1988年5月のメッセージ

ロザリオを唱えなさい

1988年5月31日 ノート25

イエス様?

私です、ロザリオの唱え方がよかった。

お教え下さり、ありがとうございます、主よ、そして聖マリア。(いつもの三つの祈りを唱えてから、聖なるロザリオを、今度は最後ま全部唱えたのです)

日々時間を献げ、聖なるロザリオを唱えなさい。

はい、主よ。──主よ、「家に連れ帰るガブリエルのミッション」というのを読んでいますが、その中では聖マリアもロザリオのことも挙げられていません。

ヴァスーラ、私、主が、誤った方向に導く松明と呼ぶのはこれだと知らせなさい。宗派のために祈りなさい。主である私は、私の体が頭から切り離されているのを許さない。これらは、娘よ、宙に浮く王国、以前に話した根のない王国であり、今その実例を一つ示した。聖心がどう感じているかは言うまでもなかろう。ヴァスーラ、私の聖心を黙想しなさい、決して欺くことないこの心を、最後まであなたの聖なる教師となる。手を離さないように、「私たち」?

はい、主よ。

「私たち」?

はい、聖マリア、神に栄光。

食べ物を祝福してほしいか?

1988年5月25日 ノート25

今朝は、主を識別し、ご一緒にお話しするのがちょっと困難なほど、大変忙しくしていました。後ほどベランダで昼食を摂りに行き、腰掛けました。食べていると突然、心の目で内的に、主が一緒に座って私が食べているのをご覧になっているのが見えました。主はおっしゃいます、「おいしいですか?」。私は答えました、「はい、主よ、ありがとうございます」。ちょっと間があり、それから主はお尋ねになったのです。「食べ物を祝福してほしいか?」お答えしました、「はい、主よ、そうなさってください」。そこでイエスは食べ物を祝福し、食べ終えるまで一緒にいてくださいました。それから主に食事のことを感謝しました。──主は食べる前に食物の祝福をお願いするようにと示されたのでした。

愛する者よ、祝福を願うように努めなさい、本当にあなたの食べ物を祝福する。

はい、主よ、お教え下さりありがとうございます。

ヴァスーラ、愛している、最後まで天から訪れたあなたの教師となろう。

ありがとうございます、イエス。主よ、聖フランシスコをお呼びし、祈りましたが、祈るとき聞いておられるのでしょうか?

聞かれないまま無視されるものは何もない。天国ではすべてが聞かれている。あなたの声を聞いて、聖フランシスコが横にいる。来なさい、「私たち共に」?

はい、わが神よ。主に賛美。

渇く者は皆私のもとに来なさい

1988年5月24日 ノート25

主よ!

渇く者は皆私のもとに来なさい、やって来なさい! 来て飲みなさい! 決して涸れることのない私の井戸から、永遠の水を与え、あなたを満たす。

ヴァスーラ1、私をおろそかにしないでほしい! 私は完全に忠実な者、そばにいなさい、「私たち、共に」? 

はい、主よ。はい、聖マリア。ありがとうございます、主よ。み名が祝されますように。主に賛美!

あなたたちに対する私の慈悲は非常に大きい

1988年5月19日 ノート25

主よ? 教会の権威者が答えてくださらないのは、もしかしたらあなたの平和と愛のメッセージがルルドやファティマのように、悔い改めることを「思い出させる」ものなので、これには付き合わなくていいと感じているからかも知れません、とにかくこの方がたは仕事に追われているのですから。ただ、思い出させるだけのものではないのですが。一致のため、ロシアの回心、そして「ペトロ」の座についてでもあるのです。

ヴァスーラ、私は(I Am)みことば、永遠のみことば、みことばは不滅のいのちです。もしさまざまな道具を通して、毎日だろうと、私の愛を被造物に気づかせようと決め、悔い改めに招いているとするなら、塵と灰でしかない被造物が、私の話したいかなる言葉をも無視するのは許されない。主である私は皆の必要を知っている、言っておくが、あなたたちに対する私の慈悲は非常に大きい1

ジェームズが私に頼るのは正しい。そして私にすっかり倚りかかっている、しかしながら、最初の弟子たちがどのように働いたかを思い出させたい、彼ら一人ひとりに福音を広めるという使命を与えた。今日は、ジェームズ、この平和と愛のメッセージを与える。私の平和と愛のメッセージを広めなさい、に見えるよう、あなたの明りを点した、私の教会でメッセージを宣言し、あなたの主、私を尊びなさい。

主よ? どの教会ですか、ミサをあげていらっしゃる教会のことですか、主よ?

