ノート30のメッセージ

ゆるしなさい

1989年1月22日 ノート30

主よ?

あなたとともにいる、子よ。あなたに示すやり方に従いなさい。識別と真理の霊がいつも来てくださるように祈り、彼らに迫害されても確固としているように。私とあなたの聖母に手を伸ばしなさい。ヴァスーラ、私が与えたものにしっかりつかまっていなさい。私自身の者たちが預言者を非難し、不当に扱うのはあなたが最初というわけではない。いいや、違う。最も親しい友こそが、一番深い傷を負わせるものだ。彼らは理解していない、自分たちが何をしているのか分かっていない。彼らは心を悩ませている。私の子よ、私があなたを選んだという事実に悩んでいる。私が悲惨な者に近づき、しかも彼女を愛せるということに悩んでいる。慈しみの深淵である私の心が分かっていない。

彼らの多くは復讐心を燃やしている。御父に日ごとの祈りを唱える時、自分たちが人をゆるように、自分たちの罪もゆるしてくださいと、曇りない良心をもって来るだろうか? 今日に至るまであなたを赦さずにおきながら、どうやって御父にゆるしを請えるのか? 彼らはあなたを裁くことをためらわない、平和を希求するが平和はなく、一人も自らの邪悪さを悔い改めてはいない。平和への熱意はどこにあるのか、一致への願いはどこに行ったのか? もし今日あなたたちが分裂しているとすれば、それはあなたたちの邪悪さのためであり、容赦しない霊のためである。

愛はどこか? あなたたちのうちには少しでも愛が残っているだろうか、被造物よ、あなたたちのうちに知恵はもう残っていないのか? 主である私は、あなたたちの最も小さな者にも与えると言った、そして異国の言葉を話す人びとを通して、異邦人の唇を通して国々に語りかけると言った、しかし彼らはいまだに聞こうとはしない。

私のヴァスーラ、心配するな。迫害はいつもあるだろう。あなたは、愛する者よ、私が与えたものにしっかりつかまっていなさい。私の聖霊に動かされているゆえに、あなたはいまや私の娘である。それゆえしがみついていなさい、固く立ちなさい。あなたを見捨てることは決してない。

イクトゥス

私に示してくださいました慈しみと愛ゆえに、神に栄光!

安心していなさい、あなたはアッバの腕の中にいる、「私たち共に」?

はい、永遠に。

私と親密であってほしい 私の羊飼いたちは清くあってほしい

1989年1月17日 ノート30

(自分は後退していると感じます、そこでイエスに祈りました、私を引き上げてくださるように、そして主を識別してみ声を聞くように教えてくださった黙想の仕方を思い出させて下さるようにと)

イエスよ?

私である。

花よ、どのように黙想し、私の声を聞くかを思い出させよう。私、みことばは、あなたに霊感を与え、英知をもって教え導く。心を開きなさい、心をすっかり開いて、私の霊が満たすことができるようにせよ。そうだ、黙想しなさい、それ以外に、どうやって私に届くことができるだろうか? 沈黙のうちにあなたの魂を私にまで引き上げなさい、信仰をもって。あなたの意志を私、あなたの父に献げなさい、そうするなら、あなたの必要を知る私が導き、養う。それゆえ働きなさい、小さな者よ、もっと熱心に取り組むように。

主よ、やってみています。

私と話して、喜ばせてほしい、私に祈るように、祈りなさい、祈りなさい、求めているのは祈りだけだ。

あなたと共に書くことも、祈りの一つの形ですか、主よ?

そう、なぜなら、あなたは私、全能の神と会話を交わしていることになるからだ。一緒にいる時を喜んでいる、あなたの神、私と絶えず結ばれるよりも素晴らしいことがあるだろうか? 私は今あなたと結ばれている、私とあなた、あなたと私、共に愛の一致のうちに。

ああ、ヴァスーラ、平和を、私の子よ。このメッセージをすべて、あなた自身で書けたなどと想像できるだろうか? 私は少しの間だけ、私の顔を隠した、私なしには、あなたは知恵の言葉を一語でさえも書くことができないことを感じさせ、分からせるために。私は啓示である、語りかけ、与え、教え、隠されていたことを明らかにし、よみがえらせ、神を持たない人びとを養う。

