宗教間対話を理解するための解説

ヴァスーラ・リデン

2020年3月12日

メジュゴリエの文献の中に、聖母が幻視者たちに、この村で一番聖なる人はパシャという名のイスラム教徒の女性だと教えたという記事があります。幻視者たちは「でも、パシャはイスラム教徒です」と答えました。するとマリア様はそのことを認められました。この告知は当然ながら、メジュゴリエの平和の元后のメッセージに従う人々にとって衝撃となる啓示でした。

とはいえ、聖母がどうしてこの話を持ち出されたのかを理解しましょう。このような啓示を私たちに伝える聖母の目的とは何だったのでしょうか? 人々を外見やうわさ、宗教によって裁いてはいけない、そのような私たちの判断と、一人ひとりの心をご存じである神の裁きとは違うのだから、ということを聖母は教えようとされたのでしょうか? それとも、神は公正ではないということを意味するのでしょうか? いいえ! 主はモーセにこう言われたのではありませんか? 「わたしは恵もうとする者を恵み、憐れもうとする者を憐れむ」(出エジプト記33・19、ローマ9・15)と。ローマ書14章10節でパウロがこう助言していたことを忘れるべきではありません。「なぜあなたは、自分の兄弟を裁くのですか。また、なぜ兄弟をあなど るのですか。わたしたちは皆、神の裁きの座の前に立つのです」。ですから、イザヤ書55章の8節から9節で神が言われたことを思い出しましょう。「わたしの思いはあなたたちの思いと異なり、わたしの道はあなたたちの道と異なると主は言われる。天が地を高く超えているように、わたしの道はあなたたちの道を、わたしの思いはあなたたちの思いを高く超えている」。神は宗教によって裁くのではなく、その人の心の中にある良心と徳によって裁かれるのです。この女性の心は純粋で、子供のようだったということなのでしょうか? 彼女が神を愛し、自分の周りにいる人々も同じように愛することができたということなのでしょうか? イエスが『神のうちのまこと のいのち』のメッセージの中で言われたことも思い出してください。「審判の日には誰もが、地上にいた時に持っていた愛の大きさによって裁かれると言っておいた」(2000年8月5日)。

もちろん、メジュゴリエのこのメッセージが本当に聖母から来るものかどうかを疑うキリスト者たちは、疑念を持ちます。なぜなら、ここでもまた、神の裁き方は私たち自身のそれとはまったく違うという見解を天が示すとき、私たちのプライドや他者への凝り固まった偏見がそれを簡単には受け入れないからです。私たちはイエスや聖母がメッセージにおいて語られたことを受け入れ、神の義により頼み、信じるよりも、むしろ疑う方を好みます。

ミリアナ

さらに、メジュゴリエの平和の元后のメッセージの中からもう一つ見てみましょう。これは聖母が幻視者たちに、神は皆の神であって、区別しているのは人間の方だということを説明された時のものです。祝されたおとめマリアはここで、「信心深い人々、とくに小さな村落の人々が犯しがちな過ち」についても強調されました──たとえば、「ここメジュゴリエでは、セルビア正教徒とイスラム教徒との間に仕切りが置かれています」と幻視者ミリアナ・ドラジチェヴィッチ・ソルドは言います。「この仕切りは良くありません。聖母はいつも、神はお一人であられるのに、人々が不自然な仕切りを強要してきましたと強調されました。人は誰でも、他の宗教を同じように尊重せずして、自分を真のキリスト者だと信じることはできません。(Daniel Maria Klimek, Medjugorje and the Supernatural: Science, Mysticism, and Extraordinary Religious Experience, Oxford University Press 2018, p. 41.)

ヴィッカ

この惑星上にいる私たちは、皆神のものであり、神の子供たちです。もう一人の幻視者ヴィッカはある時、私たちの創造について聖母が彼女にどう理解させたかを説明しました。聖母は言われました。「偶然できたものは何もありません。全てが神のご計画です。神はこの世界を造る前に、私たち一人ひとりを計画されました。聖母は、神は私たちをご存じだと言われました。神は世界を造る前に、私たちの名を呼ばれたのです。私たち一人ひとりが、母の胎内に置かれる以前に、神に完全に知られており、愛されていました。神は私たちが生まれるべき特定の世紀、国籍、家族、性別、強さと弱さを選ばれたのです。私たちの存在、私たちが神からいただいたものの全てが、賜物なのです」(https://www.medjugorje.com/medjugorje-today/medjugorje-headlines/tragedy-of-realization.html)

メジュゴリエで聖母が幻視者たちに明かされた別の一節に、次のようなものがあります。「司祭たちに伝えなさい、皆に伝えなさい、地上で分裂しているのはあなたたちの方だと。イスラム教徒と正教徒、同じ理由でカトリック信徒も、私の御子と私にとっては同じなのです。あなたたちは皆私の子どもたち。確かに、すべての宗教が同等というわけではありませんが、人類は皆神の前に同等なのです…… カトリック信徒でない人々は、神の似姿として創造され、いつの日か父の家で再び一緒になるように定められた被造物として不足があるということではありません」(The Final Harvest, Weible page 85-86).