まさにその通り、聞きたいと望む人には聞こえる。私のためにこれをしてくれるか? 今日からあなたの司教に知らせ、このメッセージの中心的証人であるあなたとデイビッドに、与えた使命を司教に理解させなさい。私の平和と愛のメッセージは多くの魂を改心させる、兄弟よ! 収穫の用意が整った、そして鎌を与えた、司教に私のメッセージを伝えてほしい。今行って、メッセージの一部を彼に読んで聞かせ、私の子たちの非常に多くが滅びの道を行くのを見て、私の心は血を流していると伝えなさい。ジェームズ、天国に入る者がいかにわずかで、どれほど多くがサタンの門に向かっているかを思い起こしてほしい。あなたにこのメッセージを託した。その重要性を感じてほしい、私の兄弟2 に私の教会3 は祝福されていると伝えなさい。さあ、私の現存を感じるように。

はい、主よ。

「私たち、共に」。

幼な子のように神の国を受け入れなさい 種蒔きと鳥のたとえ話

1988年5月16日 ノート24

イエス様?

私です、さあ、教えを心にとどめておくように。私は聖なる師、あなたに書き取らせている。ヴァスーラ、2年足らずで私の多くの神聖なわざを教えた、人間には把握しようとしてもその能力を越える神秘を。分かるか、私の子よ、これらの神聖なわざは人間の理解を超えている。多くの魂は私のわざに反応しない、あまり変わりたくないからです。

主よ? 「変わる」とはどういうことですか?

この魂たちは世間に対し、物質に対して執着がある。自分たちを霊的だとは言っていても1、そうではない。肉体の目で見え、身体で感じるものに執着する。頑なに不毛な生き方をして、私の神聖さが注がれるようには心を開こうとしない2そう、私の光のうちに住むのを遮る要素は多くあるが、すでに述べてあるこの非常に重要な言葉を、再度重ねて言う、「神の国を幼子のように迎え入れないなら、誰も決してそこに入れない」。純心でありなさい、幼子の-ような-信仰をもって信じなさい、そうするなら私の神聖な光があなたを包み、あなたは、太陽に向かう花のように開き、私の光が注がれるのを許してくれよう。いつもともにいるのを、愛する子たちよ、理解するように3。尽きない思いであなたたちを愛している。

イエス、私たちを教え続けてくださいますか?

言うべきことはすべて書かれるだろう、いつもそばにいて、愛し、教え続ける、耳ある者は聞くように、私はあなたの主、イエスであり、この道具を通して自らを顕している、あなたを見放したことはない。

(イエスは私をご覧になりました)

ヴァスーラ、向上するように教えよう。

イエス様?

私です。聖書を未だ理解していないすべての魂のために祈りなさい、この人びとはあまりにも多くの部分の解釈を間違え、光を与える可能性のある箇所全体を切り落とし、照らされる可能性のある豊かな部分を剃り落としてしまう。聞いて理解するよう努力しなさい、「ある時、巨大な畑を整地している種蒔きがいた、この人は蒔くのに一番上質の種を選び、最良の麦を収穫するはずであった! さて、刈り入れ時になったとき、そしてそれは何と豊かな収穫だったか! 敵が一群の烏を畑に送り込んだ、この畑は、非常に大きな愛と犠牲によって、汗水流して準備されたもので、国全体を養い、誰も飢えることのないだろう、豊かな収穫が約束されていた、ところが、敵によって送り込まれた烏は収穫からほうぼうを摘んでは、少しでも多くを平らげ、荒らしていった。この種蒔きが一部始終を見ていて、烏を追い払うために召使いたちを送らなかったなら、収穫全体が食い尽くされていただろう」 

主よ、どうか説明してくださいますか?

