私のメッセージを広めなさい

1988年9月30日 ノート28

一人のフリーメーソンとエホバの証人が、完全に回心したゆえ、神に栄光がありますように。これまでの回心のためにも、今度の回心のためにも、神に栄光。

大勢があなたのみもとに戻って来ますように。

主よ?

私です。あなたの献げものを喜んだ。私はあなたの牧者、そして小羊たちを集め護るためにやって来た。小羊たちを養いなさい。私のメッセージを広めるように。来なさい、あなたと私、私とあなたは、愛のうちに一致している。

罪の告白と聖体拝領

1988年9月29日 ノート28

(ラファエル、ガブリエルとミカエルの祝日)

(聖ミカエルに祈りました)

(聖ミカエル)

至高者に栄光、あなたを死者の中から甦らせてくださいました。いつもサタンに警戒していなさい、主の御前にいることを思い出すように。私に向かって祈りなさい。

聖ミカエルの祈りは、悪魔祓いの祈りなのでしょうか?

そうです。神に造られた者たちが、この祈りを通してどのように悪と戦うことができるかを知ったなら、毎日唱えているでしょう。いつも主のお言葉に心を開いていなさい、永遠の御方はあなたを愛しておられます、主に賛美!

ああ、聖ミカエル、私たちを守り、戦って下さってありがとう。わが主よ?

私です、覚えておくように、あなたの周りは荒れ野です。

ヴァスーラ、悔い改め、私に罪を告白しなさい。耳を傾けている1、あなたをすっかりゆるす、魂の染みとなっていたそれらの罪をゆるす。平和でいなさい。今のことを、全ての被造物に強く伝えたい。

私は皆に掟を与えた。皆はこの掟を守るように。私は私の教会に仕える教師たちを与え、道を案内させ、聖体拝領で私を受けることがいかに大切かを教えさせている。私の血と私の体を受けなさい。私は意味なく川のように血を流したのではない。あなたに飲ませようとそれは流された。私に仕えるこの者たちは、あなたから私の血を差し控えてはならない。私の血はあなたの救いのために流された。私の血も飲むように、さあ、来て私を飲みなさい。もっとほしいと望むようになる。私の最後の晩餐の言葉を守るように。そして私のもとに来る時は、その前に、私をどう受けるかに注意し、自らを吟味し、気を落ちつかせ、悔い改めて、ゆるしの秘跡もしばしば受けて私を尊びなさい。あなたたちに聴罪師を与えた。愛する者よ、彼よりゆるしの秘跡を受けてはいても、実は私に向ってしているのです。あなたがゆるしの秘跡を受けている相手は私です。契約の血を、聖でないかのように扱ってはならない。

私の聖なる現存を忘れないように。「私たち共に」

はい。

「私たち共に」

はい、聖マリア。

(しばらくして)

ヴァスーラ、

聖ミカエル?

そうです、私です。この新しい追い出しの祈りを唱えて、聖ガブリエル、聖ラファエルとともに、私も祝ってこの祝日を記念してほしいのです。この祈りを活字に打ち出して広めなさい、あなたの時代は切実にそれを必要としています。至高者のご意思に従ってこう伝えます。神に栄光。

神に栄光、主は祝福されますように。

私の子よ、私、主です。これらの祈りをする時、いつも目覚めていなさい! 主なる私は、私の言葉を聞いてくれたあなたを愛おしむ。決して疑わないように、あなたの魂を養おう、来て、私と一つになりなさい。

「私たち共に」

永遠に……

そしていつまでも、アーメン。

聖マリアは祝されますように。

彼らは私の霊を踏みにじる

1988年9月27日 ノート28

イエス様?

私です、与えた指示に従い、私に話をさせなさい。素足で、何者でもないままでいなさい。私が平らにした道を見分けてほしい、私の道は真っ直ぐ、だから左へ右へと脇目を振らないように。実に私の神秘をあなたに授け、私の石版としてあなたを選んだ。ペトロに会うよう、私の家にあなたを素足のまま導き入れた。私の平和と愛のメッセージは、敵の武器を取り上げよう。今に見ているがよい、まだ私の業は終えていない。今日の私の家は荒廃している、しかし最悪の事態はまだ来ていない。

私の体の中で暮らし、頭の棘となっているカインたちは、驕りに満ち、私のアベルたちを殺そうとするだろう、我の霊を理解し、心から私を愛するアベルたちを。しかし実に言う、その驕りは嘆きとなり、私の火は、これらの不実な僕を焼くだろう、今となって私に差し出すものが何かあろうか? 彼らは私の霊を踏みにじり、自らの欲望と頑迷に引きずられ、不実によって道を逸れ、もはやはっきりと見えてはいない。

ヴァスーラ、あなたの疑問を書きなさい、この疑問は多くの心にもある。

主よ、もう善い僕は残っていないのですか? あなたを本当に愛する、誠実な方がたは?

