1989年1月のメッセージ

私の被造物は聞こうとしない 反逆者

1989年1月30日 ノート31

私の主よ? ああ、ヤハウェ、どんなにお愛ししているでしょう!!

私である。

花よ、愛している、私の霊はあなたの上にある、私の臨在を感じなさい。私がいなければ、あなたはいまだに死者の間で死んで横たわっていただろう! 私、あわれみの主は、私のメッセージをもってこの神なき民を復活させるために、あなたを甦らせた。

日々は過ぎ去り、時間は途方もない速さで走り去ってゆくが、私の被造物は聞こうとしない! 彼らは暗闇の中に転落し、聞く耳を持たず、私のあわれみのしるしを信じようとはしない! 私は愛とあわれみによってあなたをあがない、私のもとに引き上げ、私の聖心のうちにそっと置いた。私はこの感謝を知らない世代に届こうと、私の聖なる玉座より身を屈め、天から降っている。あなたの手はまだ私の子どもたちの血で染まったままだ。ファティマで与えられた私のメッセージを信じるのを拒んだために流された血で。あなたは当時、その緊急性を信じようとしなかった。そして同じ誤ちを繰り返している今、その頑なさゆえに、新たな血が流されるだろう。

ああ、私の子よ、私自身の者たちの本当に多くが、サタンの煙のために眼がくらんでしまった! 私自身の者たちが怖れることなく反逆し、少しのためらいもない。

彼らは誠実さに欠けている、そして聖性も見当たらない。愛を探してみるが、彼らのうちには何も見出せない。正義は見当たらず、知恵はそれを放棄する愚かさと置き換えられてしまった、なぜなら、その舌は二股に分かれ、裏切りをつぶやくだけだからだ。この反逆者たちは虚栄を自らの冠とするのを許し、不従順をしゃくとすることを受け入れた。彼らのうちに平和は見いだせない、全く。その考え方は私のものではない。彼らは私の都の大いなる破滅と崩壊へと向かっている。

ああ、カインよ! カイン? おまえに授けた霊をどうしたのか? またもや自らの破滅に向かうつもりか? おまえは生まれた日から暴力的だったと知っていた、私にとって今回が初めてではないと知っているゆえに、おまえは大祭司として仮装し、着飾ってやって来た。暗黒の獣から与えられた黒い祭服を隠すために、私の金銀の衣装に身を包んだ。おまえのうちに光はない、おまえはそのおぞましい顔を隠すために、忌まわしい顔の上に仮面をつけた、その外見で、私の選んだ民ですら完全にだますことができるように。その仮面で私を騙すことはできない、私の目は、おまえがその子羊の仮面の裏に広大な破壊を隠していることを知っているからだ。おまえは悪によって完全武装した! そして今、おまえは世界を征服しようと企んでいる、彼らのうちに残るわずかな光を消し去るために。おまえの意図は無法を広げ、聖であるものすべてを根絶し、権力を持つ人びとを排斥し、私の聖所を独占することだ。

私の子よ、この者たちが、ヴィジョンの中であなたに示した毒蛇であり、私の聖なる秘跡の周辺の至る所を、そして私のせいひつの上をはい回っている。彼は多くを欺き、人びとは眼をくらまされるだろう、その偽りの衣装のために。この気の毒な魂たちは、自分たちの時代に目のあたりにするものを、大祭司自身だと確信するだろう! 彼はその壮麗な変装によって、私の教会全体に大いなる棄教をもたらす、彼は荒廃を招くが、全ては奇跡や大いなる前兆、空に現れるしるしによって覆い隠されてしまう。

私の永遠の生けにえを彼は投げつけ、踏みにじり、そして破棄するが、全ては偽装され、悪意のうちに行われる。私の聖なる都はカインの支配下に置かれるだろう、なぜなら、彼らは私の警告を拒んだからだ。私は思いがけない時に素足で訪れた、しかし彼らは私をあざ笑った。私の最愛の魂たちが埋め合わせ、祈り、自らを犠牲にしてくれるおかげで、カインの支配はほんのわずかな期間で終わる。この全てを私は考慮した、あなたたちの犠牲は無駄とはならなかった。悪意と罪は、あなたたちの祈りによって抑制することができる。

主よ、あなたの聖なる方がたはどうなってしまうのでしょう?

