ノート26のメッセージ

清算の日々が始まった

1988年8月15日 ノート26

(被昇天の祝日)

主イエスよ、祝福をお受け下さい。

主である私はあなたを祝福する。私の聖心は痛みにあえいでいる、私を愛し、祝福し、探し求めるすべての人々は、茨のとげに包まれた私を癒やし、慰めてもらいたい。私は小さな魂たちの方を向き、そちらに行く、そこには小さいがゆえに憩いがあり、安らぎがある。

ああ、イエスよ、それほど苦しんでおられるのを感じて、私はとても辛い……

救われる必要がある魂のために祈りなさい、私に向かって祈りなさい、私の名は、救う-者。時間が無くなっている。もう清算の日々が始まった、報復の時代が来ている、この時代の罪があまりに大きく、棄教が非常に深刻なため、私たちの心はどちらも、その不正と目にあまる背きによって、繰り返し貫かれている。私に立ち帰り、私のほうを振り向くようにと懇願する、そうするなら本当にゆるす! 愛にしっかりととどまるなら、祝福を降り注ぐ、互いを正しく扱い、親切にし、互いに愛し合い、私の光の子となりなさい。どれほど多くの艱難が近づいているかを理解しなさい、それらは、あなたたちの魂に蓄積した悪によって引き起こされる、私に立ち帰り、私の血潮で清められるように。

(しばらくして)

私はあなたの聖なる母です。私の子どもたちよ、神に立ち帰りなさい、戻ってくるようにお願いします。神はきっとおゆるし下さるでしょう、そのご慈悲は露のように降り注がれています。被造物よ、花のように開いて、光を吸収しなさい。あなたたちを呼んでいます、励まそうとして、けれど、私たちの呼びかけを誰が知っているでしょう? どれほどの人々がこの呼びかけを信じるでしょう? ほんの一抱えしかその呼びかけを信用してくれないことに、心が痛みます。この世代は固い岩の心になってしまいました。合理主義に目がくらみ、神のなされ方を忘れています。神の素晴らしい御わざを忘れてしまいました。主が全能で慈悲に満ちておられるのを忘れています。ソドムとゴモラの時代でさえも、神の被造物がこれほどまで堕落してしまったことは今までありません。あなたたちの冷淡さは永劫を貫き、信仰の欠如があなたたちを告発しています。私の出現と、神がメッセージを与えて祝福した人びとに対する無情な迫害は、転落の一つの原因となるでしょう。あなたの聖なる母、救い主の母なる私は、悔い改め、変わるようにと切に願います。私たちのもとに戻っていらっしゃい、聖なる生活を送りなさい、神の眼差しのもとで聖なる生き方をするのです、手に善い行いをいっぱい携えて、清さのうちに神と顔を合わせる用意をなさい。

(しばらくして)

私の香りを降り注ぎました、私の現存を感じてほしかったのです、この好意を通し、私たちにとってあなたがどんなに大切かを思い出させたいと望みました。子よ、私はあなたの聖なる母、再び私たちのそばにいてくれるのを喜んでいます、愛する者よ、あなたと家族全員を祝福します。

聖なるお母さま、すべてをありがとうございます、御身を祝福します。

花よ。

はい、イエス様。

あなたの聖なる母をこれからはママと呼びなさい、私と同様、母に対しても深く親しむように。「私たち共に」、教えたことを忘れないように。

はい、主よ。

主である私は皆を祝福する。

今日は教会から出て、長い階段を下りて行く途中、まるで薔薇の園を歩いているような感じでした。周りはセメントで、一輪の花もありません。ジェームズ神父に何か香りがするかお尋ねしましたら、そう尋ねているさ中、する、と彼は言います。薔薇の香りが。そしてこの現象の一番最後は、すみれの香りでした。

教会は私を通して生き返る 新しい聖霊降臨

1988年8月9日 ノート26

(ローマ)

イエス様?