本当に私を愛する者は、もうわずかばかりだ、私の霊を理解する者も、一握りしかいない、この魂たちは私の傷を癒やし、聖心がその住まいとなっている、

主よ、信徒の場合はどうでしょうか?

この者たちの間でも、私を信じ、私の神意のわざをまだ信じている者はほんのわずかだ。そして大半は彼らの神、私を見捨てた。それで私の聖心の内奥には、槍の刃先がある、大量の血を流す原因となっている切っ先が。今日あなたに言う、この者は私の苦しみの一端となっていると。主なる私は彼の不意を襲い、突然、誰も予想していない時に、私の神殿に入る。この日々は数えられている、稲妻のように私は降って、エルサレムを清め、塵の山となし、私を愛さない人びとを皆引きずり落ろすであろう、私はその裁き手となり、厳しい裁きを下す。

しかし、私の聖なる名のもとに忠実だった者たちは、私、主が甦らせ、新しいエルサレムにおく、彼らは怖れる必要がない、私の指示に従い、掟を守っていたがゆえ。彼らは虐げられ、私への呼びかけを敵が抑えていたが、私はそれでも彼らの声を聞いた、これらの聖徒から、目を離したことはなかった、彼らはを畏れ、を賛美した、みことばに忠実であって、与える富をすべて分かち合い、その善行は私を喜ばせている。

愛する被造物よ、あなたたちは時の終わりを生きている、この時代には、自らの邪悪な偽りの教義につき従うことができるよう、宗教を鼻であしらい、預言の霊を抑圧し、ヴィジョンを見る者を嘲笑う人びとが出てくるだろうと知らせてきた。そのすぐれた技術を、邪悪な発明に向け、道を逸れて行った。悪を愛する彼らには、精神を清く保つすべなく、愚かにも悪魔的儀式や、悪魔を礼拝する黒ミサに引き込まれていく、あるいは非常に邪悪な人生を送る、というのもそれだけで自らのいのちを貶めるほど、その無知は大きいゆえ。耳を閉じ、私を神と認めて、真理を見るのを拒んでいるため、罪によって堕落し、まさにその魂まで腐敗している。

あなたの時代には、ほんの一握りの僕だけが私に忠実に、聖書を教えるべきようには教えるが、多くは不実をもって私を裏切り、合理主義に陥ると書かれてある、この合理主義は私の教会を砂漠化し、廃墟と化し、その奥にはまむしが巣くう。私の名を汚し、この世の栄光の座に君臨して、金銭に対する飢えを満たし、私のではなく、自らの利益を求めている者たちに、私は、あなたたちのもたらした荒廃の中から、私は呼びかける、

清めの日が来る前に私のもとに来て、悔い改めなさい、主なる、私は言う、この弱い道具を通して語る真理の霊を抑えないように、私と弟子がどういった状況で働き、どこで頭に枕したかを私の教会が思い出すようにと厳かに求める、宮殿は一つも持たなかった!……一つも! 宮殿は王たちのためであり、私や弟子たちにそれはいらなかった!

主よ、あなたが話しかけ、自分のことだと気がついた方がたはこの部分を聞きたがらないでしょう、そしてこのメッセージを押えるもう一つの理由となるでしょう。

確かに、私の言葉を聞きづらい者たちもいるだろう、彼らは過度の虚飾をもって、私と私の家を窒息させ、私の家も私も、彼らの偽証で息を詰まらせている。私には息する場がない、私の家の窓は全部閉じられ、光が入っていくことも、空気を清めに私の霊が吹き込むこともできない、この魂たちは、味をなくした塩のようだ、染みのあるガラスのように、私の光が浸透し、その神聖さで清めようとするのを妨げる。

この時代にサタンの発する煙は、霧のように、鍵穴やちょうつがいを通して浸透して行く。その煙は死に至らしめるものであるゆえ、あなたには犠牲と祈りを、倍に増やすようにと真剣に願う。私を愛する者たちによって、非常に大きなあがないがなされねばならない。サタンは怒りにまかせ、今年は教会に対して、その働きを倍にし、マリアの聖年を選んで、私の教会の一部を分裂させた、この分裂について、まさにその渦中の私の家を、あなたが不意に訪れるとも、予告しておいた、

さあ、手を取り、一緒に歩きなさい。十字架を私と分かち合いなさい、私のヴァスーラ。私のわざはまだ終わっていない、平和でいなさい、主である私は私の平和を与える。子よ、覚えておくように、あなたの前にいる私に微笑みかけなさい。決して私の現存を忘れないように、キリエ・エレイソンを唱え、私を喜ばせなさい、これほど多くをあなたに与えた!

