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聖心の祝日 私はあなたの心を探している

1989年6月1日 in ノート33

イエスの聖心よ、祝福の雨を降り注いで下さるお方。イエスの聖心よ、あなたは孤独な者に永遠の住まいとなってくださいます。あなたの家族は故郷を見いだしました。私たちを救い、聖心のうちに一人ひとりをお連れくださいます主は、日ごとに称えられますように。私たちの荷を負い、苦しみを分かち合ってくださいます主は、祝福されますように。

主よ?

私です、私の現存を感じなさい。気を鎮め、声を聞きなさい。

(祈りの集いのためのメッセージ)

あなたたち皆に平和。私は主、救い主、あなたの心を探し求める者、一人ひとりの心の戸の外に立ちつくして、叩く者、知者を愚鈍のままにしておき、罪人を追求する、そして私の祝福を増し加え、あなたが私の新しいエルサレムに入れるよう、優しく準備する、私は唯一聖なる三位一体、私の救いの計画をもって、ただ一つの聖なる囲いのうちに、皆を集める準備を整えている。私は高い木の成長を阻止し、低い木を成長させる者。愛する者たちよ、恐れないように、この荒野に、私は新たな愛と平和の種子を播く、私の園を生き返らせ、神を信じない者も悪人も、私の聖なる手があなたたち皆の上にあるのを、見て知るだろう、石の-心を持つ者たちも、私、聖なる者が、限りなく慈しみ深く、あなたたちの間にいるのを理解しよう。 

私はあなたの右手を握っている、私の現存を感じるように、あなたを見捨てない、恐れてはいけない、そう、あなたたちが光の子と呼ばれ、

正義に仕える者となるように、一人ひとりの手を取り形造ろう、私が聖であるように、聖となってほしいと、主である私は初めから言ってきた。私はあなたの神、そしてあなたたちは私の民であるから、私の掟に従うように。私の掟は愛の掟、私をどう愛するかを学びなさい。どう崇めるかを学びなさい。私はあなたの心を探し求めている。世間の声に耳を傾けることなく、私の愛の叫びに耳を傾けなさい、私の心の-鼓動に耳を傾けなさい、心の鼓動一つ一つが魂を求めているのです。私の開いた腕の中に入って来なさい、抱擁する腕の中に飛び込んで、あなたに抱くこの愛を感じなさい、あなたたち皆に抱くこの慈しみを感じなさい! 私のもとに戻って来るなら、あなたを癒やそう。みことばを宝として、心に刻み、四方から吹き寄せる風に、みことばを持ち去らせないように。来て私に目を留め、目を逸らすのを誰にも許さないように、私が与えようとする恩寵を悟りなさい、主である私は、……

花よ、その冷淡さを乗り越えなさい。

主イエスよ、この状態から助け出してください!

私を喜ばせ、言うことを聞きなさい。

どうぞお言葉が聞けますように、助けてください、わが主よ。

……現存しており1、皆に対して、心の咎を告白し私を望むように、はっきりと求める。あなたたちの上には私の恵みの霊が注がれている、重くのしかかるこの無気力な霊から離れ、朽ち始める前にあなたたちを生き返らせようとして、だから

耳を開いて私の言葉を聞きなさい。あなたたちのほとんどが今、いかに死んだ状態にいるかを私は知っている、たとえ自分では生きていると思っていようと、だがそれはあなた自身を私にすっかり委ねようとはせず、抵抗しているがゆえ。私に信頼し、抵抗しないでほしい、私に明け渡し、あなた自身を委ねなさい、委ねなさい、あなたを愛する神、私にその小さな心を捕らえさせてほしい、恐れないように、私は愛、そして愛があなたの心を美しく飾りたいと望んでいる、そこでみことばに注意を向けるように、それはあなたにとって単純そうに見えよう、しかし私は純真素朴な神、柔和 謙遜な者。私が同じことを繰り返し述べていると、あなたたちの多くが思いつづけているのを知っている、だがそれは、みことばが少しも沁み込んでいかないように見えるがゆえ! たとえ同じ言葉を繰り返しているとしても、それはあなたたちが無関心で、耳が聞こえず、多くはみことばを実践していないため。私は私の手で私の心を差し出しつつ訪れた、私の平和と愛を与えに訪れた、再び唯一の群れとなるよう 皆を集めに来た、この死んでいる時代を生き返らせ、生きた時代にしようとして、あなたたちのもとにやって来た。あなたの主、私を称えに来なさい、私は、天の玉座から身を屈めて、あなたたちを引き上げ、生き返らせようとする者、称えなさい、私の恵みの霊が降るのを待つ全ての人よ、あらゆる民に私の正義を宣言し、この地球の果てまで私のメッセージを届けなさい、私の愛の叫びが聞かれるように。 

