1988年12月のメッセージ

私の子どもたちを受け入れなさい 神の母

1988年12月3日 in ノート29

(12月16日の集会に与えられたもの)

わが主よ?

愛しています。ともにいたいと願っています。
主とともにいて、こんなにおそばに主を感じるこの恵み、賜をありがとうございます。
私を教え、主のもとに引き上げて下さり、ありがとうございます。
神に栄光、主に賛美、私たちの主は祝されますように。

主よ?

私です。幼子の‐ような‐信仰をもって信じ、私の聖心を歓喜させなさい。どうしてあなたを選び、私のもとに引き上げたかを追及しないように …… どうして、誰がとあれこれ考えないで、ただ受け入れなさい、どんな疑問も持たず、私が与えたものをただ受け取りなさい。

ああ、私の子よ! 私は何年も戸口の外に立っていた!

おゆるし下さい、主よ。

ゆるしている。過ぎたことであり、非難してはいない、今は再び一緒であるゆえ、私の聖心が歓んでいるのを、ただ示したい。私を受ける器としてあなたを形造った。だから私の子どもたちを受け入れて、私の聖心を喜ばせなさい、この子たちを受け入れるなら、私を受け入れている、はるばるあなたの戸口にまで連れて来よう、時間を犠牲にしてほしい、この子たちには、私の平和と、励ましが必要です、私と親しく交わるように励ましてあげなさい、しかし、同時に、私が聖であることも決して忘れないようにと。

主よ? これらの集会をお望みですか?

それが私の意思です。しっかりとすがっていなさい、そして導かせてほしい、あなた自身を明け渡すように、私、イエスが先頭に立っている。

主よ、よろしいですよね? これらの集会でメッセージを読んで。

私の栄光を称えている、愛する者よ

ありがとうございます、わが主よ!

私が導いているのを決して忘れないように、信頼しなさい。私を愛する者は、私の愛のうちに成長していき、一方、彼らは私を愛するよう、他の者たちも連れて来るようになる。私の聖心は愛の炎で燃え立ち、その内奥に皆を引き入れようと熱望している。愛に渇く。あなたに求めるのは愛のみ、愛は有徳の木の根だからです

来なさい、私と和解していないすべての者たち、来なさい、来て和解し、私自身の平和を受けなさい、来て、私の愛を共有しなさい、まだ私を理解していない者たちよ、来て、私と和解しなさい1、来て、愛と和解しなさい。私、主イエス・キリストは、あなたに私の光の子となってほしいと願っている、そう、私の平和と愛の弟子となって、私を尊ぶように。

ああ、主よ! ほかのどの時代もそうですが、迫害される者もいるでしょう!

分かっている、私の子よ、心がまだ閉じたまま、心でなく頭で判断する人びとによって、迫害を受ける者もあろう、しかし恩寵により、この人びとの多くも、私の聖心のうちに引き寄せる。小さな花たちよ、勇気を、傍らにいて、目をあなたたちに注いでいる、だから怖れないように、私の平和と愛のメッセージが北から南へ、東から西へと広まっていくのは、私の望み、私を信じなさい、あなたの時代のために、それを秘かに準備してきた。

私はメッセージによって、私の教会が一つになるのを求める、父と私が一つであるように、私の教会も一つとなり、皆が一致して一つの群れとなる必要があるゆえ。守護者として、私の再臨まで真理のうちにあなたたちを護るようにと、ペトロを選んだ、しかし人びとは私に背き、分裂し、自分勝手な決まりを布告した。真に言っておくが、私の‐小羊たちの‐ペトロ、今はヨハネ・パウロ二世である、ペトロに反対する人びとに耳を傾けてはならない……この教皇は私に選ばれ、私の霊に愛された者ゆえに、彼を貶める者たちの声を聞いてはならない、彼らは惑わされたのです。