はい、わが主よ、本当に多くをお与えくださいました。
聖なる方がたの中の聖なるお方よ、あなたを愛します。
よいものを本当にいっぱいお与え下さり、どんな時にも、
全てを証ししたいのですが、多すぎて数えきれません。
お声が聞こえるように、耳を開いてくださいました。
死者の中から、甦らせてくださいました。
主が見放されず、愛してくださいますのが、
私にとって絶え間ない支えでありますように。
私にしてくださいましたこと全てを、兄弟たちにも行い、
皆も分かち合えますように、主よ。

私の子よ、私はあなたたち皆を呼んでいる、あなたたち一人ひとりを、探し求めている、心に入るのを許してもらいたい、そうしたなら一人ひとりを癒やす。
来なさい、もう休むように、いつでもあなたと共にいる、決してこれを忘れないように!

人類すべての母

1988年9月26日 ノート28

わが神よ?

私です、私のヴァスーラ、私を王として迎えなさい、すべての魂たちを連れて来なさい、聞きたいと望む者を私は甦らせ、私の聖心のうちにおく。

 愛する者よ

 はい 聖なるお母さま?

そうです、お聞きなさい、私の香りをあなたたちの間にひろめます*、自分の心に耳を澄ませ、私たちの現存があなたたちの間にあると気づいてください、どれほど愛しているでしょう! 子どもたちよ、私はあなたたちの母、私の息子が導いて癒やし、清めるのを許しなさい、自らすすんでイエスに癒やしていただきなさい、私の子が与えようとしている、この恵みを受けなさい、一人ひとりの魂をどうして探し求めているかを、理解してください。イエスはあなたたちを、限りなく愛しておられるのです!

私、人類すべての母、皆の救い主の母は、子どもたちよ、あなたのそばにいて、直ぐ助けようと待ちかまえています、来なさい! 私たちに心を開いて、私たちはあなたの聖家族、私たちの平和を受けなさい。イエスと私は、あなたたち皆を祝福します。

祝福をお受け下さい、聖なるお母さま、神の御母よ。

* この啓示を追う多くの方々が、香とばらの香りを経験しました。

霊を理解するには

1988年9月25日 ノート28

わが神よ、メッセージをL……に少し見せましたら、読むのが気恥ずかしいと言いました。つまり、被造物である私に対するあなたの愛と、神であるあなたに抱く私の愛のせいだと! ショッキングだと言うのです。主よ?

私だ。私は神、私は愛である、私のメッセージを恥ずべきものと言う者は誰であっても、私を裁いており、それによって、自らをも裁いてしまう。

霊的でない人は、その頭で霊を理解する能力がなく、霊が理解できるように英知のうちに沈潜する能力もない。心を開いて、聖霊を招き入れ、自らの霊との出会いを許さなければならない。その時は私の霊が彼の霊を養い、英知は彼を照らして、その霊のことを、それがどう働き、どう感じておられるかを分からせて下さるだろう。私は神、私を愛するようにと、限りない愛によってあなたたちを創造した、愛の源である。

主に賛美!

私は霊である 神のうちのまことのいのち

1988年9月24日 ノート28

わが神よ?

私です、私が霊であることを思い出すように、そして私は持てる全てを、あなたの霊と分かち合っている、あなたと私は、愛の一致のうちに、一つである、あなたの神、私と、私の小さな者であるあなた、あなたの創造主、私と、被造物であるあなたとが、互いに愛のうちに、結ばれている、

心の頑なになった者たちは、私の心には聖化する働きのあることを、思い出すように、私は名もない人びと、徳のない、功徳を積んでいない人びとにさえ、声をかけ、石の心を変容し、全く無にひとしい状態から引き上げる、死者の間に前触れなく訪れ、皆を甦らせることもできる、ヴァスーラ、自分自身を見なさい、功徳は全くなかった、にもかかわらず大いなるあわれみによって、あなたを甦らせた。これで神のうちのまことのいのちが、何を意味するかが、分かっただろう、私はいのち。

私の誉れとなり、私の子よ、決して背かないように。私の指示を心に留めておきなさい。

主よ? 