私に飢え渇くすべての人よ、今や歓喜し、喜ぶがよい、あなたを満たそう、昼夜と虐げられているすべての人よ、涙を拭いなさい、あなたを慰め護ろうとして、ここにいる。私の聖心は皆が、聖い心で訪れるようにと招いている、私に倚りかかっていなさい、昼も夜も私が待っている聖櫃まで連れて行く、あなたに毎日、私自身を与えよう、来なさい、聖なる、清い心で私を受けに来なさい。私の気を損ねないように、私を受ける時は清く聖でありなさい、気を鎮めて、小さな白いホスチアのうちに私の生きた現存を見いだすがよい、あなたの聖性と清らかさを感じさせてほしい。ああ、与えている恩寵の大きさを知ってくれたなら! 来なさい、私のメッセージを黙想して、私を喜ばせなさい、私のメッセージを生き、生き方を変えて、私を喜ばせなさい。

今日与えているものに思いをめぐらし、自らの心を調べ、魂を吟味する人は幸せ、この人を甦らせよう、自らの咎を打ち明ける徴税人2のように、私のもとを訪れる司祭や、司教、枢機卿たちは幸せ、この者たちの心にみことばは根づき、栄えるだろう、そして目の覆いは取り除かれ、私が求めるのは愛、愛と礼拝だけであると、見て理解するようになる、しかし悲しいかな! この聖職者たちのうち、あまりにも多くがサタンの魔力の手に落ちた! 心の中に愛が欠けているのに、彼らの形式主義と見せかけの謙遜にどうして耐えられようか? 私を礼拝する者は残っていようか? このすべての者たちの中で、私の子たちにとって最初の手本となり、愛を込めて私のもとを訪れ、私の聖なる現存の前に打ち伏して、沈黙のうちに私を礼拝する者は誰か? 求めているのは、愛する者たちよ、聖い心で愛することだけ。私はあなたの心を探している、来て心を献げなさい、そうするなら私の愛を注いで、あなたはその代わりに、私の子たちの心を満たしてやることができよう。私はこの簡単な質問を投げかける聖なる者: 委ねてあった羊の群れはどこか、かつてあなたが誇りとしたその群れは3? 身を清め、悔い改め、あなたを失望させることのない、それでいてあなたが脇に追いやり、無視しようとする、私の教会の頭、ヨハネ・パウロ二世に従いなさい。いまだに彼を嘲笑うあなたたちは皆 聖心に重くのしかかっている……私は裏切られて、いる(I Am)、しかも私自身の者たちによって……あといつまで私の群れに対して、偽りのオアシスとなり続けるか? 果てしない砂漠の蜃気楼のように? 兄弟たちよ、あなたたちに求めるのは、愛だけ、来て、礼拝しなさい、私がいないところで私を探し、時を無駄にしないように、私の群れにとって手本となりなさい。愛が待っている、来て、私を礼拝しなさい、あなたの神、あなたの王、私のもとに来て、礼拝しなさい。戻って来なさい、私の兄弟たちよ、そうするなら私、あなたのイエスは、永久の愛に高鳴る私の聖心をもって、あなたをあわれみ、罪を見過ごして、その一つも思い出させはしない。 

私の慈しみが見いだせる間に4、私を探し求めなさい、そうするなら見えない者の目を開き、聞こえなくした者の耳を開きにやって来る、私は封印を解き、私の光が見え、みことばを聞いて理解できるようにさせる、そうするなら回心し、あなたの神、私を心の底から賛美して、ほめ称えられるようになろう。主である私はあなたの頭に手を置き、祝福を与える。一つとなりなさい。

