していなさい、もし私の被造物が心を入れ変え、悔い改めなければ。

主よ! 私たちを変えて下さるとたびたびおっしゃり、あなたの御国が本当に来るとおっしゃっているときに、どうして、もし、という言葉をお使いになるのですか。私には分かりません……

聞いて、理解しなさい。あなたたちには選ぶ自由がある、主であり至高者、そして光である私は、あなたたちの上に降った、被造物よ、与えようと手に私の心を持って、この漆黒の闇の中を降って来た。あなたたちをあがない、その上に輝くために。私に対してなされた無数の罪と背きを洗い流すために、あなたたちを呼び戻し、教会を一致させに来た。主なる私は、誰に権威を与え、天の王国の鍵を与えたかを思い出させ、私の母を尊び、母の前で膝をかがめることを皆に教えようと訪れた。母は私の手によって栄冠を受け、天の元后であられる。被造物よ! 悪魔に警戒しなさい、あなたたちを罠にかけようと、その努力を倍加し、一方では存在しないふりをして、怖れられることなく、企んでいるからだ。ああ、被造物よ! 悪魔はあなたたちに対して大虐殺を企んでいるああ、どんなに十字架から叫んでいることか! 被造物よ、私に立ち帰りなさい! 私を否定して、悪魔があなたたちを罠にかけることを許さないように! 祈りなさい、魂の立ち帰りのために祈りなさい。どの魂も与えた祈り1を覚えるように。あなたたち皆を愛している。

娘よ、私のもとに来て、ひざまずいて書くのに疲れてしまわないように。私は救い主、あなたの連れ合い、私はすべてを分かち合っている。来て、慰めてもらいたい、私は疲れ果てている。

ああ、おいで下さい、主よ! イエスは疲れているご様子で、その大きな肩は少しかがみ、悲しそうでいらっしゃいます。私も同じ気持ちです、主をお喜ばせしたい、今や主の訴えをパパさまが受け取られるよう、毎日祈っています。25日金曜日までにイエスのメッセージを手にされるかもしれないと希望しているのですが。

私の現存を覚えていてくれるか、ヴァスーラ?

はい、主イエスよ、そうします。「私たち、共に」!

はい、いつまでも永遠に「私たち、共に」。

(今日のイエスは疲れ、悲しんでおられます。)

あなたに平和、魂よ。疲れた、愛と素朴さが欠けているのを見て、疲れ果てた、彼らの間に愛が欠けているなら、私にとって儀式や犠牲は何の役に立つだろうか? 花よ、私の素足の弟子たち以上に大きな歓びがあったろうか? 手には小羊を導く杖しか持たなかった! 私は素朴を愛する。素朴さと貧しさは私を夢中にさせる。真の弟子たちは素足だったが、しかし霊は富んでいた。ヴァスーラ、勇気を、私は磔にされている、私自身の者たちによって手足をのばされ、私たちはこの十字架を分かち合っている、私とあなた、あなたと私で。愛は苦しむ……

主である私はどんな教会の分裂も望まない

1988年3月19日 ノート22

イエス、みもとに参りました。

ああ、ヴァスーラ、書くことに疲れてしまわないように。今日は飢えた小羊たちを養う、明日はあなたたちを一致させ、私の神秘を知らせる、私を歓びで満たし、愛して証しするすべての人に聖なるロザリオの祈りを伝えなさい、

すべてのキリスト者にですか?

そう、愛する者よ、私が母を尊ぶようにあなたも尊ぶのです、あなたの主が喜ぶ仕方で行う十字架の道行も、伝え示すのです、私を証しする人すべてに、

すべてのキリスト者に、主よ?

