2011年ローマ巡礼レポート
「一致」の体験 ~初めての超教派巡礼~

吉田恵子

このたび『神のうちの真のいのち』の巡礼に初めて参加させて頂きました。言葉に尽くせぬ神様のお恵みに心から感謝しています。また、この巡礼を企画してくださった皆様、日本人グループをお世話してくださった菅原さんを始め、お世話になったすべての方々に心から感謝いたします。

◆はじめに

『神のうちの真のいのち』の祈りの集いが昨年1月に神戸で発足し、私はその集いのオーガナイザーとして2年目の秋を迎えたところです。経験も知識も極めて小さな者ですが、神様の呼びかけに応える思いと任務への責任感だけで、これまでただひたすら走って来たような次第です。月1回だけの祈りの集いですが、その内容は非常に濃いものと感じており、準備から実施まで相応の時間やエネルギーを要します。しかし、指導司祭のダニエル神父様や参加者のみなさんの情熱と積極的なご協力に支えられて、集いの終了時にはみなさんの笑顔がこぼれるとても良い雰囲気に包まれ、私も完全燃焼したような達成感を毎回感じています。

ただ、そのような私がこの『神のうちの真のいのち』のメッセージの最も重要なテーマである「教会の一致」について、果たしてどこまで理解しているかというと、ほとんど何もわかっていない、いや、イメージが全くできていない状況でした。まして、メッセージを書かれたヴァスーラという人がいったいどのような人物であるのかも想像の域を脱せず、そう考えていくと、オーガナイザーとして働いてきた私は、いったい何をわかってこの働きをしてきたのかという疑問に突き当たります。何もわかっていないにも関わらず、わかったようなつもりでやってきたのか、あるいは、長く集いに関わって来られた先輩方のフォローにすっかり頼りきって、自分は自分の果たすべきことをしているし、これで良いのだと言い聞かせてきただけなのかもしれません。

今回『神のうちの真のいのち』の巡礼に初めて参加させて頂き、私の中にあった一枚の薄いベールのようなものが取り払われ、メッセージや著者ヴァスーラとの距離感が無くなり、より現実性を伴って私の心に刻まれたように思います。これはオーガナイザーとしての今後の働きはもとより、私個人の信仰生活にとって、とても大きな刺激と糧になったと感じます。

◆「教会の一致」とは

巡礼の1週間は、ローマのエルジフェ・ホテルという大きなホテルを拠点として、毎日忙しく過ぎました。イタリアの異なる有名な巡礼地を訪れるプログラムが毎日組まれていました。私は心の中で慕っていた聖人ゆかりの巡礼地(たとえばサン・ジョバンニ・ロトンドの聖パドレ・ピオの大聖堂、アッシジの聖フランシスコ大聖堂、聖クララ修道院、ローマの四大聖堂、バチカン美術館、奇跡の聖体の地ランチアーノ、聖イグナチオ・ロヨラのご遺体と聖フランシスコ・ザビエルの片腕が納められたイエズス会の総本山「ジェズ教会」等々…)に初めて訪れる機会を得て、毎日が興奮の連続でした。

1日のスケジュールは、早朝起床、朝食を済ませてバスに分乗、目的地にて見学、祈り、ミサ・・・夕方遅く(夜中になることも)ホテルに帰るや間もなく全体ミーティング(ミサを伴う日もありました)。夕食はすべてのプログラムが終わった午後10:00頃でした。全員がホテルの大きなレストランに集まり、広々とした会場に所狭しと置かれた8人掛けの丸テーブルは、国も教派も立場もバラバラに、司教、司祭、修道士や信徒(未信徒もおられました)で埋まり、皆で仲良く食事をしました。私がたまたま同席した人たちの出身国も覚えているだけで、スイス、アメリカ合衆国、シリア・アラブ共和国、南アフリカ共和国、モーリシャス共和国、マルタ共和国…とバラエティに富んでいました。その後シャワーや洗濯などモタモタした私が就寝できた時刻は午前2:00。日記を付けようと思っていたものの時間も力も残っておらずバタンキュー…。翌朝は午前5:30に起床…というかなり過酷なスケジュールでした。しかし、そのようなハードスケジュールでも、巡礼ならではの空気の中で参加者はご高齢の方たちも含めて皆元気にこなしておられたので、私はすごいなと感心してしまいました。

私にとって最も印象に残ったことは、世界59カ国から来られたおよそ800名の人々が心を一つにしている姿でした。文化も言語も歴史も異なる人々が、イエス・キリストへの信仰と隣人愛のうちに集まり、「教会一致」という目的に向かって前進しようとしている姿に大変感銘を受けました。