祝福を受けなさい、私の子よ、来て、御母の言葉を聞くように。 

花よ、私をお感じなさい、愛しています、ライオンの母親が子を護るように、あなたを護ります。祝福を受け、私のメッセージを聞いてください: 私の小さな子どもたちよ、神の呼びかけを拒まないで下さい。明け渡し、主に倚りかかり、あなたの心を捕らえていただきなさい。お言葉に耳を傾け、仰しゃる通りにしてください、私はあなたの聖母、主のみことばはいのち、神のみことばは光であると、あなたたち皆に思い出させましょう。あなたたちの多くは、主の愛の訴えに耳を貸します、それでも、この場を立ち去ると直ぐ、この世に引き戻され、愛の訴えを忘れてしまいます。最も最近のメッセージでは良心を吟味するように呼びかけました、今日はこう尋ねます: 前のメッセージを聞いたあなたたちの多くは、それを黙想し、読み返すこともせず、どうして今日また新たなメッセージを聞きにやって来たのですか? 私の汚れなき御心は皆を愛しています、まこと愛する子たちよ、だからこそもう一度、以前のメッセージを読み返して実行に移すようにと、今日お願いします。あなたたち皆を愛しています、私の汚れなき御心は、あなたたちの悲しみにとって香油であるのを、決して忘れないで下さい。皆を祝福します、父と子と聖霊の御名によって、アーメン。 

(読んでおく聖書の箇所: 一テモテ書4・1-16、一テモテ書6・20-21、二テモテ書2・14-26、二テモテ書3・1-17)

あなたの魂にとって、私の聖心のほかに救いの隠れ家はない

1989年5月25日 in ノート33

(メジュゴリエにて)

主よ?

私です、娘よ、せわしい思いで書かないように。耳を開いて、私の声を聞きなさい。私は愛、しかしほとんど愛されていない。非常に誤解されている! 来なさい、「私たち共に」?

永久に、主よ。

イエスの聖心よ?

そうです、今日は私の声を聞くよう、私の聖心は全ての民に呼びかけている: 私は愛、私は平和、私は道、真理、そしていのち。あなたの魂にとって、私の聖心のほかに救いの隠れ家はない、娘よ、昨年書き留めさせた祈りを、一緒に書くように。

ああ、イエスの聖心よ、あなたの道をお教え下さい、

イエスの聖心よ、完徳への道を、お導き下さい

悪霊から私を遠ざけ、そのなすがままにさせないで下さい、

イエスの聖心よ、私が避難する巌となってください

あなたは私の隠れ家、

あなたの愛と平和で、私を導き、護ってくださいますように。アーメン。

私を礼拝しに来なさい

1989年5月24日 in ノート33

(メジュゴリエにて)

イエス様?

私です、いとしい者よ、私を愛しなさい、私の子よ、この日が喜ばしい日となるように、歓びなさい、最後までずっと、主である私は-あなたと-ともに-いるがゆえ。私を礼拝しに来なさい。来て、私の聖心を感じるように。来て、私と一つになりなさい、小さな者たちよ。あなたたち一人ひとりを祝福する、愛がともにいる、愛があなたたちを愛している。

メジュゴリエで私たちの小さなグループに与えられたメッセージです。今朝のイエスは礼拝を献げに来るようにお望みでした。後ほど、教会で司祭が昼食の時に、その晩は夜の礼拝をすると発表なさいました。―――私たちは、イエスがお呼びでしたから、「走って」行き、参加しました!

いつもこのように私を迎え入れてほしい

1989年5月22日 in ノート33

(メジュゴリエにて)

主よ?

私です。

愛しています。聖なるうちの聖なるお方、礼拝します、聖なるイエスよ。

私を愛し、礼拝しなさい、いつもこのように私を迎え入れてほしい。

主である私は、愛と礼拝と一致を欲している

1989年5月16日 in ノート33

イエス様?

私です、決して離れないで、今までよりいっそう強く私を望みなさい。試練を通して成長するように。彼ら*の神、私をどう愛するかを、分からせなさい、身を低くして、聖なる者、私をどう礼拝するかを。口先の祈りが私にとって何になろう? 私は愛と礼拝を求めている。祈りなさい、私の魂に、まこと愛された者よ、司祭、司教そして枢機卿たちが、私の意思を識別できるように: 主である私は、礼拝一致をもって、皆が一緒に唯一の聖櫃を囲むのを欲している。彼らがもし私の利益を求めているなら、ペトロの指導のもとでこの一致を私の聖心がいかに恋い焦がれ、切望しているかを理解しよう、私自身がそのペトロに、天の国の鍵を与えたゆえ。だから皆、熱心に祈りなさい、一致を私、主が呼びかけているのが、彼らすべてに分かるように。私は、私の-小羊たちの-ペトロのもとで、真の一致に立ち帰るよう私の名を持つ全ての人たちに呼びかける。後には私の名を、油注がれた者として受け入れるよう、ほかの全ての民にも呼びかけ、彼らの心に語りかけよう。

* すべての人。

激しい迫害を受けて

1989年5月15日 in ノート33

主よ?