この違いを理解することは不可欠です。平和の婦人が私たちに教えておられるのは、全ての宗教が同等ではないしかし全ての人々は神の前に同等だということです。教義と霊魂たちは同じものではありません、ですから私たちはこの二つの側面を決して混同してはなりません。下記は、1983年2月の幻視者イヴァンカ・イヴァンコビッチとスヴェトザル・クラリエビッチ神父とのインタビューです。(Fr. Michael O’Carroll, Medjugorje: Facts, Documents, Theology, p. 254)

スヴェトザル・クラリエビッチ神父

神父:良い信仰を持つ人々にとって、宗派にかかわらず、互いに敵対しないということは大切なことです。ですが、このことについてもっと教えていただけますか。聖母はこのことについて何と言われましたか?
イヴァンカ:聖母は、地上で諸宗教は分け隔てられていますが、すべての宗教の人々が、御子に受け入れられていると言われました。

神父:それはすべての人々が天国に行くという意味ですか?
イヴァンカ:それはその人々がふさわしいかどうかによります。

神父:はい、ですが、多くの人々がイエスについて聞いたことがありません。
イヴァンカ:イエスはそのことをご存じです。私には分かりませんが。聖母は言われました。基本的には、諸宗教は同じです。ところが多くの人々が、宗教ゆえに自分たちを分け隔て、互いに敵となってしまったのです。

神父:イヴァンカ、この会話と証しをありがとう!

さて、私たちはここで、何も神から逃れることはできないし、何も偶然には起こらないことを知りました。そしてすでにそう知っていたはずです。神を尋問するのはやめるべきです! 神に偶然はありません。神は私たちが生まれる以前から、私たちのことをご存じです。私たちについてすべてを知っておられました。『神のうちのまこと のいのち』で言われたように、「あなたが生まれる前から、あなたを知っていた」のです。私たちはこの文章を象徴的に取り、違った意味に解釈しがちですが、そうするべきではありません。神はもちろん、私たちが生まれる前から、私たちのことをご存じです。聖パウロがこう証言しています。「あなたがたに何か別の考えがあるなら、神はそのことをも明らかにしてくださいます。 いずれにせよ、わたしたちは到達したところに基づいて進むべきです。」(フィリピ3・15-16)

今では多くの方々がご存じの通り、私は1月18日に生まれました。私が生まれる日として神が選ばれたこの日付は、私がこの世に来る前から、私にお与えになるつもりであったこの使徒的使命にとって重要でした。つまり、全教会に、多様性のうちに和解し、一致するように呼び掛けるという使命です。1月18日は教会一致祈祷週間の最初の日です。私が生まれた時には、この日は聖ペトロの使徒座の祝日でもありました(訳注:聖ペトロの使徒座の祝日は伝統的には1月18日と2月22日の2つがあり、その後2月22日だけになった)。

聖ペトロの椅子

ローマのサンピエトロ大聖堂には、聖ペトロの椅子という聖遺物が保存されています──これは一世紀にまで遡る木製の椅子で、使徒ペトロによって改宗した古代ローマの元老院議員プーデンスが聖ペトロに寄贈したものです。この椅子は、殉教するまでの間、聖ペトロがローマへの滞在中に教えを授ける時に普段使っていた椅子の一つとされています。後になって、この木製の椅子は教皇の権威を表す象徴(聖座)となり、彼の後継者の何人かによって続けて使われました。1653年以来、教皇アレクサンデル七世の命によって、この尊むべき椅子は、ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ作の青銅の彫刻で覆われ、現在はローマのサンピエトロ大聖堂の祭壇の真後ろの高い場所に置かれています。

