あなたの魂にとって、私の聖心のほかに救いの隠れ家はない

1989年5月25日 ノート33

(メジュゴリエにて)

主よ?

私です、娘よ、せわしい思いで書かないように。耳を開いて、私の声を聞きなさい。私は愛、しかしほとんど愛されていない。非常に誤解されている! 来なさい、「私たち共に」?

永久に、主よ。

イエスの聖心よ?

そうです、今日は私の声を聞くよう、私の聖心は全ての民に呼びかけている: 私は愛、私は平和、私は道、真理、そしていのち。あなたの魂にとって、私の聖心のほかに救いの隠れ家はない、娘よ、昨年書き留めさせた祈りを、一緒に書くように。

ああ、イエスの聖心よ、あなたの道をお教え下さい、

イエスの聖心よ、完徳への道を、お導き下さい

悪霊から私を遠ざけ、そのなすがままにさせないで下さい、

イエスの聖心よ、私が避難する巌となってください

あなたは私の隠れ家、

あなたの愛と平和で、私を導き、護ってくださいますように。アーメン。

私を礼拝しに来なさい

1989年5月24日 ノート33

(メジュゴリエにて)

イエス様?

私です、いとしい者よ、私を愛しなさい、私の子よ、この日が喜ばしい日となるように、歓びなさい、最後までずっと、主である私は-あなたと-ともに-いるがゆえ。私を礼拝しに来なさい。来て、私の聖心を感じるように。来て、私と一つになりなさい、小さな者たちよ。あなたたち一人ひとりを祝福する、愛がともにいる、愛があなたたちを愛している。

メジュゴリエで私たちの小さなグループに与えられたメッセージです。今朝のイエスは礼拝を献げに来るようにお望みでした。後ほど、教会で司祭が昼食の時に、その晩は夜の礼拝をすると発表なさいました。―――私たちは、イエスがお呼びでしたから、「走って」行き、参加しました!

いつもこのように私を迎え入れてほしい

1989年5月22日 ノート33

(メジュゴリエにて)

主よ?

私です。

愛しています。聖なるうちの聖なるお方、礼拝します、聖なるイエスよ。

私を愛し、礼拝しなさい、いつもこのように私を迎え入れてほしい。

主である私は、愛と礼拝と一致を欲している

1989年5月16日 ノート33

イエス様?

私です、決して離れないで、今までよりいっそう強く私を望みなさい。試練を通して成長するように。彼ら*の神、私をどう愛するかを、分からせなさい、身を低くして、聖なる者、私をどう礼拝するかを。口先の祈りが私にとって何になろう? 私は愛と礼拝を求めている。祈りなさい、私の魂に、まこと愛された者よ、司祭、司教そして枢機卿たちが、私の意思を識別できるように: 主である私は、礼拝一致をもって、皆が一緒に唯一の聖櫃を囲むのを欲している。彼らがもし私の利益を求めているなら、ペトロの指導のもとでこの一致を私の聖心がいかに恋い焦がれ、切望しているかを理解しよう、私自身がそのペトロに、天の国の鍵を与えたゆえ。だから皆、熱心に祈りなさい、一致を私、主が呼びかけているのが、彼らすべてに分かるように。私は、私の-小羊たちの-ペトロのもとで、真の一致に立ち帰るよう私の名を持つ全ての人たちに呼びかける。後には私の名を、油注がれた者として受け入れるよう、ほかの全ての民にも呼びかけ、彼らの心に語りかけよう。

* すべての人。

激しい迫害を受けて

1989年5月15日 ノート33

主よ?

私です、私は地上に平和をもたらしに来たのではない:平和ではなく、剣を持って来た*…… 愛を持って、私の天使よ、愛のために宣教しなさい、助けてあげよう。私は、イエス・キリスト、あなたを愛する者。

* マタイ福音書10:34-35。

私は貧しい魂に近づく者として知られている

1989年5月13日 ノート33

イエス様?