私です、私は地上に平和をもたらしに来たのではない:平和ではなく、剣を持って来た*…… 愛を持って、私の天使よ、愛のために宣教しなさい、助けてあげよう。私は、イエス・キリスト、あなたを愛する者。

* マタイ福音書10:34-35。

私は貧しい魂に近づく者として知られている

1989年5月13日 in ノート33

イエス様?

私です、与えた能力に応じて、私を十分に識別しなさい。心の貧しい者は幸い、天の国は彼らのもの。祝福を受けるように。落胆させようと、これまでにも増して責めたてる悪霊に警戒しなさい。罠にかからないように助けている、小道を平らにして、気づいただろう?

はい、わが主よ、気がつきました、主を祝します。

あなたを選んだのは私であると、覚えておくように、最愛の魂よ、決してあなたの無能を、そして私なしには呼吸さえできない、その無力さを忘れないように、私のやり方をいつも覚えておきなさい。私のメッセージを受けるためにも、あなたを他の者たちの中から選んだ、私は貧しい魂に近づき、癒やし、この者たちを通して、みことばを知らせる者として、知られている。

主よ? あえて申し上げてよろしいですか?

愛が耳を傾けている。

主よ、せっかくみことばをお与えくださいますが、必ずしも聞き入れられず信じられてもいません。

分かっている、だが全てが無駄とはならない、たとえ多くの人が耳を貸さなくとも、貸す人もあるゆえに、そこでたった一粒の種子が根を張ったなら、このすべての犠牲には意味がある。

主よ、私たちを哀れに思い、み恵みによってこのすべてのメッセージをお与えです。ですから、大勢が読んで回心することもあり得たでしょう、でもそうなってはいません。あなたご自身の方がたによって叩かれ、多くの場合無視されています。

私の花よ、これが、私の教会にある大いなる棄教、私の教会は聖所の玉座に自ら座るカインたちに溢れ、私の愛の教えよりも、形式のほうに注意を向けている、愛をもって私のもとに導くように、幾百万の魂を委ねたが、知識の鍵を取り上げ、自ら中に入ろうとせず、入りたいと望む他の人びとを入れようともしない、

主よ、あとどれほど私たちは苦しむことになるでしょう?

それほど長くはない、私を信じなさい、さあ、みことばから一節を読んで聞かせよう。

イエスはエレミア書4・5-31を示されました。

被造物よ、今直ぐ、回心し、みことばを聞きなさい。来なさい、「私たち共に」?

はい、わが主よ、そういえば近ごろ全然その言葉を申し上げていない気がします。

しかし言ってほしい、ヴァスーラ……微笑みかけなさい、

本当にあなたですか?

私です、花よ、何度言えば気が済むか?

分かっているのですが、イエス、確信を与えて下さるお言葉を聞ければと。

では私の名をあなたが繰り返し言うのを、私も切に聞きたいと気づいてほしい、私に呼びかける声を飽きずに聞いている、私の名を常に思いの中に、そして心に納めて、いつでもどこでも私の名を口にし、私を語るように、それは私の誉れとなる、

ああ、イエス、こんなに多くをお与えくださいました、御名が祝されますように。神に栄光。

私の平和を受けなさい、足に接吻してくれるか?

はい、わが主よ。(主の御足を霊的に接吻しましたが、十字架上の御足でした)

私への忠実に留まり、私の誉れとなりなさい。 

回心するとは神とともにいたいと願うこと

1989年5月12日 in ノート33

イエス様?

