2013年イスラエル巡礼のレポート

「多様性のうちの一致」を味わう
第9回「神のうちのまこと のいのち」イスラエル巡礼のレポート

2013年8月25日~9月2日

菅原 悟

二年毎に開催される「神のうちのまこと のいのち」の超教派巡礼、今年は2000年以来二度目となる聖地イスラエルへの旅となりました。参加したのは60ヶ国から全体で750人前後、そのうち大司教や主教を含む司祭団が約120人。ローマ・カトリック、正教会、聖公会、ルター派を含め、21教派に及びます。日本人グループは16人で、今回は新刊本『天国は現実、しかし地獄も現実 Heaven Is Real, But So Is Hell』の効果もあって、アメリカから多くの方々が参加されました。

これまでイタリアやギリシャ、トルコ、エジプトなどを訪れてきましたが、聖地イスラエルはやはり特別な場所です。ナザレ、ベツレヘム、サマリア、ガリラヤ、ベタニア、そしてゲツセマネ、カルワリオ、ゴルゴタを含むエルサレム……日本で言えば一県に収まるほどの地域(*1)に、キリストが歩まれた場所が集中しています。そこでは二千年を経た今もなお、土地や遺跡、木々たちが福音書を指し示してこう証言しているかのようです:「あの出来事は本当にあった、それはまさにここで起こった、我々はあの方を見た」。またある参加者の方はこう言われました。「聖地へ来ると、旧約と新約は分断されたものではなく、一つの継続であったということがよくわかります」。ここは長い歴史を持つ約束の地カナンであり、聖地を巡礼するということは、ナザレの人イエスの足跡を辿るだけではなく、旧約の神の民の物語を現実のものとして味わうことでもあるのです。

*1 ヨルダン川西岸地区と呼ばれるパレスチナ自治区の面積は三重県と同程度。

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ホテルのホールで行われた初日の歓迎レセプションは、まず全員でアラマイ語の「主の祈り」を美しいメロディーで歌うことで開始されました。ヴァスーラの歓迎の挨拶と何人かの聖職者のスピーチがあり、ローマ・カトリックのミサの後、750人の巡礼団は16のバスに分乗して各地を訪れました。マリアがエリザベトを訪問した場所であり、洗礼者ヨハネ生誕の地でもある訪問教会、そしてベツレヘムの降誕教会です。降誕教会はイエスが生まれたとされる場所の上に立てられた聖堂で、一般のイメージだと木で出来た馬小屋を思い起こすのですが、実際は岩でできた洞窟です。聖堂の床には、イエスが生まれた場所に星型の装飾がほどこされた穴があり、そこから手を入れると床下の岩に触れることができます。その後、隣接のアレクサンドリアの聖カタリナ教会の聖堂では、米軍によるシリア攻撃の危険が伝えられる中、聖地の平和のためにロザリオを祈りました。

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ヴァスーラはスピーチの中で、教皇フランシスコとの以前の面会の模様がどんなものであったか話しました。ヴァスーラは数年前アルゼンチンにおられたベルゴリオ枢機卿(後の教皇フランシスコ)を訪問した際、一時間ほど話をしましたが、その内容はヴァスーラの担う使命についてで、とくに一致について話したとのこと。枢機卿は「教会の一致は緊急の要請です」と同意されたといいます。ヴァスーラは復活祭の日付の一致の重要性についても話しましたが、枢機卿はカトリック教会が正教会と同じユリウス暦を再び採用することに対して「私は全く問題無い、オーケーです」と言われたとのことです。暦の変更は問題無いという立場の枢機卿は他にも多数おられるとのことでした。現教皇はヴァスーラのことを個人的にも知っておられ、そのメッセージの内容の重要な部分を知っておられます。私たちは現教皇が復活祭の日付を一つにし、教会を一致へと導かれることに期待をかけています。世界の回心と教会の一致がこの一点にかかっているからです。