さあ、種蒔く人は主なる私、収穫はみことば4、敵はサタン、烏はサタンの影響を受けた魂たちで、長年にわたって、とき折り、みことばの大事な要素を食いつまんでしまった。しかし、主なる、私、イエス・キリストは、それらの欠けた要素をあなたのために取り戻そうと、何度でも自らを顕す、私の教会を美しく飾り、修理して。被造物よ、愛している。教会全体が新たにされるだろう、取り戻されたこれらの要素によって教会は美しく飾られ、完成するだろう、しかしまず、私の-小羊たちの-ペトロ、という名を与え、その名を保つだろう、ペトロに、冠を授ける。地上にいた時と同じように、私の神殿に入るなら、完全無欠-という-ベルトで、あのペテン師たちをすべて打ち、力をもって入場し、金銭を崇拝する者を皆倒す。私は「エルサレム」に入り、新しいエルサレムが見えてくるよう、その到来を告げ、障害を払いのけて、道を切り開く、これは、私のヴァスーラ、私の教会の大艱難として知られるようになろう。その後、ペトロの手には私の羊たちを護る鉄の笏を置く、そして「どうして道案内など、必要か?」をまだ知らず、自問する人たちに対しては、このように言う: 羊飼いを持たない羊の群れを見たり聞いたりしたことがあるか? 私は天の羊飼い、そして戻るまで小羊たちを護るようにペトロを選び、その責任を与えた、ではなぜこのように議論するか、空しい論争を? 私の言葉を未だ知らないすべての人たちは、それについて聖書で読むように、私の弟子ヨハネの福音書の中にある5。それから教会を一致させ、一つの群れとなるよう、腕の中に包み込む、今日はこのように散らされ、あまりに多くの共同からだ、分裂したセクトを造りだしている、私の身体はあなたたちに引き裂かれてしまったが、こうであってはならない6! 皆を一致させる。

(イエスはローマ・カトリック、東方教会とプロテスタントを一致させるおつもりです、けれどそのほかに、他のグループ、セクトさえもとおっしゃっています。主はペトロのもとに私たちを呼び寄せられるか、ペトロが私たちのもとに来て下さるでしょう。(心の中の一致))

そうなったらペトロとともに働き、私の隠された領域を顕し、神秘の多くを彼に示して、私の子たちに教えられるようにする、この教えをもとにあなたたちは新しい天と、新しい地を見るだろう。主である私は、私の聖所の壁を新たにする、ああ、ヴァスーラ! 修復がなんと必要か! あなたを使わせてくれるように、

はい、主よ、どうぞ必要な力をお与えください、アーメン。

指をあなたの心に置かせなさい、私の祭壇が燃え立ったままであるように、全くの無に等しいながら、神である私は、あなたを愛している、あなたを遣わしたこの使命を、達成するに必要な力を与えよう、気を落とさないで、忍耐を持ちなさい、まもなくあなたは私の家に帰って来る、私のもとに、私たちのところに7、平和を受け、教会が経験するだろう刷新のために祈りなさい、主である私は、皆を愛している。「私たち共に」!

はい、主よ、永遠に。

来なさい。

私の教会が完成するまで炎を燃え立たせておきなさい

1988年5月12日 ノート24

主よ?

私です、決して疑わないように、ヴァスーラ、すべては私が与えたもの、書くように:

イエスはみ前で気持が「揺らぐ」のをおっしゃっています。イエスは再び磔の場面をお示しになりました、地上にしたたる御血はどの一滴も私たちのために流されたのです。十字架上で苦しまれるみ顔を示されました、傷つき、どす黒く青ざめ、汗と血におおわれ、髪は血で張りついて固まり、目には棘の刺さった額から流れる御血が溜っています: このすべてを私のため、私たちのために。

祭壇よ! 私の教会が完成するまで炎を燃え立たせておきなさい! さあ、ともに、私の現存を感じてほしい。

私は聖さを愛する 創ったものの中に私を見出しなさい

1988年5月10日 ノート24

わが主よ?