私です、私を感じ、観想しなさい。私は愛、そして聖なる者。私を愛し、聖となりなさい、教えよう、私は英知ゆえ、来なさい、御母もあなたを愛しておられ、メッセージを今書いて下さる。

(1989年5月19日のマルティニの集いのためのメッセージ)

私の子よ、私、あなたの聖母が、祝福を与えます。これが私のメッセージです: 

あなたたち皆に平和、私は皆を愛し、祝福します。耳を澄まして、今日の私たちの呼びかけに注意を向けてください、いかに時が迫っているかを悟ってください。イエスと私は、昼夜となく回心を呼びかけています。回心を呼びかける私たちの声は今や世界中に達し、何倍にも増え続けるでしょう。時がほとんどありません、私の子たちよ。 

この呼びかけの緊急性を、あなたたちの本当に多くが理解していないようなので、今日私の心は苦しんでいます。黙想し、あなたたち自らを吟味してみてください、回心し、神への道を歩んでいるかどうか、自ら判定してください。まことに愛する子たちよ、神を信じ、祈るだけでは十分でありません、回心するとは神をお喜ばせし、神の観想に満たされること、回心するとは聖となり、成聖への生き方を送ること、回心するとは神と和解し、魂をこめて神を愛することです、イエスが注いで下さる愛を思ってください。キリストのうちに生き、自らを清め、イエスが癒やして下さるよう、完全に心を開きなさい。回心するとは神とともにいたいと願い、心から神を熱望することです。最大の霊的賜は愛であることを、多くの人は忘れています。イエスの掟を再び思い出させましょう。私が愛するように、互いに愛し合いなさい。私を喜ばせて、私たちのメッセージを生きてください、私たちの小さな代弁者となり、いたる所に私たちの種子を播いてください、耳ある人は聞いてください。私たちのメッセージの緊急性を悟ってください。 

皆が一緒に今夜ここに集まっているのを見て、喜んでいます。お持ちの聖具をすべて祝福します。今夜は徹底して魂を吟味し、特別な黙想の夕べとしましょう。イエスと私は助けようと、いつもあなたの前にいます、ですから心を込めて話しかけてください、そうしたら聴きましょう。皆を、父と子と聖霊の御名によって祝福します、アーメン。

愛はいのちの木の根 聖書は成就されつつある 自分の意志を献げなさい

1989年5月1日 in ノート33

主よ、5月19日の再会の集いのために、メッセージをお書きになりますか?

用意はよいか?

自分では用意がなかなかできませんが、主はお出来になります。

求めなさい、そうしたら与えられよう。

お願いします、わが主よ、お声を聞いて書く用意が出来ますように。

では耳を開いて注意深く聴きなさい。書くように: あなたたち皆に平和。私は主、エマヌエル、聖なる者のうちの聖なる者、この弱い器を通して私自身を現す。あなたのもとに来て、目の前に私の聖心を顕そうと、私はあなたのもとに来た、小さな者たちよ、まこと大切にされた民よ。私の聖心は聖であり、清く、愛に満ちている、そこで目覚めなさい、以前に目を覚ましていたように、無気力から目覚め、目覚めて、私を感じなさい。私の霊は絶え間なくあなたたちの間に、なみなみと注ぎ出されている、それでも、なんと多くの人がまだ分かっていないことか……主である私は、あなたたちを創造して以来、預言者を形造ってきた、しかし私自身の者たちは、今までもずっと繰り返してきたことを繰り返し……いまだに私の全ての預言者たちを迫害して、町から町へと追い回す。アベルの聖なる血は絶え間なく流されている、この者たちは義なる掟を求め、そばにいてほしいと切望する、しかし私の恵みの聖霊を送ると、両目を閉じ、聞くのを拒む、そして心を頑なにさせ、徒党を組み害鳥を追い払うように、私の恵みの聖霊を追い払っている。私の聖心は痛む……心を開きなさい! 開きなさい*! 私の行く手を遮ってはならない! あなたたちが飢えさせた私の民に、届く邪魔をしているに過ぎない、それらの障害を取り除きなさい。私はあなたたちを癒やし、あなたたちを慰めるために、あなたたちのもとを訪れて、平和と愛を届けに来た、私の土地を灌漑し、土を耕しにやって来た。私の名は聖であり、私の戒めと掟は聖なるもの。そう、この乾いた土を愛の水で潤す、そして主である私は、私の子どもたちを祝福し、ずっと霊を注ぎ続ける。 