私のヴァスーラ、私と共にいて幸せか? あなたが誰のものか分かって嬉しいか? 私は神、生ける神、あなたの創造主。私は愛、私はあなたの父、今語りかけている、私は至聖なる三位一体。私に身を献げなさい。

あなたが全くの無であるにも関わらず、私はあなたを追い求めた、恋人が乙女を追うように。私を愛し、私のわざを分かち合うようにと説得した。あなたが何者でもないことを気にしてはいない、私は自ら充足している、しかし、私はあなたを私の光のうちに置くことを喜び、私の広間に置くことを喜びとする。あなたを養い、飾るのを喜びとする。私の子よ、分かるか? 私を悲しませないでほしい1、父親はいつも子どものそばにいるものだ。私といつも親密でいなさい、だが私が聖であることを決して忘れないように。あなたを愛している、聖い心で私を愛しなさい。

私の掟を尊びなさい、掟を尊ぶなら、私を尊ぶことになる。私の掟を愛しなさい、掟を愛するなら、私をも愛することになる。私の掟に従いなさい、掟に従うなら、私に従うことになる。私の掟は、あなたを私の家にいる私のもとに導く、そこはあなたの家でもある。 私に信頼しなさい、私の力は大いなるものだからだ、「私たち」?

永久に、主よ。

私を称えなさい。

主よ、あなたに読み上げる賛美の章を聖書の中から見つけてください。

そうしよう、聖書を開きなさい。

(そうしました。開いたところはダニエル書3章52─90節でしたので、主に向かってそこを読み上げました。主は喜んでくださいました)

(祈りの集いのためのメッセージ。2月17日のために書かれました)

あなたたちに平和があるように。私の言葉は光である。私の言葉は平和であり愛である。私の言葉は一致であり希望である。私のもとに来て、もっと頻繁に私の言葉を読みなさい。

愛する者たちよ、私はイエス、慈しみ深い者、あなたたちの救い主イエスである、私の言葉を刻むために、この弱い道具を通してくだっている。私の無限の愛とあり余るほどの慈しみゆえに、この暗やみの中に降っている、あなたたちに私の霊を注ぐために、この荒野と不毛の地に降っている。被造物よ! この乾いた土地をかんがいし、渇いた大地に川を通すために私は降って来た。私の祝福を、夜明けの露のように、あなたたちに注ぐために降って来た。この悪のすべてを一掃し、不正を根こそぎにして、平和と愛に置き換えるために来た。今日、私の唇は愛に飢えて渇いている、あなたたちの愛が必要だ、私は愛に渇く、愛に渇く……私の聖心はどれほど、あなたたちに私を愛することを学んでほしいと願っていることか! あなたたちがいつの日か愛の頂点に達し、「お父さんアッバ!」と叫ぶのを、どれほど聞きたいと願っているか! そうするなら……それだけで、私の傷は癒えはじめるだろう……

私の司祭たちが、私の無限の愛から汲み上げ、彼らの心を満たすことをどれほど待ち望んでいることか! 彼らに対する私の愛は大きい、あまりに大きいため、天国に入るまではその豊かさを理解できないだろう。献身を旗印とし、忠実さを松明に、清さを礼装に、そして愛を紋章としなければならない。そうすれば子羊たちは彼らのうちに私を認め、私の姿をはっきりと見ることができる。私の羊飼いたち、彼らには清くあってほしい、そうするならその清廉さのうちに、彼らの果実は完全となる。

私の聖心を歓喜させ、掟を完全に守りなさい。愛するとは私の掟に従うこと。互いに愛し合いなさい。ああ、私の光の子たちよ、私のことばを生きなさい、私のことばを生きなさい …… 私の平和を受け取ってあなたたちのうちに置きなさい、愛を受け取ってあなたたち自身を満たしなさい。もしあなた自身を私に開くなら、あなたをすっかり新しくしよう。私を信頼し、私のところに来なさい、あなたたちから新しい国を、清らかな国を作り出そう! 私のメッセージを生き、私のメッセージを黙想しなさい。

愛をもって私のところに来なさい、私の足跡をたどりなさい、それは私の家の中まで続いている、そこはあなたの家でもある。恥ずかしがってはいけない、たとえ不完全であっても、私はあなたに腕を広げよう。たとえあなたの愛が生ぬるくても、私の腕の中に倒れて来なさい、そうすれば愛の主である私が、私を愛するように、互いに愛しあうように教えよう。