私である、私によりかかりなさい、私はあなたの平和。さあ、誘惑に負けないように、私から学び、私のやり方を思い出しなさい。祈り、祈り、祈って、唇から放たれたどの言葉も、香のように天に届く祈りとなるように。私と絶え間ない繋がりを保ち、心を引き上げ、私だけを思っていなさい、あなたの持つすべての良いものは、私が与えた、あなたを生き返らせて。書きなさい。

(イエスはそばに座られ、肩に手を置かれました)

私はあなたを形造った、あなたたち皆を腕の中に包んでいる。花よ、話しかけなさい、私との会話が減っている、あなたにすべてを与え、あなたと私のわざを分かち合っている、同じことを私に対してもしてもらいたい、私は聖なる仲間、伴侶、あなたの日々の行いを、分かち合いたい! 私のヴァスーラ、口を開いて何かを言うときは、どの言葉も聖なる言葉となり、祈りとなるように、絶え間なく祈り続けなさい

どうやって、主よ、どうしたらそれが可能ですか、主よ?

教えよう、あなたの姿勢、考え方、願い、瞑想、反省、奉仕の行い、必要なもの、すべてが祈りとなるように、わが似姿よ、与えられたどの領域も、心を聖とする恵みをあなたのうちに息づかせるはずである、この聖さは私が与え、どの魂にも備わっているが、この聖となる恵みをどう用いるかを魂たちは忘れてしまった。あなたたち皆の中で今は眠ったままのこの恩寵を、私は活気づけよう。私は聖さを愛する。

ではお恵みによって、主よ、聖くしていただけますか?

愛する者よ、そうする、どの魂にもそう望む。主である私はこの道をあなたに選んだ、沈黙のうちに神である私を礼拝し1、私とあなたは、人から離れ、私のために生きる。私の創ったものを楽しみなさい、私を愛し、創ったものの中に私を見いだしなさい、私の被造物を愛しなさい。ヴァスーラ。

(イエスは私をご覧になりました、しばらくじっと、手を組み合わせ、肘は膝の上にあり、手を下げたまま。その聖なるみ顔で私を見ておられます、主の髪は長くゆるやかに流れ、赤味を帯びた、輝きのある淡い栗色がかった金髪です)

ヴァスーラ?

はい、主よ。

心を与えてくれるなら、私の聖心の内奥に置く、聖心に入って来なさい……聖心に入って来なさい……ここに入るように

(イエスは聖心を人指し指で指されました)

ああ、来なさい! あなたが生まれた時から呼んでいた! あなたの場所をとってあった、ヴァスーラ! ヴァスーラ!

主よ! 私の心はすでに差し上げてあります、私の人生、すべては主のものです!

ああ、ヴァスーラ、私の意思を分かろうとし、心臓の脈打つ音を聞きなさい、どの鼓動もあなたへの呼び掛けである。どうして私に抵抗するのか?

主よ?

私です、

主よ、お耳に、あることを話してよろしいですか?

聞いている。

(ここでイエスにあることをお話しました)

聖心に入り、憩うように

(ここで別のこともお尋ねしました)

そう、それでよい。愛している。

お愛ししています、主よ。

後ほど

ある人々が、聖マリアを神の母として受け入れるのを拒んでいることを、いつもとても悲しく思います。あまりに辛く感じて、マリア様のために泣きました。お慰めしたかったのです。サタンが攻撃します。

ヴァスーラ、涙を流すんじゃない、あの殉教者たち全員を憎悪する。

行け! サタン、退きなさい! 見えないところに行きなさい、サタン。

主よ、イエス様?

私である、あなたと、そして私の聖なるやり方、あなたに教えているこの道を、悪魔がいかに蔑んでいるかをときどき見るがよい、私の母に対する愛の涙は、悪魔を猛烈に怒らせる。私の家を住まいとし、聖なる御母を「神の母」また「天の元后」として認めることのできる者は幸い、さあ、愛する者よ、祝福を受けなさい2。私のヴァスーラ、あなたを祝福する。

主を祝福します、イエス。(私は主の聖なる頭に触れました)教えを、ありがとうございます。

さあ、忘れないように3! 分かち合おう! 「私たち」!