私です、与えた能力に応じて、私を十分に識別しなさい。心の貧しい者は幸い、天の国は彼らのもの。祝福を受けるように。落胆させようと、これまでにも増して責めたてる悪霊に警戒しなさい。罠にかからないように助けている、小道を平らにして、気づいただろう?

はい、わが主よ、気がつきました、主を祝します。

あなたを選んだのは私であると、覚えておくように、最愛の魂よ、決してあなたの無能を、そして私なしには呼吸さえできない、その無力さを忘れないように、私のやり方をいつも覚えておきなさい。私のメッセージを受けるためにも、あなたを他の者たちの中から選んだ、私は貧しい魂に近づき、癒やし、この者たちを通して、みことばを知らせる者として、知られている。

主よ? あえて申し上げてよろしいですか?

愛が耳を傾けている。

主よ、せっかくみことばをお与えくださいますが、必ずしも聞き入れられず信じられてもいません。

分かっている、だが全てが無駄とはならない、たとえ多くの人が耳を貸さなくとも、貸す人もあるゆえに、そこでたった一粒の種子が根を張ったなら、このすべての犠牲には意味がある。

主よ、私たちを哀れに思い、み恵みによってこのすべてのメッセージをお与えです。ですから、大勢が読んで回心することもあり得たでしょう、でもそうなってはいません。あなたご自身の方がたによって叩かれ、多くの場合無視されています。

私の花よ、これが、私の教会にある大いなる棄教、私の教会は聖所の玉座に自ら座るカインたちに溢れ、私の愛の教えよりも、形式のほうに注意を向けている、愛をもって私のもとに導くように、幾百万の魂を委ねたが、知識の鍵を取り上げ、自ら中に入ろうとせず、入りたいと望む他の人びとを入れようともしない、

主よ、あとどれほど私たちは苦しむことになるでしょう?

それほど長くはない、私を信じなさい、さあ、みことばから一節を読んで聞かせよう。

イエスはエレミア書4・5-31を示されました。

被造物よ、今直ぐ、回心し、みことばを聞きなさい。来なさい、「私たち共に」?

はい、わが主よ、そういえば近ごろ全然その言葉を申し上げていない気がします。

しかし言ってほしい、ヴァスーラ……微笑みかけなさい、

本当にあなたですか?

私です、花よ、何度言えば気が済むか?

分かっているのですが、イエス、確信を与えて下さるお言葉を聞ければと。

では私の名をあなたが繰り返し言うのを、私も切に聞きたいと気づいてほしい、私に呼びかける声を飽きずに聞いている、私の名を常に思いの中に、そして心に納めて、いつでもどこでも私の名を口にし、私を語るように、それは私の誉れとなる、

ああ、イエス、こんなに多くをお与えくださいました、御名が祝されますように。神に栄光。

私の平和を受けなさい、足に接吻してくれるか?

はい、わが主よ。(主の御足を霊的に接吻しましたが、十字架上の御足でした)

私への忠実に留まり、私の誉れとなりなさい。 

回心するとは神とともにいたいと願うこと

1989年5月12日 ノート33

イエス様?

私です、私を感じ、観想しなさい。私は愛、そして聖なる者。私を愛し、聖となりなさい、教えよう、私は英知ゆえ、来なさい、御母もあなたを愛しておられ、メッセージを今書いて下さる。

(1989年5月19日のマルティニの集いのためのメッセージ)

私の子よ、私、あなたの聖母が、祝福を与えます。これが私のメッセージです: 

あなたたち皆に平和、私は皆を愛し、祝福します。耳を澄まして、今日の私たちの呼びかけに注意を向けてください、いかに時が迫っているかを悟ってください。イエスと私は、昼夜となく回心を呼びかけています。回心を呼びかける私たちの声は今や世界中に達し、何倍にも増え続けるでしょう。時がほとんどありません、私の子たちよ。 