まことに悲しいかな、その外観ゆえに、多くは騙されるだろう。小羊の仮面ゆえに、彼は多くを味方につけるだろう、しかしあなたには、彼の内面が実際にはどうであるかを見るのを許した、それは毒蛇のそれであり、死に至らしめる……

ヴァスーラ、私は大いなる雷鳴と私の火によって、この反逆者と手下どもを打ち倒す。偽りによって造りあげられたゆえに、その隠れ家を踏みつけにする、そして虚偽を基礎として建てられたゆえに、その避難所を塵の山としよう。

私はこうして、私のアベルたちを呼び寄せ、大いなる愛をもって抱きしめよう。私の聖心のうちに彼らをかくまう、彼らは純真な鳩のようになり、私の聖心はその住まいとなる。見回しなさい、見えるか? 気づかなかったか、陰謀をめぐらしている私の兄弟がどれほど多いかに? 私の子よ、私は裏切られている。まさに私自身の者たちによって。

主よ、どうして彼らがあなたにそんなことをするでしょうか、多分、彼らはあまりよく分かっていないのです!

私の子よ、彼らは虚栄心と不従順のために目がくらんでいる。

正しいことをしていると心から思っているのでしょう!

私の掟を破っていながら、どうして正しいことをしていると信じられるだろうか! 彼らは不従順であり、不従順は私からのものではない! 彼らは敵の掟に従っている、まさに敵の足跡をたどり、自身の破滅と堕落へと向かっている! 私は東風のようにこの反逆者たちを散らす、見ていなさい。

彼らのために嘆願しなさい。私を愛し、私の義をなだめなさい。魂たちを救うために私のもとへ連れて来て、私に栄光を帰しなさい、私の目はとくに、この暗やみの時代の若者たちの上に注がれている。来なさい、御父に祈りを献げよう。

「ああ御父よ、

あなたの子どもたちをあわれんでください、

特に若者たちを、

この魂たちをとらえ、

あなたの翼の陰においてください、

彼らを悪霊から救い出し、

周りを取り巻く無気力から救い出し、

あなたの真理の聖霊で満たしてください

そしてあなたの光のうちに彼らを引き入れてください

永遠にいたるまで、

アーメン」

来て休みなさい、私の子よ、決して見捨てることはない、彼ら1が、あなたに与えた光を取り上げることはできない。恐れるな、あなたと共にいる。

来なさい、「私たち共に」? 私の現存を感じているか?

はい、主よ、死ぬほどあなたを愛します。

迫害する者たちのまさに目の前であなたを養う

1989年1月29日 ノート31

(昨夜、象徴的な夢を見ました。

人でいっぱいの教会に入っていきました。ミサの最中で、混雑しており、立っている人もいました。香の薫りが立ち込めています。

司祭が箱を持って来ました。箱の中には鳩が入っていることを皆知っています。生きた鳩です。鳩が私たちのまわりを飛んで喜びを与えてくれるように、司祭は鳩を放すことになっていました。鳩が放たれると、私たちの周囲を飛び回りました。自分のところに来てくれるようにと皆が手を伸ばしました。もしそうなれば、それは恵みだと知っていたからです。空色をした鳩は私に向かって飛んで来ました。私は鳩を愛しており、鳩も私を愛していると感じました。鳩に向かって腕を差し伸べると、私の腕の上で休み、指先に止まりました。

私の周囲は畏敬のこもった喜びに包まれました。驚く人もあれば、自分たちのところにも来てほしいと望む人もいました。ところが鳩は再び止まることなく飛びまわり、もう一度私の指先に止まったのです。私は鳩をそっと手に抱き、左ほおの耳もとまで引き寄せると、心臓の速い鼓動が聞こえてきました。その心は高鳴っていました。