愛する者たちよ、あなたたちが最近分裂した時は、私の一部が引き裂かれた、そう、彼らは私の体の一部を引き裂いたとは知らなかった、ああ、まこと愛する者たちよ……これは私にふさわしい仕打ちだろうか?……なぜ私の心を引き裂くのか?……神の心をかき乱すのか?……なぜ私の眼をさらに多くの血の涙で満たすのか2?……ちょうど、自らの友らによって不具となってしまった、乞食のように、懇願する、皆ペトロのもとに立ち帰り、一つとなりなさい、父と私が一つであるように。

母を拒むすべての人にも呼びかける3、耳を開いて聞くように、母は天の元后、その名が示す通り、神の母

知らなかった人びとを非難してはいない、真理に連れ戻そうとしているだけです。この世の回心のためにも呼びかける、私の全能を忘れている人びとには、私を自分たちと比べないように4と、呼びかける、皆に思い出させているが、あなたたちは時の終わりに生きている、それゆえ、私の印は増え……聖書が成就されつつある……私は平和と愛、私、あなたの主イエスは、慈しみに満ち溢れ、そう、私の慈しみは本当に大きい。私の慈しみを信じなさい、なお、私が義の神であるのも、決して忘れずに。

私の送る清めは、愛によってなされる。これを誤解したり、解釈を誤って、神からの脅し、とは呼ばないように、脅しではなく、愛ゆえに警告している。まさに注意を子に与え、正気を取り戻すようにと、道理を説く父親のように、私も、道理を説き、あなたたちのある者たちが、いかに誤っており、道を逸れているか、罪によって私の光を妨げ得るかを、示そうとしている。多くが深い眠りに陥っているために、起こしに来た。私の限りない慈しみを通して、死者を甦らせに、皆のもとを訪れよう、あなたたち皆に抱く限りない愛ゆえに、悔い改め、生き方を変えて、聖となるようにと、頼みに来た、私は聖であるゆえ、聖なる生き方をしなさい。

私の平和を与える、あなたが平和のうちに留まり、兄弟にもこの平和を分け与えられるように。

さあ、来なさい、この一年の終わりに当たって、祈りのうちに気を集中させなさい、来て、主である私があなたたちを愛するように、互いに愛し合いなさい。あなたたち一人ひとりに、祝福を与える。

虐げられ、迫害される人びとは幸い 小さな花たちよ

1988年12月7日 in ノート30

(グループへのメッセージ)

(聖マリア)

私のヴァスーラ、私の平和を受けなさい。

愛する子どもたちよ、祝福を与えます。私はこの世に広がっていく霊的な無味乾燥のために、あなたたちと同じように苦しんでいる聖なる母です。気を落としてはいけません、あなたの傍らにいます。イエスの平和と愛のメッセージを広めるよう励ましましょう。

ご覧なさい、イエスはこの弱い道具、ご自分で形造られたか弱い花を通して、ご自身のメッセージを現しておられます。しかし、多くの司牧者は信じるのを拒むでしょう、神の無限の豊かさが、理解できないらしく! 罪人が信じ、回心したのを見ても、信じようとはしません! この罪人たちは牧者たちより先に、天の王国に入るでしょう。

恐れないように、まこと愛する者たちよ。起こっている全てを、あなたの聖なる母は見ています、絶えず励まし、慰めを与えましょう、信仰をもって、いつもイエスに、倚りかかっていなさい。

ヴァスーラ、私の子よ、イエスのために人びとが、あなたを虐げ迫害し、あらゆる悪口をあびせるなら幸いです。歓喜し、喜ぶように、天国で受ける報いは大きい。あなたの前にもこうやって、預言者たちは迫害されたのです、私の子よ1 ……神の今日の印と啓示を、信じている牧者が多くいますが、迫害を恐れて、思いを隠しています。そのような牧者たちは祈り、祈り、祈って、イエスの聖心に勇気を願うとよいでしょう、イエスは勇気をお与えくださいます。

メッセージの最後に、父と子と聖霊の御名によって、あなたたちを祝福します。

(イエス)

