今日の教会の状況

教皇フランシスコ、聖書預言と公認の預言的諸啓示

+ジョゼフ・レオ・イアヌッツィ神父
S.T.L, S.Th .D.(神学博士)

*イアヌッツィ神父の経歴についてはこちらをご覧ください。

ここ数ヶ月、性的虐待スキャンダルにあって紛糾している北米(アメリカ合衆国)の教会は、改革のために一致協力した努力が必要だと繰り返している。この記事で私は、教会内の性的虐待スキャンダルと、いわゆる「ネットワーク」に関する事実と嘘について述べ、世俗のメディア、あるいはカトリックの主流テレビ局ネットワークや主要メディアでさえも、気付かぬうちに、教父たち、教会博士や聖人たちの著作と聖書で預言された悪魔的計画を促進していることについて述べたい。

悪魔的計画に関して。聖書と公認の預言的諸啓示は、教会内部における差し迫った危機について予見している。今日私たちがその始まりを体験しているものである。それはカトリック教会の高位聖職者たちの分裂によって引き起こされ、最終的に、ローマ教皇をローマから追放する。神は預言者ゼカリアを通して啓示された。

「剣よ、起きよ、わたしの羊飼いに立ち向かえ。わたしの同僚であった男に立ち向かえと万軍の主は言われる。羊飼いを撃て、羊の群れは散らされるがよい。わたしは、また手を返して小さいものを撃つ」1

エゼキエルは、教会からその羊飼いの導きが一時的に奪われることを預言する。それはこの牧者たちが「力ずくで」「苛酷に」羊の群れを支配し、これによって教会の中に分裂を引き起こし、こうして群れは「散らされて」しまったからである。

「お前たちは弱いものを強めず、病めるものをいやさず、傷ついたものを包んでやらなかった。また、追われたものを連れ戻さず、失われたものを探し求めず、かえって力ずくで、苛酷に群れを支配した。彼らは飼う者がいないので散らされ、あらゆる野の獣の餌食となり、ちりぢりになった。わたしの群れは、すべての山、すべての高い丘の上で迷う。また、わたしの群れは地の全面に散らされ、誰ひとり、探す者もなく、尋ね求める者もない。それゆえ、牧者たちよ。主の言葉を聞け。わたしは生きている、と主なる神は言われる。まことに、わたしの群れは略奪にさらされ、わたしの群れは牧者がいないため、あらゆる野の獣の餌食になろうとしているのに、わたしの牧者たちは群れを探しもしない。牧者は群れを養わず、自分自身を養っている。それゆえ牧者たちよ、主の言葉を聞け。主なる神はこう言われる。見よ、わたしは牧者たちに立ち向かう。わたしの群れを彼らの手から求め、彼らに群れを飼うことをやめさせる。牧者たちが、自分自身を養うことはもはやできない。わたしが彼らの口から群れを救い出し、彼らの餌食にはさせないからだ。まことに、主なる神はこう言われる。見よ、わたしは自ら自分の群れを探し出し、彼らの世話をする。牧者が、自分の羊がちりぢりになっているときに、その群れを探すように、わたしは自分の羊を探す。わたしは雲と密雲の日に散らされた群れを、すべての場所から救い出す」2

羊の群れの前で「力ずくで」(つまり寛大でない)「苛酷に」(つまり無慈悲に)振る舞う、これらの牧者に対するエゼキエルの非難には説得力がある──今日の教会の牧者たちの多くがそうであるように、信徒たちの前で、キリストの代理者であり教会の指導者である教皇フランシスコを、彼が寛大で憐れみ深いことを理由に、力ずくで、苛酷な言葉で糾弾し、それによって羊の群れを分裂させるように仕向ける。端的に言えば、エゼキエルは、未来の教会の分裂を引き起こす原因は、寛大さではなく「無慈悲さ」にあると見なしているのだ。神が牧者たちに多くの霊魂を委ねられたことを考慮すると、羊の群れをキリストの代理者から引き離す誤った導きに見られる彼らの無慈悲さは、キリストの代理者の導きを羊たちから剥奪するものであり、この群れに対してまさしく無慈悲であることに等しい。