──次に、私はある小道を一人で歩いていました。この道の脇には、至る所に見知らぬ小動物がいて、無残にも互いを共食いしていました。途中、私を怖がらせようと、まだ動物を口にくわえたままのネズミがこちらに向かって来ました。怖くはありません。私が「主人」であることをネズミに示そうと、足を速めました。ネズミは分かったらしく、小道の脇に行って背後から一匹のリスを襲い、文字どおり飲み込んでしまいました。それから、私の前方7メートルほど先に、一匹のヘビが、道の端から端まで体を伸ばして道をふさいでいました。私にはそのヘビが見えるようにしていただいたことを神に感謝しました。というのも、そのヘビはセロファンのように透明で、人々には見えないため、踏みつけて噛まれてしまうからです。私はそれを避けてまたいで行くことにしたので、怖くはありませんでした。

突然、私の後ろ、右側から、別のヘビが近寄って来ました。ですがこれはさっきのとは違っていました、このヘビは「攻撃」してきたからです。こちらも透明で、背中に小さな模様がありました。このヘビは私の指ほどに細いものでしたが、長さは3メートルもありました。──私は逃げ場を失ってしまったと思いましたが、その途端、天の御父によって、地面から引き上げられたのです。地上から約3メートルほどまで引き上げられたのですが、それでも私は、その細長いへびが立ち上がって私まで届いてしまうのではと恐れていました。すると天の御父は、私を浮かせたまま前方に運び、すべてのヘビの頭上を通過させ、側に友人がいる地面に降ろしてくださいました。

私たち二人は小道の終点に立っていました。そこには壁があって、行き止まりになっています。何か物音が聞こえたので右の方を向いてみると、最初のヘビが何かを探しているのが見えました。私はヘビが見えていない友人に、「動かないで、じっとしていて」と言いました。この友人が恐怖のために動いてしまうといけないので、ヘビがいると言うことは避けたのです。最初のヘビの近くに、二番目のヘビもやって来るのが見えました。すると腹をすかせていた最初のヘビは、凶暴にも細長いヘビに襲いかかり、不快な音を立てながら飲み込んでしまいました。このヘビはもう眠ることにしか関心がなく、私たちを平和のうちに放っておいてくれるということが分かり、私はほっとして安心しました)

あなたを迫害する者たちのまさに目の前で、私はあなたを養う、彼らに踏みつけにされることがないように、あなたを私のもとまで引き上げる。あなたの上に正義の露を降り注ぐのは私、誰にも、あなたを根こそぎにはさせない、花よ! あなたは私に護られている、あなたのアッバの腕の中にあって隠されている、恐れるな、私はそばにいる、愛があなたを愛している。

愛のために愛をもって宣教しなさい

1989年1月27日 ノート31

私、主が、あなたを愛している。私はあなたの人生において第一の者、そしていつもそうであるように、なぜなら「私はある」のだから。

私の光のうちに留まり、魂たちを連れて来て私を喜ばせなさい。あなたの幼子のような言葉を、私の耳に快く響かせなさい。決して祈りを絶やしてはならない、いつも私の臨在を意識していなさい。いまや私を王として扱うように、愛の花冠を献げ、天に届く香のように祈りを献げてほしい、魂たちをあがなえるよう私に献げなさい、私の聖心のかまどに魂たちを投げ入れることができるように献げなさい、一人ひとりを、愛のかまどの生ける松明へと作り上げたい。さあ、私を称え、愛のために、愛をもって伝道しなさい。

来て私を称えなさい。

惨めな者に目を留め、
私を引き上げてくださったゆえに
主に賛美。
死者の中から甦らせてくださったゆえに
主に賛美。
私たちを悪からあがなうために、
身を屈めて
はるばる降りて来られる神に栄光。
ご自分の子どもたちへの
深い思いやりゆえに、
主は祝されますように。
アーメン。

私から引き出して彼らを養いなさい、来なさい、「私たち共に」?

はい、私の主よ。

ゆるしなさい

1989年1月22日 ノート30

主よ?