ヴァスーラ、私のメッセージを編集しなさい。このメッセージを来た人皆に与えたいと思う。

ああ、私の子よ、私の聖心を、彼らに感じさせなさい! 皆が入って来て、痛みを分かち合ってくれるように、私の五つの傷口は、大きく開かれている! 愛する者たちよ、愛と平和の聖なるメッセージを、あなたたちとすべての民に与えようと、この弱い道具に、自らを現しているのは、あなたの救い主、イエス、私、イエスです。あなたたちに届くことが出来るよう、あえて身を屈めているのは、私の小さな花たちよ、全ての上に立つ主権者、私です。限りない愛と、計り知れない慈しみによって、私の愛と平和を与えにやって来た。

私はこの世の光、そして今あなたたちが暮らす、この世の暗やみの中に、輝こうと訪れた。小さな花たちよ、どの花にとっても、生きるには、太陽の光と陽射しが必要なように、あなたたちにも私の光が必要です、愛のために、愛のうちに生きるには私の愛の陽射しが要るのです、これこそが私の恩寵の豊かさ、気も狂わんばかりに愛している、被造物よ! 祈り、償いと愛の行いを、続けなさい、これら全ての行為は、私の傷の膏薬。愛している、そしてあなたに抱く、この愛ゆえに、あなたの時代が、砂漠となってしまった中で、新たな穀物の芽、平和と愛の種粒が、芽吹くように見届ける。

私は死者の間に降り、この者たちを甦らせ、私の聖なる名を尊び、私を称える、熱心な僕たちとする。小さな花たちよ、あなたたちに語っていた、上から降るだろう新しい地と、愛の時代の、その日々もう間もない。この全ては実現され、こうして、聖書は成就する。

愛する、私の光の子たち、一致して、いつもそばにいなさい、私と一緒にいて、迷える兄弟のために祈り、私の印を拒んで私の聖心を傷めている聖職者たちの魂のために、祈りなさい。平和と愛のメッセージをひろめ、あらゆる民に、それを宣言しなさい。用意の整ったこの収穫2を配り、こうして私を称えなさい、それは多くを養う。

私の眼とあなたの聖なる母の眼は、あなたたちに注がれている、私たちの平和を与えよう、この平和を受け、ほかの者たちと分かち合うがよい。

皆を祝福する。

イクトゥス

祈り方を覚えてほしい ─ 聖く生きなさい

1988年12月16日 in ノート30

主よ?

私です。これが今日の再会に向けたメッセージです。

私の花たちに頼みたいことがある。私の花たちよ、皆に祈り方を覚えてほしい。祈る時は、心から祈りなさい、口先ではなく心からの祈りが必要です。急いで祈らないで、気を集中させてもっとゆっくりと、私を見ながら祈りなさい。私は現存している、私に届く祈りをするように。

絶え間なく祈れるようになりなさい。何時間もひざまずいてという意味ではない、そうではなく、私の現存を覚えておくだけで、絶え間ない祈りとなる。あなたの精神は私のほうに引き上げられる。話

も、行いも、思いも、すべてが私のためになされよう。献身と忠実さが要る。限りなく私を愛し、求めなさい。

私はあなたの救い主、そして慰め主、躊躇しないで、私のもとに来なさい。皆を慰めよう。希望を与えよう。そこで祈りと犠牲を減らしてはならない。絶え間ない祈りのうちに、それを増し加えなさい。メッセージの終わりに、1989年に向けて、主である私はモットーを与える。

「聖く生き、愛をもって悪に報い、

 私があなたたちを愛するように、互いに愛し合うこと」

私は平和と愛、あなたたち皆を祝福する。

集いのプログラム

1988年12月17日 in ノート30

(再会の集いの後に)

わが主よ?

私です。

これほど多くの人が来たので驚きました、130人はいたでしょうか!

