ノート25のメッセージ

聖なるロザリオを覚えなさい 時の終わりのしるし

1988年6月2日 ノート25

(主日)

(もう三日間、ロザリオ一環を唱えています、もちろん主がお望みの三つの祈りも)

主よ?

私です。私のヴァスーラ、その努力で1悪魔は力を失い、悪は弱まる。聖なるロザリオを覚えて私の教会を飾りなさい。

(主はロザリオを唱えていない正教会、プロテスタント教会やその他の教会もそれを覚えるように望まれています。こうして聖なる教会を豊かにし、悪魔を追いやり、鎮圧するようにと。不忠実と不従順による教会内の異端や棄教もなくなるでしょう)

そう、ヴァスーラ、愛がいや増し、悪が弱められよう。これを言ったのは私ではない2と議論する者には、その議論がいかに空しいかを示そう。この者たちの熱意は間違った方向にそれ、私の正しさがはっきりと見えないかのように、勝手な考えを宣言する。彼らは進んで私を否認し3、私を顕すのに選んだ貧しい器に驚いて、あなたは私に遣わされた者ではないと言う。聖書にどう書かれてあるかを忘れて4。「私を探し求めていない者たちによって私は見い出され、私の助言を求めていない者たちに自らを現した」、ゆえに主である私は言う。頭でなく、心を開きなさい!

私の聖心のヴァスーラ、あなたは私が耳にささやくのを聞いた5。あなたの時代の終わりの日々について預言されているすべてを、第一と第二テモテ書で示したいと思う。私の被造物は堕落し、ソドムの人びと以上に低くまで落ちてしまった。暗やみがサタンから送られ、死のヴェールのように覆った。サタンは今日、哲学者のように見える多くの偽教師や偽預言者を送り、あなたの主、私からでない教理を教えている。そして私の子どもたちは無知によって眼を覆われ、サタンが仕掛けた罠に陥っている。テモテ書のこの部分を、警告として公に読んでもらいたい。第一テモテ書4章1節から16節、6章20節から21節、第二テモテ書2章14節から26節だ。これらの預言は特にあなたたちの時代のために与えられたものである。そして第二テモテ書3章1節から17節では、この時代に、今見受けられる状態を予見する。今は時の終わりを迎える最後の日々なのだから。

「立ち帰り」のための祈りを倍加するように、皆に厳粛に呼びかける。私の聖心は、悔い改め、戻って来るすべての魂たちに開いている。

花よ、私とともに書く前にいつも真理と識別の霊を求めなさい。愛があなたを愛し、道を案内する。来なさい、聖心のうちに休みなさい、決して見放さない。「私たち共に」?

はい、主よ。はい、聖マリア。

イクトゥス

アッバ

1988年6月1日 ノート25

天の御父について、あるギリシャ人の若い婦人に話をしていた時、口にアッバという言葉がまたのぼってきたのです、ギリシャ語で「O babas」と。

ヴァスーラ、私をアッバと呼びなさい、愛のうちにこの言葉を受け取る、私は天の父、「私たち共に」?

はい、主よ、永遠に。

ロザリオを唱えなさい

1988年5月31日 ノート25

イエス様?

私です、ロザリオの唱え方がよかった。

お教え下さり、ありがとうございます、主よ、そして聖マリア。(いつもの三つの祈りを唱えてから、聖なるロザリオを、今度は最後ま全部唱えたのです)

日々時間を献げ、聖なるロザリオを唱えなさい。

はい、主よ。──主よ、「家に連れ帰るガブリエルのミッション」というのを読んでいますが、その中では聖マリアもロザリオのことも挙げられていません。

ヴァスーラ、私、主が、誤った方向に導く松明と呼ぶのはこれだと知らせなさい。宗派のために祈りなさい。主である私は、私の体が頭から切り離されているのを許さない。これらは、娘よ、宙に浮く王国、以前に話した根のない王国であり、今その実例を一つ示した。聖心がどう感じているかは言うまでもなかろう。ヴァスーラ、私の聖心を黙想しなさい、決して欺くことないこの心を、最後まであなたの聖なる教師となる。手を離さないように、「私たち」?

はい、主よ。

「私たち」?

はい、聖マリア、神に栄光。

食べ物を祝福してほしいか?