この呼びかけの緊急性を、あなたたちの本当に多くが理解していないようなので、今日私の心は苦しんでいます。黙想し、あなたたち自らを吟味してみてください、回心し、神への道を歩んでいるかどうか、自ら判定してください。まことに愛する子たちよ、神を信じ、祈るだけでは十分でありません、回心するとは神をお喜ばせし、神の観想に満たされること、回心するとは聖となり、成聖への生き方を送ること、回心するとは神と和解し、魂をこめて神を愛することです、イエスが注いで下さる愛を思ってください。キリストのうちに生き、自らを清め、イエスが癒やして下さるよう、完全に心を開きなさい。回心するとは神とともにいたいと願い、心から神を熱望することです。最大の霊的賜は愛であることを、多くの人は忘れています。イエスの掟を再び思い出させましょう。私が愛するように、互いに愛し合いなさい。私を喜ばせて、私たちのメッセージを生きてください、私たちの小さな代弁者となり、いたる所に私たちの種子を播いてください、耳ある人は聞いてください。私たちのメッセージの緊急性を悟ってください。 

皆が一緒に今夜ここに集まっているのを見て、喜んでいます。お持ちの聖具をすべて祝福します。今夜は徹底して魂を吟味し、特別な黙想の夕べとしましょう。イエスと私は助けようと、いつもあなたの前にいます、ですから心を込めて話しかけてください、そうしたら聴きましょう。皆を、父と子と聖霊の御名によって祝福します、アーメン。

愛はいのちの木の根 聖書は成就されつつある 自分の意志を献げなさい

1989年5月1日 ノート33

主よ、5月19日の再会の集いのために、メッセージをお書きになりますか?

用意はよいか?

自分では用意がなかなかできませんが、主はお出来になります。

求めなさい、そうしたら与えられよう。

お願いします、わが主よ、お声を聞いて書く用意が出来ますように。

では耳を開いて注意深く聴きなさい。書くように: あなたたち皆に平和。私は主、エマヌエル、聖なる者のうちの聖なる者、この弱い器を通して私自身を現す。あなたのもとに来て、目の前に私の聖心を顕そうと、私はあなたのもとに来た、小さな者たちよ、まこと大切にされた民よ。私の聖心は聖であり、清く、愛に満ちている、そこで目覚めなさい、以前に目を覚ましていたように、無気力から目覚め、目覚めて、私を感じなさい。私の霊は絶え間なくあなたたちの間に、なみなみと注ぎ出されている、それでも、なんと多くの人がまだ分かっていないことか……主である私は、あなたたちを創造して以来、預言者を形造ってきた、しかし私自身の者たちは、今までもずっと繰り返してきたことを繰り返し……いまだに私の全ての預言者たちを迫害して、町から町へと追い回す。アベルの聖なる血は絶え間なく流されている、この者たちは義なる掟を求め、そばにいてほしいと切望する、しかし私の恵みの聖霊を送ると、両目を閉じ、聞くのを拒む、そして心を頑なにさせ、徒党を組み害鳥を追い払うように、私の恵みの聖霊を追い払っている。私の聖心は痛む……心を開きなさい! 開きなさい*! 私の行く手を遮ってはならない! あなたたちが飢えさせた私の民に、届く邪魔をしているに過ぎない、それらの障害を取り除きなさい。私はあなたたちを癒やし、あなたたちを慰めるために、あなたたちのもとを訪れて、平和と愛を届けに来た、私の土地を灌漑し、土を耕しにやって来た。私の名は聖であり、私の戒めと掟は聖なるもの。そう、この乾いた土を愛の水で潤す、そして主である私は、私の子どもたちを祝福し、ずっと霊を注ぎ続ける。 