多くの国々から来られた司祭たちが、さまざまな色や形の祭服をまとって一同に会し、神を礼拝している様子には一言では言い表せない感動を覚えました。17教派から集まったおよそ100名に上る司祭たちは、ローマ・カトリック、ギリシャ正教、ロシア正教、アルメニア正教、マロン派正教、エチオピア正教、シリア正教…また聖公会やルーテル教会を含めるプロテスタント諸教会…さらには、仏教、イスラム教、ヒンズー教の僧侶も来られていて驚きました。これらの宗教の異なる僧侶たちも、ヴァスーラのメッセージを読み、その働きに感動しておられる様子でした。

4日目(9月6日)の夜に、癒しのための祈りの奉仕があり、信徒が司祭の按手や祝福の祈りを受けることができるプログラムがありました。10名のキリスト教司祭が会場の前方に並び、私たち信徒はどの司祭の列に並んでも良いとの指示を受けました。大勢の参加者が行列をなす中、いったいどの教派の司祭が前におられるのかわからない状態でしたので、私はとりあえず自分の席に一番近かった司祭の列に並びました。すると私が並んだ列の司祭はアメリカ合衆国にあるギリシャ正教会の司祭でした。今でも思い出すと涙がこみ上げてくるのですが、私は司祭に近づくにつれて無性に目に涙があふれてきて心が感動に震えるのを覚えました。私の順番が来たとき、司祭は私の頭に手を置いてゆっくりと心を込めて祈ってくださいました。そのやり方はカトリックの司祭のやり方とは少し違っていましたが、その司祭の手から神様の恵みがスーッと流れてくるような、なんとも温かくて不思議な感覚に包まれました。

涙でいっぱいになっていた私の目を見つめながら、突然その司祭が「恐れてはいけない」とおっしゃいました。私が恐れで泣いていると勘違いされたのではないかと思ったので、急いで「いいえ神父様、私はただ感動しているのです。感動で胸がいっぱいなんです。だから涙が…。大丈夫です。大丈夫です……」と言いました。すると司祭は「ああ、それはわかっている、わかっているよ……」と自分の娘を諭すように優しくおっしゃったあと、再びゆっくりと「恐れてはいけない」と私の目をじっと見つめて言われたのです。私はなぜそう言われたのかすぐにはわかりませんでしたが、司祭は私の心深くに内在していた自分でも気がつかない「恐れ」を見抜かれたのかなと感じました。巡礼に対して知らず知らずに抱いていたプレッシャーや、私自身の人格的な弱さの部分に聖霊がその司祭を通して気づかせてくださったようにも感じられ、祈りが終わったあと会場の隅で長い間一人で泣きました。涙はなかなか止まりませんでした。聖霊が私の心深くに触れてくださったのだと思います。

そのあと、私は『神のうちの真のいのち』の小さい記念バッジ(イエス様の御顔と”True Life in God”と書かれた)が会場の外で配布されているのを見つけ、残りわずか(十数個)だったので、全部いただいて神戸の集いの人たちにおみやげに持って帰ろうと思い立ちました。そのバッジに司祭の祝福を受けたいと思い、司祭を探していたら、たまたま私の方に向かって歩いて来られる司祭がおられたので、祝福のお祈りをお願いしてみました。教派をお尋ねすると「正教」とのこと。「神父様、私はローマ・カトリックの信徒ですが、このバッジに祝福を与えてくださることはできますか?」と聞くと、「もちろんだよ。私たちは兄弟じゃないか……」と両手を広げ、そのお言葉といい、お声といい、温かい愛が満ちあふれていたので大きな感動を覚えました。今もその光景は忘れられません。その司祭はバッジの入った帽子(今回巡礼者全員に帽子が配られていたので、私は自分の帽子にとりあえずバッジ全部を入れて司祭に渡したのです)を、両手で大切に持ち上げてくださって、丁寧に祝福の祈りをしてくださいました。その祈りの間中、聖霊が豊かに流れてくるのを感じて深い安心感と感動を覚えました。

なぜ偶然にもこうして立て続けに東方正教会の司祭と出会い、祈って頂くことになったのでしょうか。今になって私はそのことがとても不思議に感じられて来ました。もしかしたら、「教会の一致」というものを体感させたいという神様の私に対する深いご配慮だったのかもしれない…と思います。

このように、巡礼中は諸教派の司祭とお会いしたりお話ししたりすることができ、どの方もとても気さくで、愛と謙遜、平和と一致の思いで満たされているのを感じました。こうした体験は日常の環境ではとてもできないことだと思い神様に深く感謝しました。