1988年5月25日 ノート25

今朝は、主を識別し、ご一緒にお話しするのがちょっと困難なほど、大変忙しくしていました。後ほどベランダで昼食を摂りに行き、腰掛けました。食べていると突然、心の目で内的に、主が一緒に座って私が食べているのをご覧になっているのが見えました。主はおっしゃいます、「おいしいですか?」。私は答えました、「はい、主よ、ありがとうございます」。ちょっと間があり、それから主はお尋ねになったのです。「食べ物を祝福してほしいか?」お答えしました、「はい、主よ、そうなさってください」。そこでイエスは食べ物を祝福し、食べ終えるまで一緒にいてくださいました。それから主に食事のことを感謝しました。──主は食べる前に食物の祝福をお願いするようにと示されたのでした。

愛する者よ、祝福を願うように努めなさい、本当にあなたの食べ物を祝福する。

はい、主よ、お教え下さりありがとうございます。

ヴァスーラ、愛している、最後まで天から訪れたあなたの教師となろう。

ありがとうございます、イエス。主よ、聖フランシスコをお呼びし、祈りましたが、祈るとき聞いておられるのでしょうか?

聞かれないまま無視されるものは何もない。天国ではすべてが聞かれている。あなたの声を聞いて、聖フランシスコが横にいる。来なさい、「私たち共に」?

はい、わが神よ。主に賛美。

渇く者は皆私のもとに来なさい

1988年5月24日 ノート25

主よ!

渇く者は皆私のもとに来なさい、やって来なさい! 来て飲みなさい! 決して涸れることのない私の井戸から、永遠の水を与え、あなたを満たす。

ヴァスーラ1、私をおろそかにしないでほしい! 私は完全に忠実な者、そばにいなさい、「私たち、共に」? 

はい、主よ。はい、聖マリア。ありがとうございます、主よ。み名が祝されますように。主に賛美!

あなたたちに対する私の慈悲は非常に大きい

1988年5月19日 ノート25

主よ? 教会の権威者が答えてくださらないのは、もしかしたらあなたの平和と愛のメッセージがルルドやファティマのように、悔い改めることを「思い出させる」ものなので、これには付き合わなくていいと感じているからかも知れません、とにかくこの方がたは仕事に追われているのですから。ただ、思い出させるだけのものではないのですが。一致のため、ロシアの回心、そして「ペトロ」の座についてでもあるのです。

ヴァスーラ、私は(I Am)みことば、永遠のみことば、みことばは不滅のいのちです。もしさまざまな道具を通して、毎日だろうと、私の愛を被造物に気づかせようと決め、悔い改めに招いているとするなら、塵と灰でしかない被造物が、私の話したいかなる言葉をも無視するのは許されない。主である私は皆の必要を知っている、言っておくが、あなたたちに対する私の慈悲は非常に大きい1

ジェームズが私に頼るのは正しい。そして私にすっかり倚りかかっている、しかしながら、最初の弟子たちがどのように働いたかを思い出させたい、彼ら一人ひとりに福音を広めるという使命を与えた。今日は、ジェームズ、この平和と愛のメッセージを与える。私の平和と愛のメッセージを広めなさい、に見えるよう、あなたの明りを点した、私の教会でメッセージを宣言し、あなたの主、私を尊びなさい。

主よ? どの教会ですか、ミサをあげていらっしゃる教会のことですか、主よ?

まさにその通り、聞きたいと望む人には聞こえる。私のためにこれをしてくれるか? 今日からあなたの司教に知らせ、このメッセージの中心的証人であるあなたとデイビッドに、与えた使命を司教に理解させなさい。私の平和と愛のメッセージは多くの魂を改心させる、兄弟よ! 収穫の用意が整った、そして鎌を与えた、司教に私のメッセージを伝えてほしい。今行って、メッセージの一部を彼に読んで聞かせ、私の子たちの非常に多くが滅びの道を行くのを見て、私の心は血を流していると伝えなさい。ジェームズ、天国に入る者がいかにわずかで、どれほど多くがサタンの門に向かっているかを思い起こしてほしい。あなたにこのメッセージを託した。その重要性を感じてほしい、私の兄弟2 に私の教会3 は祝福されていると伝えなさい。さあ、私の現存を感じるように。

はい、主よ。

「私たち、共に」。