気がついただろう? はるか以前に約束した新しい天と新しい地を受けるように、あなたたちを準備していると気がついただろう? まだ理解していないか? 私のやり方を見ただろう? 私の声に耳を傾けるようにと、地の果てから果てまであなたたち皆を招いている。ああ、愛する者たちよ、この暗やみのただ中で、これほど無残にも身に負った、あなたたちのすべての苦痛、傷と弱さを癒やしに来た、そうではない、愛する者たちよ。その苦痛は癒せないほどでない、その負傷は癒やし得る、私は‐あなたと‐ともに、こんなにそばにいる、だから愛をこめて来なさい、愛をもって求めるなら、得るだろう、愛を込めて呼びかけるなら、聞いている、あなたを懐に抱き上げて、あやし、慰めよう、平和と愛を叫ぶ私の声を聞くように。 

愛があなたたちを愛している、愛はいのちの木の根、だから心より愛だけを生じさせなさい。悪のあるところに愛が姿を顕すなら、すべての邪悪は愛に消し去られ、太陽の最初の温かな光明で霧が消え去るように、消えてなくなる。私に献身する者たちゆえに、全ての屍を甦らせる、黙ってはいない、みことばによってあなたたち皆を甦らせる、私の体に栄光を与え、教会全体を刷新するまでは、黙さない、私の恵みの霊を抑えこみ、私の声を覆いたいと望む者たちは皆知るように、その邪悪な努力も意図もすべて虚しい。反逆する者たち、昼夜となく挑戦してくる者たちであっても、私は皆に手を伸べ続ける、いいか? あなたたちは皆私の民、信条や人種がなんだろうと、覚えておくように、私はであり、皆を創造した。今日私の救いの計画は、全世界に及ぶ。以前も今も、あらゆる民に使者を遣わしている、信仰の道を進ませ、回心させ、平和と愛を築いて、一致させるために、だから私の声と御母の呼びかけを、制してはならない。私たちの声は私の栄光の日まで、岩**を砕く金づちのように、降り下りる。私の実り豊かなぶどう畑に、歓呼の声をあげて歓びなさい、私自身の手で土を返し、耕した、自らの手で棘や茨を抜き取って燃やした、私自身のマントをかぶせて、敵の引き起こす、から風や嵐から保護している、私は情熱を込め、永久にそれを見張る熱心な園丁。このぶどう畑はあなたたちへの贈物、ぶどうは無償で与えられ、世界全体を満たし養おう。ああ、私の魂にまこと愛された者たちよ、みことばを注意深く聴き、理解しようとするように。疑うのはやめなさい、いつまでも私を試みて……主である私は、はっきりと言う: 聖書は成就されつつある。それなのに降り注がれている私の霊に、どうしてこれほど多くの者がたじろぐか? 若者たちはヴィジョンを見て、なぜ驚くか? みことばに対する知識を正すために、私はあなたたちの前にやって来た、大いなる愛をもって、私の息子や娘たちの死骸を生き返らせるためにやって来た、あなたたちを回心させ、私の掟を思い出させに来た、罪人をゆるしの秘跡へと招きにやって来た、私の聖心をこのようにひどく傷つけ、友であり神なる私を裏切ったあのすべての司祭、司教と枢機卿に、回心を呼びかけに来た。まだ、審判者としてではなく、ぼろを纏い、素足のまま、乾いた唇の、乞食の姿で訪れている、少しばかりの愛、愛を返してくれるように懇願し、嘆き求めて。今日は嘆きに満ちた乞食があなたたちの前にいる、たえず手を差し出しては、愛を返してくれるように懇願し: 「頼む、戻って来て、私を愛してほしい、愛を学びなさい、私を愛するように、私と和解しなさい、和解しなさい、あなたを拒まない、私は(I Am)愛、永久にあなたを愛する」時がまだ至らないうちに、私のもとに来なさい、私の義の訪れを待たないように、私の義を悟らないまま、不意を襲われないように、そして覚えておくがよい、この恐ろしい、畏怖に満ちた時、私は厳かなきびしい審判者としてあなたの前に立ち、懇願していた乞食の声は、突然の大雨、どしゃ降り、雹あられの中で、すべてを焼き尽くすぎらぎらした眼差しへと、変わろう。私の息はすべてのものに火をつける、硫黄の流れと化し、清め、あなたたち皆を新たにし、一つの聖なる民となるように一致させる。私を信じ、人類全体に今惜しみなく注がれている、私の恵みの霊を、迎え入れる者たちは幸せ、あなたたちの神、私を見るだろう。心の貧しい者たちは幸い、天国は彼らのもの。聞く耳を持ち、幼子の‐ような‐信仰をもって私の恵みの霊を迎え入れる、心の単純な者たちは幸せ、みことばは、こうした小さな心のうちに根づこう、正義のために迫害される者は幸い、天国は彼らのもの。もうしばらくして、私の小鳩たちよ、あなたたちのもとに行く、私の平和を受けなさい。あなたたち一人ひとりを祝福する、私、イエス・キリストは、あなたの迫害者たちを祝福し、ゆるす、何をしているか分かっていないがゆえ。主である私は皆を永遠に愛している。