気がついただろう? はるか以前に約束した新しい天と新しい地を受けるように、あなたたちを準備していると気がついただろう? まだ理解していないか? 私のやり方を見ただろう? 私の声に耳を傾けるようにと、地の果てから果てまであなたたち皆を招いている。ああ、愛する者たちよ、この暗やみのただ中で、これほど無残にも身に負った、あなたたちのすべての苦痛、傷と弱さを癒やしに来た、そうではない、愛する者たちよ。その苦痛は癒せないほどでない、その負傷は癒やし得る、私は‐あなたと‐ともに、こんなにそばにいる、だから愛をこめて来なさい、愛をもって求めるなら、得るだろう、愛を込めて呼びかけるなら、聞いている、あなたを懐に抱き上げて、あやし、慰めよう、平和と愛を叫ぶ私の声を聞くように。 

愛があなたたちを愛している、愛はいのちの木の根、だから心より愛だけを生じさせなさい。悪のあるところに愛が姿を顕すなら、すべての邪悪は愛に消し去られ、太陽の最初の温かな光明で霧が消え去るように、消えてなくなる。私に献身する者たちゆえに、全ての屍を甦らせる、黙ってはいない、みことばによってあなたたち皆を甦らせる、私の体に栄光を与え、教会全体を刷新するまでは、黙さない、私の恵みの霊を抑えこみ、私の声を覆いたいと望む者たちは皆知るように、その邪悪な努力も意図もすべて虚しい。反逆する者たち、昼夜となく挑戦してくる者たちであっても、私は皆に手を伸べ続ける、いいか? あなたたちは皆私の民、信条や人種がなんだろうと、覚えておくように、私はであり、皆を創造した。今日私の救いの計画は、全世界に及ぶ。以前も今も、あらゆる民に使者を遣わしている、信仰の道を進ませ、回心させ、平和と愛を築いて、一致させるために、だから私の声と御母の呼びかけを、制してはならない。私たちの声は私の栄光の日まで、岩**を砕く金づちのように、降り下りる。私の実り豊かなぶどう畑に、歓呼の声をあげて歓びなさい、私自身の手で土を返し、耕した、自らの手で棘や茨を抜き取って燃やした、私自身のマントをかぶせて、敵の引き起こす、から風や嵐から保護している、私は情熱を込め、永久にそれを見張る熱心な園丁。このぶどう畑はあなたたちへの贈物、ぶどうは無償で与えられ、世界全体を満たし養おう。ああ、私の魂にまこと愛された者たちよ、みことばを注意深く聴き、理解しようとするように。疑うのはやめなさい、いつまでも私を試みて……主である私は、はっきりと言う: 聖書は成就されつつある。それなのに降り注がれている私の霊に、どうしてこれほど多くの者がたじろぐか? 若者たちはヴィジョンを見て、なぜ驚くか? みことばに対する知識を正すために、私はあなたたちの前にやって来た、大いなる愛をもって、私の息子や娘たちの死骸を生き返らせるためにやって来た、あなたたちを回心させ、私の掟を思い出させに来た、罪人をゆるしの秘跡へと招きにやって来た、私の聖心をこのようにひどく傷つけ、友であり神なる私を裏切ったあのすべての司祭、司教と枢機卿に、回心を呼びかけに来た。まだ、審判者としてではなく、ぼろを纏い、素足のまま、乾いた唇の、乞食の姿で訪れている、少しばかりの愛、愛を返してくれるように懇願し、嘆き求めて。今日は嘆きに満ちた乞食があなたたちの前にいる、たえず手を差し出しては、愛を返してくれるように懇願し: 「頼む、戻って来て、私を愛してほしい、愛を学びなさい、私を愛するように、私と和解しなさい、和解しなさい、あなたを拒まない、私は(I Am)愛、永久にあなたを愛する」時がまだ至らないうちに、私のもとに来なさい、私の義の訪れを待たないように、私の義を悟らないまま、不意を襲われないように、そして覚えておくがよい、この恐ろしい、畏怖に満ちた時、私は厳かなきびしい審判者としてあなたの前に立ち、懇願していた乞食の声は、突然の大雨、どしゃ降り、雹あられの中で、すべてを焼き尽くすぎらぎらした眼差しへと、変わろう。私の息はすべてのものに火をつける、硫黄の流れと化し、清め、あなたたち皆を新たにし、一つの聖なる民となるように一致させる。私を信じ、人類全体に今惜しみなく注がれている、私の恵みの霊を、迎え入れる者たちは幸せ、あなたたちの神、私を見るだろう。心の貧しい者たちは幸い、天国は彼らのもの。聞く耳を持ち、幼子の‐ような‐信仰をもって私の恵みの霊を迎え入れる、心の単純な者たちは幸せ、みことばは、こうした小さな心のうちに根づこう、正義のために迫害される者は幸い、天国は彼らのもの。もうしばらくして、私の小鳩たちよ、あなたたちのもとに行く、私の平和を受けなさい。あなたたち一人ひとりを祝福する、私、イエス・キリストは、あなたの迫害者たちを祝福し、ゆるす、何をしているか分かっていないがゆえ。主である私は皆を永遠に愛している。