二日目、ギリシャ正教の地元教区主教の歓迎の挨拶、そしてユダヤ教のラビのスピーチの後、巡礼団は東に向かい、エリコを訪問しました。エリコは旧約聖書で何度も言及されることでよく知られた場所です。イエスが40日昼夜断食してサタンに誘惑を受けた(マルコ1:13)荒れ野がある「誘惑の山」へ行き、ロープウェイに乗って山上のギリシャ正教の修道院、デールクルントゥル(アラビア語で40日間の修道院の意)を訪れました。この後、天使のお告げを受けて救い主の降誕を知らされた羊飼いたちが暮らしていた洞窟と、彼らを記念する「善き羊飼いの教会」、クムランの遺跡とベタニアのラザロの家、死んで甦ったラザロの墓を訪問しました。その後ホテルに戻り、エチオピア正教の聖体礼儀が行われました。

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誘惑の山上から見たエリコ全景

三日目はホテルでのスピーチとアルメニア典礼カトリックのミサの後、イエスが麻痺していた者を癒されたベトザタの泉(ヨハネ5:2-9)、聖母マリア生誕の場所である聖アンナ教会を訪れ、旧市街のヴィア・ドロローサ(苦しみの道、嘆きの道として知られる)を歩きつつ、十字架の道行きをしました。この後、最後の晩餐が行われた部屋、ダビデの墓、次に生神女就寝(*2)の地とされるハギア・マリア・シオン教会、聖ペトロがカイアファの家でイエスを三回否んだことを記念する聖ペトロの鶏鳴教会を訪れました。最後に、巡礼団はエルサレムの聖公会の司教座である聖ジョージ・カテドラルを訪問し、現地の教区主教であるスハイル主教から公式な歓迎のご挨拶を受けました。

Anglicans with Vassula
左から:聖公会の修道士二人、ヴァスーラ、スハイル主教

 *2 「しょうしんじょしゅうしん」と読む。聖地はギリシャ正教の教会が多く、正教会には聖母被昇天と無原罪の教義がありません。正教会にはその源泉とも言える生神女就寝という伝承が伝えられています。生神女マリヤ(正教会での称号)は聖使徒(使徒)たちが見守る中、眠りにつき墓に葬られたが、三日後聖使徒フォマ(使徒トマス)が到着して再度墓を訪れると遺体はなく、マリヤは使徒たちに出現されて自らが天に昇ったことを告げたというもの。ハギア・マリア・シオン教会はこれを記念しており、眠る生神女の像が据えられ、マリヤが眠ったとされる寝所を見ることができます。

IMG_0503 生神女就寝

四日目、朝のアルメニア正教の奉神礼の後オリーブ山へ向けて出発し、イエスが昇天された場所である主の昇天教会、さらに主の祈りを教えられた場所とされる主の祈りの教会を訪れました。各国語による主の祈りの展示には目を見張るものがありました。

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この後、ゲツセマネの園の中に位置する苦悶教会(万国民教会)を訪れました。ここには受難前夜、弟子達が眠る中、イエスが祈っていた岩が安置されています。この後、私たちは聖地の中でも最も聖なる地である聖墳墓教会へ向けて、カルワリオ(ゴルゴタ)の丘へ向かう道を現地で貸し出している十字架を背負いつつ上りました。聖墳墓教会はイエスの十字架刑と復活を記念する場所です。

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五日目にはエルサレムを離れ、ナザレへ向かいました。サマリアの女がイエスに水を与えたヤコブの井戸、イエスが会衆に説教したシナゴーグの教会(ルカ4:14-21)、腹を立てた民衆がイエスを突き落とそうとした崖(ルカ4:29-30)、そして天使ガブリエルがおとめマリアに現れた場所である受胎告知教会、ヨセフとマリアの住居であった聖ヨセフ教会を訪れ、最後に聖ヨセフ教会でローマ・カトリックのミサが行われました。

ナザレは人口6万5千人の小さな町で、イエスの出身地として現在でもキリスト者が多数を占め、受胎告知教会を中心として、とりかこむようにして発展した町です。親切な人々が多いことで知られるため、ここに移住してくるアラブ系のパレスチナ人も少なくないとのことです。マロン派教会(*3)の信徒であるナザレ市長がホテルへ出向いてくださり、多くの教派からなる大巡礼団である私たちを歓迎するスピーチをしてくださいました。聖地は対立と不一致のために苦しんでおり、周辺の中東諸国、ひいては世界全体が対立によって苦しんでいる中、どれほど世界が和解と一致を必要としているか、市長もこの点を強調されていました。ヴァスーラがスピーチでたびたび繰り返したのは、私たちメッセージの読者は、一致と和解について語るだけではなく、これを体現し、行動に移すことにより、世界に平和と一致をもたらす初穂となるように呼ばれているということです。