私です、
一つ気になることがあるのです。私が離婚し、再び結婚しているので、罪の状態にずっといると、ある人が言います。ですからこの啓示は、わが神よ、私がずっと罪の状態なため、あなたからのものであるはずがないと。

罪のない人は申し出なさい! 前に出てきて顔を見せなさい。

そうです、わが神よ、助けてください。こういった人びとの発言に、どう答えたらよいのでしょう。

答えなくともよい、私のもとに急いで来なさい。父があなたを面倒みておられる。「私たち」、子よ?

永久に、いつまでも、アーメン。

英知は子どもたちをいとおしまれる。

自由といのちの鍵

1988年9月18日 ノート28

わが神よ*?

私です、私を愛しなさい、怖れないで、私に歯向かう時にだけ恐れなさい。愛のどの雫も、煉獄の魂たちを救うのに使われる、私を熱心に愛することで、その火を消し**、苦悶から解放する、その時やっと主なる私は、彼らを受け入れることができる、だから私を愛しなさい、望みなさい、私を崇めなさい、次々と彼らを解放しなさい。

愛は天の力と同化することを、そして自由といのちの鍵であることを人類は理解しなければならない。なぜサタンがあなたを憎むかがもう分かったか? 私のヴァスーラ、私に倚りかかっていなさい、何も無駄になってはいない。
「私たち」?

永久にいつまでも。

* 神がお慕わしく、まるで地上に残された未亡人のような心境です。
** イエスがこう仰しゃっている時、いくつかの魂の燃え盛った手の炎が消されるのを(ヴィジョンで)見ました。

背を向けるのではなく、喜んで私を受け入れなさい

1988年9月15日 ノート28

主よ?

私です。

どうして多くの聖職者たちは、このところ与えて下さるあわれみ深いしるしが分からないのでしょう? 主よ、この方たちがなんて言っているか、ご存じですか? これを本当の信仰ではないと、言い換えると、「しるしがなくても、すでに私たちは回心している、だから印など私たちは要らない、だから神よ、もうこれで私たちは沢山です、こういった特別なことには興味がない」と。

顔を地に伏せ ひれ伏して、「限りない慈しみにより 神に栄光! 主に賛美! 真に聖書を成就されています!」と主に叫んで言うかわりに。本当の信仰といっても、聖霊を追いやってしまったら何になるでしょう? 彼らの議論はこうです、「イエスがトマに、〈見ないで信じる者は幸い……〉と言われたではないか」。聖書では、「決して霊を抑えてはならない、預言の賜物を軽くあしらうことも許されない」とも書かれてあるのを忘れたのでしょうか。―――そして聖霊は気ままに吹かれます…… ―――この人びとが議論する時、実はあなたと議論しているのだと気がついていないようです、わが主よ。

私の子よ、諸国民に向かって大声で叫びなさい皆に聞こえるように、叫びなさい! 「あなたたちの神はここです! 神はともにおられ、決して見捨てられたのではなく、牧者として群れを養いみ腕の中に小羊を集めに来られました、み国が近いからです」と。私の小さな群れを養い、大きな愛をもって皆を集めよう、私の腕の中に。

彼らはあなたのしるしには関心がなく、それについて聞いてもファイルに閉じてしまいます。しるしをお止めになるようにと言いたげです。

私は誰の助言も要らない、こういった助言者は一人も要らない。その知恵は私にとって恥ずべきもの、あなたたちを測り、養えないとでもいうのか? 悲しいかな! 私の霊を喜んで迎える者はほんの一握りに過ぎない。私に反対する精神を持てば私を見捨てることになると理解しているだろうか? そして見捨てるなら、真理を見落とすと。

陶土は陶芸家に「何を作っているのか」と尋ねるだろうか? 私のわざとその神秘を受け入れて、霊の与えるものを謙虚に受けなさい、今の時代にしるしを増やしているのは、の意思による。だから聖霊の賜わるものを歓んで受け取りなさい。背を向けるのではなく、喜んで私を受け入れなさい。感謝しなさい、顔を向け、私だと気づきなさい! 私の霊を抑えてしまわないように、むしろ私を歓迎してほしい! 私の霊を抑えてしまう者たちは災い、あなたたち、目の見えない案内人は災い、虚栄心でふくれ上がり、私の聖なる教会を荒廃させてしまった! 自らを調べ歓んで私を受け入れなさい、背を向けるかわりに自分が真の信仰に立っているかを確かめ、こうして真実を求めなさい!

祭壇よ! 主である私は最後まで、その炎を燃え立たせておく、私のわざはまだ完了していない。さあ、来なさい、「私たち」?

永久に、アーメン。

私はこの荒野に向かい大声で呼びかける

1988年9月14日 ノート28

イエス様?

