(ユーゴスラビア、神学監査委員会会長)
「キリストに扉を開ける」
1992年9月23日にコモ市でヴァスーラと会った折、彼女が多くの批評家の攻撃にさらされていると感じました。彼女をおとしめる記事が容赦なく書き立てられていました。これは理解できます。イエスはヴァスーラを通して、世俗に接近しすぎ、神の啓示から自分たちとの間に距離をとろうとする現代の極端主義的な神学者たちを裁いておられるからです。パウロ六世教皇も亡くなる少し前にそのことに気づき、教会に入り込んで神の啓示の基本的真理を曇らせている「悪魔の煙」について話し始められたのでした。
こうした事柄の理解が深まれば深まるほど、ヴァスーラのおもだったカリスマとは、神の完全な啓示の純粋性を示すことだと私には思えるのです。その啓示には、何も付け加えたり、省いてはなりません。教会にさえ浸透して救いの使命に支障を来たす世俗にも、現代の自由を謳歌する文明にも、妥協してはならないのです。
新しい宣教は、文化に影響を及ぼす土着化の姿勢を基本とする必要があります。教皇ヨハネ・パウロニ世は公会議のあとにそう語っています。常に人道的、国民的、社会的諸権利を十分に配慮しつつ、社会状況にも注意を向け、すべての国民の、あらゆる文化を尊びながら、神が啓示された真理を植え、愛をもって強めていくべきでしょう。これが真理であり、第ニヴァチカン公会議でもそう述べられ、それ以降の教皇たちも同様に言ってきました。しかしあらゆる文化、あらゆる人間的、国民的、社会的権利は、キリストとそのみことばが裁くと真理は述べています。文化がキリストを裁くのではなく、その逆であり、キリストが文化を裁くのです。キリストはあらゆる文化を守り、推しすすめ、さらに高い次元、神の次元にまで引き上げます。
ですから、「キリストに扉を開ける」ことを恐れないで下さい。キリストは私たちの創り主、友人です。御父と聖霊とともに、「永遠の父」なのです。私たちが、地上の小さな幸せと、天上の大きな幸せを得るには何が必要かを、キリストは心得ておられます。
教会は、その目に見える頭キリストの代理者としての教皇と共に、教皇のもとで、キリストの救いの教えを述べ伝えます。イエスはこのように、ヴァスーラを通して私たちに言っておられるのです。彼女自身は、自分がギリシャ正教徒だとはっきり言明していますが。このような仕方で彼女は健全なエキュメニズムの道、今日カルワリオをたどっているエキュメニズムを指し示しています。しかしエキュメニズムは神の御わざですから、キリストご自身のように、カルワリオを経なければなりません。そのカルワリオが全世界に蔓延しないよう、神が私たちを護られますように。