またこの後演壇に上がられたジョン・アバートン神父の先導による祈りは、およそ日本では体験したことのないような強烈なものでした。アバートン神父は「神のうちのまこと のいのち」共同体全体の指導司祭であり、公認のエクソシストでもあります。ここで行われた祈りはまさにエクソシズムを彷彿とさせる言い回しを使った、断固とした言葉と信仰による祈りで、悪と対決する祈りの軍隊とでも形容できるような一体感を持つものでした。アバートン神父はこの後、ナザレのバスでたまたま私の隣に座られたので話をしましたが、以前から必要性を感じていた日本国内でのエクソシズムの執行の可能性について相談し、大変有益なアドバイスをいただきました。

*3 東方典礼カトリックの一つで、隣国のレバノンやシリアと深い関係があります。

六日目、巡礼団はガリラヤ湖へ向かいました。イエスが山上の垂訓を説教された場所、祝福の山教会を訪れました。その後、魚とパンを増やす奇跡(マルコ6:30-46) が行われた場所であり、復活された後の4回目の出現(ヨハネ21:1-24) があった場所であるタブハ、そして聖ペトロ教会とカファルナウムを訪れ、夕方にマロン派のミサに与りました。

最終日、七日目の朝はイエスの変容の場所であったとされるタボル山の頂上へと昇り、その後カナの婚礼で知られるカナヘ下り、午後はタボル山上でメルキト典礼のミサが行われました。司式はイスラエルの市民権を持つアラブ系パレスチナ人の司教で、説教ではこう言われました。「皆さんがここに来ることによって、この地は聖とされます」。

この後、巡礼団はヤルデニットを訪れました。ここはイエスが洗礼者ヨハネに出会った場所とされるヨルダン川沿いの洗礼のための特別な場所です。ここで、日本人グループの中で驚くような出来事がおこりました。日本人グループの中に一人の未信者の方がおられたのですが、この方は次回の巡礼には是非洗礼を受けて参加したい、という思いを持っておられました。ところがこの日、ヨルダン川に向けて階段を降りるうちに、あらかじめそう考えていたわけでもないのに、突然「今ここで洗礼を受けたいのです」という言葉が口を突いて出てしまったとのことです。その時、図らずも隣にはユリアン神父がおられ、「いいでしょう」と答えました。「神父様、私は本気で言っているのです」「はい」。神父はこの特別な祝福の中での緊急洗礼を許可し、「あなたは神を信じますか」と聞き、この方が「信じます」と答えると、ヨルダン川の水で洗礼の秘跡を授けました。私はきっと神からの強い促しがあったのだろうと考えています。周りの者は皆この思いがけない出来事に驚き、喜びました。神父は正式な洗礼証明書を書き、喜びのうちにこのことをヴァスーラに話すと、ヴァスーラは「これは奇跡です」と言ったとのことです。

最終日の夜、ホテルのプール横での最後の集会が開かれました。ヴァスーラの最後のスピーチは次のようなものでした。

「『ヴァスーラ、ありがとう』という言葉を私はたくさん聞きました。ですが、むしろ神と聖母に感謝しなければなりません。覚えていらっしゃいますか? メッセージから私の名前ヴァスーラを取り除いてあなたの名前をそこに入れるようにと神が最初に言われたことを? 『神のうちのまこと のいのち』のメッセージは私だけのために与えられたのではありません。これは皆さん全員のために与えられました。私たちは皆キリストの弟子なのです。私たちは聖霊の炎を体験しました。それぞれの場所に戻ったら、皆にこの火を渡してください。この炎を燃やし続け、一致を行動に移してください。なぜなら、行ないの伴わない信仰は無だからです(*4)。もし苦難を経験したとしても、勇気を持って下さい。神はこの一致を約束されました。神は私たち全員を一致させると約束され、私たちはそれを既に味わっています。これは一致の前触れなのです。ですから一致について話すことを恐れないでください、勇気を持って! 神は私たちとともにおられます!」