ヴァスーラ、以前にも言った。満たされて、あなたたちは多くなる。

主よ、プログラムのことでちょっといざこざがあったのにお気づきでしょう?

このすべてに気づかないはずがあろうか1! ヴァスーラ、反対する勢力があろう、しかし誰にもあなたを踏みにじらせはしない、私に頼って超然としていなさい、これからは、集いのプログラムを組み立て、与えるのは私、あなたに言うべき言葉を与えるのもです。プログラムは上から与えられよう、私は英知、あなたは英知よりそれを受け取る。

書くように:今までもそうしたように、聖ミカエルへの祈りを祈って、まず私の集いを開く場を聖別しなさい。集いはこの言葉をもって始めなさい、「あなたたちに平和」

私の平和を与えるのが私、主であり、これらの言葉は、私の口から発せられているのだと、私の小さな花たちに知らせるのを忘れないように。

それから皆で聖霊に呼びかけなさい。聖ミカエルへの祈りも皆で祈るように、あなたの時代はこの祈りを切実に必要としている。

いつでも聖書から読むべき場所を指示する、前の集会でヨエル3・1-5を読むように指示したと同じように、こうして読むべき箇所を指し示す、あなたはただそれを読んでほしい。それから、なぜこの箇所を選んだかを知らせなさい。次に私の平和と愛のメッセージを、一部分読むように。

どの箇所を読むかはどうやって分かるでしょう?

心配しないように、私が助言し導いているのではないか?

はい、わが主よ。

読んだ後、質問がないか尋ねてみなさい。自由に対話するとよい、あなたに霊感を与える、小さな者よ。

それから、彼らにかかわる私のメッセージを読んでもらいたい。愛を与え、私を喜ばせなさい、終わりに聖なるロザリオを唱えて、私を喜ばせなさい。

誰かが私と話したいなら、受けるべきでしょうか?

愛する者よ、そう、そうしなさい。

ありがとうございます、わが主、イエス。

私、主がこの一致を強く望んでいる 弁護者

1988年12月20日 in ノート30

主よ?

私です!

ああ、神よ。1

ヴァスーラ、私の十字架を、抱きしめてほしい! 私と分かち合うように。十字架を通して、私の領域に導く、私の聖心のうちに留まり、その内奥に忍び込むなら、平和を見いだす。

私の子よ、私を見捨てて、この世の富だけに心奪われている、兄弟たちのために祈りなさい、私の十字架を恐れる、迷える魂たちのために祈りなさい……私の教会が一致し、一つとなるように、私の子よ、祈りなさい、どの司祭も私、主が、この一致を強く望んでいるのを理解するように。いかなる分裂も、私からではなく、敵から来ている、私の王国は唯一、聖であるべきもの。

主よ?

私です。

主よ、お与え下さっている啓示を数頁読まれた幾人かのギリシャ正教の司祭は、一致について同意なさいません、教皇との一致だと分かると直ぐ、アレルギーを起こし、この啓示は悪魔からのものだと仰しゃいます。

ギリシャ正教のある婦人が、この啓示を読んでから善意で、カトリックの教会を訪ねました。彼女の聴罪師はそれを聞いて、啓示は悪魔からだと決めつけ、彼女を破門してしまいました! 一致のことなど耳にしたくなかったのです! でも多くのギリシャ正教徒は、あなたの啓示を読んで理解し、あなたがそれを望まれていることを受け入れています、ただギリシャ正教の司祭方が腹を立ててしまわれるのです!