私です、最愛の魂よ、どれほどあなたを愛するか。

教会は私を通して生き返るであろう。あなたを通して自らを現すのを許してもらいたい、私のミルラよ、あなたの主、私をよい香りで包みなさい。私は聖心を示した、私の道を教え、真理に導くために。魂よ、あなたのもとを訪れた、あなたの時代は真理を探し求めているが、その真理とは愛。しかし彼らのうちには愛が見当たらない、彼らにとって私の名1はもはや意味を持たない。しかし私の慈悲は私を蔑む者たちの上に大きく注がれている。被造物は私のやり方を捨ててしまい、盲の道案内に導かれるままとなった。私の掟に反逆し、私のでない掟を教えている、被造物よ! 奈落にどれほど近づいているかが分かるなら! 互いを迫害するかわりに、心を配り合いなさい2、私の道、英知の道を学びなさい、すべての行為も思いも愛に覆われるように。

花よ、私はあなたの献身的な世話係である。そこで信頼しなさい、私の光のもとで護り、私の露で養っている。篤い好意を寄せている私、あなたの神に信頼しなさい。いつもそばにいて美しく飾る、私は-完全に-忠実な-者である、来なさい、「私たち、共に」、私と一つになるように。

ありがとうございます、わが神よ。神に包まれ、神の美しさをちょっとだけ垣間見て、ほんとうに嬉しい心地でした。

(しばらくして)

(聖マリア)

戦いは終わっていません、どの日も、毎日どれほど多くの魂が地獄に落ちていくかを知ったなら! その数は警戒すべきほど多いのです……

(私はどういう人びとかお尋ねしました)

枢機卿から幼い子どもまで3。あなたの時代は堕落してしまいました、実に、敵の領土と化しています。私たちの敵はその領土を地上に最も広範囲にひろげたのです。ああ、ヴァスーラ……神は日々を数えておられます、あなたたちが再び新しく、豊かな園となるよう、露のように降り、生き返らせる日々を。これは新しい聖霊降臨として知られるでしょう。皆来て、この栄えある出来事のために主に向かい、跪いて祈りなさい、主の再臨のために祈り、愛が戻って来られるよう祈りなさい。

私は、ヴァスーラ、ロザリオの聖母です。

聖なるお母さま、どうしてこのようなかたちでお現れになるのですか、メッセージに何か特別な意味が加わるのでしょうか?

そうです、この時代が終わる前に、ファティマで言ったことはすべて実現されるでしょう。さあ、もうこの汚れなき御心とイエスの聖心のうちに憩いなさい。私たちを愛さない人びとに代わって償いをし、主を愛し、今のようにお仕えして、イエスをお喜ばせするのです。「私たち、共に」?

はい、いつまでも。

私の教会の大艱難

1988年8月8日 ノート26

(ローマ)

愛する者よ、あなたを探し、ついに見つけだした牧者は私だと思い出させたい。あなたは他の死体と共に、死んで横たわっていた。私は復活である、そして私を通してのみ、いのちを見いだすことができる、永遠のいのちを。しかし今や、牧者が戻ってみると、小羊は散らされ、多くが飢えている。入れてあった囲いは牧者自身の友に叩き壊され、虐待を受け、餓死した小羊の屍がある。群れを牧する羊飼いたちには誠意がない。彼らは私に従わなかった。そこで、さらに害が及ばないよう、この者たちを退けなければならない。これは私の教会の大艱難として知られるようになる。

来なさい、あなたは学んでいる、愛に愛された者よ。

私を感じてほしい

1988年8月7日 ノート26

ローマ

今日は、啓示の聖母の記念堂トレ・フォンテインと、聖心の一万人の殉教者を祭る教会を訪ねる予定です。──トレ・フォンテインの向かい側にある三つの教会を訪ねました。最初の教会で内的呼びかけを感じましたが、そこを出てもイエスは引き返すように呼んでおられます。その感じは三つ目の教会でいっそう強くなりました。