「教会の一致」というテーマについて、私は長い間その意味や有様をイメージすることができませんでしたが、諸教派の司祭の温かい人格に触れたり、祈って頂く機会に恵まれたりする中でだんだんと心が溶かされていきました。また今回のミーティングの中で聞いた「多様性の中の一致」「心の一致」という言葉は特に印象に残りましたし、ミーティングにおいてカトリック神父によるフランス語のスピーチを、イギリス人のプロテスタント牧師がその横で英語に通訳している姿には感動を覚えました。

またミーティングでは、キリストの復活祭の日取りを一致させるための署名活動の呼びかけもあり、それを通して教会の一致に向けて具体的に行動しなくてはいけないことをあらためて悟らされました。カトリック、正教、プロテスタントが、同じ日にキリストのご復活を祝うことができるよう地上の私たちがベストを尽くすなら、あとのことは神様がしてくださるというのは『神のうちの真のいのち』に書かれた重要なメッセージですが、今回はそのことが強調されました。

また何と言っても、ヴァスーラが今回の巡礼中に、バチカンのエキュメニカル(教会一致)担当のコッホ枢機卿と直接会って、教会の一致について会談できたことや、同枢機卿が『神のうちの真のいのち』の巡礼に100名の司祭と計800名もの参加者がいることを知って大変驚かれたこと、復活祭の日取りの一致のための署名を受け取ってくださったこと等は大変大きな収穫だったと思います。当初イスラエルが予定地だった今回の巡礼が、途中でローマに変更されたのはヴァスーラに対する神様からのお示しだったようですが、その意味が少しわかったように思いました。

◆ヴァスーラとの出会い

さて、どうしても書かなければならないことがあります。それは私がヴァスーラ本人と会えたか否か・・・ということです。感謝なことに7日目(9月9日)、この日はサン・ピエトロ大聖堂とバチカン美術館見学の日でしたが、私たち日本人のバスにヴァスーラが同乗してくださることになったのです。日本人グループリーダーの菅原さんがこの機会に少しでもお話ししてみたら…と励ましてくださったおかげで、少しだけ言葉を交わすことができました。とても気さくな方で、自分を全く飾らず親しくお話ししてくださる彼女の人柄に感動しました。

私が『神のうちの真のいのち』の祈りの集いのオーガナイザー等の働きをしていることや、それをするにあたって、神のお恵みも大きいのですが、困難も多いことを述べると、彼女は「ありがとう」という言葉とともに、「あなたの気持ち、すごくよくわかるわ。でも、それにはこの言葉がピッタリね。『ベストを尽くしなさい。そうすればあとは神がしてくださいます』……」と笑顔で励ましてくれました。この「ベストを尽くしなさい。あとは神がしてくださいます」という言葉は『神のうちの真のいのち』のモットーですが、ヴァスーラの口からあらためて聞かされて、私は新しい力をいただいたような気がしました。このあと私は「ベストを尽くす」という言葉の意味を黙想しました。何をするにも、まず祈りを通して神様のところに持って行き、神様の方法に委ねる道を選ばなければならないこと、そのあとはすべてのことに愛を込めて全力を尽くすこと…そして結果は神様に委ねることを教えられました。これらのことは巡礼全体から教わったように思います。良い結果が得られなくても決して失望してはならないことも。すべては神様の御手のうちにあるからです。

◆感謝

今回、私はミーティングの同時通訳を依頼されていました。初めての参加での緊張や疲労等々で、集中力が途絶えたり、諸教派の司祭によるメッセージの難しさに戸惑ったりで、日本人の参加者のみなさんに十分お仕えすることができませんでした。本当に申し訳なく思いました。それでも日本人の方々の優しいご配慮やお励ましによってなんとか終えることができました。自分の目には決して良い結果と言えるものではありませんでしたが、どんなときも神様がそばにいてくださったこと、またたとえ自分には満足いかない形であっても神様の目にはどうなのか・・・それを考えなくてはならないこと、そして、どんなときも神様に感謝すべきことを悟らされました。ただ、十分お力になれなかったことを、参加された日本人のみなさんにこの場をお借りして心からお詫びします。そして温かいご理解とお励ましに対して心から感謝申しあげます。

巡礼地への移動バスには、日本人グループとともに台湾人、中国人、フィリピン人、イギリス人が同乗し、車中でともに各国語でロザリオやお告げの祈りを祈ったり、神様への賛美の歌を歌ったりしました。日本の宣教のために27年間も日本で働いておられたポーランド人のユリアン神父様がポーランドから参加され、上手な日本語で日本人を助けてくださり、時には神学的な深いお話も聞かせてくださって大変ありがたかったです。ユリアン神父様にも心から感謝申しあげます。

今回の巡礼は、私の一生の思い出として大切にしたいと思います。巡礼での小さな一コマ一コマを思い浮かべながら、消化するまでにはこれからまだまだ時間がかかりそうです。

神に感謝!

2011年9月29日
神戸にて