私のもとに来なさい、私を愛さない者であっても、あなたたちをゆるした。来なさい、そうすれば癒やそう。見ないで信じるあなたたちは皆幸い、私の小さな魂たちは幸い、そのような者たちを特別に愛しているゆえに。小さく単純なままでいなさい、決して何者かになろうとしてはならない。小さなままでいなさい、私の聖心の深淵に忍び込むことができるように。幼子のような信仰を持つ子どものようでありなさい、これこそ御父が喜ばれることだからだ。

決して祈りを止めてはならない。私を喜ばせ、心から祈りなさい。一致、私の体の一致のために祈ってほしい、教皇と総主教のために祈ってほしい。すべての司祭のために祈ってほしい、ペトロに導かれていない羊が、ペトロのもとに戻って和解するように祈りなさい。一人の牧者のもとに一つの群れとなるように祈りなさい。あなたたちの間に平和、一致と、より大きな愛があるように祈りなさい。一つの聖櫃を囲んで私を賛美できるように祈りなさい。一致して、愛する者たちよ、一つになりなさい。御父と私が一つであり、同じであるように。

あなたたち皆を祝福する。

サタンは自分自身に対立できるだろうか?

1989年1月13日 ノート30

イエスよ? ある司祭が、お与えになっているあなたのみわざを心霊術だと言っています。どうか助けてください。

ヴァスーラ、あなたを助けよう。あなたを悪から救い出してくださった神に栄光。あなたを疑い、あらゆる誹謗中傷を浴びせる人びとには、善い木は善い実を結ぶという聖書の私の言葉を思い出させなさい。平和を、私のヴァスーラ。人びとがあなたを傷つけ迫害するなら、歓びなさい、あなたの天での報いは大きい。

愛する者よ、これらの業は私、主からのものではなく、心霊術やオカルトによるものだと言い張る人びとには、こう尋ねよう、サタンは自分自身に対立できるだろうか? もしサタンが自分自身に対立するなら、その王国はどうやって建っていられるだろうか? ――あなたの上には私の恵みがある、私の子よ。しかし彼らは理解していない。

主よ、この人びとはメッセージを読んだこともなければ、私に会ったこともないのに、私を非難して裁きます、そしてあなたのメッセージを通して多くの人びとが回心したことも信じたがらないのです。彼らは信じてくれません!

それは耳があっても聞こうとしないからだ。ヴァスーラ、私は時の初めからずっと預言者たちを送ってきた、しかし多くが虐殺され、迫害を受けた。人間は変わっていない。

主である私は言う、誰かが人びとの前で公然と私を支持するなら、私自身が神の天使たちの前でその人を公に支持する。しかし、もし人びとの前で私と関わりは無いと言うなら、私もまた、天使たちの前でその人を自分のものとは認めない。私と共にいない者は誰であろうと私に逆らっているのであり、私と一緒に集めない者は散らしている。

すべての世代に宣言する、私の業は決して絶えることがないと。私の霊は本当にあなたたちの間にある。永遠の愛をもってあなたたち皆を愛している、そしてこの愛ゆえに、私の聖心はあなたたちが滅びることを受け入れない。私の業を認めなさい! 霊を識別しなさい! 聖書は語る、預言する者は、人びとの向上、励ましと慰めのために語る1と。私の聖心は、あまりにも誤解されているが、愛と慈しみの深淵である。あなたの時代は死んでいる。しかし私、復活である者が、この時代を生き返らせる。耳があっても聞くのを拒む司祭たちのために祈りなさい、彼らへの私の愛は大きい、しかし彼らが私に与える苦しみと悲しみもまた大きい …… 私の十字架を分かち合いなさい、私の子よ、戦いはまだ終わっていない。主である私は、終わりまであなたと共にいる。「私たち」?

はい、主よ。

共に?