ヴァスーラ、戻って来るように呼んでいた、あなたが本当は全然私に話しかけていない1ように感じたのです。そこで私を尊びに戻って来てほしかった、愛している、子よ、それに気づきなさい、私を感じてほしい、私の心の望みを感じなさい、愛への飢え渇きを、そばにおいておきたいという望みを、全人類に対する嫉妬深い愛を感じてほしい。野心を捨てなさい、全く持たないように、養うのが私である以上、私の前でこういったものは不要だ。私のわざをすべて私のものとし、あなたを導くこのやり方を受け入れるように、私の聖心に入って来なさい、あなたを祝福する。

教会は刷新されなければならない

1988年8月6日 ノート26

ローマ

教皇さまとの謁見の切符をもっと多く取りに行くためにローマの中を歩いている最中、どういうわけか間違った通りに出てしまいました。ジェームズ神父が気づいて直ぐに立ち止まり、戻って行くつもりでしたが、そこには壁に窓ガラスがあり、中に蝋燭の明りが点っているのが目にとまりました。外からは教会のように見えませんでしたので、考えずにそれはなにかの墳墓かしらと思いました。ジェームズ神父が入り口を見つけて、入って行くと、聖なる御母の腕に抱かれたイエスの美しい彫刻があり、それは十字架で亡くなられた直ぐあとの情景でした。――

イエス様? この教会に導かれたのでしょうか?

私です。母があなたを導いて来られた、ご自分の悲しみの瞬間を訪れるよう、あなたたちに状況を整えて、あなたの聖なる母はご自分が悲しみの聖母であるのを思い出すように望まれた。 

ヴァスーラ*、決して勇気を失わないように、そばにいます、イエスの傷の中に入っていらっしゃい、私の悲しみの心に入って来て、この悲しみをお感じなさい、止めどなく流れる涙をお感じなさい。私は多くの人びと**を訪れ、心を現しています、しるしを与え、私の像に涙を流させ、さまざまな場所で出現します、けれど私の子どもたちの心は厚いかさぶた、不信仰というかさぶたに覆われています、信じる人びとを馬鹿にして、神のみことばはこの人びとにとって無意味なのです、神の呼びかけは無視され、私たちの警告はほとんど注意が払われていません、神が与え、その唇で語られる啓示に誰も耳を傾けたがらないのです、あなたの時代の信仰は消えてしまいました、不寛容、排教、残忍と恥辱に足をすくわれて、この汚れなき御心はどのように悲しんでいるでしょう、私の腕はもはやあなたたちの上に神のみ手が振り下ろされるのを防げません。教会は刷新されなければならず、清めの時期がもうほとんど終わりかけています。聖霊があなたたち皆の上に下り、希望信仰を与え、あなたたちの信仰を回復し、魂を養ってくださいますでしょう、これは大いなる立ち帰りとして、永遠の源が芽吹き、花開いたとして、知られるようになります。教会の清めにより、皆が新しい天と新しい地を迎える準備が整います、教会はあなたたちの神に顔を向ける準備をさせるでしょう、あなたたち皆に抱くこの深い愛を理解してください。「私たち」?

* 聖マリアが話されます。   ** 出現を通して。

はい、「私たち」。

おいでなさい、

この教会はサン・シルヴェストロと呼ばれています。聖母は今日の教会の状態を示すためにそこへ私たちを連れていかれました、傷つき死んだように見えても、教会は、イエスが甦られたように、再び生き返るでしょう。

私に信頼し、聖という種を蒔きなさい

1988年8月4日 ノート26

(ローマ)

(教皇様の一般謁見の際、教皇様が私の近くに立っておられる間に、その帯の中にイエスのメッセージを何とか差し込みました。その時の写真が撮られました。今日は、どこに行ってもイエスが満面の笑みを私に向けておられるのがずっと見えました。)

イエス様?

私である。花よ、私のやり方を理解しようと探し求めないように。素直でありなさい、私から来るものはすべて受け取るように。主である私が、あなたを私の家へと導いた。私があなたを導いて、非常に愛する私の僕、ヨハネ・パウロ二世に出会わせた。最愛の魂よ、あなたは私に従い、私を信頼し、私に依り頼んだ。喜びなさい、魂よ! あなたの神である私が、喜んでいるのだから! 素直さは私を夢中にさせる。従順は私の聖心を躍らせる、なぜなら、それは悪い者と戦う武器だからだ

主よ、あなたのお手紙を教皇様の帯に差し込んだのは正しかったのでしょうか?

