あなたたちは棄教によって非とされる

1988年3月29日 (ノート23)

イエス様、ああ、イエス様、「出現」という言葉をあざ笑う教会の人たちにどう答えていけばよいのでしょうか? 私たち1は無力で、最近言われたこの言葉に対してどう答えたらよいか分かりません。「出現? 真理を求めなさい、だが出現にではなく」。これが、一人のカトリック司祭が友人であるベアトリスに言った言葉です。ベアトリスは言葉が出ませんでしたが、私でもそうだったでしょう。私たちは無力です、主よ!

花よ、私は真理であると、そして私の言葉2は真理であるとあなたに保証する。しかし私自身の者たちの多くは私の言葉を忘れてしまった、心を頑なにし、暗やみの中を探し求めている。こう書かれている3、私はすべての人に私の霊を注ぐ、私の子どもたちは再び預言し、多くの人は夢や幻を見る。最も貧しい者にいたるまで、天と地に予兆を示し、あなたたちに希望と勇気を与える。これが今日に4おける私のしるしだ! 赤子の口から真理を聞くだろうと言った! それゆえ、今日の私の神聖なわざを非とする者にはこのように言う。
あなたたちは棄教によって非とされる5!! 信じないために私の園をみすぼらしくしたあなたたちは皆、来て悔い改めよ!! 子よ、来なさい、愛している。平和を受けなさい、私から食べ、あなたの横にいる私につかまっていなさい。

愛しております、主よ、主に賛美!

私の教えを保つように努力し、それに従いなさい、私、主が愛している。あなたのいるところはどこにでも現存する、そこで私を見て微笑みかけなさい!……心の素朴な者は幸い、天の私の王国は彼らのもの。が君臨し、私の家は素朴ななかに完全さをまとい、新たにされるだろう。子よ、神聖なみことばをあなたのうちに刻むのを許してもらいたい、失望はさせない。私の心のうちに憩い、あなたの主も、その心のうちに憩わせなさい。

イエスよ、み旨を行う力と信仰と愛をお与え下さい。主に従い、身を低くすることをお教え下さい、迫害する者をゆるし、悪を愛で返すことをお教え下さい。

教えているところです、ヴァスーラ、そう6、微笑みかけなさい。私の現存を信じなさい、離れないで、私の反射となりなさい。そう、ヴァスーラ、私の体は痛んでいる、この心の真っただ中に、槍の刃先が突き刺さったままだ。

どこにですか、主よ!

まさに聖所の中に、そして基のある中心に、私の聖なる心は血を流している。私は苦しみのさ中、彼らに警告を与えたいと望んだ、立ち上がりなさい、娘よ! 教会はあなたを必要としている。私の家は棄教と罪によって暗やみの中にある、そしてその罪によって私の群れは散らされた、十字架からどんなに叫ぶことか、ああ、ペトロよ7。あなたのもとに来た、忠実なままでいたのを知っているがゆえ、ああ、ペトロ8、私の心を見なさい……叫びを聞きなさい、愛する魂よ。私、主には愛が見い出せない。あのカインたちには神聖さが見当たらない、この人びとは数多く、私の家を砂漠にしてしまった。その手の中が空であれば、何によって小羊たちを養えばよいのか? 私の礎を荒廃させてしまったために、小羊たちに与えるものが何もない。祈りなさい、ペトロ、そうしたらこの荒涼とした荒れ地を、上から目で見ることができるようにあなたを引き上げ、私の心の傷の奥にまで入るのを許そう。槍の突き刺さった刃先を見せる、それを見たなら、あなたの心は痛みで叫ぶだろう。ペトロよ、それを引き抜くのに必要な力と勇気を与える。

イエスは非常に大きな苦しみのうちにおられました。前ページの終わりで、もう、今日のメッセージは終わったと思い、立ち上がりました。けれど、数分後にこの、促しがある時に感じるある特別な感じを受けました。心の中に神の苦しみを感じはじめ、それは主からのものでした。その苦しみが全身を走り、鏡のように私の上に映し出されたのです。主の叫び声を聞き、ほとんど涙で見えないまま、急いで戻って来ました。イエスは苦しんでおられ、痛みのさ中、これを言うのも、書くのも、主にとって非常に辛いことでした。

ヴァスーラ、闇の中を歩き、汚れにまみれた魂たちは私を苦しめ、心を傷つけている。私のヴァスーラ、その魂の外で戸を叩くが、心を開けようとしない。毎日の忙しさの中で、救い主に与える場所がないのだ。その魂はより深く闇の底に沈んでいく。知性と認識の恵みを与えているが、私を受け入れるのを拒むかぎり、彼女は変わらないだろう。私は何も求めない、ちょっと気がついてくれることを、少しばかりの愛だけを求めている。見なさい、ヴァスーラ? (イエスは悲しんでおられました)この魂の創造は私にとって喜びだった、しかし、私を締め出している今、そのようなことが彼女に分かるだろうか? そうだ9、ヴァスーラ、愛しなさい、私のヴァスーラ、あなたは慰めを与えてくれる、私を愛さない人びとに代わって愛してほしい。

イエスはある客が原因でこう書かれました。親戚の一人がいま、数日間一緒に滞在しているのです。メッセージのことを耳にして、彼女は見せてほしいと言いました。ノート17のどこかを見るとそこを離れ、(あくびをして)それから言います。「引退の歳になったらバラ園のお世話をし、霊的生活のことも気にかけようかしら、でも今はいいわ」書いているところを見たいと頼みます。その現象を見て好奇心を満足させるためです。私は申し出を断りました。神がその方を呼ばれるとき以外は誰も見ることがありません。二回、一度はある特別な場合に、それからダッカにあるカトリックのカリスマ・センターで一度、そういうことがありましたが。それは神聖なもので、好奇心によって汚されるべきではないのです。

  1. ベアトリスと私。
  2. 聖書のこと。
  3. ヨエル3・1-4、使徒言行録2・17-20。
  4. イエスは非常に怒っておられました。叫ばれたのです! 神殿であの日、ファリサイ派の人たちに叫ばれた様子が思い出されました!
  5. イエスは非常にお怒りで、さらに大声で叫ばれました!
  6. 主に微笑みました。
  7. この「ペトロよ」は、「ピイイタアアー!」という長い叫びでした。
  8. これは苦しみによる呻きに近いお声でした。
  9. これほどまでにイエスが悲しんでおられるのを見て、大変泣かされました。