この時の終わりに成就している預言

ヴァスーラ

*この手紙は後にさらに追記され、小冊子『『神のうちの真のいのち』のメッセージにおける時の終わりの預言』として出版されています。

私たちに長年与えられてきた『神のうちのまこと のいのち』の多くのメッセージの中に、コロナウイルスによって起こっている最近の事態を預言していると見られるものがないか、すぐに調べてみました。1985年以来、主はあふれんばかりの愛ゆえに、そのメッセージの中で、私たちに悔い改めるように、祈りの生活を送り、神と和解するように呼び掛けてこられました。主はご自身の教会に一致するように、復活祭の日付を一つにするようにと呼び掛けてこられたのです! 主はこれまで懸命に、私たちを棄教と自己満足から引きずり出そうとしてこられました。私たちのために、物乞いにすらなってくださったのです! 主は私たちに、本当のいのちの危機とは死への脅威ではなく、神無き生き方を選ぶという好ましくない選択であることを示そうとしてこられました。

主は私に、主のメッセージを世界中に知らせるように求められました。私は最善を尽くしましたし、主に選ばれた協力者たちも最善を尽くしました。成果はありましたが、主が望まれたほど多くはありませんでした。なぜなら、神のメッセージはいろいろなところから誹謗と中傷、迫害を受け、その蓄積によって広がるのを制約されてしまったからです。私たちは何を得たのでしょうか? 不信ゆえに、主のみ声が本来聞かれるべきようには聞かれないように妨害を作り出すことによって、何を得たというのでしょうか? この長い間、主は苦しまれながらも、私たちを主へと導き、いのちへと導くために、耳を貸そうとしない私たちの頑固さと無関心を打ち破ろうとしてこられました。主は私たちの目から、棄教のほこりという外皮で覆われたうろこを取り去ろうとしてこられたのです。不信は私たちに何も良いものはもたらしませんでした。

神は今や、世界を止めてしまわれた

主は私たちの物質的な働きの多くにブレーキをかけられました。主は私たちに、私たちの生活において最も重要であるもの、神の現存について真剣に考えることを求めておられます。特にこの四旬節の時期においては。この感染爆発が四旬節の時期に起こったのは偶然でしょうか? 神に偶然はありません…… 主は私たちに、主のみ前に立って、主こそが人類の救い主であられることを認識するように招いておられます。主は私たちの前にご自身の友情を置かれ、主との終わることのない親密な関係へと、私たちを引き寄せておられます。この親密な関係によって、主はこのパンデミックをただ一言によって叱責され、止めることもおできになります。ちょうど、ガリラヤ湖で弟子たちと船に乗っておられた時に、強風を叱責されたように。

主のメッセージから何行か引用しましょう……

1988年3月23日

「……被造物よ! 悪魔に警戒しなさい。彼はあなたたちを罠にかけようと、その努力を倍加し、また一方で、怖れられることなく企むことができるように、自分は存在しないふりをしているからだ。ああ、被造物よ! 悪魔はあなたたちに対して大虐殺ホロコーストを準備している、ああ、十字架上からどれほど叫んでいることか! 被造物よ、私に立ち帰りなさい! 私を否定することで、悪魔の罠に掛けられてはならない! 祈りなさい、霊魂たちの立ち帰りのために祈りなさい、どの霊魂も私が与えた祈り(*)を覚えるように。あなたたち皆を愛している」


* 聖ベルナルドの聖マリアへの祈り、聖ミカエルに向かう祈り、聖心への信頼の祈りです。

このメッセージにおいて、サタンが私たちに大虐殺ホロコーストを準備していると警告される時、主は過剰なまでに心を痛めておられるように見受けられました。コロナウイルスは大虐殺となりつつあり、大勢の人々を殺しながら、この惑星じゅうに霧のように広がっています!

