1988年9月のメッセージ

聖霊を笑いとばす者たちに警告する

1988年9月5日 in ノート27

(今朝早くから主は、私が近隣の司祭たち何人かに、近々拒絶されると教えてくださっていました)

主よ、本当に何人かの司祭に、私はまた拒まれてしまうのでしょうか? 主よ?

私です。怖れることはない、間もなく全てが明るみに出され、あなたを拒み、メッセージを信じるのを拒んだ人びとが皆、御父にゆるしを祈る日が来る。ヴァスーラ、「目が見えなかった」なら、私は癒やしただろう。しかし彼らは「見える」と言い張っている。私が地上にいた時と同じ、目の見えない道案内の子孫だ。私の子よ、地上に私がいた時に彼らが生きていたなら、私を磔にした人びとの間にいてその行為に加わっていただろう。預言者たちに石を投げて、黙らせた仲間となっただろう。どうして、今も当時も、何も変わっていないではないか? 私を信じると主張しながら、霊の働きを拒み、こうして再び私を拒んでいる。あなたはメッセージを携え、私に遣わされた、しかし律法学者やファリサイ人のように、この人びとは証拠を求める、堅い証拠を。

身構えていなさい、私の子よ、背中に鞭を受ける準備をしなさい。主である私は背中に鞭打つのを許した、そこであなたも背中を差し出しなさい。聞くのを拒んでいるゆえに、自分たちの間違いを繰り返させておきなさい。主である私は、拒まれ、最後には木に釘付けにされた。そこであなたも従順に、私の十字架を分かち合うように。今日は昨日と同じだ、誰を送ろうと彼らは追及し、迫害するか、拒絶する。私の送る者の血は、アベルの血から今の世代にいたるまで、絶えず流されている!

律法学者やファリサイ派の人たちに警告したように、今日の私の使者たちを迫害し、みことばを弾劾する人びとに警告する。聖霊を笑いとばす者たちに警告する。「お前自身の証拠が、お前にとって不利となる、一人として変わっていない、やることは同じだ、その考え方がお前たちを不利にしている。道案内たちよ! 霊的メッセージをいろいろと教えながら、聖霊の働きを無視するのか! 道案内たちよ! 私の肉で小羊たちを養うが、私の血は差し控えるとは1 私の指示を忘れたのか?」

私のヴァスーラ、私のとげを感じさせよう、これら聖職者たちの心に、合理主義がいかに君臨しているかを感じさせよう。彼らの前にあなたをさらす。私のパンであなたを養っている、私と一致し、私の棘を感じそれを共有するように。一本一本の釘が私を貫いたように、あなたの魂も貫かせなさい。予告しておいた、さあ、鞭打たれる覚悟をしなさい。しかし覚えておくように、彼らには私の背中もさらしているのであり、あなたにすることは皆、私にしているのだ。「私たち、共に」?

はい、主よ。

(三時間後に知らせがありました。私が信頼し、神のメッセージを信じていると思っていた神父様が「裏切った」のです。全然信じてはおられなかったのですが、ずっと信じている振りをされていました。そして単にこう言われます。「神はご自身をこうした方法でお示しにはならない、こういった種類の人には」。大変な痛手でした、彼は理解しており、また友人だと思っていましたので。「友人」を失いました……別の友人からこのような知らせをもらったのです)

私を愛するようにあなたを創造した

1988年9月6日 in ノート27

私です、この裏切りについて、私の子よ、知らせておいた。

来て、私に倚りかかりなさい。これを私からのものでないとする議論が、いかに無意味であるかが知られるように、その熱意は的を外れ、私の正義がはっきりと、見えていないようだ、そして自分たちの考えを吐露しているに過ぎない。

聖書には書かれてある:「善い知らせをもたらす人の足音は、歓迎すべき足音」と、また私の選ぶ器の種類に、驚く人びとにはこう言う:「私を求めない人びとに私は見いだされ、私に聞かない人びとに自らを現した」

彼の議論にも一理あります。この賜を受けるのに、本当に私は適当ではありませんから。私は駄目な人間です。ですが、友人のビアトリスが神父さまに尋ねました。「マリア・マグダレナはどうですか?」彼は答えたそうです、「ああ、そうです、しかし後で回心しましたから」では私は回心していないと神父さまは思っておられるのですね?

平和でいなさい! 私の聖心のうちにあなたをおいた。

二千年前に彼が生きていたなら、私を罪人として、石殺しにする一人に加わっていたでしょう。

私が許しはしなかった、かつてと同じ言葉を言っただろう、「罪のない者が最初に石を投げなさい」と。心を開きなさい! 頭でなく! ヴァスーラ、あなたの救い主、私に倚りかかっていなさい、心の閉じたままの人びとのために、祈りなさい、耳を閉じる人びとのために祈りなさい。

はい、主よ。

私の受難の残りに備えなさい、覚えておくように、あなたの十字架の大きさを示した。

はい、主よ。

しかしあなたと私は、それをともに分かち合う。すべて無駄にはならない、与えた使命を達成する手助けをする、それから……私のもとに飛んで来よう、そう*! 来なさい、私は現存する、「私たち」?

