私の血はあなたのために河のように流された 私の杯を分かち合いなさい

1988年4月7日 (ノート23)

イエス様?

私です、平和を受けなさい、ヴァスーラ、はるばるここまで連れてきて、あなたを形造りながら、今になって見捨てはしないことを悟りなさい、あなたたち皆を愛している、魂を癒やし、あがなうために探し求めているのは私、主、ああ、魂よ*! そう、それは私、あなたの救い主、癒やそうとして、愛する魂よ、あなたを訪れた**、扉を叩いているのは私、主、ああ、こんなにも愛されている魂よ、あなたを私のもとに連れてきて、今養っている***、来なさい! 近づきなさい、あなたを飾り、清め、傷をすべて癒やし、回復させよう、私の子よ、あなたのもとにやって来たのは私、探し求めていた、魂よ、来てくれるなら、慰めよう、来て、私のうちに憩いなさい、魂よ、来て、私を食べなさい、来て私を飲みなさい、あがない主の声を聞くなら、魂はいのちを得よう、愛している、いとしい魂よ。私の血はあなたのために河のように流された、その救いのために。魂よ? 来て私のマントを分かち合いなさい、あなたを護る、砦となる、私はイエスであり、イエスとは救い主を意味する、

* これは今主のみことばを読む者に向けられた叫びです。
** ここでイエスは主のメッセージを読んでいる者に話しかけておられます。
*** 養うとは、読んで理解することを現しています。

(イエスはこのメッセージを通し、今読んでいる人に話しかけておられます。たまたま主の愛と平和のメッセージを読んでいても、それは偶然ではありません。主イエスがあなたを探し求め、あなたのところに来て、このメッセージを読むように与えられたのです)

今しているようにメッセージを配り、私の王国をひろめなさい。私のわざを確立し、王国をひろげるのは私、覚えておくように、私は常に目的を達する。あなたの救い主に微笑みかけ、祝福しなさい。

(私は振り向いてイエスを祝福しました)
あなたを祝福します、イエス・キリスト、祝福をお受け下さい。

私もあなたを祝福する、今夜は私に合わせなさい、私は兄弟たちに見捨てられ、その一人に裏切られた、ゲツセマネでの苦悩を分かち合いなさい、私を見捨てないでほしい。

はい、主よ。

いつも思いの中に私をおき、こうして慰めてほしい、見捨てないことを示しなさい、ヴァスーラ、私の苦しみを、杯を分かち合いなさい、最後まで一緒にいてほしい、私の受難を生き、私の栄光となるように! 近くにいなさい。

イエスよ、はい、そういたします。(イエスは受難を再び生きていらっしゃるように見えました)

ああ、ヴァスーラ! 私の聖心に入って来なさい、その深淵に入るなら、平和を見いだす、主である私は、あなたのために場所を取っておいた、あなたは私のものであって、私はあなたのもの、愛が道を案内する。

主よ、御身に私の心を差し上げました。お好きなようになさってください。

では私を信頼し、手を取りなさい、決してがっかりさせない!

私を導いてください、主よ、あなたは私の道案内、そして神です。

さあ、私を忘れてしまわないように。ビアトリスを祝福しなさい、主である私は彼女を祝福する、「私たち」?

はい、主よ、永遠にともに。

聖木曜日(復活節)

水曜日は教会に行き、神父さまが油に混ぜたミルラで一人ひとりを祝福なさいました。教会によって祝福されたそのミルラは綿の一片に浸し、持って帰ることが許されています。ビアトリスが到着し、私たちは教会に行きました。イエスは彼女を祝福するようにとおっしゃいましたので、持っていた油とミルラで彼女を祝福しました。こうやって祝福をするのです。祝福する時はその油とミルラの混ざった綿でひたい、左と右の頬、あごと手、手は手のひらの内側と外側に十字を切ります。―― 司祭は、体と心の癒やしについて、何かお祈りをなさいました。イエスは、ご自身がこれらの言葉をその時言っておられるのだと内的に分からせてくださいました。
その後教会の中では、言葉がよく分からないため、ときどき気が散りました。古文体のギリシャ語で、ほとんど何も理解できません。この三時間気を散らさないでいるのは難しいことでした、けれどイエスはそうならないようにして下さったのです: 思いが離れはじめるたびにイエスはおっしゃいます: 「そばにいなさい」十回かそこら、そうおっしゃったように思います。