1988年5月4日

「……ヴァスーラ、時は差し迫っている、本当に差し迫っている。ああ、来なさい、愛する者たちよ! 私のもとに来なさい! 私は道であり、真理であり、いのちである。まだ時間があるうちに、私のもとに早く来なさい。草がまだ青く、花がまだ木々に咲いているうちに。ああ、来なさい! あなたたちを限りなく愛している! その極悪さと悪行にもかかわらず、愛し続けてきた。被造物よ、どうしてそんなに進んでサタンの足下に身を投げ出すのか? 被造物よ、春風が吹き、改心の時がまだあるうちに、私に立ち帰りなさい。ああ、ヴァスーラ、時間がほとんどない(*)、来たるべきことが本当に迫っている!」


イエスがこう言っておられる時、内的ヴィジョンで、熱く、死に至る毒を持つ強風が私たちと自然に向かって吹きつけ、その通り道には死しか残さないのを見ました。触れたすべてのものは死に絶えてしまったのです

このビジョンの中で、息をしてこの「風」を吸い込もうとしている人々が見えました。しかし、和らげられる代わりに、彼らは内部から火を付けられてしまったのです。コロナウイルスは肺を攻撃することが分かっています。この致命的な「風」は、イエスがある時言われたように、もし私たちが死ぬとすれば、それは私たちの棄教のために死ぬのだということも象徴していました。それは良い人々にも悪い人々にも影響を及ぼし、皆が同じように苦しみます。違いはありません。理解のために、ルカ13章1節から5節を読んでください(*)。

風が通ると、木々は葉をすべて落とし、自らしおれてしまいます。黙示録における神のみ言葉の多くと同じように、これはあるひとつの出来事だけに限定されるものではありません。ですから、私たちの棄教によってもたらされる、肺を攻撃する罰に関する神の預言は、未来においてもまた繰り返されることがあり得るのです。

* ルカ13・1-5 「ちょうどそのとき、何人かの人が来て、ピラトがガリラヤ人の血を彼らのいけにえに混ぜたことをイエスに告げた。 イエスはお答えになった。「そのガリラヤ人たちがそのような災難に遭ったのは、ほかのどのガリラヤ人よりも罪深い者だったからだと思うのか。 決してそうではない。言っておくが、あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる。 また、シロアムの塔が倒れて死んだあの十八人は、エルサレムに住んでいたほかのどの人々よりも、罪深い者だったと思うのか。 決してそうではない。言っておくが、あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる」

何人かの聖書学者たちは、聖書における類型とキリスト教預言との関係を認めています。聖書における類型とは、ある聖書的な出来事や預言は、それが先に発現した後にも、同じパターンの出来事が将来も続くことがあり得るということを示唆します。そのような類型の一例を、出エジプト記に見ることができます。「モーセが手を天に向かって差し伸べると、三日間エジプト全土に暗闇が臨んだ」。全土を覆う暗闇というこの出来事は、ヨエル書3章4節、2章2節、2章10節、そして黙示録の6章12節、8章12節にも見つかります。もうひとつの例は、聖霊が降るという出来事で、マリア(ルカ1・35)、キリスト(3・22)、使徒たち(ルカ24・49、使徒2・1-4)に、そして主の洗礼(ヨハネ3・5、使徒2・38、同10・44-45、同11・15-16)でも起こりました。全人類に聖霊が注がれるという預言は、ヨエル書3章1-5節にあり、聖ヨハネ・パウロ二世と聖ヨハネ二十三世教皇が、全教会に「新しい聖霊降臨」が降ると書き、語られた声明の中で見つけることができます。そして『神のうちのまこと のいのち』の中では、1995年12月10日「私はかつてなかったほどのしるしを天に現す。第二の聖霊降臨は訪れ、地上の私の王国(イエスは教会のことをおっしゃっています)は回復する」とあります。

同じように、私たちの棄教ゆえに肺を襲う罰が下るという『神のうちのまこと のいのち』のこの預言を、コロナウイルスの暗示と読むこともできますし、地球全体を包囲するであろう「炎のハリケーン」の暗示と考えることもできます。

2016年2月13日

私の平和を与える。私の言葉を書き下ろしてくれるか?