はい、私の主よ、いつまでも永遠に、アーメン。

(ダマスキノス大主教とお会いするために、1月16日に世界教会協議会に招かれました。この方はメッセージについて聞き、研究することを望んでおられました。イエスは、教会の一致を祝うまさにその週に、私をお遣わしになりました。これは一つのしるしです。この祭日は1月18日に行われるのですが、この日は聖ペトロの司教座の祝日であり、私の誕生日でもあります。1987年5月20日のことを思い出します、支持してくれる司祭がまだ一人もおらず、このことを知っていて支持してくれるのは一握りの友人たちだけだった時のことを。イエスが教会や将来起こる一致について口述されると、私は苛立って、どうやってこのメッセージをしかるべき人びとの耳に届けるのでしょうか、私はただのよそ者で、アジアに住んでいるというのに、と尋ねました(当時は世界教会協議会についても何も知らなかったことも告白しなければなりません)。イエスは単に言われました、「そうなる」と(1987年5月20日)。―――「そうなる」というお言葉が、まさに1月16日に実現したのが分かりました。彼らがメッセージを受け入れるかどうかはまた別の話ですが)

私の反射となりなさい

1989年1月10日 ノート30

(集いへのメッセージ)

主よ!

私です。

私があなたたちに求めるものは、きよさのうちに祈ることだけ。絶え間なく祈り、心から祈りなさい。互いに対して善良であるように。私の反射となり、私の神性の似姿となりなさい。私の聖性と清さを反射する鏡のようでありなさい。世があなたたちを見て、あなたたちが私のものであり、愛の子であることが分かるようにしなさい、主の霊のあるところには、聖性と愛があり、光があり、輝きがあるからだ。それゆえ互いに愛し合いなさい、あなたの敵を愛しなさい! 完全でありなさい! 天の御父が完全であるように!

あなたたち皆は幸い、新しく来た者たちは幸い。まことに言う、私は永遠のいのちへの扉である。私を信じる者は、死んでいたとしても生きる。私は復活である。私の平和を受けなさい、私の平和を与えよう、受け取ってそれを世に広めなさい。私の子らとなり、すべての魂があなたたちのうちに私を認めるようにしなさい。

(主がご自分のメッセージを公に出すように求められるちょうどその前に、ある方が私のところに来られて、美しいファティマのご像(高さ70センチ)をくださいました。――私のすべての公の集会に同行するのに間に合うように、聖母が到着されたのだと分かりました。 ローザンヌ郊外で企画されたある集いでは、主催者側ですべて準備するので、ファティマの聖母像は持ってこないでくださいと言われました。その同じ晩、夢の中で、ファティマの聖母がご像として私の方を向いておられるのを見ました。私の集会に同行するために聖母が来てくださったことを私が理解できていたかどうか、しるしを下さいと訊ねました。そう言った途端、聖母は腕を広げて私をかたく抱きしめ、そのまま留まっておられました。その朝、目を覚ますと、ファティマの聖母がこう書かれました。「どうか、私を置いていかないで、一緒に連れて行ってください!」 )

ヴァスーラ、私の平和を受けなさい。主があなたに与えておられるしるしを読み、識別して、それに従ってください。

どうか、しるしに気がつくことができるようにお助けください。

助けています。

ありがとうございます、聖なるお母さま。

(昨日、私のことを耳にしたある司祭の反応を聞きました。こう言われたのです。「彼女から離れなさい、とんだくわせ者だ!」どういうわけか、私はその発言を気に入りました。なぜかというと、イエスがファリサイ派の人たちに偽預言者と非難されたのとまさに同じく、私も詐欺師と非難されていたからです。そしてそれは、主が与えてくださったメッセージを思い出させるものでした(1988年12月7日)。私は非難され、迫害され、批判されるとイエスはたびたび言われました。これはそのお言葉を証明したに過ぎません。主のために非難され、迫害を受けることができて幸せに思います)

私の子よ、あなたを非難し、裁く人びとのために祈りなさい、彼らが心を開くように祈りなさい。主のあわれみのしるしを見分けることができない、あのすべての魂たちのために祈るように。

私のそばに留まりなさい。「私たち、共に」?

はい、「私たち、共に」。

戸を叩くのを決してやめない 隣人を自分のように愛せよ

1988年12月28日 ノート30

(これはグループへのメッセージです)

私は主である。

私の花たちよ、安らかであるように。あなたたちの主、私は平和なのだから。私の愛する被造物よ、どれほど愛しているか! あなたたちは 私にとって大切なもの。花たちと名づけたあなたたちよ、成長しなさい、神なる私の光のもとで成長し、まだ私の光を見ていない、兄弟たちのために、祈りなさい。彼らの回心を祈りなさい。