あなたとともにいる、子よ。あなたに示すやり方に従いなさい。識別と真理の霊がいつも来てくださるように祈り、彼らに迫害されても確固としているように。私とあなたの聖母に手を伸ばしなさい。ヴァスーラ、私が与えたものにしっかりつかまっていなさい。私自身の者たちが預言者を非難し、不当に扱うのはあなたが最初というわけではない。いいや、違う。最も親しい友こそが、一番深い傷を負わせるものだ。彼らは理解していない、自分たちが何をしているのか分かっていない。彼らは心を悩ませている。私の子よ、私があなたを選んだという事実に悩んでいる。私が悲惨な者に近づき、しかも彼女を愛せるということに悩んでいる。慈しみの深淵である私の心が分かっていない。

彼らの多くは復讐心を燃やしている。御父に日ごとの祈りを唱える時、自分たちが人をゆるように、自分たちの罪もゆるしてくださいと、曇りない良心をもって来るだろうか? 今日に至るまであなたを赦さずにおきながら、どうやって御父にゆるしを請えるのか? 彼らはあなたを裁くことをためらわない、平和を希求するが平和はなく、一人も自らの邪悪さを悔い改めてはいない。平和への熱意はどこにあるのか、一致への願いはどこに行ったのか? もし今日あなたたちが分裂しているとすれば、それはあなたたちの邪悪さのためであり、容赦しない霊のためである。

愛はどこか? あなたたちのうちには少しでも愛が残っているだろうか、被造物よ、あなたたちのうちに知恵はもう残っていないのか? 主である私は、あなたたちの最も小さな者にも与えると言った、そして異国の言葉を話す人びとを通して、異邦人の唇を通して国々に語りかけると言った、しかし彼らはいまだに聞こうとはしない。

私のヴァスーラ、心配するな。迫害はいつもあるだろう。あなたは、愛する者よ、私が与えたものにしっかりつかまっていなさい。私の聖霊に動かされているゆえに、あなたはいまや私の娘である。それゆえしがみついていなさい、固く立ちなさい。あなたを見捨てることは決してない。

イクトゥス

私に示してくださいました慈しみと愛ゆえに、神に栄光!

安心していなさい、あなたはアッバの腕の中にいる、「私たち共に」?

はい、永遠に。

私と親密であってほしい 私の羊飼いたちは清くあってほしい

1989年1月17日 ノート30

(自分は後退していると感じます、そこでイエスに祈りました、私を引き上げてくださるように、そして主を識別してみ声を聞くように教えてくださった黙想の仕方を思い出させて下さるようにと)

イエスよ?

私である。

花よ、どのように黙想し、私の声を聞くかを思い出させよう。私、みことばは、あなたに霊感を与え、英知をもって教え導く。心を開きなさい、心をすっかり開いて、私の霊が満たすことができるようにせよ。そうだ、黙想しなさい、それ以外に、どうやって私に届くことができるだろうか? 沈黙のうちにあなたの魂を私にまで引き上げなさい、信仰をもって。あなたの意志を私、あなたの父に献げなさい、そうするなら、あなたの必要を知る私が導き、養う。それゆえ働きなさい、小さな者よ、もっと熱心に取り組むように。

主よ、やってみています。

私と話して、喜ばせてほしい、私に祈るように、祈りなさい、祈りなさい、求めているのは祈りだけだ。

あなたと共に書くことも、祈りの一つの形ですか、主よ?

そう、なぜなら、あなたは私、全能の神と会話を交わしていることになるからだ。一緒にいる時を喜んでいる、あなたの神、私と絶えず結ばれるよりも素晴らしいことがあるだろうか? 私は今あなたと結ばれている、私とあなた、あなたと私、共に愛の一致のうちに。

ああ、ヴァスーラ、平和を、私の子よ。このメッセージをすべて、あなた自身で書けたなどと想像できるだろうか? 私は少しの間だけ、私の顔を隠した、私なしには、あなたは知恵の言葉を一語でさえも書くことができないことを感じさせ、分からせるために。私は啓示である、語りかけ、与え、教え、隠されていたことを明らかにし、よみがえらせ、神を持たない人びとを養う。

私のヴァスーラ、私と共にいて幸せか? あなたが誰のものか分かって嬉しいか? 私は神、生ける神、あなたの創造主。私は愛、私はあなたの父、今語りかけている、私は至聖なる三位一体。私に身を献げなさい。