はい、主よ……

この世代が屈むのは難しい。自らの罪によって弱った彼らは、サタンに信頼を寄せ、サタンに希望を置いている。私は誰にでも見えるように立っているにもかかわらず、わずかしか気づいていない。彼らの指導者たちは残酷さを増し、その手によって多くの国々に死が待ち受けている。あなたたちのために私はどれほど嘆き悲しんだか、被造物よ! あなたたちのいのちは今、死の中に流れ落ちる。そして火が舌のようにあなたたちの住民をなめ尽くし、大気中で爆発する時、私はこの時代に問おう。どこで安息を見つけるつもりか? 誰のうちに? サタンにか? あなたのエゴと自我の中にか

この信仰無き世代への罰があなたの戸口にまで迫っているゆえ、私の義を実行に移す時が来た。私の命令を文字通り実行する。あなたたちが雷鳴を聞く時、私の声があなたたちの耳に轟き、地上の果てまで鳴り響くのが聞かれるだろう。そして世とそこに住むものすべてが義の声を聞くことを知りなさい。悪は多くの国々に死をもたらす……あらゆる都市に破滅が忍び寄るだろう

ヤハウェの天使が都市と国々を取り囲み」、あらゆる人々に悔い改めるように呼びかけるとは聞かなかったか? これらがこの来たるべき日々に起こる

それゆえ、私の王宮に入り、私の言うことを信じたあなたたちは祈りなさい、そして恐れたり怖がったりしてはならない、しかし私の言葉をいつまでもあざけり続け、その舌で私の預言者たちを打ってきたあなたたちは用心しなさい! あなたたちは自分の嘘を正当化するために嘘を使い、実に、私の言葉をあなたたち自身の墓に葬った。そうだ、確かに私の言葉を歪めている。しかしその罪が、あなたたちと私の間に大きな隔たりを作った。そして今、義が差し控えられることはない。あなたに言う、私があなたの前に立ちはだかる時、来たるべきその日々は悲惨なものとなろう…… 祈りなさい、まぶたを閉じたまま、眠りに落ちてはならない

このように祈りなさい。

「ヤハウェ、私の神よ、私の祈りをあなたに届かせてください、
慈しみと助けを求める私たちの叫びを聞いてください。
私の神よ、あなたに信仰を持たない人々を、
そして私たちを救うあなたの力に信頼しない人々をおゆるしください。
この時代から光を吹き消さないでください。
一瞬にして地球が萎えてしまいます

むしろ、あなたの父としての慈しみのうちに
私たちをあわれみ、ゆるしてください。
悪魔に私たちの血を水のように流させないでください
私たちの罪をゆるし、私たちの弱さをお忘れにならず、
お怒りを鎮めてください。
災害をもたらす天使たちを引き止めて
私たちがあなたのあわれみに値する者であることを
証しするチャンスをもう一度与えてください。
あなたに信頼します。アーメン」

そうするなら、私はどれほど喜んでその祈りを受け入れるだろう。この祈りは私の心を和らげる! 娘よ、この祈りを心から祈る人々を祝福する。この預言が聞かれるように。「その日とその時は私、あなたの神に属する」。私の義の時がいつ来るか尋ねる者たちにはこのように答えなさい! 愛があなたを愛している。


この祈りは、私たちの今の時代にとって最も適切なものです。どうかこれを世界中に広め、誰もが謙虚な心でこれを祈るようにしてください…… これは、私たちをこの悲惨な状態から抜け出させるために、神がどれほど助けたいと望まれているかを示しているのです!