そう、私を愛するすべての人に、主である私は、どんな教会の分裂も望まない、あなたたちは私のために一致し、私の名のもとに私を愛し、従い、証しするように。私が愛するように互いに愛し合い、一致し、一人の牧者のもとに一つの群れとなるのです。あなたたち皆が知っているように、私はペトロを選んだ、権威を与えて。皆も知っているように、天のみ国の鍵をペトロに渡した、ペトロには私の小羊と、羊の面倒を見て、養うように頼んだ。この権威は私が与えたもの、私の望みをあなたたちに変えてもらいたくはなかった、集まりなさい、愛する者たちよ、私の教会を強化し、何を望んでいるかを私のうちに探し求め、あなたたちのでなく、私の利益を求めるように、私の栄光を求めなさい、一致することによって私の栄光を称えなさい、被造物よ、私の体に活力を与えてほしい、あなたたち皆を愛している。耳を開いて十字架からの叫びを聞きなさい! ヴァスーラ、あなたの家がどこかを、覚えていよう? そう、私の聖心の中にある、来なさい、さあ、愛する者よ、待っている、限りなく愛している。

愛します、主よ、救い主。どうぞお喜ばせする方法を教えてください、あなたと共にいて、用いていただけますように。

あなたを教えているところです、しなやかなまま、私の利益にだけ注意を向けていなさい。どのときも、「私たち」、私はあなたのために、あなたは私のために、私はあなたの傍らにいる、祈りなさい ヴァスーラ、魂のあがないを、このメッセージのためにあなたを創造した。

ありがとうございます、イエス。

信仰

1988年3月18日 ノート22

あなたのシンボルを、私の花よ、この聖なる言葉、信仰としなさい。そう、みじめな時代よ。

私の血は空しく流されたのか? 信仰の全くない時代よ

1988年3月17日 ノート22

ヴァスーラ、私が最初に呼んだ時のように、私の声に耳を傾けなさい。

あなたが生まれるはるか以前から、私に仕えるように多くの者を呼んだ。そう、まだ恵みが歓迎されていた徳の高い日々だった。私がみじめな魂を呼ぶと、呼んでいるのが私、神なる救い主であることを決して疑わなかった。周りの人びとも、今日の彼らのように疑わなかった。あなたの時代は、ヴァスーラ、死んでいる。彼らは私の今日のわざを弾劾し、この荒野を広げて、砂漠を造ってしまった。私の血はあなたたちの心を灌漑し、私の光のうちに生きられるようにと流された。

ああ、被造物よ、私の血は空しく流されたのか? この時代は言う。「耳を貸すな、あなたの聞いている声はまさしく悪魔の声だから、耳を塞いでしまえ」。私が霊的直観を与えて祝福した人たちを、今日は私の家の、私自身の者たちが嘲り、落胆させている。彼らは簡単に私を見放し、有罪を固く決意し、恵みを拒んでは、自分で気づかなくても、私を人びとの前で陥れている。私の祝福が歓迎されていた時、私自身の者たちが、呼びかけを伝えた者たちに言う言葉はこうだった。「耳を開きなさい、息子よ、あなたの神がまさしくお呼びかもしれない」私の被造物たちに、サムエルへの呼びかけ1 をもう一度読ませなさい。その時代は、恵みが歓迎された徳のある日々だった。

以前のように、今日、あなたたち被造物に「わずかな信仰しかない時代よ」と言えればよかったのだが。しかし今日はこう言うしかない。「ああ、信仰の全くない時代よ!」

娘よ、疲れた、あなたの心に休ませてほしい、子よ。

ああ、おいで下さい、主よ!

私たち、共に?

はい、主よ。

(イエスは本当に悲しそうで、疲れ果てたご様子です)

書きなさい。

はい、主よ。

(神は悲しんでおられます、あまりにも多くの人が神より悪魔を先においているからです。アヴィラの聖テレジアもおっしゃっています。「私には〈ああ、悪魔、悪魔よ!〉といって怖れる気持が理解できない。むしろ、〈神よ、神よ!〉と言って悪魔を震え上がらせることができるのに」。今日はこういったことがいっぱい行われ、悪魔を先においてしまっているのです。──また一方、嘲ってこう言う人たちもいます。「行って調べてもらいなさい。今日はいい医者がいますからね」――あるいは、超心理学の知識を自慢し、神からの呼びかけはもう時代遅れだと見なす人もいます。しかし、神のみ前に一番よくないのは、偽善です。はい、とも、いいえ、とも言わない外交的な答えで、ピラトがしたように、主に対し、自分たちの手を洗うだけなのです。なぜだか分かるでしょうか? 信仰が欠けているからです)