ローマ教皇が追放された後の、教会の分裂に関するもう一つの預言がある。福者アンナ・カタリナ・エンメリック(1774-1824)は、注意を引く三つの解説を提供している。

福者アンナ・カタリナ・エンメリック

「私はもう一つの大艱難のビジョンを見ました…… 聖職者たちから、承諾できないような譲歩が迫られているように見えました。多くの高齢の司祭たち、とくに一人の司祭が激しく泣き悲しんでいるのを見ました。若い司祭たちもまた泣き悲しんでいました…… まるで人々が二つの陣営に引き裂かれてしまったかのようでした3

私はローマへと連れて行かれ、そこでは、教皇が危険な事態を回避するために身を隠され、苦悩の中に追いやられておられました。身を隠される根本的な理由は、信頼できる人がごくわずかしかいなかったからです。……教皇様はとても衰弱しておられて、一人で歩くことがおできになりませんでした4…… 私がしばしば見かける、背の低い邪悪な人がローマにおり、教皇のために多くの仕事をしていましたが、何の目的で行っているのかはっきりと知られることはありませんでした。彼は新しい邪悪な教会にも代理人を持っていました5。教皇がローマを去れば、教会の敵が支配するでしょう…… 彼らが教皇へとつながる手段を妨害、あるいは拒否しているのが見えました。彼らが自分たちの趣向に合った司教を得ることに成功すると、この司教が教皇の意向に反して邪魔をするのを見ました。結果として、教皇は正当な権威を持たなくなってしまったのです……」6

「諸宗教の信条を混ぜ合わせ、教皇の権威を抑圧する計画が立てられるのを見ました…… もはや教皇はおらず、代わりに一人の司教が主祭壇の前でひれ伏しているのを見ました。このビジョンの中で、教会が他の船から砲撃されているのを見ました…… 全方位から脅かされていたのです…… 彼らは大きな、全ての信条を同等に奉じる、けばけばしい教会を建てました…… でもその祭壇の上には、荒らす憎むべきものがあるだけでした…… この新しい教会とはそのようなものだったのです……」7

事実確認、性的虐待のスキャンダル

上記の引用は、今日の教会のキリスト者たちの間に混乱と分裂の種をまいたスキャンダルへの、タイムリーな導入となる。最近の、またそれほど最近のものでもないこれらの教会内のスキャンダルの要点を説明するには、米国カトリック司教協議会が、ジョン・ジェイ・レポートとして知られるもの(John Jay Report 教区と東方教会の教区の全面的な協力を得た、聖職者による未成年者への性的虐待の問題の本質と領域に関する記述的調査)に対して準備するために、様々な分野での有力な専門家たちに委託したことを考察するのがよい。このレポートによれば、1950年から2002年にかけて、米国の聖職者の4%未満が性的虐待で「訴えられた」。訴えられたこの4%未満のうち、聖職者全体の0.1%未満が、詳細にわたる徹底的な調査の後、有罪とされた。米国の聖職者全体の0.1%がいわゆる虐待(あらゆる同性と異性の小児性愛の訴えを含む)で有罪とされたにもかかわらず、いくつかの米国のカトリック・テレビ局ネットワークと主要メディアは、この0.1%という明白な数値を、再三にわたり公表し損ねている。このスキャンダルは1960年代に増加し、1970年代にピークに達し、1980年代以降は次第に減少した。またこれらの主要メディアは、この0.1%は成人にも手を広げ、いわゆる虐待の「ネットワーク」を構成し、これを「隠蔽した」と断言するが、これは彼らがでっち上げた虚構である。0.1%という数字を把握するには、イエス自身がお選びになった十二使徒のグループの中の背信者の割合を考慮するとよい。それは8.3%(12人中1人)である。

このところ、教会内のいわゆる虐待「ネットワーク」の物語に基づいて、ローマ教皇フランシスコに対する攻撃が実行されている。この攻撃は、これらの虐待の大多数は、教皇フランシスコの監視下で起きたものではないという事実を見て見ぬふりをする人々によって行われている。それにもかかわらず、前述の虐待は白昼堂々と行われたとか、ましてや、教皇フランシスコの前任者たちは知っていたなどと言い張るのは恥知らずな行為である。前任者たちは、聖職者の0.1%が関与したこれらの出来事の詳細について、かなり後になってから報告を受け、迅速かつ徹底的な調査の結果を受けるまで知らされていなかったのだ。