この二つのメッセージは、いま私たちが生きているこのコロナウイルスの時期にとって非常に重要です

今からおよそ2年前の2018年5月23日、フランス語で次のように言う声をはっきりと聞きました。「間もなく、大気の爆発が起こる……」。この1年後の2019年4月10日、キリストがこのことをもう一度取り上げられたので、メッセージの注釈にこれを書きました。キリストは私たちを訪れるであろう火について語られましたが、この「火」は人間が付ける物理的な火ではなく、人々を焼き尽くす別の何かなのです。今日コロナウイルスによって起きている事態は、まさにこの預言の成就の始まりです。私が聞いたこの声が使った言葉、「大気の爆発」は、それが爆弾のように突然、しかし強烈に起こるであろうことを意味しています。キリストは2019年4月10日のメッセージで、「人が築いたものを焼き尽くす」という言葉を使われて、それは多くの国々に影響を及ぼすだけでなく、経済にも影響を及ぼすだろうと続けられました。それが今起こっていることは明らかです。2019年4月10日のメッセージから、コロナウイルスに関して幾つか抜粋します。

……獣はあなたたちの後を付け、あなたたちをその嘘で満たし、明るみに出ると都合が悪いゆえに、夜の静寂のうちにあなたたちを追いかけている。暗がりをうろつく黒い影のように、あなたたちのために落とし穴を仕掛ける。その口は卑猥な言葉であふれ、あなたたちに対して行ったあらゆる悪事で満ちている、世代よ、あなたたちはいまだに、彼の悪意に気付かずにいるのか? その邪悪さに? 私はあといくつ警告を出さなければならないのか?

厳しい試練があなたたちの前途に待ち受けている。人が付けたものではない火(*1)が国々を破滅させ、人が築いたものを焼き尽くす。自然があなたたちに刃向かい、洪水が必ず大勢を押し流すだろう。私の聖なる名が語られる度に、あなたの顔に浮かんでいた冷笑は消え去る。そして暗い隅に隠されていたものすべてが明るみに出される。不信仰な世代よ、暗鬱のベールがあなたたちのために取り置かれている。

私は西の方を向き、それから東の方を向いた。そして私の家が正道を踏み外しているのを見る、なぜなら、多くの者が光を探し求めることを放棄してしまったからだ。多くは自分の好むままに行動し、私の体に障害を与える誤った決定を下す。彼らはいろいろなやり方で、私を彼らの生活から切り離してしまった。私の支配と私の教えは、私の家のがれきの下で破砕され、私のわざはその下に押しやられている。

あなたたちの肉は腐敗している、世代よ、そしてあなたの魂は、干上がった土地のように乾いている。私は悔い改めの叫びを聞く必要がある。私の犠牲は無駄だったのか? 私の父が造ったどの被造物も、一本の野生の花よりも長持ちしない。風の一吹きによって滅びてしまう。しかしその魂は永遠に続く……いつまでも。私はあなたのいのちを守護する者。あなたを守り、かくまい、保護する。あなたのために私のいのちを与えた、あなたが生きるように、これ以上の何ができただろうか? では立ち上がりなさい、今! そして悔い改めなさい! あなたの恐ろしい行いを認めなさい(*2)、邪悪な時代よ、その邪悪なやり方を止めなさい、あなたの振る舞いと行いを正しなさい、そうするなら私はあなたに耳を傾け、ゆるそう。私のいのちをあなたに与えたことを忘れてはならない。蛇から逃げるかのように、罪から逃れなさい。

この終わりの日々に、私は風を使者として使い、彼らを砂漠へと送り出している。遊牧民のように、私の体を強め 、飾り、一致させるために。……ic


*1 2018年5月23日、次のようにフランス語で言う声をはっきりと聞きました。「間もなく、大気の爆発が起こる……」
*2 どの罪も、私たちの目には大したものではないと思える小さな罪でさえも、神の御目には恐るべきものであり、非常に大きなものとして映ります!
*3 教会。

フィリピンのジュリオ・ガディ神父は説明しています。「ヴァスーラの本、『天国は現実、しかし地獄も現実』を読み直すと、ヴァスーラは早くも2013年にすでにこのパンデミックについて警告していました。238ページには、『闇の勢力は増え続け、霧のように多くの国家を覆っています。にもかかわらず、この戦いの兆しなど見られないと言うことはできません!』とあります。私たちは今、世界中でこのパンデミックを経験していますが、それは「飛沫」を通じて感染します。飛沫とはこの本で言及されている「霧」なのです」。

この記事を書いている最中に、『神のうちのまこと のいのち』の本(単巻版)を開けてみると、私の目はすぐに1991年9月23日の一節の上に止まりました。永遠の御父が語られます。

「何が見えるか、娘よ?