*4 ヤコブ2:26

今回の巡礼が終了したと同時に、巡礼チームは既に次回2015年の巡礼の準備を開始しています。私たちは次回、もう一度聖地を訪れることになります。巡礼チームは私たちと同じ、ただの読者ボランティアですが、このような大変な仕事に責任を持って携わることによって、メッセージの利益のために、私たち読者に仕えてくださるのです。ヴァスーラは今回、スピーチの中で同じ事を何度も繰り返しました。「私たちは目に見える形で、多様性における一致(Unity in diversity)をすでに実現しています。一致を語るだけでは不足です。これを目に見えるものとして実行に移してください行動してください!」誰もがこの言葉に心を動かされました。しかし、実際に行動に移す人はあまりに少ないのです。私たちは自戒を込めて、ヴァスーラの今回の巡礼でのスピーチにおけるこの一番重要なメッセージの真意を汲み取る必要があるでしょう。

行動とは何でしょうか。つまり、私たちは他の人の奉仕の実を受け取るだけで、自分からは決して与えようとしない者であってはならない。仕えられるだけで仕えることをしない者でいてはならないということです。それはキリスト者の態度ではありません。私たちは「心と魂と精神の全てを尽くして、神と隣人を愛しなさい」と命じられています。それは「与えなさい、仕えなさい、全力で働きなさい」という意味です。いつまでも宴席についてご馳走を待つだけの「お客様」でいてはならない、汗をかいてもてなす給仕にならなければならないということです。

昨年末に書かれた読者へのヴァスーラの手紙で、私たち読者はその生ぬるさと怠惰を省みるように問われました。私たちはこの巡礼で、火のように燃える聖霊に満たされ、一致の喜びを体験し、力づけられました。巡礼に参加していないとしても、メッセージという恵みを通じて霊的な喜びを与えられ、神が何を求められているかを知っています。それでいて、自分がいただいた霊的食物を隣人と分かち合おうとはしない、他では類を見ない巡礼での喜びを得ても、国に帰ればそれに対して何もしない、メッセージを読んで利益を得ても、読んで楽しむだけで、行動には移さない、神のご意向に対して全力で答えようとはせず、「私は~だから、何もできない(*5)」と考えているとすれば、いずれその不義をこう問われる時がくるでしょう:「あなたはこの特別な(霊的な)祝宴へ招かれ、食べたいだけ食べて満腹した。ところが外には、食物に飢えた隣人たちがおおぜい死にかけている。彼らのところにこの食物(メッセージ)を配りに行きなさいと命じた私の言葉を読んだはずだ(福音宣教)。あふれんばかりの恵み、聖霊の炎と喜びを受けた後、あなたは私に何を返してくれたか。その炎はどこか。その実りはどこか」

*5 メッセージのために熱心に働く人々には、驚くような非常に困難な環境にありながら、大小さまざまな奉仕の仕事をやってのける人々がいらっしゃいます。彼らは神の恵みは常に十分であることを確信しているのです。奉仕の行為の大小ではなく、そこに込めた愛の深さが問われています。

メッセージの読者はこの比類無き恵みへの返答として、貧者を助け(ベス・ミリアム)、メッセージと一致について証しし(証しの集い)、復活祭の日付の一致のために署名を集め(ワンデイト・ドットオーグ)、個人的に祈るだけではなく、祈りの集いを作って定期的に集まって祈るように要請されています。日本でもこういった手立てが用意されています。恵みによって個人的な信仰生活の回復を経て霊的な健康を取り戻した後、メッセージのために私たちは何をしたでしょうか? こう言われています:「忘れてはならない、あなたは私に命の借りがあることを」。そこで行動することが求められています。ヴァスーラは神のメッセンジャーとして再三繰り返しました:「行動してください、行動してください! 行い無き信仰は無です!」上記の問いかけをイエスから受けたとき、私たちはどう答えるのでしょうか。

「神のうちのまこと のいのち」の巡礼は、観光旅行でも休暇旅行でもありません。それはメッセージの読者が世界の共同体の家族として、教派を超えて一つの羊の群れとして集い、この「ちくたくの地」で次の二年間を戦い抜くための霊的な励ましです。溢れんばかりの恵みを受けた私たちに向けられたこの問いかけに対して、私たちの答えはどのようなものでしょうか:「行動してください!(put into action!)」