花たちよ! あなたたちに水を注ぐつもりだ、そう! 小川は川となり、川は平和と愛の大海へと、ひろがって行く。私の光を、遠くいたるところに放ち、「教えを預言のように注ぎ、これを来たるべきすべての世代に、遺そう1」と言ってきた。私はあなたの慰め主、あなたを最も愛する者。花たちよ、あなたは暗やみの時代に、生きており、この暗やみは苦しみ、災難と荒廃しかもたらさない。この時代には、多くの人が、神聖なものに対する感覚を失い、自分勝手に暮らし、善と悪を区別できないと、書かれてある。

花たちよ、魂が自らを唯物主義で満たし、世の与えるものにしがみつくなら、この時、闇で自らを満たすことになる、聖なるものの場が失われ、私の霊が、そこで育つ場もなくなり、真理の場も、私の光射す場もなくなる。魂は暗やみの中で暮らす。

この若い世代のほとんどが霊性を欠き、みことばに耳を傾け、私を神と認めるのを拒むのは、そのため。天来の真理を手放し、物質的なものを追い求めているため、退廃的な情熱を追ってしまう。私の花たちよ、身内の一人が、この暗やみの中を歩んでいて、絶えず深い眠りの中にいるのを見て、多くのあなたたちが苦しんでいるのを知っている! しかしあなたたちに言う、主である私は、彼らの戸口に立ち、振り向いてくれるまで、いつまでも外で戸を叩いている。叩くのをやめてしまうことも、見放すことも決してない! 永久の愛をもって、あなたたち皆を愛している、この愛が、あまりにも誤解されているのです! 

負うているすべての問題を持って来て、それを私に献げて休みなさい、来て、私に倚りかかりなさい、私は慰め主、あなたを慰め、平和を与える。あなたのやさしい、救い主のもとに来なさい、傷を癒やそう。私に呼びかけ、祈ることに、疲れてしまわないように、いつも共にいる。あなたたちを愛し、一人ひとりを祝福し、家族全員を祝福する。

(後ほど、聖母より)

子どもたちよ、イエスに近づきなさい、皆を十字架の上からお呼びです、あなたを愛されるように、互いに愛し合い、イエスをお喜ばせなさい、掟のすべてはただ一つの命令に要約されるからです:「隣人を自分のように愛せよ2」 

御心のうちに平和と愛を見いだし、その平和と愛を受け取って、あなたたちの間にひろめ、神ご自身の愛で、世界中を満たしてください、私の子の与えているこの歓びで、自らの心を満たすように、小さな者たちよ、祈り、祈って、神と語らいなさい、天の御父と絶え間ない繋がりを持ち、熱心に祈りなさい、あなたたちの祈りが御父に届くよう、愛を込めて祈り、あなたたちの祈りを感じていただきなさい。

ああ、子どもたちよ、あなたたちをどんなに愛していることでしょう! いつもともにいます、私は今ここに、あなたたちと一緒にいます、そしてこの場を離れて、あなたたちが家に入る時も一緒です。私たちは常に現存し、永遠にそうあるでしょう。父と子と聖霊の御名によってあなたたちを祝福します。

「私たち共に」

(主はガラテヤ書5章と6章を集会で読むように仰しゃいましたので、そうしましょう)

明日を心配しないように

1988年12月27日 ノート30

イエス様?

私です!

ああ、あなたに求めるのは愛だけ。私のメッセージを広め、栄光を称えなさい。集会で私の愛を現しなさい、ヴァスーラ、次に何があるのかと、肩越しに見ようとせず1、今日与えているものを見ていなさい、

主よ、計画を立てるのは間違っていますか?

明日を心配しないようにと言った。心配しないで信頼していなさい。分かってほしい、あなたのうちに私の居場所を残してくれるなら、私のわざを自由に行える。いつの日か十分に分かってほしい、あなたの持つすべてが私に由来し、私のわざであってあなたのわざではないと。私なしには一瞬のまばたきさえできないと分かってほしい。だからあなた自身を、私に委ねなさい。あなたの自己本位に自ら欺かれないように。あなたを愛している、そして倒れさせはしない。

私を熱望し、ほかの何も求めないように。今あるもの、そして私が与えるすべてを受け入れなさい。ゴシップに耳を貸してはいけない。私に頼っていなさい、これが私のわざです。自己本位でいるなら、いつも誤った方向に連れていかれる。あたかも自然に生じているかのように、物事が起るがままにさせなさい、それが私の働き方。物事や出来事を「急立て」ないように、「急立て」るなら、私は追いやられてしまう、だから、無のままであり続け、全てを私からやって来させなさい。