あなたの御子の聖なるみ顔が、苦しみにあえいでおられるのが見えます。そのみ顔は聖骸布のようです。

あなたの時間とエネルギーをわずかでも犠牲にする理由が、これだけでも十分あるのではないか? もう一度見てみなさい、娘よ……今度は何が見えるか?

やわらかな赤い雲が空を覆っているのが見えます。私たちの上を霞のように漂いながら、次第に空を埋めていきます、ゆっくりですが、確かな足取りで。

書きなさい。「それは闇と暗黒の日、雲と濃霧の日である。強大で数多い民(*)が山々に広がる曙の光のように襲ってくる。このようなことは、かつて起こったことがなく、これから後も、代々再び起こることはない」(ヨエル2・2)。そう、その日は迫っている…… 何が今度は見えるか、ヴァスーラ?

生きた人間のたいまつが。


* 訳注 hosts 新共同訳では「民」、多数の、軍勢、あるいは「宿主(ホスト)」と読むこともできる。

同書の333ページでは、このパンデミックが手が付けられなくなっている間に、経済も破壊されてしまうことを私は説明しています。こう書きました。「経済危機は人類にとってもう一つの大きなしるしです。全能の神は今、金銭の神を表すマンモンを打ち砕いておられます。世界は神の愛ではなく、マンモンに頭を深く垂れて崇拝し、それが利己主義、戦争、そして心の中に邪悪さをもたらしているのです」。

教会は、神は悪から善を引き出すことがおできになると教えています。それはおそらく、私たちの人生において、神の現存無しには、富はそれだけでは私たちを幸福にするのに十分ではないことを私たちに理解させるためなのでしょう。これはまるで、私たちが大きな断食、世界的な節制に耐えながら四旬節を過ごすことを神が許されたかのようです! 多分神は、私たちに今までの生き方を止めるように求めておられるのです。おそらく主は、物事の尺度を調整して、正しい場所に置こうとされているのです。例えば、経済の健全性よりも、私たちの健康の方が重要であるというようなことです。危機の時に互いを思いやることは、神の目にとって、地上の富を積み上げることよりももっと価値があり、尊いことです。自然はすでに癒やされつつあります。空はようやく「息ができる」ようになり、空気はきれいになり、以前ほどの汚染はありません。

私たちを守ろうとする神の愛は、人間の理解を超えています。主は1992年5月6日のメッセージの中で、私たちを安心させてくださいます。この中で、次のように明かされました。

「サタンは今日、その憎しみのすべてを地上に吐き出している。怒りにまかせて国々を引き裂き、転覆させる。サタンは破壊し、災難に次ぐ災難をもたらす、しかし私の手は大いなる力によって、彼が壊したすべてを建て直す

本当に大切なことは、私たちが罪びとであることを認め、心から悔い改めることです…… そして、恐れるべきではありません。私たちが聖母とイエスの近くにいたなら、恐れるものは何もありません。

問題は、このパンデミックの波が地球全体を急速に覆い、あらゆる国々に広がってしまうことを、誰も予想していなかったということです! それはまるで、1992年5月6日にイエスが言われたように、サタンが私たちの上にを吐いたかのようです。サタンは私たちを憎んでいます! しかしイエスはこの長年の間、繰り返し警告してこられました。サタンは私たちを破壊するために大虐殺を準備しており、この目に見えない害悪が予期していない時に、盗人のように、私たちの上に忍び寄るだろうと。それは蛇のように、私たちに静かに滑り寄ってきました。なぜなら、私たちはドアを大きく開けて、悪が入ってくるのを許していたからです。神はこの害悪が起こってほしくありませんでした。