あなたが欠けた者ゆえ、愛している

1988年3月16日 ノート22

私は主、あなたがどのような者だろうとみことばを確立させる。あなたは無であり、多くの場合背いて、怒らせている。数え切れないほど私を傷つけて。私の手のうちにはみじめな、あなたの時代をすべて写し出す者がいる。しかしたとえそうであってもゆるし、私の聖心に置いた。娘よ、私は神であり、絶対、全ての造り主、崇高で深遠な愛の霊。どのような好意を示したか分かっているのか? 欺く舌を持つ者からどう救い出したか? 被造物よ! 自らを献げなさい、どうして気を逸らすか、私たちの絆を忘れてしまったのか1

主よ、周りの人たちが気になり、私は弱いのです。

私に顔を向けてほしい、怖れないように! こう言いなさい。

「神に栄光!
主は祝されますように!
主に賛美!
寄り添って歩くのをお許し下さい、
アーメン」

(私は繰り返し唱えました)

そう、ヴァスーラ、があなたを見放すことがあろうか? あなたに忠実ではないか?

はい、そうです、主よ。

あなたが欠けた者だからこそ愛している、娘よ、運ぶ者と名づけたそしてあなたは死ぬまで運ぶ者であり続ける。私だけのために生きてほしい。あなたの周りにいる者とは私、あなたの神、私だけです、あなたを完全に包ませてもらいたい、よいか?

はい、問答無用でそうお願いします。

ヴァスーラ、何を言っているか分かっているか2

はい、主よ、分かっています。

では私に頼っていなさい、あなたが今いるところに今日いることを望んだ、そして再び私の意思により、あなたを引き上げ、みことばを成就できるように満たす、数え切れない試練に出会うが、終わりには私たちの心が勝利する3、今日のあなたは私の秘書であり、明日は運ぶ者となり、彼らは道案内そして証人となる。

主よ、私がもっと良くなる希望は本当にもうないのでしょうか、主が始め私についておっしゃったことも含め、すべてを考え合わせますと?

そうでない、私のヴァスーラ、希望を失ってはいけない、あなたがする全ては無駄にならないだろう。完全さに達するよう、私が教える。あなたに完全であってほしいと言わなかったか?

はい、主よ、けれど今日の自分を見ていて、主の御心が望まれる場所に到達するにはまだ道が遠いように思えます。

私があなたの師ではないか?

はい、主よ、けれど私はあまり良い生徒ではなさそうです。

あなたは弱い、しかし転んだ時は私の力で支える。そこでヴァスーラ、あなたの霊的指導者として私以上の者がいようか? これ以上の好意があろうか?

お与え下さっているすべてをありがとうございます、自分の功徳で得たものは全く何もありません。

ああ、ヴァスーラ! 私に背くつもりで、意図的にこうしたことをするのでないことは分かっている。あなたの罪を私は忘れた、流れ去り乾いてしまった水のように、あなたの罪を見返さない。また思い起こさせもしない。新たな始めを許そう、あなたを新しくする、愛する者よ、あなたに抱く私の愛を感じなさい。ありのままを受け入れる。手には平和と愛の冠をおいた、そしてあなたはその二つの冠を義の冠とともに持っていき、私自身の家の愛するペトロの足もとに献げるように。

はい、主よ、そこにお運び下さい、主よ。

来なさい、傍らにいる。一緒に私の家を建て直そう。「私たち共に」?

はい、主よ!

(しばらくして)

さあ、ヴァスーラ、あなたにとってのシンボルを、この聖なる言葉としなさい。

信仰

幼子の-ような信仰。