あなたが全くの無であるにも関わらず、私はあなたを追い求めた、恋人が乙女を追うように。私を愛し、私のわざを分かち合うようにと説得した。あなたが何者でもないことを気にしてはいない、私は自ら充足している、しかし、私はあなたを私の光のうちに置くことを喜び、私の広間に置くことを喜びとする。あなたを養い、飾るのを喜びとする。私の子よ、分かるか? 私を悲しませないでほしい1、父親はいつも子どものそばにいるものだ。私といつも親密でいなさい、だが私が聖であることを決して忘れないように。あなたを愛している、聖い心で私を愛しなさい。

私の掟を尊びなさい、掟を尊ぶなら、私を尊ぶことになる。私の掟を愛しなさい、掟を愛するなら、私をも愛することになる。私の掟に従いなさい、掟に従うなら、私に従うことになる。私の掟は、あなたを私の家にいる私のもとに導く、そこはあなたの家でもある。 私に信頼しなさい、私の力は大いなるものだからだ、「私たち」?

永久に、主よ。

私を称えなさい。

主よ、あなたに読み上げる賛美の章を聖書の中から見つけてください。

そうしよう、聖書を開きなさい。

(そうしました。開いたところはダニエル書3章52─90節でしたので、主に向かってそこを読み上げました。主は喜んでくださいました)

(祈りの集いのためのメッセージ。2月17日のために書かれました)

あなたたちに平和があるように。私の言葉は光である。私の言葉は平和であり愛である。私の言葉は一致であり希望である。私のもとに来て、もっと頻繁に私の言葉を読みなさい。

愛する者たちよ、私はイエス、慈しみ深い者、あなたたちの救い主イエスである、私の言葉を刻むために、この弱い道具を通してくだっている。私の無限の愛とあり余るほどの慈しみゆえに、この暗やみの中に降っている、あなたたちに私の霊を注ぐために、この荒野と不毛の地に降っている。被造物よ! この乾いた土地をかんがいし、渇いた大地に川を通すために私は降って来た。私の祝福を、夜明けの露のように、あなたたちに注ぐために降って来た。この悪のすべてを一掃し、不正を根こそぎにして、平和と愛に置き換えるために来た。今日、私の唇は愛に飢えて渇いている、あなたたちの愛が必要だ、私は愛に渇く、愛に渇く……私の聖心はどれほど、あなたたちに私を愛することを学んでほしいと願っていることか! あなたたちがいつの日か愛の頂点に達し、「お父さんアッバ!」と叫ぶのを、どれほど聞きたいと願っているか! そうするなら……それだけで、私の傷は癒えはじめるだろう……

私の司祭たちが、私の無限の愛から汲み上げ、彼らの心を満たすことをどれほど待ち望んでいることか! 彼らに対する私の愛は大きい、あまりに大きいため、天国に入るまではその豊かさを理解できないだろう。献身を旗印とし、忠実さを松明に、清さを礼装に、そして愛を紋章としなければならない。そうすれば子羊たちは彼らのうちに私を認め、私の姿をはっきりと見ることができる。私の羊飼いたち、彼らには清くあってほしい、そうするならその清廉さのうちに、彼らの果実は完全となる。

私の聖心を歓喜させ、掟を完全に守りなさい。愛するとは私の掟に従うこと。互いに愛し合いなさい。ああ、私の光の子たちよ、私のことばを生きなさい、私のことばを生きなさい …… 私の平和を受け取ってあなたたちのうちに置きなさい、愛を受け取ってあなたたち自身を満たしなさい。もしあなた自身を私に開くなら、あなたをすっかり新しくしよう。私を信頼し、私のところに来なさい、あなたたちから新しい国を、清らかな国を作り出そう! 私のメッセージを生き、私のメッセージを黙想しなさい。

愛をもって私のところに来なさい、私の足跡をたどりなさい、それは私の家の中まで続いている、そこはあなたの家でもある。恥ずかしがってはいけない、たとえ不完全であっても、私はあなたに腕を広げよう。たとえあなたの愛が生ぬるくても、私の腕の中に倒れて来なさい、そうすれば愛の主である私が、私を愛するように、互いに愛しあうように教えよう。

