ノート28のメッセージ

人類すべての母

1988年9月26日 ノート28

わが神よ?

私です、私のヴァスーラ、私を王として迎えなさい、すべての魂たちを連れて来なさい、聞きたいと望む者を私は甦らせ、

私の聖心のうちにおく。

 

愛する者よ

 はい 聖なるお母さま?

そうです、お聞きなさい、私の香りをあなたたちの間にひろめます*、自分の心に耳を澄ませ、私たちの現存があなたたちの間にあると気づいてください、どれほど愛しているでしょう! 子どもたちよ、私はあなたたちの母、私の息子が導いて癒やし、清めるのを許しなさい、自らすすんでイエスに癒やしていただきなさい、私の子が与えようとしている、この恵みを受けなさい、一人ひとりの魂をどうして探し求めているかを、理解してください。イエスはあなたたちを、限りなく愛しておられるのです!

私、人類すべての母、皆の救い主の母は、子どもたちよ、あなたのそばにいて、直ぐ助けようと待ちかまえています、来なさい! 私たちに心を開いて、私たちはあなたの聖家族、私たちの平和を受けなさい。イエスと私は、あなたたち皆を祝福します。

祝福をお受け下さい、聖なるお母さま、神の御母よ。

* この啓示を追う多くの方々が、香とばらの香りを経験しました。

霊を理解するには

1988年9月25日 ノート28

わが神よ、メッセージをL……に少し見せましたら、読むのが気恥ずかしいと言いました。つまり、被造物である私に対するあなたの愛と、神であるあなたに抱く私の愛のせいだと! ショッキングだと言うのです。主よ?

私だ。私は神、私は愛である、私のメッセージを恥ずべきものと言う者は誰であっても、私を裁いており、それによって、自らをも裁いてしまう。

霊的でない人は、その頭で霊を理解する能力がなく、霊が理解できるように英知のうちに沈潜する能力もない。心を開いて、聖霊を招き入れ、自らの霊との出会いを許さなければならない。その時は私の霊が彼の霊を養い、英知は彼を照らして、その霊のことを、それがどう働き、どう感じておられるかを分からせて下さるだろう。私は神、私を愛するようにと、限りない愛によってあなたたちを創造した、愛の源である。

主に賛美!

私は霊である 神のうちのまことのいのち

1988年9月24日 ノート28

わが神よ?

私です、私が霊であることを思い出すように、そして私は持てる全てを、あなたの霊と分かち合っている、あなたと私は、愛の一致のうちに、一つである、あなたの神、私と、私の小さな者であるあなた、あなたの創造主、私と、被造物であるあなたとが、互いに愛のうちに、結ばれている、

心の頑なになった者たちは、私の心には聖化する働きのあることを、思い出すように、私は名もない人びと、徳のない、功徳を積んでいない人びとにさえ、声をかけ、石の心を変容し、全く無にひとしい状態から引き上げる、死者の間に前触れなく訪れ、皆を甦らせることもできる、ヴァスーラ、自分自身を見なさい、功徳は全くなかった、にもかかわらず大いなるあわれみによって、あなたを甦らせた。これで神のうちのまことのいのちが、何を意味するかが、分かっただろう、私はいのち。

私の誉れとなり、私の子よ、決して背かないように。私の指示を心に留めておきなさい。

主よ? 

私です、

一つ気になることがあるのです。私が離婚し、再び結婚しているので、罪の状態にずっといると、ある人が言います。ですからこの啓示は、わが神よ、私がずっと罪の状態なため、あなたからのものであるはずがないと。

罪のない人は申し出なさい! 前に出てきて顔を見せなさい。

そうです、わが神よ、助けてください。こういった人びとの発言に、どう答えたらよいのでしょう。

答えなくともよい、私のもとに急いで来なさい。父があなたを面倒みておられる。「私たち」、子よ?

永久に、いつまでも、アーメン。

英知は子どもたちをいとおしまれる。

自由といのちの鍵

1988年9月18日 ノート28

わが神よ*?

私です、私を愛しなさい、怖れないで、私に歯向かう時にだけ恐れなさい。愛のどの雫も、煉獄の魂たちを救うのに使われる、私を熱心に愛することで、その火を消し**、苦悶から解放する、その時やっと主なる私は、彼らを受け入れることができる、だから私を愛しなさい、望みなさい、私を崇めなさい、次々と彼らを解放しなさい。

愛は天の力と同化することを、そして自由といのちの鍵であることを人類は理解しなければならない。なぜサタンがあなたを憎むかがもう分かったか? 私のヴァスーラ、私に倚りかかっていなさい、何も無駄になってはいない。

「私たち」?

永久にいつまでも。

* 神がお慕わしく、まるで地上に残された未亡人のような心境です。
** イエスがこう仰しゃっている時、いくつかの魂の燃え盛った手の炎が消されるのを(ヴィジョンで)見ました。

背を向けるのではなく、喜んで私を受け入れなさい

1988年9月15日 ノート28

主よ?