私はギリシャ正教徒の家族に生まれ、今もギリシャ正教徒ですが、主は私の中に、ペトロの座を擁護したいという強い願いを、聖霊を通して植え付けられました。霊は私たちの弱さのうちに、私たちを助けるために来られることを私たちは知っています。神の呼び掛けにあたって、私はあれ以上弱いことなどあり得ませんでした。いずれ私が一致への呼び掛けに従うように選ばれ、祈りと悔い改め、和解、平和と一致を呼び掛けるために、多くの国々に送り出されることになるなど、まったく想像もつきませんでした。

今もなお、猛烈な勢いで教皇フランシスコを追放しようとしている人々に対して、私が教皇と教皇座を擁護すると、当然ながら、私の属する正教会の人々は、私を裏切り者、ユダだと見なします。しかし聖霊と一致する私の良心が、この教皇に忠実であるべきだと確信させるのです。教皇を裁くキリスト者たちにイエスが不満を示され、伝えるべきメッセージを与えられると、すでにこの教皇に対して否定的な意見を持っていた人々は、このメッセージがキリストから来たものだとは信じませんでした! 私をあざ笑う人々さえいました。私が正教徒でありながら、教皇ご自身と教皇座を擁護しているからだけでなく、皮肉にも、まさにその教皇座の周囲を囲む人々からも迫害を受けているからです! この教皇座と教皇を擁護したところで、私は何も得をしません。しかし聖霊が私にそうするようにと駆り立てるのです。とはいえ、神はこのようなことが起きることをずっとご存じで、このような迫害が起きることを、私への呼び掛けのまさに最初から伝えておられました。ですから、私の強さはここから来ます。神が私の側におられることを自覚し、恐れないことから。私は揺れ動くことも心配することもありません、なぜなら、神が全てを掌握しておられるのですから!

神のご計画に従えば、誕生日の他に、私たちが持つ名前さえも重要です。私の名前であるヴァシリキ1は王または王族の娘という意味です。私の二つ目の名前はパラスケヴィといい、主の道を整えよという象徴的な意味を持っています。さらに、ギリシャ語で「金曜日」のことも意味します。イエスの来臨が迫っていると言われる聖霊の助けによって、私は主の道を整えてきました。主のメッセージを広めて、人々に悔い改めと回心を呼び掛け、人生を絶え間ない祈りへと変えるように呼び掛けることによって。また諸教会に一致するように、今は私たちの神からの憐れみと恵みの最後の日々であることを伝えることによって。彼らは準備を整えて祈り、和解するべきです、なぜなら、予告されたこれらの劇的な出来事が間近に迫っているのですから!

御父が初めて私に近付いてこられて、話しかけられた時の霊的な体験を私は分かち合ってきました。御父が語られると、まるで私は御父を知っていたかのようでした! まるで以前にお会いしたことがあるかのように。それだけではなく、御父は私を安心させ、家にいるかのようにくつろがせてくださったのです。地上の私の家ではなく、天上の私の家にです。突然、私の地上の父親は以前ほど重要ではなくなってしまいました。私の父は、私が生まれるための道具の一つだったからです。この気づきは、ただ私がそう感じたというのではなく、そうだと知っていたのです! 疑いの余地なく、他の誰でもない、神が私のまことの父であられ、私は主の骨の骨であり、主の肉の肉2なのです。ですからキリストが私たちの創造主をアッパ と呼ばれるその言葉はとても重要であり、また真実です! ところが私たちはこれまで、その言葉の意味を十分に見抜き、完全に理解してきたでしょうか? この祝福の時、私は神に属し、神から来たのであり、神の種であり、神のものであることが分かりました。

さらに、私に話されるときの御父の素朴さと、父親らしさは素晴らしいものでした。主の優しさはとても自然で、元気づけてくれるもので、主が現存される間、私は温かさと安心で包まれました。御父が私に語り掛けてくださったこの数分間は、私の記憶の中でずっと大切にしていくでしょう、それは忘れることができないものですから。主の現存と主の私への話し方は、まるで私がその御声を聞くのが初めてではなく、以前にも聞いたことがあるかのようでした! それはとても親しげで、自分は主の家族であるように感じました。私たちが主に話し掛ける時には、あの平和と安心、自由を感じるでしょう。その瞬間、人は恐れることはなく、誤解されることもないと知っています。なぜなら、神はご自身の子供に喜んで耳を傾けるためにそこにいてくださるのですから。私には不相応なこの父である神の霊的体験によって、私は永遠に主とともにいたいと望むことを理解させました。なぜなら、私は主から来たのであり、主は私のまことのお父さんだということを、疑いのかけらもなく理解したからです!