主よ、「霊感」と「自己本位」をどうやったら区別できるのでしょう、難しいのです。

愛する者よ、これを教えよう:何かを為そうとする時、その一歩一歩を、まず私のもとへと向けなさい、私のもとへ来て相談し、導きと助言を聖霊に、祈りなさい、あなたのすべての企て、そのすべての局面で、まず私のもとに来るなら、あなたを導く、決して勝手な計画を立てないように。

ヴァスーラ、識別を求めて祈りなさい。急いではならない、あなたの生まれるはるか以前に私の計画を敷いた。娘よ、世界に向けて私のメッセージを伝えるようにとあなたを任命した、しかしぜひ忘れないでほしい、彼らを説得するようにとは頼んでいない。耳あるものは聞きなさい。では私のすべての指示を忘れないように、花よ。

「私たち、共に」?

はい、わが主よ。

子どもたちを愛している

1988年12月26日 ノート30

イエス様! 今日やっと、誰でも直接主に祝福をお願いできるのだと本当に分かりました。私を祝福してくださいと言えるのですね。自分自身のためでなく、ほかの人のためにしか祝福をお願いできないと思っていたのです!

あなたをみじめな者と言った……ヴァスーラ、あなたを何百万回も祝福してきた、気づかなかったか? 頼まれたことはなかったが、祝福してきた。あなたの無知は、子よ、絶えず私を戸惑わせる。無力なあなたのところに飛んで行き、心に引き入れようと、ますます夢中にさせる。私は子どもたちを愛している

あなたの師、そして導き手として、私を自由にさせてくれるように。私を師として、頼り切ってほしい、そうするなら、その時初めて、私の手のうちに身をすっかり委ねることになり、私の意思を行うことになる。

私は愛

1988年12月24日 ノート30

(降誕前夜)

イエス様?

私だ、愛する者よ。

今夜は御降誕の前夜です。
主よ! とても喜んでいます、
愛するお方よ、聖なる者の中の聖なるお方!
私たちの主に賛美!
ああ、神よ、私をあなたの聖性の中に溶かし、
聖なる生き方を教えてください。
永遠なるお方よ、あなたの清さのうちに
私を溶かし、清めてください。
愛するお方、あなたの子どもたちを聖化し、
皆を一つの囲いの中で結束させてください、
一つの聖櫃の周りであなたの栄光をたたえ、賛美できますように。
私たち皆の上に真理の霊が降り、
真理へと導いてくださいますように。
あなたの光がこの暗がりの中で導き手となり、
あなたの再臨の日までに、私たち皆を一人の牧者のもとに導いてくださいますように。
主よ、来てください!

ああ、愛する魂よ、まことに皆を一つの囲いの中に入れ、私自身の腕がその柵となり、私の聖心が住まいとなる。愛は愛として戻る、そう、まこと愛する者たちよ、私の再臨のために祈りなさい。私は愛、いのちの至高の源、あなたの救い主、私のもとに来なさい、来なさい……

はい、主よ。

私の子どもたちを気も狂わんばかりに愛している

1988年12月21日 ノート30

主よ、メッセージに含まれる愛を取り違え、センチメンタルな愛と同レベルに見なす人もいて、きっとお悲しみでしょう! 主よ?

(一つ二つ、こういった意見を聞いたのです)

私である。この時代、私の愛は喜ばれもせず、理解もされていない。私がどれほど私の子どもたちを愛しているか、あなたは知っている1、彼らを気も狂わんばかりに愛している! しかし、この時代の罪は実に深刻で重く、もはやあなたたちの神、私が見分けられないでいる! 彼らのために私が払った代価を忘れてしまったのか。私は卑しめられ、苦しめられ、拷問にかけられて、この上なく苦しい死を自ら進んで耐え忍んだ、すべては愛ゆえに。それなのに、あなたたちをどんなに愛するか、何百万回も繰り返し伝えるのがなぜいけないのか? 私の愛の深さと大きさを理解させようと、私は同じことを繰り返し語っている。そしてあなたたちの心に私の言葉が染み通るまで、繰り返し語り続ける! 私は今でも、受難をもう一度やり直す用意がある。

ああ、被造物よ! どれほど私を苦しませるのか! あなたたちに対する愛は無限である。この愛を分かろうとしてほしい。

私、主がこの一致を強く望んでいる 弁護者

1988年12月20日 ノート30

主よ?