* イエスは嬉しそうでした。

はい、主よ。

(しばらくして)

わが主よ?

私です、私の目をのぞき込んで、左も右も見ないように、あなたの主、私を見なさい、私は道、真理そして永遠のいのち。どれほど大きな愛をもって、みことばを教えたかを思い出すように。それにあなたの知識はすべて、私からのもの。

私の王国全体は不思議に満ちている、私はアルファでありオメガ、私を愛しなさい……あなたの示す愛の雫のどの一滴も献げ、私を王として扱いなさい、私を愛するように、あなたを創造した、持てるすべての愛が、私だけのものとなるように*、私なしでは、あなたがいかに弱くみじめであるかは分かっている、しかし私は単なる子ども、無に等しいあなたを私の腕に抱き、与えてくれるこの無の空間で、私の霊は自由に、息することができることも分かっている、私の霊があなたを形造るのを許しなさい、学ぶすべては英知に由来する、そして私は英知。

* 神を愛するようになるなら、お互いも愛し合うようになります。

あなたのうちに始めたことを成し遂げよう

1988年9月7日 in ノート27

主に賛美! 主は祝福されますように!
神に栄光! 死ぬほど愛します、お父さま。
主よ?

私です。私の子よ、聞きなさい、あなたの主のために、これからも働いてくれるか?

今の私でよろしければ。

あなたでよい。そのどうしようもない弱さに惹かれている。来て、私から吸収しなさい。

いのちを得て癒やされた者よ! 面と向かってあなたは真理を見た、私が癒やし、回心させた。あなたを引き上げ、私の聖心のうちにおいた。祝福を与えた、あなたのうちに始めたことを成し遂げよう。あなたは私の王宮に留まり、私だけから養われる。悪から遠ざけようと、目には覆いをした。与えているこのすべての恵みで、思い上がってほしくない。あなたの住まいとなるよう、私の聖心を与えた。その内奥にもぐり込みなさい、その内奥に隠れ、決して出て来ないように。私、あなたの救い主は、終わりまでそこにあなたを隠しておく。

ありがとうございます、主よ。

再び子供のようにならなければ、私の王国に入ることはできない

1988年9月9日 in ノート27

主よ、あなたに信頼します。私は全てを、ただあなたおひとりから学びました。しかし主よ、多くの聖職者が私をあざ笑います。私があなたから学んだと信じるのを拒み、あなたの御業を追いやって。子供たちのヴィジョンも、出現も、啓示も、すべてが踏みにじられています。あなたに沈黙していてほしいのです。どうか、脇に退いておられないで、神よ、急いで助けに来てください、主なる救い主よ! 主よ?

私だ。ヴァスーラ、あなたを虐げる人びとに対しては、「再び子供のようにならなければ、私の王国に入ることはできない」と忠告する。私の子よ、どのヴィジョンも、真実と宣言される日が訪れる。私の教会にとって、空しいヴィジョンも、偽りの預言もなくなると私は言った。言ったことは間もなく実現される、あなたの生きている間に、宣べたことを成就させるからだ。

ありがとうございます、主よ。

「私たち、共に」?

永えに、アーメン。

聖ミカエル

1988年9月10日 in ノート27

神に栄光! 神に栄光。

聖ミカエル?

ヴァスーラ、これをあなたに告げます、このすべての啓示は至高者の口から出ています。主の慈しみを確信しなさい。

ありがとうございます、聖ミカエル。(悪と戦うための聖ミカエルへの祈りをしている時に、このお言葉をいただきました)

主よ?

私です。

「イエスの最後の誘惑」という新しく出た映画は、全くのスキャンダルです。次は何が飛び出すでしょう!

あえて見に行こうとしない者は幸い!

(イエスはこう仰しゃった後、黙っておられました)

私を食べ、飲みなさい

1988年9月12日 in 未設定

わが主よ!

私である。私に信頼しなさい。1

いつもあなたと共にいる。私の意思によってあなたに与えた恵みは、どの魂にも与えられたわけではない。それでいて、なんとしばしば疑うか? 信じなさい……

足を引っ張る人々は放っておきなさい、心が閉じていて、暗やみの中で生きている。どうして目の見えない人のあとについて行き、さらに奥深く荒野にさまよい込むか? 私は従うべき、唯一、ただ一人の者、そこで聞こえているのだから、耳を開きなさい。分かろうと努め、私の現存を感じなさい。私が見えているのに、どうして目を逸らすのか? 私の視線を追いなさい、子よ、そう2! 分かっただろう? 努力すればできる。許嫁よ! 私を喜ばせなさい、与えた全てに思い巡らし、私を尊ぶように。

主よ、私はどうしようもなく弱い者です!