ですから、私たちは皆、神の子孫なのです。神は無限の愛であられます。「神のうちのまこと のいのち」で言われたように、神は誰をも同じように愛されます。彼らが誰であり、どの国で生まれたかは関係ありません。神の心は敵意を持っておられず、偏見のかけらもなく、わずかな闇もありません。神は純粋な光であられるからです。だとすると、たまたまキリスト教以外の他の信仰を受け継いで来た人々に対して、私たちに何の権利があって、敵意を持つことができるというのでしょう? 裁く私たちとは何者でしょうか? 私たちはそこまで思い上がり、自分たちは正しいと思い込んでしまったのでしょうか? そして他の信仰を実践する人々と距離を取り続けることで、自分たちは正しいことをしており、これが神を喜ばせていると? 聖パウロはローマ書2章1節で私たちに思い出させます。「だから、すべて人を裁く者よ、弁解の余地はない。あなたは、他人を裁きながら、実は自分自身を罪に定めている。あなたも人を裁いて、同じことをしているからです」。

もし私たちが偏見を持って生きているなら、癒やされる必要があります。主の霊は常に、力をもって道を開いてくださり、あらゆる人々と私たちを一致させ、和解へと導いてくださいます。そして最も重要なのは、イエスは私たちに、私たちを通してイエスの愛を示してほしいということです。他の人々も同じ神の子供たちと見なすことを受け入れることによって、神が愛するように他の人々を愛することによって、私たちにイエスの愛を示してもらいたいのです。私たちの聖母は、メジュゴリエの幻視者たちへのメッセージの多くで、このことを私たち皆への教訓として強調されました。

イエスは私の使命において、私をとても優しく、少しずつ導かれました。私のような、聖書も知らず、教会のことに無知で、宗教にまったく興味がなく、一度も教理を教わったこともない者、祈ったこともなければ、教会に行ったこともなく、ただ旅行三昧の贅沢な人生を送ってきたような者を準備されるときの主のなさり方は、奇跡以外の何物でもありません。主の神聖な教えは、私をゆっくりと、主と共に歩む者として望まれるような者になるように導かれました。「私が望むような者になるために、あなたを形造らせてほしい……」。主はこのように言われました。主は私に一致のための証し人、あるいは主が言われるように、一致のイコンとなってほしかったのです。主は誰もが「一致のイコンとなる」3ことをお望みです。

全教会が和解して、お互いの間の障壁を打ち破るために、主は何年にもわたって、私に全教会を集めるように望まれていることを理解するように教えられました。私たちの間を分け隔てて立つこの障壁はサタン自身であり、それ以外の何物でもありません。しかし、主が望まれるように、諸教会を集めることが私にできたでしょうか? はい、主の導きに任せて、疑うことなく信頼することによってのみ、それは可能です。そして主が提供してくださった「主の豊かなぶどう畑の働き人たち」である協力者たちと共に、私たちは諸教会を一緒に集めるために働きました。私たちの最も大きな成果は、私たちの巡礼において、24教派の聖職者たちが集まり、一つの祭壇を囲んでミサ聖祭を祝った4時のことでした。集まった聖職者の数は120人に上り、信徒たちは700人でした。私たちの巡礼の間、主の霊は、私たちを結びつけるものは、分け隔てるものに比べてはるかに大きいことを示して、聖職者たちの心を奪い、一つになりたいという渇きで満たしました。それは彼らを強要するものではなく、一つの杯を分かち、同じパンから食べたいという、内側から湧き出た願望です。おそらく、多様性のうちなる一つの教会として生きるというこの行動は、将来の一つの展望なのでしょう。私たちは自分の時代よりも一歩先を生きているのです。

それから数年後、私は証しのために台湾に送られました。ヨセフてきごう大司教様は『神のうちのまこと のいのち』のメッセージに対してとてもオープンで、私は暖かい歓迎を受けました。大司教様はご自身の司祭たちに、私の講話を聞くようにさせられました。主がどのようにして、私たちを多様性における一致へと呼ばれておられるかということについて。それは簡単なことだと私は思いました。なぜなら、イエスはこのテーマについてたくさんのメッセージをお与えになり、私を訓練してこられたので、何を言うべきかが分かっていたからです。ところがその後、大司教様は午後に私を呼ばれて、他宗教の責任者たちを何人か(20人前後)招待したので、彼らに対して宗教間対話についての講話をしてほしいと言われたのです。私はあっけに取られてしまいました。なぜなら、他宗教の人々に対して話をしたことなどなかったからです。何の準備もしていなかったので、私はイエスに、そのような電気ショックをお与えになるべきではありません、と苦情を言いました。私は言いました、「ケ・セラ・セラなるようになれ ……」。その集会はとてもうまくいき、円滑に進みました。彼らは感動すらしたのです。あるイスラム教徒は涙を流していました。なぜなら、彼が聞いた言葉によって、とても愛されていることを感じ、ついに、イスラム教徒ではない人にも、やっと完全に理解してもらえたと感じたからです。