はい、主よ「私たち」。

自由意志 私は散らされた小羊たちを集める

1988年5月7日 ノート24

(聖マリア)

ヴァスーラ! 狼たちの火を吐くような言葉が魂を傷つける時は、いつもあなたを慰めましょう。私の息子の飢え渇きを癒やしてください、愛に対するその癒やしがたい渇きを和らげてください、御父に祈りましょう。

「慈しみ深い父よ、

み足もとに伏して礼拝し、

あなたに希望をおいて、信じます、

限りない愛を込めて。アーメン。」

(繰り返し唱えて)

ありがとうございます、聖マリア、あなたに寄り掛からせてください。

愛する者よ、私の子と私は決してあなたを離れることはありません。

息子の言葉をお聞きなさい。

私、イエスはあなたを愛する、魂よ。

あなたを大切に思います、主よ! 主よ! どうしたらよろしいでしょうか。

(これから先のご指示は何でしょうという意味で)

私がすべてを行う。私はただ一つの、唯一、聖なる純正な教会。その一致のために祈りなさい、あなたたちを拒む魂たちのために祈りなさい。あなたたちを愛している、どんな時もあなたと共にいる1、餌食を求める狼たちに心が傷ついた時は、私のもとにやって来なさい。聞くように。福音派の牧師が私の背中を荒々しく、繰り返し鞭打っている2、デービッドに犠牲の行為として、その牧師の誤りを償ってくれるか尋ねたいと思う、この誤ってしまった羊のために祈りなさい、彼のために祈り、毎週金曜日にパンと水で断食してあがなうように。あなたの救い主の苦しみを、進んで和らげてくれるか、デービッド? 愛している、いとしい魂よ。聞きなさい、ヴァスーラ。私の王国はあなたたちのうちにある。

私の-心の-ペトロ、私の-小羊たちの-ペトロよ。これが彼に与えた聖なる名:私の-小羊たちの-ペトロ、しかしカインたちは私が彼の名誉のために与えた冠を彼の頭からはずし、盗み取った、主である私は彼を愛している、この者は私の魂の寵愛を受けており、私は盗まれた冠を彼のために取り戻す。私の体の血流を悪くしている偽りの諸王国を打ち倒す。漂う王国、根無し草のような諸王国を。偽りの王国をひっくり返し、松明のように私の明かりを照らして、真実の王国を打ち立て、ペトロにその座を完全に取り戻させ、頭には王冠をかぶせる。そして手には羊飼いとして司牧する力を授ける鉄の笏を置く、私は散らされた小羊たちを集め3、それを成し遂げたなら、この囲いを私の腕で囲み、誰も! 誰も! 悪魔でさえ、この囲いから一匹の小羊を盗み出すこともできないだろう。私のマントを彼らの上にひろげて護り、私のぬくもりで覆う。ペトロには地上で肉のうちにいた時に授けたものを取り戻させよう。人間は誰も、私の意思の限界を越えることはない、今ある状態はすべて、私ではなくあなたたちに起因する。無政府状態、そして私に対する反逆を私は忌み嫌う。ヴァスーラ! 許嫁よ! 兄弟たちよ! あなたたちのたどるどの一歩も、主なる私が祝福する。

あなたたちの探し求める、主である私は、私の神殿に不意に入る、私は戸口で叩いている、入れてくれるか? 救いの計画を携えて、その巻物はすでに書かれてあり、食するばかりとなっている、当然尊ぶべきであったペトロの聖座に名誉を与えるために、私の平和と愛による救いの計画が敷き直されたと伝えるように、私は教皇の羊飼いとしての名誉を取り戻しにやって来た、ペトロに近づきなさい……ペトロに近づきなさい……あなたの主に近づきなさい。

ありがとうございます、主よ。

書くことに疲れてしまわないように。「私たち共に」?