私です。

どうして多くの聖職者たちは、このところ与えて下さるあわれみ深いしるしが分からないのでしょう? 主よ、この方たちがなんて言っているか、ご存じですか? これを本当の信仰ではないと、言い換えると、「しるしがなくても、すでに私たちは回心している、だから印など私たちは要らない、だから神よ、もうこれで私たちは沢山です、こういった特別なことには興味がない」と。

顔を地に伏せ ひれ伏して、「限りない慈しみにより 神に栄光! 主に賛美! 真に聖書を成就されています!」と主に叫んで言うかわりに。本当の信仰といっても、聖霊を追いやってしまったら何になるでしょう? 彼らの議論はこうです、「イエスがトマに、〈見ないで信じる者は幸い……〉と言われたではないか」。聖書では、「決して霊を抑えてはならない、預言の賜物を軽くあしらうことも許されない」とも書かれてあるのを忘れたのでしょうか。―――そして聖霊は気ままに吹かれます…… ―――この人びとが議論する時、実はあなたと議論しているのだと気がついていないようです、わが主よ。

私の子よ、諸国民に向かって大声で叫びなさい、皆に聞こえるように、叫びなさい! 「あなたたちの神はここです! 神はともにおられ、決して見捨てられたのではなく、牧者として群れを養い、み腕の中に小羊を集めに来られました、み国が近いからです」と。私の小さな群れを養い、大きな愛をもって皆を集めよう、私の腕の中に。

彼らはあなたのしるしには関心がなく、それについて聞いてもファイルに閉じてしまいます。しるしをお止めになるようにと言いたげです。

私は誰の助言も要らない、こういった助言者は一人も要らない。その知恵は私にとって恥ずべきもの、あなたたちを測り、

養えないとでもいうのか? 悲しいかな! 私の霊を喜んで迎える者はほんの一握りに過ぎない。私に反対する精神を持てば、私を見捨てることになると理解しているだろうか? そして見捨てるなら、

真理を見落とすと。

陶土は陶芸家に「何を作っているのか」と尋ねるだろうか? 私のわざとその神秘を受け入れて、霊の与えるものを謙虚に受けなさい、今の時代にしるしを増やしているのは、の意思による。だから聖霊の賜わるものを、歓んで受け取りなさい。背を向けるのではなく、喜んで私を受け入れなさい。感謝しなさい、顔を向け、私だと気づきなさい! 私の霊を抑えてしまわないように、むしろ私を歓迎してほしい! 私の霊を抑えてしまう者たちは災い、あなたたち、目の見えない案内人は災い、虚栄心でふくれ上がり、私の聖なる教会を荒廃させてしまった! 自らを調べ

歓んで私を受け入れなさい、背を向けるかわりに

自分が真の信仰に立っているかを確かめ、こうして真実を求めなさい!

祭壇よ! 主である私は最後まで、

その炎を燃え立たせておく、私のわざはまだ完了していない。さあ、来なさい、「私たち」?

永久に、アーメン。

私はこの荒野に向かい大声で呼びかける

1988年9月14日 ノート28

イエス様?

私です、私の声を聞きなさい、この荒野に向い、大声で呼びかける、――耳傾ける者は皆高く上げ、その罪は流れる水のように洗い流され 忘れられよう。

耳を塞ぐ者は災い! しかもああ! あなたたちの多くは過ちを犯しながら、道である私の声を聴こうとしない、あなたたちは私を見捨て、もうあまりにも長くサタンの煙だけを吸い込んで、思い違いのうちに、誤りを犯している。そして私の名は、もう無意味となり、地上のあなたたちは、影のような存在、しかも、サタンに助けられ、邪な心で真実を逆にし、進化を口実に私を軽んじた。

私は非常に多くの警告を与え、この日々を予告し、計り知れない慈しみにより、印を示してきた、にもかかわらずあなたたちは私の慈しみに対し、目を閉じるほうを選んだ。道案内よ! みことばを知り、私に仕え、時の終わりが見えていて、それが迫っていると気づきながら、人前ではおのが栄誉を先におき、全くの臆病から、あなたに示す恩寵を傍観している、理解を求めて、私の箴言に隠された奥義を、もう一度確かめなさい、知識をより深く悟るよう、理解の霊を乞い願うようにと、私は厳粛に求める。

日数も、あなたたちの寿命も数えられている、心を整え、敵が目においたこの覆いを、取り除きなさい、なぜなら、虚栄心が残る限り、罪も残るからだ、身を低くし、私のやり方を受け入れなさい、この荒野で悶えながら叫ぶ、私の声に応えてほしい*

来なさい、私の子よ、私に倚りかかっていなさい、ともに……ともに、私の苦悶を分かち合おう、

はい、わが主よ、分かち合いたいです。

「私たち」?

永えに。

* イエスがこう言われた時、私にもその苦悶を味わうようにされました。イエスは非常にお苦しみです……。