このすべてを私が知らないと思うか、私の子よ? 私の思いは彼らの思いでなく、私のやり方は彼らのやり方でない、彼らの罪は私の上に重くのしかかり、彼らは物事がもはやはっきりと見えていない……一致は上から与えられる、今のあなたたちは甚だしく分裂し、私の神聖な似姿のようには生きていないがゆえ、私の掟に従わず、その分裂は感染し、広がっている、あなたたちの分裂はいつまでも続こう。私が終わらせなければ、それを乗り越えることはできない。

愛が欠けているあなたたちの間で、一致が可能だなどと、どうして信じることができたのか? あなたたちの多くは、鉄の棒のように融通がきかず、頑なだ! しかし私は皆を屈ませ、一つにする! この荒野を湖に、乾いた土地を泉に変える、そして、この新しい地にあなたたち皆を据える。愛する者たちよ、こうして私の地上の王国は天の王国のようになる。私の王国は訪れる、ああ! この新たな時代をどれほど今、恋い焦がれていることか! 私の聖なる名のもとに、皆は全く一つとなって暮らし、命の至高の源である私は、あなたたち皆を再生し、唯一の聖なる民としよう。神である私の似姿を、上から、あなたたちに鏡のように反射させ、聖なる者の中の聖なる者、私が、あなたたちを再び生き返らせたのだと理解させよう。

聖書は成就されつつあり、英知は今すぐに、農夫のように、そして種蒔きのように、私の民を耕す。荒れ野を耕し、畑のように変え、私は力強く、平和と愛を実らせる。私はこの世の光、そしてあなたたちが闇に覆われたなら、それを見て直ちにあなたたちのもとに降る。

主よ、あなたが私を通して、このような仕方でご自分を現すことがおできになると信じるのを拒む聖職者たちがいます。この方がたは、あなた、イエスは、すべての真理をすでにもたらされたと言い、聖書以外はお読みになりません。言い換えると、この全ての業は偽りだと言われるのです。

私の名のもとに御父が送られる、弁護者、聖霊がすべてを教え、あなたたちに伝えたすべてを思い出させると言った。新しい教義を与えてはいない。真理を思い出させ、道を逸れて行った者たちを、完全な真理に連れ戻しているに過ぎない。主である私は、あなたたちに思い出させようと忠告を与え続け、弁護者、聖霊は私の言葉を思い出させる方として、常にあなたたちの最中に留まろう。そこで、私の聖霊が話しかけたとしても驚いてはいけない。これらの語りかけは、回心をうながし、私のやり方を思い出させようと、恩寵によって与えられた。

来なさい。私を見たなら微笑みかけてほしい、花よ。

ああ、主よ! 御名が祝されますように、み教えをありがとうございます。

英知の教えをあなたは受けよう、子よ、「私たち、共に」?

とこしえに、いつまでも!

私の子どもたちを気も狂わんばかりに愛している

1988年12月21日 in ノート30

主よ、メッセージに含まれる愛を取り違え、センチメンタルな愛と同レベルに見なす人もいて、きっとお悲しみでしょう! 主よ?

(一つ二つ、こういった意見を聞いたのです)

私である。この時代、私の愛は喜ばれもせず、理解もされていない。私がどれほど私の子どもたちを愛しているか、あなたは知っている1、彼らを気も狂わんばかりに愛している! しかし、この時代の罪は実に深刻で重く、もはやあなたたちの神、私が見分けられないでいる! 彼らのために私が払った代価を忘れてしまったのか。私は卑しめられ、苦しめられ、拷問にかけられて、この上なく苦しい死を自ら進んで耐え忍んだ、すべては愛ゆえに。それなのに、あなたたちをどんなに愛するか、何百万回も繰り返し伝えるのがなぜいけないのか? 私の愛の深さと大きさを理解させようと、私は同じことを繰り返し語っている。そしてあなたたちの心に私の言葉が染み通るまで、繰り返し語り続ける! 私は今でも、受難をもう一度やり直す用意がある。

ああ、被造物よ! どれほど私を苦しませるのか! あなたたちに対する愛は無限である。この愛を分かろうとしてほしい。

私は愛

1988年12月24日 in ノート30

(降誕前夜)

イエス様?