もし人々がまだ神に反逆し続けるなら、このパンデミックの終息後、さらにもう一つ最後の大きな警告が与えられた後に、硫黄を伴った火が天から私たちの上に下るであろうことを神は警告されました。私たちが天から神の義を引き寄せるのです。ニネベのことを覚えていますか? 私たちは現代のニネベですが、すべて同じというわけではありません、なぜなら少なくともニネベの王は警告を受けた時、直ちに行動し、断食してすべての民と家畜たちにも断食するように命を下したからです。そして彼は粗布をまとい、悔い改めたために、神は思い直されました。

良い信仰を持つ人々は、聞こうとしない人々のために祈るように私は勧めます。なぜならこの大きな警告は、火による大いなる罰に先立つ最後の警告の一つだからです。火による罰が来る時、地球は揺らぎ、その地軸からはずれるでしょう。結果として、地球の重力すら変化することもあり得ます。わずかな人々だけが残り(それは私たちにかかっています、どれほどの人が回心し、神に立ち帰るかによります)、世界はついに平和の時期を喜ぶでしょう。今回、私たちは神に耳を傾けるでしょうか? 今度こそは『神のうちのまこと のいのち』のメッセージを真剣に受け止めるでしょうか? これはキリストご自身の言葉です。

1993年2月18日

「雷鳴がとどろき、稲妻が走るのを見たなら、私の義の時が訪れたと知りなさい。地球は揺すられ、流れ星のように軌道を逸し、山々と島々はその場所から根こそぎにされ、国々全体が滅び去る、そして閉じていく巻き物のように(黙示録6・14)空は消え行こう。 ……そして義の杯によって、この暗闇の日々に、あなたたちを蛇や毒蛇に似たものとし、腹這いにさせ、塵(創世記3・14)を噛ませよう」

「腹這いにし」とは、巨大な地震の後、地球の重力が少しの間変化することを説明しているように思われます。

悪がどのように悪を引き寄せるのかを説明する、聖母が与えられたメッセージを付け加えます。

1990年5月15日

「あなたたちに平和。子どもたちよ。私、聖なる母は、あなたたちが主にお会いするための準備をしています。霊的成長のために教育しています。あなたたちを助け、力づけようと、恵みで覆っています。あなたたちの生きるこの時代は特別な日々であると悟ってください、主の到来に先立つ日々であり、主が来られる道を開くための日々です。この時代はあなたたちの王が降って来られる準備の時代です。すべての人たちの準備が整っているように祈りなさい、聞くのも見るのも拒む魂のために、熱心に、祈ってください。私の小さな子どもたち、天におられる御父に向かって、このように祈ってください。

限りなく慈悲深い御父よ、
あなたのみ声を何度聞いても
決して理解しない人々が、
今度こそあなたのみ声を聞き、
至聖なるお方、あなたであると理解しますように。
あなたを何度見ても
決して気づかない人々の目を開いてください。
今度こそ彼らの目で
あなたの聖なるみ顔とあなたの栄光を見ることができますように。
彼らの心にあなたの御指を当ててください。
彼らの心が開かれて、あなたの誠実さを理解しますように。
このすべてを祈り求めます、
まことに正義なる御父よ、
あなたの愛する御子イエス・キリストの御傷を通して、
すべての国々が回心し、いやされますように。
アーメン。

御父に聞くのも見るのも拒んでいる、強情な魂たちをおゆるし下さるように願いなさい。御父は限りなく慈しみ深く、ご自分のすべての子どもたちに目を注いでくださいますでしょう。そうです、小さな者たちよ、兄弟の救いのために祈る時、あなたたちは神の御前に、香の薫りとなっているのです。一生懸命祈れば祈るほど、それだけその祈りは強力なものとなります。あなたたちを招き、恵みによって主の呼びかけを聞こえさせて下さった主に感謝しなさい、そこで聞くのを拒む者たちのために祈りなさい。