私です!

ああ、神よ。1

ヴァスーラ、私の十字架を、抱きしめてほしい! 私と分かち合うように。十字架を通して、私の領域に導く、私の聖心のうちに留まり、その内奥に忍び込むなら、平和を見いだす。

私の子よ、私を見捨てて、この世の富だけに心奪われている、兄弟たちのために祈りなさい、私の十字架を恐れる、迷える魂たちのために祈りなさい……私の教会が一致し、一つとなるように、私の子よ、祈りなさい、どの司祭も私、主が、この一致を強く望んでいるのを理解するように。いかなる分裂も、私からではなく、敵から来ている、私の王国は唯一、聖であるべきもの。

主よ?

私です。

主よ、お与え下さっている啓示を数頁読まれた幾人かのギリシャ正教の司祭は、一致について同意なさいません、教皇との一致だと分かると直ぐ、アレルギーを起こし、この啓示は悪魔からのものだと仰しゃいます。

ギリシャ正教のある婦人が、この啓示を読んでから善意で、カトリックの教会を訪ねました。彼女の聴罪師はそれを聞いて、啓示は悪魔からだと決めつけ、彼女を破門してしまいました! 一致のことなど耳にしたくなかったのです! でも多くのギリシャ正教徒は、あなたの啓示を読んで理解し、あなたがそれを望まれていることを受け入れています、ただギリシャ正教の司祭方が腹を立ててしまわれるのです!

このすべてを私が知らないと思うか、私の子よ? 私の思いは彼らの思いでなく、私のやり方は彼らのやり方でない、彼らの罪は私の上に重くのしかかり、彼らは物事がもはやはっきりと見えていない……一致は上から与えられる、今のあなたたちは甚だしく分裂し、私の神聖な似姿のようには生きていないがゆえ、私の掟に従わず、その分裂は感染し、広がっている、あなたたちの分裂はいつまでも続こう。私が終わらせなければ、それを乗り越えることはできない。

愛が欠けているあなたたちの間で、一致が可能だなどと、どうして信じることができたのか? あなたたちの多くは、鉄の棒のように融通がきかず、頑なだ! しかし私は皆を屈ませ、一つにする! この荒野を湖に、乾いた土地を泉に変える、そして、この新しい地にあなたたち皆を据える。愛する者たちよ、こうして私の地上の王国は天の王国のようになる。私の王国は訪れる、ああ! この新たな時代をどれほど今、恋い焦がれていることか! 私の聖なる名のもとに、皆は全く一つとなって暮らし、命の至高の源である私は、あなたたち皆を再生し、唯一の聖なる民としよう。神である私の似姿を、上から、あなたたちに鏡のように反射させ、聖なる者の中の聖なる者、私が、あなたたちを再び生き返らせたのだと理解させよう。

聖書は成就されつつあり、英知は今すぐに、農夫のように、そして種蒔きのように、私の民を耕す。荒れ野を耕し、畑のように変え、私は力強く、平和と愛を実らせる。私はこの世の光、そしてあなたたちが闇に覆われたなら、それを見て直ちにあなたたちのもとに降る。

主よ、あなたが私を通して、このような仕方でご自分を現すことがおできになると信じるのを拒む聖職者たちがいます。この方がたは、あなた、イエスは、すべての真理をすでにもたらされたと言い、聖書以外はお読みになりません。言い換えると、この全ての業は偽りだと言われるのです。

私の名のもとに御父が送られる、弁護者、聖霊がすべてを教え、あなたたちに伝えたすべてを思い出させると言った。新しい教義を与えてはいない。真理を思い出させ、道を逸れて行った者たちを、完全な真理に連れ戻しているに過ぎない。主である私は、あなたたちに思い出させようと忠告を与え続け、弁護者、聖霊は私の言葉を思い出させる方として、常にあなたたちの最中に留まろう。そこで、私の聖霊が話しかけたとしても驚いてはいけない。これらの語りかけは、回心をうながし、私のやり方を思い出させようと、恩寵によって与えられた。

来なさい。私を見たなら微笑みかけてほしい、花よ。

ああ、主よ! 御名が祝されますように、み教えをありがとうございます。

英知の教えをあなたは受けよう、子よ、「私たち、共に」?

とこしえに、いつまでも!