私です、私の声を聞きなさい、この荒野に向い、大声で呼びかける、――耳傾ける者は皆高く上げ、その罪は流れる水のように洗い流され 忘れられよう。

耳を塞ぐ者は災い! しかもああ! あなたたちの多くは過ちを犯しながら、道である私の声を聴こうとしない、あなたたちは私を見捨て、もうあまりにも長くサタンの煙だけを吸い込んで、思い違いのうちに、誤りを犯している。そして私の名は、もう無意味となり、地上のあなたたちは、影のような存在、しかも、サタンに助けられ、邪な心で真実を逆にし、進化を口実に私を軽んじた。

私は非常に多くの警告を与え、この日々を予告し、計り知れない慈しみにより、印を示してきた、にもかかわらずあなたたちは私の慈しみに対し、目を閉じるほうを選んだ。道案内よ! みことばを知り、私に仕え、時の終わりが見えていて、それが迫っていると気づきながら、人前ではおのが栄誉を先におき、全くの臆病から、あなたに示す恩寵を傍観している、理解を求めて、私の箴言に隠された奥義を、もう一度確かめなさい、知識をより深く悟るよう、理解の霊を乞い願うようにと、私は厳粛に求める。

日数も、あなたたちの寿命も数えられている、心を整え、敵が目においたこの覆いを、取り除きなさい、なぜなら、虚栄心が残る限り、罪も残るからだ、身を低くし、私のやり方を受け入れなさい、この荒野で悶えながら叫ぶ、私の声に応えてほしい*
来なさい、私の子よ、私に倚りかかっていなさい、ともに……ともに、私の苦悶を分かち合おう、

はい、わが主よ、分かち合いたいです。

「私たち」?

永えに。

* イエスがこう言われた時、私にもその苦悶を味わうようにされました。イエスは非常にお苦しみです……。

私を食べ、飲みなさい

1988年9月12日 ノート27

わが主よ!

私です
いつもともにいる。私の意思によって与えた恵みを、どの魂にも与えたわけではない。それでいて、なんとしばしば疑うか? 信じなさい……
足を引っ張る人びとを放っておきなさい、心が閉じていて、暗やみの中で生きている。どうして目の見えない人のあとについて行き、さらに奥深く荒野にさまよい込むか? 私は従うべき、唯一、ただひとりの人、そこで聞こえているのだから、耳を開きなさい。分かろうと努め、私の現存を感じなさい。私が見えているのに、どうして目を逸らすのか? 私の視線を追いなさい、子よ、そう(*2)! 分かっただろう? 努力すればできる。許嫁よ! 私を喜ばせなさい、与えた全てに思い巡らし、私を尊ぶように。

主よ、私はどうしようもなく弱い者です!

その弱さのために祈りなさい、私は待たずに、あなたを本当に引き上げる、まこと愛する者よ、私の体を食べなさい、書くように、

(「私の体を食べなさい」と言われた時に思い出したことを、イエスは書かせてくださいます。前の晩に、私は十字架(20センチ)からイエスのお体をはずし、その全部を食べてしまい、十字架だけが残るという夢を見ました)

私がこのヴィジョンを与えた。あなたは私の体を食べなければならない、私の体を与えた、私の血を飲みなさい、私の血も飲んでほしい
ヴァスーラ、どうしてときどき疑うかを知っているか? あなたは、私の薔薇として、砂漠に生きているからです、薔薇は砂漠では生きていけない、特別な注意と世話が要る。その環境全体が 影響を及ぼす。私はあなたの園丁、目を離すことがない、熱風によって火傷をおわないよう、絶え間なく見張り、注意深く見守っている、踏みつけにされないよう、敵を追い払い、あなたに不足がないよう、調べを怠らない。必要とあれば、あなたを矯め、土壤を灌漑する。
私の魂の許嫁よ、落胆だけはしないようにと注意したい、主なる私が、園丁であり、決してこの砂漠に捨ておかないがゆえ、そこで私に信頼し、この荒野を恐れないように。私の平和を保ちなさい、あなたが望んでいるゆえ、私に対する信仰を、大きくする手助けをしよう。私に養われるように。「私たち共に」?

永えに、

代々永えに

「私たち」、ママ?

はい、「私たち」、いつもイエスのおそばにいらっしゃい。

はい、お母さま、そうしたいです。

来なさい。

*1 イエスに申し上げたのです:「地上で主の時代に生きていた人びとは、なんと恵まれていたでしょう!」
*2 「子よ」と神が仰しゃった途端、主を感じました、主の現存を感じ、そして心は歓びで高鳴りました!