私だ、愛する者よ。

今夜は御降誕の前夜です。
主よ! とても喜んでいます、
愛するお方よ、聖なる者の中の聖なるお方!
私たちの主に賛美!
ああ、神よ、私をあなたの聖性の中に溶かし、
聖なる生き方を教えてください。
永遠なるお方よ、あなたの清さのうちに
私を溶かし、清めてください。
愛するお方、あなたの子どもたちを聖化し、
皆を一つの囲いの中で結束させてください、
一つの聖櫃の周りであなたの栄光をたたえ、賛美できますように。
私たち皆の上に真理の霊が降り、
真理へと導いてくださいますように。
あなたの光がこの暗がりの中で導き手となり、
あなたの再臨の日までに、私たち皆を一人の牧者のもとに導いてくださいますように。
主よ、来てください!

ああ、愛する魂よ、まことに皆を一つの囲いの中に入れ、私自身の腕がその柵となり、私の聖心が住まいとなる。愛は愛として戻る、そう、まこと愛する者たちよ、私の再臨のために祈りなさい。私は愛、いのちの至高の源、あなたの救い主、私のもとに来なさい、来なさい……

はい、主よ。

子どもたちを愛している

1988年12月26日 in ノート30

イエス様! 今日やっと、誰でも直接主に祝福をお願いできるのだと本当に分かりました。私を祝福してくださいと言えるのですね。自分自身のためでなく、ほかの人のためにしか祝福をお願いできないと思っていたのです!

あなたをみじめな者と言った……ヴァスーラ、あなたを何百万回も祝福してきた、気づかなかったか? 頼まれたことはなかったが、祝福してきた。あなたの無知は、子よ、絶えず私を戸惑わせる。無力なあなたのところに飛んで行き、心に引き入れようと、ますます夢中にさせる。私は子どもたちを愛している

あなたの師、そして導き手として、私を自由にさせてくれるように。私を師として、頼り切ってほしい、そうするなら、その時初めて、私の手のうちに身をすっかり委ねることになり、私の意思を行うことになる。

明日を心配しないように

1988年12月27日 in ノート30

イエス様?

私です!

ああ、あなたに求めるのは愛だけ。私のメッセージを広め、栄光を称えなさい。集会で私の愛を現しなさい、ヴァスーラ、次に何があるのかと、肩越しに見ようとせず1、今日与えているものを見ていなさい、

主よ、計画を立てるのは間違っていますか?

明日を心配しないようにと言った。心配しないで信頼していなさい。分かってほしい、あなたのうちに私の居場所を残してくれるなら、私のわざを自由に行える。いつの日か十分に分かってほしい、あなたの持つすべてが私に由来し、私のわざであってあなたのわざではないと。私なしには一瞬のまばたきさえできないと分かってほしい。だからあなた自身を、私に委ねなさい。あなたの自己本位に自ら欺かれないように。あなたを愛している、そして倒れさせはしない。

私を熱望し、ほかの何も求めないように。今あるもの、そして私が与えるすべてを受け入れなさい。ゴシップに耳を貸してはいけない。私に頼っていなさい、これが私のわざです。自己本位でいるなら、いつも誤った方向に連れていかれる。あたかも自然に生じているかのように、物事が起るがままにさせなさい、それが私の働き方。物事や出来事を「急立て」ないように、「急立て」るなら、私は追いやられてしまう、だから、無のままであり続け、全てを私からやって来させなさい。

主よ、「霊感」と「自己本位」をどうやったら区別できるのでしょう、難しいのです。

愛する者よ、これを教えよう:何かを為そうとする時、その一歩一歩を、まず私のもとへと向けなさい、私のもとへ来て相談し、導きと助言を聖霊に、祈りなさい、あなたのすべての企て、そのすべての局面で、まず私のもとに来るなら、あなたを導く、決して勝手な計画を立てないように。

ヴァスーラ、識別を求めて祈りなさい。急いではならない、あなたの生まれるはるか以前に私の計画を敷いた。娘よ、世界に向けて私のメッセージを伝えるようにとあなたを任命した、しかしぜひ忘れないでほしい、彼らを説得するようにとは頼んでいない。耳あるものは聞きなさい。では私のすべての指示を忘れないように、花よ。

「私たち、共に」?