その弱さのために祈りなさい、私は待たずに、あなたを本当に引き上げる、まこと愛する者よ、私の体を食べなさい、書くように、

(「私の体を食べなさい」と言われた時に思い出したことを、イエスは書かせてくださいます。前の晩に、私は十字架(20センチ)からイエスのお体をはずし、その全部を食べてしまい、十字架だけが残るという夢を見ました)

私がこのヴィジョンを与えた。あなたは私の体を食べなければならない、私の体を与えた、私の血を飲みなさい、私の血も飲んでほしい

ヴァスーラ、どうしてときどき疑うかを知っているか? あなたは、私の薔薇として、砂漠に生きているからです、薔薇は砂漠では生きていけない、特別な注意と世話が要る。その環境全体が 影響を及ぼす。私はあなたの園丁、目を離すことがない、熱風によって火傷をおわないよう、絶え間なく見張り、注意深く見守っている、踏みつけにされないよう、敵を追い払い、あなたに不足がないよう、調べを怠らない。必要とあれば、あなたを矯め、土壤を灌漑する。

私の魂の許嫁よ、落胆だけはしないようにと注意したい、主なる私が、園丁であり、決してこの砂漠に捨ておかないがゆえ、そこで私に信頼し、この荒野を恐れないように。私の平和を保ちなさい、あなたが望んでいるゆえ、私に対する信仰を、大きくする手助けをしよう。私に養われるように。「私たち共に」?

とこしえに。

世々とこしえに。

「私たち、共に」。ママ?

はい、「私たち、共に」、いつもイエスのおそばにいらっしゃい。

はい、お母さん、そうしたいです。

来なさい。

私はこの荒野に向かい大声で呼びかける

1988年9月14日 in ノート28

イエス様?

私です、私の声を聞きなさい、この荒野に向い、大声で呼びかける、――耳傾ける者は皆高く上げ、その罪は流れる水のように洗い流され 忘れられよう。

耳を塞ぐ者は災い! しかもああ! あなたたちの多くは過ちを犯しながら、道である私の声を聴こうとしない、あなたたちは私を見捨て、もうあまりにも長くサタンの煙だけを吸い込んで、思い違いのうちに、誤りを犯している。そして私の名は、もう無意味となり、地上のあなたたちは、影のような存在、しかも、サタンに助けられ、邪な心で真実を逆にし、進化を口実に私を軽んじた。

私は非常に多くの警告を与え、この日々を予告し、計り知れない慈しみにより、印を示してきた、にもかかわらずあなたたちは私の慈しみに対し、目を閉じるほうを選んだ。道案内よ! みことばを知り、私に仕え、時の終わりが見えていて、それが迫っていると気づきながら、人前ではおのが栄誉を先におき、全くの臆病から、あなたに示す恩寵を傍観している、理解を求めて、私の箴言に隠された奥義を、もう一度確かめなさい、知識をより深く悟るよう、理解の霊を乞い願うようにと、私は厳粛に求める。

日数も、あなたたちの寿命も数えられている、心を整え、敵が目においたこの覆いを、取り除きなさい、なぜなら、虚栄心が残る限り、罪も残るからだ、身を低くし、私のやり方を受け入れなさい、この荒野で悶えながら叫ぶ、私の声に応えてほしい*

来なさい、私の子よ、私に倚りかかっていなさい、ともに……ともに、私の苦悶を分かち合おう、

はい、わが主よ、分かち合いたいです。

「私たち」?

永えに。

* イエスがこう言われた時、私にもその苦悶を味わうようにされました。イエスは非常にお苦しみです……。

背を向けるのではなく、喜んで私を受け入れなさい

1988年9月15日 in ノート28

主よ?

私です。

どうして多くの聖職者たちは、このところ与えて下さるあわれみ深いしるしが分からないのでしょう? 主よ、この方たちがなんて言っているか、ご存じですか? これを本当の信仰ではないと、言い換えると、「しるしがなくても、すでに私たちは回心している、だから印など私たちは要らない、だから神よ、もうこれで私たちは沢山です、こういった特別なことには興味がない」と。

顔を地に伏せ ひれ伏して、「限りない慈しみにより 神に栄光! 主に賛美! 真に聖書を成就されています!」と主に叫んで言うかわりに。本当の信仰といっても、聖霊を追いやってしまったら何になるでしょう? 彼らの議論はこうです、「イエスがトマに、〈見ないで信じる者は幸い……〉と言われたではないか」。聖書では、「決して霊を抑えてはならない、預言の賜物を軽くあしらうことも許されない」とも書かれてあるのを忘れたのでしょうか。―――そして聖霊は気ままに吹かれます…… ―――この人びとが議論する時、実はあなたと議論しているのだと気がついていないようです、わが主よ。

