ノート33のメッセージ

私にすがる全ての人を助け出そう

1989年4月23日 ノート33

(聖モーリスの小さな教会で、再会の集いの祈りとメッセージの朗読が終わった頃、小さな教会は人でいっぱいになっていました)

御名によって集う私たちが、困らないようにしてくださいました主は祝されますように。徳のない者たちにも主はよくしてくださいます。わが主よ、あなたは私たちの祈りに答え、あなたの愛する子どもたちのお献げした断食や犠牲に、お応えくださいました。私は御名を祝福します。私たちは御名を祝福します。「主は恵み深く、その慈しみは永遠、主の真実は代々に及ぶ1」主にお仕えしましょう。

私はあなたたちを愛する主。迫害する者たちの目の前であなたたちを養う。羊飼いの呼ぶ声を耳にして、聞き分けたあなたたちは皆祝されよ。私に犠牲を献げた者は皆祝されよ。
私にすがりつく者は皆、救い出そう。私の腕はあなたたちの揺りかご、私の聖心はあなたたちの避けどころ。私はあなたたちの神、そしてあなたたちは私の民。喜びなさい! 喜びなさい、愛する者たちよ。私の声がなぜこの弱い器を通して運ばれているのかと探り求めないように、素直な心で信じなさい。私を試すのを避け、無邪気で純真な子どものような、私の目に適う者となりなさい。
私の聖心を見なさい。あなたたち皆の前に私の心をあらわにしている。あなたたちへの熱烈な愛を感じなさい。抵抗しないように、私の懇願を断ってはいけない、私のもとに来なさい、そしてあなたたちを私の聖心の奥深くに投げ入れさせてほしい。私の心をあなたたちの避けどころとしなさい。私が救い出しに来ないなどということがどうしてあるだろうか、私の愛する者たち? 崇高な愛の源である私が、あなたたちを見捨てることなどあるだろうか?
あなたたちの苦悩の叫びは天全体に響き渡った、地上からの懇願を私は聞いた。恐れるな、愛する者たちよ、恐れてはならない。私の目にはすべてが見えており、すべてが聞こえている、そしてはっきり言っておく、私はあなたたちの歩みを一歩ずつ導き、祝福しよう。私はあなたたちの献身的な番人である、だから自分の手で私のぶどう園に水を引き、世話をする。夜には悪い侵入者たちが入り込まぬように見張ろう。私のぶどう園を見に来たい者は皆、昼間にやって来なさい、夜は狐しか来ない。だから分別ある者のように、夜明けに起きて私のぶどう園を訪れなさい。主である私はその番人、そしてぶどう園を生き返らせるために私が来たのは、無限の愛と大いなるあわれみによる。
喜びなさい、あなたたちの賛美を天まで届かせなさい! 主の栄光をたたえて喜び躍りなさい。私の言葉を運ぶ小さな代弁者となりなさい。あなたたちの声で、眠っている者たちを目覚めさせなさい。すべての国々の民に私の愛を宣べ伝えなさい、私からさまよい出て行った者たちを帰って来させなさい。彼らの心が乾きすさみ、その罪が緋のように赤くとも、私は彼らを拒まない。私のゆるしの心の豊かさを示そう、喜び歌いなさい、私は終わりまであなたたちの間にとどまるのだから

迫害する者たちを祝福しなさい

1989年4月11日 ノート33

今日からいよいよ本格的な迫害の開始です。イエスは、今年のギリシャ正教の復活祭では主のご受難を感じるでしょうと理解させてくださいました。私たちの復活祭が近づいています。主よ、多くの人々が、私を偽りの預言者だと非難します。メッセージが神からでないと言うためなら、どんな嘘でも、不利な証拠を探してくるのです。既に数名の偽証人がいて、私は他のカリスマ派の運動を悪魔が崩そうとする道具になっている、と非難されています。

私につかまっていなさい、平和を、私の子よ、何も拒まないように。私たち1は二人ともあなたと共にいる。覚えておきなさい、それはサタンの煙である、煙は実際には長くはもたないものだ。蒸発し、消えてしまう。ヴァスーラ、私、あなたの神は、天国において初めて理解するだろう愛をもって愛している。祝されるように、私の子よ、あなたが受けるすべての中傷、非難の的となっているすべての偽証ゆえに。喜んでいなさい、天国での報いは大きいのだから。やっと私を信じるか? 私と同じように、あなたも迫害を受けると繰り返し言ったであろう? 私のメッセージは人々の心を引き寄せる、しかしある者はそれでもなお、あなたに敵対するだろう。私のメッセージをおとしめるということは、私をおとしめることになるとは知らずに。何か誤りを見つけようとしてあら探しをすると言ったであろう? 私が送った他の者たちにしたのと同じように? 迫害する者たちを祝福しなさい、非難する人たちのために祈り、心から皆をゆるしなさい。私が愛であると知るように、私のヴァスーラ。私を愛しなさい、他の者たちに分け与えるために、この愛が必要なのだ。私があなたを愛するように、私の兄弟たちを愛しなさい。

でも主よ、完全に目をくらまされた人たちもいるのです!

私を信頼しなさい、小さな者よ、私の光をもって多くの者を照らし、その上に輝く。私の魂に祝された者2よ、私の受難を忘れたか? 私は愛のために苦しんだ、今は私と一つになっていなさい、私の受難で受けたと同じ杯を味わうよう、このような成り行きにしたのは、私3である。愛している、そしてあなたに抱くこの愛ゆえに、私の子よ、このたびは私の杯から飲むのを許した。私は小さな魂たちを引き上げ、形造って、私の受難の小さな象りとする。あなたたちは幸い、心と魂を献げ、私の神聖な手をもって、もう一つの小さな十字架に形造らせてくれた者たちは。歓びなさい、魂よ! 私の贈物を歓び、感謝しなさい! しかし忘れないように、小さな者よ、あなたの住むこの同じ空の下には、羊の皮を被った、食い荒らす狼もいる。警告しておいたあの偽預言者たちだ。 

(この人びとについてお答えを一つ、しかもこのたびは聖書から下さるように主にお願いしました。聖書を開いて指を当てると、エレミヤ書23・10以降でした。ここは偽預言者について書かれた箇所です)

愛する者よ、怖れることはない、私が前にいる。様々な中傷を受けても喜んでいなさい、私の目はこの者たちを見据え、言葉を聞き、心を感じている、

はい、こうして共にいてくださいますから、何も怖れません。

勇気を出しなさい、続けていくことができるように、私の力を与える。「私たち、共に」?

いつまでも永えに。

こういった迫害が十分ではないかのように、集会のために大ホールを借りたのですが、断られてしまいました。だいぶ前に予約していたのに、簡単に断られてしまったのです。自分たちのところに宗教運動を持ち込んでもらいたくないと言われました。200人の人々を抱えて、誰も場所を提供してくれません。再会の集いまであとたった一週間です。しかし主が助けに来てくださいましたご自分の教会を使わせて下さったのです。カプチン修道会の小さな教会です。そう、栄光の主は兄弟たちの中で最も卑しく貧しい兄弟を選ばれました、イエスのメッセージを迫害する人々への印として。