時が迫っていながら、多くの者たちはいまだに気づかないで深い眠りにひたっています。日が無くなり、私の心は今日の若者たちを天上から見ていて、深い悲しみに沈んでいます。愛が欠けています。……けれど彼らは愛と出逢ったこともないのです、彼らの多くは、母親に与えるものがなかったため、そのぬくもりや愛情さえ受けたことがありません。世は冷たくなってしまいました、氷のように、そして両親は互いに歯向かい、子どもは愛情の不足から両親に歯向かいます。子どもが愛を乞うても母親はそれを拒んでしまいます。世には愛の心がありません、憎しみ、貪欲と自己本位が地球全体をその中核まで支配しているため、深い暗やみの中にあるのです。この暗い世の中の罪、そして聖櫃そのものの中に浸透していった背教、こうした恐ろしい光景に私は身震いしています。災難、飢饉、不幸、戦争や疫病、このすべてはあなたたちが引き寄せたものです。地上から来るすべては地上に戻ります。地上は自らを破壊しているのです。そして多くの人はそう信じがちですが、このすべての災いのもとは神ではありません。神は義なる方で、慈しみに満ちておられます、けれど悪が悪を引き寄せるのです。

一生懸命祈りなさい、あなたの時代の改心と救いのために、心から祈りなさい。私の子どもたちよ、あなたたちの祈りが必要です。祈ってください、それを神に捧げましょう。どこへ行こうと、必ず一緒にいます。私の子どもたちであるあなたたちを、決して離れません。皆に祝福を与えます」

そして主は言われます。

「私の霊は足の萎えた者を集め、道を逸れた者たちを一つにしよう。彼らは私に接ぎ木され、私の聖なる名を再び尊び、地上の私の王国を回復させる。……それゆえ何を怖れるか? 私が共にいる」1993年12月28日

ヨセフ・イアヌッツィ神父が彼の考察を分かち合ってくれました。これが神父の言われたことです。

エジプト人の時代、人々に偽りの神々を捨てさせ、主お一人だけが彼らの神であられることを思い出させるために、神は疫病を送られ、それは数ヶ月間続きました。この最後の数ヶ月間、主は私たちが礼拝していたこの偽りの神々を取り除かれました。このウイルスは邪悪なものですが、神がそれを許され、そのためにあらゆる娯楽施設、劇場、スタジアム、市民ホールやビジネスが閉鎖されるのを目撃していることは注目に値します。おそらくこの出来事は、私たちを神に立ち帰らせるために使われているのでしょう。神は『神のうちのまこと のいのち』で次のように言われました。

「人々を呼び集め、こう伝えなさい。悔い改め無しには、そしてあなたの祈りに誠実さが無ければ、この害悪はあなたたちが考えているよりも長く続くだろう。あなたの神である私に立ち戻り、悔い改めなさい。誠実な、世界中からの祈りが、あなたの神である私に届くだろう。断食は悪霊たちを取り除く。私はどんな犠牲でも受け取ることができる。あなたの無気力な霊を取り除き、その邪悪なやり方を放棄しなさい、そしてあなたの神である私と和解するように。「主よ、罪人である私を憐れんでください!」という言葉を聞かせてほしい、そうするなら私は憐れみを示そう。そしてあなたたち皆に祝福を雨のように降り注ぐ。来なさい、恐れないように。私は聞いている……  ic」2020年3月13日

おそらく、最も大切なことはワクチンではありません。しかし、私たちがこのように孤立することを神が許されたのは、世の気晴らしから私たちを引き離し、四旬節の時期に、世界で最も大切なもの、イエスに焦点を合わせることによって、各個人が内的に刷新されるように、神に心を開くためなのです」