主はそれから聖書のどこを皆に読むかを指示されました: ヘブライ書3・7-19と同書4・1-17です。

ヤハウェ、私のアッバ、あなたの掟を思い出させてください、掟を守り、あなたへの忠誠に留まれますように。正義のうちに統治なされているのを知っています、アッバよ、そして忠実であられるために、苦しみを与えておられるのも知っており、信じています。主の苦い杯から飲むのは私にとって善いことでした。今度は主よ、どうぞ、愛をもって慰めに来てください。お優しく扱ってくださいますなら、私は生きながらえるでしょう。主の定めはいのちと悦びです、お約束の通り、あなたの住いに歩みを導いてください。あなたを慕います、天の御父よ、お待ちします、ヤハウェ、私のアッバ、お待ちしています。

愛があなたをいとおしむ、私の子よ。誰もあなたを私から引き離させはしない、もうあなたは私の一部、ともに働こう。

夜、夢でイエスの肖像(ご絵)のヴィジョンを見ました。イエスの目に涙が溜ってゆくのに気づいて、床に落ちる前にすくおうと駆け寄って手を出しました。手の平にイエスの尊い涙をいっぱい受けて離れる時、おん涙を飲もうかしらと考えていました。

娘よ、私の平和を受けなさい、さあ、あなたと一緒です! ともにいて嬉しいか?

はい、とても、わが主イエスよ!

そして今でも自分の意志を献げ、私のために働く用意があるか?

はい、主よ、もう一度お名前を仰しゃってください。

私は主、イエス・キリスト、あなたの救い主、

はい、主よ、お望み通りになさってください。

では意志を献げなさい、私が用いる、それが望みです。

私の意志を献げます、どうぞ受け取って下さり、私を自由にお使い下さい。

では手を取りなさい、私とあなたは一緒です、愛している、私を愛しなさい。

ここで、主のみ前に気を落ちつけようとしました、こうして主の聖なる現存を感じ、一致しようとしていたのです。

小さな者よ、その努力を感じるたびに、私の聖心は深い歓びに浸る、私は(I Am)至高者、あなたを愛している。気を落ちつけて、信仰をもって祈ってくれるか?

そう努力します、主よ、お望み通りに祈れますようお助け下さい。

では完全に明け渡し、私を喜ばせてこう言いなさい: 「イエス 愛します」、誠実に真心こもった、自然にわき上がる愛の言葉をもって 私を幸せにするがよい。私の聖心はあなたの砦、私のうちに憩いなさい、来て、私への愛を大きくするように、全き者となってほしい!

み旨を行い、全き者となって主をお喜ばせしたい。

助ける、私のヴァスーラ、「私たち共に」?

永久に。

来て、私の心に憩いなさい、

私の心のうちにもお休み下さい、主よ。

そうする。

* イエスは大声で叫ばれました。
** 岩=石の心……。

私に仕えなさい

1989年4月28日 in ノート33

主よ?

私である。

ありがとうございます、文字通り降り注いで下さっています不思議を感謝し、賛美します。私の心は聖なる御名を歓び、ほめ称えます。あなたは私を護る楯、正しい審判者。私の意志をお献げします。

私のヴァスーラ、常にあなたの意志を献げなさい。私に仕え、手を用いさせ、喜んで私の石版になりなさい。何も私に拒まないなら、あなたのうちで働く。あなたの手綱を締めるが、許してほしい。最愛の魂よ、私なしには、いかに役立たずかを悟りなさい。私は英知。私のメッセージはあなたの死後も多くの人に読まれ、地上の隅々にまで届き、愛と信仰と希望を大きく育てよう。信頼しなさい、私の子よ。私はあなたの師、救い主、平和、創造主、そしてあなたを-最も-愛する-者。