はい、主よ、「私たち共に」。

私は生きていて、生きた者として行動する 時間がほとんど無い

1988年5月4日 ノート24

聖なるロザリオを少し祈りました。すべてが正しい祈り方ではないかも知れませんが、努力しています。それから主が私たちに祈るのを望んでおられる三つの祈りも。皆にも分かるよう、書き記しましょう。

イエス様?

私です、平和を受けなさい、私、主です、恐れないように1。 

ああ、主よ、ほかに何ができるでしょうか? (神に満足していただきたいのです)

私を礼拝しなさい! 愛しなさい! メジュゴリエの十字架は生きていて、炎に包まれている。私はこの地を祝福し、私の神聖なわざの契約の櫃である御母を通して、恵みを与えてきた2

(神は何日間か、山の上の巨大な十字架のヴィジョンを下さっています。この十字架は炎に包まれていました、けれど火がついて燃えているのではなく、そうではなく、炎は十字架から出ているようで、十字架の形をしているのです。絶え間なく光り輝き、燃え尽きることのない炎が)

聞きなさい、もうすぐ、信じない人びとがまさにその山でひざを屈めるようにさせる。私の聖なる十字架は、生きた炎3が燃え盛っている。

(炎が何かを主にお尋ねしましたら、主は: 「いのち」とおっしゃいました)

ヴァスーラ、時は差し迫っている、本当に差し迫っている4。ああ、愛する者たちよ、私のもとに来なさい! 私のもとに来なさい! 私は道、真理、いのち、まだ時間があるうちに、私のもとに早く来なさい、草がまだ青く、花がまだ木々に咲いているうちに、ああ、来なさい5! あなたたちを限りなく愛している! その極悪さと悪行にもかかわらず、愛し続けてきた、被造物よ、どうしてそのように進んでサタンの足もとに身を投げ出すのか? 被造物よ、春風が吹き、改心の時がまだあるうちに、立ち帰りなさい、ああ、ヴァスーラ、時間がほとんどない6、来るべきことが本当に迫っている!

私の言葉7を預ける私の使者、ジェームズとディビッド、この生きた言葉、私の言葉を、人びとはどうして埋もれさせることができると考えるか8? 信仰は醜い不恰好な忌むべき野獣9に見えるよう、歪められてしまった。信仰はこのように見られている、今日の神聖で生き生きとしたものはすべて、このように歪められてしまい、醜く見え、人がそこから逃げだすようにさせている、それを恐れるあまり。どうしてあなたの神に沈黙し、死んでいてもらいたいのか? 私は生きていて、生きた者として行動する

教会の権威者は相変わらずあなたを拒むだろう。すべての権力と権限を握っていると信じて、ファリサイ派の者どもは、をも拒んだ、天からその力と権限が与えられなければ何もすることができないのを忘れて、そして今カインの息子たちも、私がその力と権限を与えなければ何もできないのをすぐ忘れてしまう。私は今までも、今もこれからも永遠に権威そのものであり続ける。今は、このようにして、私の摂理的なわざ10を否定する者たちの目は、虚栄に覆われ、見えていない、この者どもは例の盲の導き手であって、同じ誤りを繰り返し、外目には純潔であかぬけしていながら、内側はすべてが腐り、屍の骨となっている! ヴァスーラ、すべてを書き記せるように注意深く聞いて、私を識別しなさい、付け加えたり、省いたりしないように。あなたと二人の僕11には私の平和と愛のメッセージがあり、三つの冠、愛、平和と義の冠を与え、ペトロの足もとに置いてくるようにと命じてある12、そこで、

主よ、私たち三人ですか?

そう、私の二人の僕は、愛する者よ、あなたに付き添う用意が出来ているように、主である私は二人がともにいてくれるのを望んでいる。腰には与えたベルトを締めるのを望む、それは: 私を悦ばせる、幼子の-ような-信仰。そう、このベルトが一つの象徴となるように。素足でいるのを望む、修道者のようでありなさい、古えの衣服を着ていてもらいたい、

どの服ですか、主よ?

私の衣服は簡素です13。 

愛する主よ、私たちは新しい宗派と思われてしまうかもしれません!