はい、わが主よ。

戸を叩くのを決してやめない 隣人を自分のように愛せよ

1988年12月28日 in ノート30

(これはグループへのメッセージです)

私は主である。

私の花たちよ、安らかであるように。あなたたちの主、私は平和なのだから。私の愛する被造物よ、どれほど愛しているか! あなたたちは 私にとって大切なもの。花たちと名づけたあなたたちよ、成長しなさい、神なる私の光のもとで成長し、まだ私の光を見ていない、兄弟たちのために、祈りなさい。彼らの回心を祈りなさい。

花たちよ! あなたたちに水を注ぐつもりだ、そう! 小川は川となり、川は平和と愛の大海へと、ひろがって行く。私の光を、遠くいたるところに放ち、「教えを預言のように注ぎ、これを来たるべきすべての世代に、遺そう1」と言ってきた。私はあなたの慰め主、あなたを最も愛する者。花たちよ、あなたは暗やみの時代に、生きており、この暗やみは苦しみ、災難と荒廃しかもたらさない。この時代には、多くの人が、神聖なものに対する感覚を失い、自分勝手に暮らし、善と悪を区別できないと、書かれてある。

花たちよ、魂が自らを唯物主義で満たし、世の与えるものにしがみつくなら、この時、闇で自らを満たすことになる、聖なるものの場が失われ、私の霊が、そこで育つ場もなくなり、真理の場も、私の光射す場もなくなる。魂は暗やみの中で暮らす。

この若い世代のほとんどが霊性を欠き、みことばに耳を傾け、私を神と認めるのを拒むのは、そのため。天来の真理を手放し、物質的なものを追い求めているため、退廃的な情熱を追ってしまう。私の花たちよ、身内の一人が、この暗やみの中を歩んでいて、絶えず深い眠りの中にいるのを見て、多くのあなたたちが苦しんでいるのを知っている! しかしあなたたちに言う、主である私は、彼らの戸口に立ち、振り向いてくれるまで、いつまでも外で戸を叩いている。叩くのをやめてしまうことも、見放すことも決してない! 永久の愛をもって、あなたたち皆を愛している、この愛が、あまりにも誤解されているのです! 

負うているすべての問題を持って来て、それを私に献げて休みなさい、来て、私に倚りかかりなさい、私は慰め主、あなたを慰め、平和を与える。あなたのやさしい、救い主のもとに来なさい、傷を癒やそう。私に呼びかけ、祈ることに、疲れてしまわないように、いつも共にいる。あなたたちを愛し、一人ひとりを祝福し、家族全員を祝福する。

(後ほど、聖母より)

子どもたちよ、イエスに近づきなさい、皆を十字架の上からお呼びです、あなたを愛されるように、互いに愛し合い、イエスをお喜ばせなさい、掟のすべてはただ一つの命令に要約されるからです:「隣人を自分のように愛せよ2」 

御心のうちに平和と愛を見いだし、その平和と愛を受け取って、あなたたちの間にひろめ、神ご自身の愛で、世界中を満たしてください、私の子の与えているこの歓びで、自らの心を満たすように、小さな者たちよ、祈り、祈って、神と語らいなさい、天の御父と絶え間ない繋がりを持ち、熱心に祈りなさい、あなたたちの祈りが御父に届くよう、愛を込めて祈り、あなたたちの祈りを感じていただきなさい。

ああ、子どもたちよ、あなたたちをどんなに愛していることでしょう! いつもともにいます、私は今ここに、あなたたちと一緒にいます、そしてこの場を離れて、あなたたちが家に入る時も一緒です。私たちは常に現存し、永遠にそうあるでしょう。父と子と聖霊の御名によってあなたたちを祝福します。

「私たち共に」

(主はガラテヤ書5章と6章を集会で読むように仰しゃいましたので、そうしましょう)