サタンは自分自身に対立できるだろうか?

1989年1月13日 (ノート30)

イエスよ? ある司祭が、お与えになっているあなたのみわざを心霊術だと言っています。どうか助けてください。

ヴァスーラ、あなたを助けよう。あなたを悪から救い出してくださった神に栄光。あなたを疑い、あらゆる誹謗中傷を浴びせる人びとには、善い木は善い実を結ぶという聖書の私の言葉を思い出させなさい。平和を、私のヴァスーラ。人びとがあなたを傷つけ迫害するなら、歓びなさい、あなたの天での報いは大きい。

愛する者よ、これらの業は私、主からのものではなく、心霊術やオカルトによるものだと言い張る人びとには、こう尋ねよう、サタンは自分自身に対立できるだろうか? もしサタンが自分自身に対立するなら、その王国はどうやって建っていられるだろうか? ――あなたの上には私の恵みがある、私の子よ。しかし彼らは理解していない。

主よ、この人びとはメッセージを読んだこともなければ、私に会ったこともないのに、私を非難して裁きます、そしてあなたのメッセージを通して多くの人びとが回心したことも信じたがらないのです。彼らは信じてくれません!

それは耳があっても聞こうとしないからだ。ヴァスーラ、私は時の初めからずっと預言者たちを送ってきた、しかし多くが虐殺され、迫害を受けた。人間は変わっていない。

主である私は言う、誰かが人びとの前で公然と私を支持するなら、私自身が神の天使たちの前でその人を公に支持する。しかし、もし人びとの前で私と関わりは無いと言うなら、私もまた、天使たちの前でその人を自分のものとは認めない。私と共にいない者は誰であろうと私に逆らっているのであり、私と一緒に集めない者は散らしている。

すべての世代に宣言する、私の業は決して絶えることがないと。私の霊は本当にあなたたちの間にある。永遠の愛をもってあなたたち皆を愛している、そしてこの愛ゆえに、私の聖心はあなたたちが滅びることを受け入れない。私の業を認めなさい! 霊を識別しなさい! 聖書は語る、預言する者は、人びとの向上、励ましと慰めのために語る1と。私の聖心は、あまりにも誤解されているが、愛と慈しみの深淵である。あなたの時代は死んでいる。しかし私、復活である者が、この時代を生き返らせる。耳があっても聞くのを拒む司祭たちのために祈りなさい、彼らへの私の愛は大きい、しかし彼らが私に与える苦しみと悲しみもまた大きい …… 私の十字架を分かち合いなさい、私の子よ、戦いはまだ終わっていない。主である私は、終わりまであなたと共にいる。「私たち」?

はい、主よ。

共に?

はい、私の主よ、いつまでも永遠に、アーメン。

(ダマスキノス大主教とお会いするために、1月16日に世界教会協議会に招かれました。この方はメッセージについて聞き、研究することを望んでおられました。イエスは、教会の一致を祝うまさにその週に、私をお遣わしになりました。これは一つのしるしです。この祭日は1月18日に行われるのですが、この日は聖ペトロの司教座の祝日であり、私の誕生日でもあります。1987年5月20日のことを思い出します、支持してくれる司祭がまだ一人もおらず、このことを知っていて支持してくれるのは一握りの友人たちだけだった時のことを。イエスが教会や将来起こる一致について口述されると、私は苛立って、どうやってこのメッセージをしかるべき人びとの耳に届けるのでしょうか、私はただのよそ者で、アジアに住んでいるというのに、と尋ねました(当時は世界教会協議会についても何も知らなかったことも告白しなければなりません)。イエスは単に言われました、「そうなる」と(1987年5月20日)。―――「そうなる」というお言葉が、まさに1月16日に実現したのが分かりました。彼らがメッセージを受け入れるかどうかはまた別の話ですが)

  1. 1コリント14・3。