ああ、ヴァスーラ! 本当に何も分かっていない! 娘よ、あなたと息子たちに光を与え、「古えの衣服を着る」とはどういうことかを教えよう。今日ここまで識別に達したのを喜んでいる、私の愛を決して疑わないように、私の臨在を覚えていてほしい、

はい、主よ、ありがとうございます、イエス。

ここにイエスが毎日祈るように勧めておられる祈りのひとつがあります。

イエスの聖心への信頼のノヴェナ

ああ主、イエス・キリストよ、
あなたの至聖なる聖心に向かい、この意向を委ねます。
(ここであなたの願いを申し上げます)
私にひと目でも注いで下さい
あとは主の聖心の呼び起こすままに……
主の聖心の決められるままになさってください……
それに委ねます……より頼みます……
私自身をそのご慈悲の中に投げ入れます……
主イエスよ、あなたは私をお見捨てにはなりません。
イエスの至聖なる聖心よ、あなたに信頼します。
イエスの至聖なる聖心よ、あなたの私への愛を信じます。
イエスの至聖なる聖心よ、み国が来ますように。
ああ、イエスの聖心よ、
私は今までいくたびもご好意を願いましたが、
この祈りを切に願い上げます。
これを受け取ってください。
主の聖心の中においてください。
天の御父は、この祈りが主の尊い御血で
おおわれているのをご覧になったなら、
決して否みはなさいませんでしょう。
ああ、イエスよ、この祈りはもはや私のものではなく
主の祈りになったのですから。
ああ、至聖なる、イエスの聖心よ、
主に信頼申し上げます。
決して私がくじけませんように。アーメン。

ここにイエスが毎日祈るように勧めておられる二つ目の祈りがあります。

大天使聖ミカエルに向かう祈り

大天使ミカエル、戦いにおいてわれらを護り、
悪魔の凶悪なる謀計に勝たしめ給え。
天主のかれに命を下し給わんことを伏して願いたてまつる。
ああ、天軍の総帥、
魂をそこなわんとて
この世を徘徊するサタン及びその他の悪魔を、
天主の御力によりて地獄に閉じ込め給え。アーメン。

これは、やはりイエスが毎日祈るように勧めておられる三つ目の祈りです。

聖ベルナルドの聖母に向かう祈り

慈悲深き童貞マリア、
ご保護によりすがりて御助けを求め、
あえて御取り次ぎを願える者、一人として捨てられしこと、
いにしえより今にいたるまで、世に聞こえざるを思い給え。
ああ、童貞中の童貞なる御母、
われこれによりて頼もしく思いて馳せ来たり、
罪人の身をもって、み前に嘆きたてまつる。
ああ、み言葉の御母、わが祈りを軽んじ給わず、
御あわれみをたれて、これを聞き給え、
これを聞き入れ給え。
アーメン。

愛を込めて祈りなさい

1988年5月2日 ノート24

主は再び、ご自身が示された一致の方法として「天にまします」を祈るように求められました。今度も大変ゆっくりと祈り、主は聞いておられるのを判らせるために、一言一言にうなずいておられたかのようです。心から発せられると、主が私のほうに向かれるのを感じます、顔と顔を合わせて。イエスはこの祈り方を大変勧めておられるのです。

そう、ヴァスーラ、このような仕方で祈り、私を満足させ、愛をこめて祈りなさい。

(ひざまずいて祈ったのを付記したいと思います)

許嫁よ、御母そして天使たちとともに、あなたを悪から護っている。私たちは皆あなたの傍らにいるのです、

悪魔に対してお与え下さっているご保護をありがとうございます、わが主よ。(恐らく大変腹を立てている悪魔から、特にお護り下さるようにイエスにお願いしてほしいとジェームズ神父に頼まれたのです。)

ヴァスーラ、あなたとジェームズとディビッドに与えるベルトを腰につけるのを望む、信仰という、幼子のような-信仰のベルトを、あなたたちには教会を生き返らせる使命があるゆえ、三人とも私の手を取るように。その刷新のために祈り、祈り、祈りなさい。

はい、主よ、助けていただきながらそうします。主のみ旨が行われますように。