主はそれから聖書のどこを皆に読むかを指示されました: ヘブライ書3・7-19と同書4・1-17です。

ヤハウェ、私のアッバ、あなたの掟を思い出させてください、掟を守り、あなたへの忠誠に留まれますように。正義のうちに統治なされているのを知っています、アッバよ、そして忠実であられるために、苦しみを与えておられるのも知っており、信じています。主の苦い杯から飲むのは私にとって善いことでした。今度は主よ、どうぞ、愛をもって慰めに来てください。お優しく扱ってくださいますなら、私は生きながらえるでしょう。主の定めはいのちと悦びです、お約束の通り、あなたの住いに歩みを導いてください。あなたを慕います、天の御父よ、お待ちします、ヤハウェ、私のアッバ、お待ちしています。

愛があなたをいとおしむ、私の子よ。誰もあなたを私から引き離させはしない、もうあなたは私の一部、ともに働こう。

夜、夢でイエスの肖像(ご絵)のヴィジョンを見ました。イエスの目に涙が溜ってゆくのに気づいて、床に落ちる前にすくおうと駆け寄って手を出しました。手の平にイエスの尊い涙をいっぱい受けて離れる時、おん涙を飲もうかしらと考えていました。

娘よ、私の平和を受けなさい、さあ、あなたと一緒です! ともにいて嬉しいか?

はい、とても、わが主イエスよ!

そして今でも自分の意志を献げ、私のために働く用意があるか?

はい、主よ、もう一度お名前を仰しゃってください。

私は主、イエス・キリスト、あなたの救い主、

はい、主よ、お望み通りになさってください。

では意志を献げなさい、私が用いる、それが望みです。

私の意志を献げます、どうぞ受け取って下さり、私を自由にお使い下さい。

では手を取りなさい、私とあなたは一緒です、愛している、私を愛しなさい。

ここで、主のみ前に気を落ちつけようとしました、こうして主の聖なる現存を感じ、一致しようとしていたのです。

小さな者よ、その努力を感じるたびに、私の聖心は深い歓びに浸る、私は(I Am)至高者、あなたを愛している。気を落ちつけて、信仰をもって祈ってくれるか?

そう努力します、主よ、お望み通りに祈れますようお助け下さい。

では完全に明け渡し、私を喜ばせてこう言いなさい: 「イエス 愛します」、誠実に真心こもった、自然にわき上がる愛の言葉をもって 私を幸せにするがよい。私の聖心はあなたの砦、私のうちに憩いなさい、来て、私への愛を大きくするように、全き者となってほしい!

み旨を行い、全き者となって主をお喜ばせしたい。

助ける、私のヴァスーラ、「私たち共に」?

永久に。

来て、私の心に憩いなさい、

私の心のうちにもお休み下さい、主よ。

そうする。

* イエスは大声で叫ばれました。
** 岩=石の心……。