私のもとに来なさい、私を愛さない者であっても、あなたたちをゆるした。来なさい、そうすれば癒やそう。見ないで信じるあなたたちは皆幸い、私の小さな魂たちは幸い、そのような者たちを特別に愛しているゆえに。小さく単純なままでいなさい、決して何者かになろうとしてはならない。小さなままでいなさい、私の聖心の深淵に忍び込むことができるように。幼子のような信仰を持つ子どものようでありなさい、これこそ御父が喜ばれることだからだ。

決して祈りを止めてはならない。私を喜ばせ、心から祈りなさい。一致、私の体の一致のために祈ってほしい、教皇と総主教のために祈ってほしい。すべての司祭のために祈ってほしい、ペトロに導かれていない羊が、ペトロのもとに戻って和解するように祈りなさい。一人の牧者のもとに一つの群れとなるように祈りなさい。あなたたちの間に平和、一致と、より大きな愛があるように祈りなさい。一つの聖櫃を囲んで私を賛美できるように祈りなさい。一致して、愛する者たちよ、一つになりなさい。御父と私が一つであり、同じであるように。

あなたたち皆を祝福する。

サタンは自分自身に対立できるだろうか?

1989年1月13日 ノート30

イエスよ? ある司祭が、お与えになっているあなたのみわざを心霊術だと言っています。どうか助けてください。

ヴァスーラ、あなたを助けよう。あなたを悪から救い出してくださった神に栄光。あなたを疑い、あらゆる誹謗中傷を浴びせる人びとには、善い木は善い実を結ぶという聖書の私の言葉を思い出させなさい。平和を、私のヴァスーラ。人びとがあなたを傷つけ迫害するなら、歓びなさい、あなたの天での報いは大きい。

愛する者よ、これらの業は私、主からのものではなく、心霊術やオカルトによるものだと言い張る人びとには、こう尋ねよう、サタンは自分自身に対立できるだろうか? もしサタンが自分自身に対立するなら、その王国はどうやって建っていられるだろうか? ――あなたの上には私の恵みがある、私の子よ。しかし彼らは理解していない。

主よ、この人びとはメッセージを読んだこともなければ、私に会ったこともないのに、私を非難して裁きます、そしてあなたのメッセージを通して多くの人びとが回心したことも信じたがらないのです。彼らは信じてくれません!

それは耳があっても聞こうとしないからだ。ヴァスーラ、私は時の初めからずっと預言者たちを送ってきた、しかし多くが虐殺され、迫害を受けた。人間は変わっていない。

主である私は言う、誰かが人びとの前で公然と私を支持するなら、私自身が神の天使たちの前でその人を公に支持する。しかし、もし人びとの前で私と関わりは無いと言うなら、私もまた、天使たちの前でその人を自分のものとは認めない。私と共にいない者は誰であろうと私に逆らっているのであり、私と一緒に集めない者は散らしている。

すべての世代に宣言する、私の業は決して絶えることがないと。私の霊は本当にあなたたちの間にある。永遠の愛をもってあなたたち皆を愛している、そしてこの愛ゆえに、私の聖心はあなたたちが滅びることを受け入れない。私の業を認めなさい! 霊を識別しなさい! 聖書は語る、預言する者は、人びとの向上、励ましと慰めのために語る1と。私の聖心は、あまりにも誤解されているが、愛と慈しみの深淵である。あなたの時代は死んでいる。しかし私、復活である者が、この時代を生き返らせる。耳があっても聞くのを拒む司祭たちのために祈りなさい、彼らへの私の愛は大きい、しかし彼らが私に与える苦しみと悲しみもまた大きい …… 私の十字架を分かち合いなさい、私の子よ、戦いはまだ終わっていない。主である私は、終わりまであなたと共にいる。「私たち」?

はい、主よ。

共に?