あなたは私に従った――これを、他の人々に対して従順の手本とさせなさい。状況がどんなに困難に見えても、私を信頼し、私に従いなさい。あなたが私に従い、私の意志を行っているのを見たら、いつでもあなたを助けよう――これを私のために行うように求めた理由を理解しようと探し求めないように。覚えておきなさい、あなたたち皆を私の名の下に一つにするのは、主である私だということを、そして私が切望することはすべて、私の力を通して成し遂げられるということを。

 私の指をあなたの上に置かせ、このようにしてあなたを使わせてほしい、私の子よ。あなたの上に私のベールを置いたままにさせてもいたい、このようにしてあなたを悪から遠ざけ、あなたに注いだこのすべての恵みによってあなたが有頂天になってしまわないようにする。あなたの神である私は、あなたを愛し、たとえ最も危機的な状態にあっても、決して見捨てることはない。愛があなたに霊的導きを与える。知恵はいのちを愛する。知恵は聖性の名を担い、私に従うすべての者に与えられる。あらゆる導きは知恵から降る。私を信頼し、聖性の種を蒔きなさい。

 平和があなたたちの上にあるように。さあ、私の聖なる現存を覚えておきなさい。私にほほ笑みかけなさい。

あなたたちの罪は炭のように黒い

1988年8月2日 ノート26

私、主のあわれみは大きく、その慈悲は比類なく大きい。私の慈悲は非常に大きく、底知れない。被造物よ! あなたたちの罪は炭のように黒く、この限りない慈悲がなかったなら、私の義はあなたたちに完全な破滅をもたらしただろう。私は今まさにあなたたちの戸口に立つ、そして泥棒のように入っていこう。与えている時のしるしに注意を向けなさい。準備しているように。

祈りなさい、私のヴァスーラ! 未だ私に抵抗する人びとのために祈りなさい。

正しい道を歩む小羊たちを非として世を闇で覆い、私を悲しませている人びとのために祈りなさい。小羊たちを解放しなさい! 解放し、私のもとに連れて来なさい、ああ、ヴァスーラ! 小さな小羊よ、そばにいなさい。私のマントの下に、この心の中に隠れていなさい。救いはまことに私から来る、あなたを使わせてもらいたい。

はい、主よ。

(聖マリア)

望んでいなさい。私の現存を覚えていてください。私たちは共に、いつまでも永遠に、私たち共に

不誠意、嫉妬、不一致と不潔

1988年7月29日 ノート26

(聖マルタ)

いとしい者よ! 愛に溢れなさい、あなたたちの間にある私の現存を感じなさい、皆に抱くこの深い愛を感じるように、この愛を信じなさい。私は愛の源、私の霊があなたたちの上にある、来なさい……あなたが清く、聖となり、謙虚であわれみ深い者であってほしい。私に抱く愛を、果てしない愛へと押し拡げるのを許してもらいたい。私、主が溢れるほどの愛を注いで、あなたたちの心を満たすのを許してほしい。こうして神聖で崇高な愛があなたたちに充満し、その愛が溢れ出て、この世を満たし、私の教会の栄誉となるだろう。この無限の愛から汲み上げ、心を満たすのを自分たちに許しなさい。求めるのは、愛する兄弟たちよ、愛、忠実と、清さだけ。試練が押し寄せても、小さな者たちよ、落胆しないように、決して見捨てることはない。私は羊飼い、あなたたちをマントの下に隠しておく、私と一緒なら空腹を知らない、私と一緒なら決して渇きを覚えない。私があなたたちを扱うように互いを大切に扱い、あなたたちを愛するように愛し合いなさい、私が祈りに応えているように、互いでも応じ合いなさい。私の実を食べ、サタンの果実、不誠意、嫉妬、不一致と不潔は受け取らないように、一つのようでありなさい! 完全でありなさい! 私の家が清く、キラキラと輝くように。正義の露があなたたちに降り、この厚い雷雲を溶かし、遠くへ散らし、私の光が貫いてすべての暗やみと悪は消え去るように。太陽を向く花のようでありなさい、そして私の温かな光があなたたちの聖性、清らかさ、完全さと愛を甦らせるようにさせなさい。私、主が愛するように互いに愛し合うという私の掟に、いつも従いなさい。限りなく、私、主イエス・キリストは、あなたたちを愛している。私の訪れは間もない、皆を祝福する。

あなたのうちに私の霊が息をするのを許しなさい

1988年7月27日 ノート26

主よ?