私の子よ、諸国民に向かって大声で叫びなさい、皆に聞こえるように、叫びなさい! 「あなたたちの神はここです! 神はともにおられ、決して見捨てられたのではなく、牧者として群れを養い、み腕の中に小羊を集めに来られました、み国が近いからです」と。私の小さな群れを養い、大きな愛をもって皆を集めよう、私の腕の中に。

彼らはあなたのしるしには関心がなく、それについて聞いてもファイルに閉じてしまいます。しるしをお止めになるようにと言いたげです。

私は誰の助言も要らない、こういった助言者は一人も要らない。その知恵は私にとって恥ずべきもの、あなたたちを測り、

養えないとでもいうのか? 悲しいかな! 私の霊を喜んで迎える者はほんの一握りに過ぎない。私に反対する精神を持てば、私を見捨てることになると理解しているだろうか? そして見捨てるなら、

真理を見落とすと。

陶土は陶芸家に「何を作っているのか」と尋ねるだろうか? 私のわざとその神秘を受け入れて、霊の与えるものを謙虚に受けなさい、今の時代にしるしを増やしているのは、の意思による。だから聖霊の賜わるものを、歓んで受け取りなさい。背を向けるのではなく、喜んで私を受け入れなさい。感謝しなさい、顔を向け、私だと気づきなさい! 私の霊を抑えてしまわないように、むしろ私を歓迎してほしい! 私の霊を抑えてしまう者たちは災い、あなたたち、目の見えない案内人は災い、虚栄心でふくれ上がり、私の聖なる教会を荒廃させてしまった! 自らを調べ

歓んで私を受け入れなさい、背を向けるかわりに

自分が真の信仰に立っているかを確かめ、こうして真実を求めなさい!

祭壇よ! 主である私は最後まで、

その炎を燃え立たせておく、私のわざはまだ完了していない。さあ、来なさい、「私たち」?

永久に、アーメン。

自由といのちの鍵

1988年9月18日 in ノート28

わが神よ*?

私です、私を愛しなさい、怖れないで、私に歯向かう時にだけ恐れなさい。愛のどの雫も、煉獄の魂たちを救うのに使われる、私を熱心に愛することで、その火を消し**、苦悶から解放する、その時やっと主なる私は、彼らを受け入れることができる、だから私を愛しなさい、望みなさい、私を崇めなさい、次々と彼らを解放しなさい。

愛は天の力と同化することを、そして自由といのちの鍵であることを人類は理解しなければならない。なぜサタンがあなたを憎むかがもう分かったか? 私のヴァスーラ、私に倚りかかっていなさい、何も無駄になってはいない。

「私たち」?

永久にいつまでも。

* 神がお慕わしく、まるで地上に残された未亡人のような心境です。
** イエスがこう仰しゃっている時、いくつかの魂の燃え盛った手の炎が消されるのを(ヴィジョンで)見ました。

私は霊である 神のうちのまことのいのち

1988年9月24日 in ノート28

わが神よ?

私です、私が霊であることを思い出すように、そして私は持てる全てを、あなたの霊と分かち合っている、あなたと私は、愛の一致のうちに、一つである、あなたの神、私と、私の小さな者であるあなた、あなたの創造主、私と、被造物であるあなたとが、互いに愛のうちに、結ばれている、

心の頑なになった者たちは、私の心には聖化する働きのあることを、思い出すように、私は名もない人びと、徳のない、功徳を積んでいない人びとにさえ、声をかけ、石の心を変容し、全く無にひとしい状態から引き上げる、死者の間に前触れなく訪れ、皆を甦らせることもできる、ヴァスーラ、自分自身を見なさい、功徳は全くなかった、にもかかわらず大いなるあわれみによって、あなたを甦らせた。これで神のうちのまことのいのちが、何を意味するかが、分かっただろう、私はいのち。

私の誉れとなり、私の子よ、決して背かないように。私の指示を心に留めておきなさい。

主よ? 

私です、

一つ気になることがあるのです。私が離婚し、再び結婚しているので、罪の状態にずっといると、ある人が言います。ですからこの啓示は、わが神よ、私がずっと罪の状態なため、あなたからのものであるはずがないと。

罪のない人は申し出なさい! 前に出てきて顔を見せなさい。

そうです、わが神よ、助けてください。こういった人びとの発言に、どう答えたらよいのでしょう。

答えなくともよい、私のもとに急いで来なさい。父があなたを面倒みておられる。「私たち」、子よ?

永久に、いつまでも、アーメン。

英知は子どもたちをいとおしまれる。