はい、私の主よ、いつまでも永遠に、アーメン。

(ダマスキノス大主教とお会いするために、1月16日に世界教会協議会に招かれました。この方はメッセージについて聞き、研究することを望んでおられました。イエスは、教会の一致を祝うまさにその週に、私をお遣わしになりました。これは一つのしるしです。この祭日は1月18日に行われるのですが、この日は聖ペトロの司教座の祝日であり、私の誕生日でもあります。1987年5月20日のことを思い出します、支持してくれる司祭がまだ一人もおらず、このことを知っていて支持してくれるのは一握りの友人たちだけだった時のことを。イエスが教会や将来起こる一致について口述されると、私は苛立って、どうやってこのメッセージをしかるべき人びとの耳に届けるのでしょうか、私はただのよそ者で、アジアに住んでいるというのに、と尋ねました(当時は世界教会協議会についても何も知らなかったことも告白しなければなりません)。イエスは単に言われました、「そうなる」と(1987年5月20日)。―――「そうなる」というお言葉が、まさに1月16日に実現したのが分かりました。彼らがメッセージを受け入れるかどうかはまた別の話ですが)

私の反射となりなさい

1989年1月10日 ノート30

(集いへのメッセージ)

主よ!

私です。

私があなたたちに求めるものは、きよさのうちに祈ることだけ。絶え間なく祈り、心から祈りなさい。互いに対して善良であるように。私の反射となり、私の神性の似姿となりなさい。私の聖性と清さを反射する鏡のようでありなさい。世があなたたちを見て、あなたたちが私のものであり、愛の子であることが分かるようにしなさい、主の霊のあるところには、聖性と愛があり、光があり、輝きがあるからだ。それゆえ互いに愛し合いなさい、あなたの敵を愛しなさい! 完全でありなさい! 天の御父が完全であるように!

あなたたち皆は幸い、新しく来た者たちは幸い。まことに言う、私は永遠のいのちへの扉である。私を信じる者は、死んでいたとしても生きる。私は復活である。私の平和を受けなさい、私の平和を与えよう、受け取ってそれを世に広めなさい。私の子らとなり、すべての魂があなたたちのうちに私を認めるようにしなさい。

(主がご自分のメッセージを公に出すように求められるちょうどその前に、ある方が私のところに来られて、美しいファティマのご像(高さ70センチ)をくださいました。――私のすべての公の集会に同行するのに間に合うように、聖母が到着されたのだと分かりました。 ローザンヌ郊外で企画されたある集いでは、主催者側ですべて準備するので、ファティマの聖母像は持ってこないでくださいと言われました。その同じ晩、夢の中で、ファティマの聖母がご像として私の方を向いておられるのを見ました。私の集会に同行するために聖母が来てくださったことを私が理解できていたかどうか、しるしを下さいと訊ねました。そう言った途端、聖母は腕を広げて私をかたく抱きしめ、そのまま留まっておられました。その朝、目を覚ますと、ファティマの聖母がこう書かれました。「どうか、私を置いていかないで、一緒に連れて行ってください!」 )

ヴァスーラ、私の平和を受けなさい。主があなたに与えておられるしるしを読み、識別して、それに従ってください。

どうか、しるしに気がつくことができるようにお助けください。

助けています。

ありがとうございます、聖なるお母さま。

(昨日、私のことを耳にしたある司祭の反応を聞きました。こう言われたのです。「彼女から離れなさい、とんだくわせ者だ!」どういうわけか、私はその発言を気に入りました。なぜかというと、イエスがファリサイ派の人たちに偽預言者と非難されたのとまさに同じく、私も詐欺師と非難されていたからです。そしてそれは、主が与えてくださったメッセージを思い出させるものでした(1988年12月7日)。私は非難され、迫害され、批判されるとイエスはたびたび言われました。これはそのお言葉を証明したに過ぎません。主のために非難され、迫害を受けることができて幸せに思います)

私の子よ、あなたを非難し、裁く人びとのために祈りなさい、彼らが心を開くように祈りなさい。主のあわれみのしるしを見分けることができない、あのすべての魂たちのために祈るように。

私のそばに留まりなさい。「私たち、共に」?

はい、「私たち、共に」。