このようなわけで、これが、イエスが私を諸宗教間対話へと導かれた一番最初のステップでした。イエスは私を諸宗教間対話へと少しずつ巻き込んでいかれました。その後、私の集会にやって来たイスラム教の導師や仏教僧などとの面会がありました。彼らはキリスト者たちの中に招かれたのです。ダッカの高僧が、彼の下に属する僧の一人がそこに行ったと分かった時、彼を叱責し、行ってはならないと言いました。ところがこの高僧が手紙を送ってきて、私に会いたいと言うのです。そこで私はその招きを受け入れました。このようにして、私はマハテロ・スッダーナンダ師(バングラデシュ最高サンガ評議会会長)とお知り合いになったのです──実は、マハテロ師は最近亡くなられました。神が師の魂を休ませてくださいますように──そして、彼が行っている仕事を見たのです。彼は学校で孤児たちを育て、大学に入学させていました。彼はこの子供たちの愛情深い父親でした。そこで「神のうちのまこと のいのち」は、私たちのベス・ミリアムの資金をマハテロ師に提供しました。こうしてマハテロ師は、世界の和解を推進した功績で、平和金賞のメダルを私に授与するために(*訳注 授与はバングラデシュ首相の手を通じて行われた)、私を何回か招待されました。師の僧院では、キリスト教徒の他に仏教僧、ヒンドゥー教徒、イスラム教徒が私の講話を聞きました。そこにいたイスラム教徒の教授は私の講話を初めて聞いてとても喜ばれ、翌日、彼らのイスラム教大学の学生たちに対して話すように私を招かれました。その時、ヒンドゥー教徒の人々までもが私のところにやって来て、彼らの大学で話すように求めてきたのです。

シリアで戦争が続き、ホルムズの町が完全に破壊され、アレッポも攻撃されつつあった時、私は現地に行って、テレ・ルミエ(Télé Lumière、レバノンとアラブ世界で最初のクリスチャンテレビ局)のリーアと何度かインタビューを行うように招かれました。たとえ戦時下にある場所だとしても、そこに行くべきかどうかためらったりはしませんでした。キリストが私をそこに送られるのであれば、行くべきです。まずベイルートに行きました。テレ・ルミエは、イスラム教のシーア派、スンニー派、ドゥルーズ派の導師の方々、何人かの府主教方と主教方との諸宗教対話を設定しました。何しろ、レバノンの国民はイスラム教徒とキリスト教徒が混在していて、共に調和のうちに暮らしているのです。このインタビューのテーマは、「どのようにして皆が平和に暮らしていくか」というもので、神が全世界に送られている「神のうちのまこと のいのち」のメッセージについてです。

ロルフ・シェーネンベルク神父が私と同行してくださったのですが、神父は私に打ち明けてくれました。自分は今まで諸宗教間の対話には参加したことはないが、導いてくださる私たちの聖母に信頼し、素晴らしい話ができるように聖霊により頼んで、参加するのをためらわなかったと。テレ・ルミエによる最初のインタビューは、不思議なほどにうまくいきました。そこにおられたのは司教方、シーア派、スンニー派、ドゥルーズ派からの長老方でした。このインタビューの後、シーア派の長老、モハメド・アリ・エル・ハッジ師が、翌日、彼の派の人々のところに行って話をすることができるかと聞いてこられました。私はその日に出発することになっていたので、これは実現しませんでした。しかし彼は、私がベイルートに戻ってきた時に、彼がイスラム教徒とキリスト教徒たちと共に準備する集会で、私が基調演説をするように企画してくれたのです。

その後、私たちは車で、ベイルートからダマスカス経由でシリアへと向かいました。ダマスカスの教会で集会を行い、そこからホルムズへ向かいました。そこでは英雄的な司祭たちが、廃墟の中で私たちのベス・ミリアムの活動(貧しい人々に食事を提供する)を続けていました。そこからアレッポへと車で北上しました。丘の向こう側にスナイパーたちが潜んでいる危険な道での8時間の移動です。アレッポに到着すると、何人かの長老たちと司教方にお会いして、インタビューをするように招かれました。彼らは私を喜びと愛を持って歓迎してくれました。インタビューは教会でいくつかと、その他に聖地でも行われました。そういうわけで、諸宗教間対話に関わることなど求めたこともなかった私を、主がどのようにして導かれたのかを、時折深く考えています。それは私の目の前にポンと置かれて、私はまっすぐそこに吸い込まれたようでした!