私です、ジェームズ神父と一緒の時私を識別し、喜ばせてほしい、私は現存し、耳を澄ませている、あなたたちのさ中にいて。試してみなさい。

(努力しています)

もっと努力して、私の指示に従い、私を心にしっかりと閉じ込めておきなさい。

はい、主よ。

行うすべては私のために、私だけのためにしなさい。さあ、時にふれ私の現存を思い出させる、みじんも疑わないように、仕事として与えたものを見極めるようにしなさい。私にすっかり倚りかかり、謙虚さのうちに働きなさい。だけが見えるよう、自分を完全に打ち消し、無であるあなたのうちに私の霊が息するのを許し、こうして悦ばせてほしい、私がすべてを与えた。私を感じ、完全に私だけのものとなるよう、この世から全く自分を離脱させなさい、私、主があなたの師、そして英知からみことばが発している。「私たち」? あなたの聖家族と、ともに。

はい、主よ、はい、聖なるお母さま。

悪い僕のたとえ話

1988年7月26日 ノート26

ジェームズ神父がスイスに到着なさいます。

主よ?

私です、ヴァスーラ、あなたをジェームズ神父と一緒に連れて行き、私の教会がどのような状態に置かれているかを示そうと思う、それは残虐に傷つけられている……時を待たずに教会の基は揺さぶられ、引き続いて、それを傷つけ、私の体を害する目的で集まったすべての人が根こそぎにされよう。その苦難は始まったばかり。エルサレムの城壁は崩れ落ち、塵の山となり、そこに新しいエルサレムを打ち建てる、それを再び建て直すのは、主なる私、その城壁を新たにし、皆が新しい屋根の下に暮らせるように美しく飾る、新しい天と新しい地のもとで、そして愛は愛として戻り、あなたたちのさ中に住む、私はあなたたちの神となり、私の名のもとに、皆平和に暮らす、霊が聖性と清らかさに満たされて。そう、ヴァスーラ、上から稲妻のように降って完全に新しくする。彼らが私の家を荒廃させ、それを略奪してしまったために、来たるべき困難は多い、分かるか、ヴァスーラ、ちょうど召使いに家督を任せる家主のように、召使いたちは主人の家を守り、泥棒を見張っている義務が課せられていたが、自分たちの無頓着と不注意により、その命令に背いた。主人が戻ってくると僕たちは寝ていて、その間家は荒らされ、貴重品は盗まれていた。この僕たちは命令に背いて反抗しがゆえ、主人が戻って来た時にこの者たちは厳しい扱いを受けるだろう。私が戻ってくると、家は荒廃し、私の基本的な教えが欠けているのを見いだそう、小羊たちは散らされ、餓え死にしていよう、ああ、ヴァスーラ、どれほど多くを建て直さねばならないか……私自身の手で植えた百合や薔薇の代わりに棘と茨がはびこってしまい、彼らは次々と私の花を窒息させていった、助長した彼らはサタンに力を得て私の花* を取り囲み、罠にかけようとしている、日ごとに近づき今やあまりに迫っているため、彼は邪魔をされ、毒ある刺し傷を感じている、それらの棘は彼の息を詰まらせよう。ペトロは罠にかけられ、力なくそのただ中に立っている。

* ヨハネ・パウロ二世。

ヴァスーラ?

はい、聖なるお母さま。

信じなさい。このすべてが起こっているのです、息子の体からはさらに激しい血が流されるでしょう。ペトロの最後が近づいています、愛が見当たりません。