シリアから家に戻った日、小さな疑いの誘惑に捕らわれました。これは本当に主が求められたことなのだろうか、と自分自身に問うたのです。主は私が正直である時、私が主のご意思を行っているかどうかを示さずにおかれることはありません。家に戻った後すぐに、教皇フランシスコがモスクを訪問して、敬意ゆえに導師を抱擁しているのを見つけました。教皇様は導師たちに囲まれていました。これは教皇ヨハネ・パウロ二世がモスクを訪問して、イスラム教徒たちと接触したことも思い出させるものでした。ですから、これらの諸宗教との出会いは偶然ではないのです。

多くの人々が、多様性における一致とその価値を全く理解していません──ましてや、私が諸宗教間対話へと導かれていることも理解しません。彼らは教皇の諸宗教間対話への取り組みをはっきりとは理解せず、しばしば誤解します。教皇が、ただその献身と神への忠実さを通して遂行している聖霊の働きを、この人々は理解しません。

聖霊は、全ての人々の間に平和と一致への衝動を与えておられます。教皇は、聖霊が求めるものに付き従うという深い謙遜と勇気を私たちに示しておられます。たとえ理解しない人々がいて、彼らに情け容赦なく攻撃されると知っておられたとしても。世間では多くの人々が、「この教皇は『新世界秩序 New World Order』と『世界統一宗教 One World Religion』を作るつもりだと陰口をたたいています。それゆえ、彼がイスラム教徒を抱擁する度に、「見ろよ! 彼はイエスを裏切った──彼はイエスを見捨てた──彼は反キリストだ!」と言って告発され、迫害されてしまうのです。

私たちの主イエスと聖母からの、これらの平和と一致への最後の日々の呼び掛けを人々は理解しません──分からないのです──彼らはメジュゴリエの聖母の言葉に耳を傾けようとはしません──聖母がイスラム教徒について言われたことを。彼らは「地には善意の人に平和あれ」という言葉を無視します。イエスが安息日に病人を床から起こして癒やされたことを理解できなかったユダヤ人たちと変わりません。彼らは反論しました。「なぜ、安息日にしてはならないことをするのか?」彼らは理解しませんでした……神は安息日を人のために作ったのであって、安息日のために人を作ったのではないことを。

このように、私のキリスト信徒以外の方々への働きかけは、尊敬と兄弟愛の働きかけであり、何にもまして、イエスの愛を彼らに発信することなのです。私はエジプトで育ちました──イスラム教徒が大勢いる国です、善良なイスラム教徒が。私のヘリオポリスの実家の隣人たちはイスラム教徒で、善良な家族たちでした。私の両親はご近所の方々と仲良く、平和に暮らしていました。

コルカタのマザー・テレサはヒンドゥー教徒たちと働きました。彼女は彼らを自分の子供として愛しました。彼女は彼らに慈愛を示し、キリストの名において抱擁することによって、イエスの愛を証ししたのです。マザーは決して偏見を持たず、キリスト者とヒンドゥー教徒たちを区別せず、同じ愛と優しさを示しました。マザーは彼らに決して改宗を強要せず、彼らに自由に選択させておきました。マザーはイエスが表すものの一例でした。それゆえ彼女は聖人となったのです。私たちの救い主は私たちキリスト者のためだけでなく、神の被造物全体のためにお生まれになり、死なれました。イエスは私たち全員をあがなうために来られたのです。イエスはご自身の愛をユダヤ人たちだけでなく、異邦人にも示されました。イエスの愛はその被造物全体のためなのです。

二つのことを思い出すべきです。神は私たちが本当は誰なのかをご存じです。私たちは、私たちを通して訴えかけられるキリストの、平和と一致の大使であることを忘れてはなりません。

ヴァスーラ

聖霊は、最も美しく調和した多様性から一致を実現するのを愛されます

神は平和を探し求める人々と共におられます

神は天から、この道を通って成し遂げられたすべての歩みを祝福されます

  1. ヴァスーラはギリシャ語のヴァシリキの英語名。
  2. 訳注:血族を表すユダヤ的な表現。
  3. 1993年9月30日のメッセージ。
  4. 訳注:共同司式という意味ではない。