世俗メディア、あるいはカトリック系メディア各社ですら、誤って虐待の隠蔽を公然と非難し、その責任の重荷をもっぱら教皇フランシスコの肩に負わせるが、その動機は、私たちを警戒させるものかもしれない。ここには邪悪なたくらみが働いている──それは教皇フランシスコを非難するカトリック系メディア各社が気付いているよりも、はるかに邪悪なもので、何百万もの魂に影響を及ぼすだろう。このたくらみは、聖パウロがテサロニケの信徒たちにあてた第二の書簡を書いた時に、時の終わりの信徒たちに警告した、悪魔的な「反逆」からなる。特筆すべきは、この書簡においてパウロが使ったギリシャ語の言葉「アポスタシア αποστασία」である。これは「反逆」を意味し、真の信仰を捨て、離反することを意味する。パウロはこの反逆が「不法の者」、「滅びの子」が出現する前に起こると明らかにしている──今日起こっている反逆である。

「だれがどのような手段を用いても、だまされてはいけません。なぜなら、まず、神に対する反逆が起こり、不法の者、つまり、滅びの子が出現しなければならないからです。この者は、すべて神と呼ばれたり拝まれたりするものに反抗して、傲慢にふるまい、ついには、神殿に座り込み、自分こそは神であると宣言するのです。まだわたしがあなたがたのもとにいたとき、これらのことを繰り返し語っていたのを思い出しませんか。今、彼を抑えているものがあることは、あなたがたも知っているとおりです。それは、定められた時に彼が現れるためなのです。不法の秘密の力は既に働いています。ただそれは、今のところ抑えている者が、取り除かれるまでのことです。その時が来ると、不法の者が現れますが、主イエスは彼を御自分の口から吐く息で殺し、来られるときの御姿の輝かしい光で滅ぼしてしまわれます」(2テサロニケ2・3-8)

「……不法の者は、サタンの働きによって現れ、あらゆる偽りの奇跡としるしと不思議な業とを行い、そして、あらゆる不義を用いて、滅びていく人々を欺くのです。彼らが滅びるのは、自分たちの救いとなる真理を愛そうとしなかったからです。それで、神は彼らに惑わす力を送られ、その人たちは偽りを信じるようになります。こうして、真理を信じないで不義を喜んでいた者は皆、裁かれるのですしかし、主に愛されている兄弟たち、あなたがたのことについて、わたしたちはいつも神に感謝せずにはいられません。なぜなら、あなたがたを聖なる者とする“霊”の力と、真理に対するあなたがたの信仰とによって、神はあなたがたを、救われるべき者の初穂としてお選びになったからです」(2テサロニケ2・9-13)

事実確認、教皇フランシスコと教皇座

この「アポスタシア」あるいは反逆は、神の神殿に自ら座す「不法の者」に先行する。多くの教父たちや教会博士たちが「反キリスト」として言及するこの「不法の者」は、公に姿を現すことを抑えられているが、それはオカルト勢力とメディア(これに関しては後述する)による悪魔的な陰謀と、神の聖なる掟をもはや尊ばなくなった人々自身の悪との共謀を通して、大衆が完全にだまされるまでのことである8。反逆を抑え、不法の者がキリストの教会の成員たちに戦争をしかけるのを「抑えている者」(ギリシャ語のオ・カテコン ὁ κατέχων、力を持つ一人の男性)へのパウロの言及は注目に値する。さて、この「抑えている者」とは誰か──力を持つこの男性とは? 教導権による印刷許可と権威筋による承認の標章を持ち、教会認可を受けた『神のうちの真のいのち』の預言的啓示の中で、イエスは回答を与えておられる。イエスは明かされる。

「封印され、その言葉が秘密の中に伏されていたダニエル書は、今や完全な姿を皆の前に現そうとしている。この時代が私に背き、棄教が聖所の中心に忍び込み、司祭、司教や枢機卿にまで及ぶと皆に言ってきた。分かるか、娘よ、私の教会を裏切り、選ばれた者、反逆を押しとどめている教会の代理者に反対する棄教者たちのことを話している9しかしこう言われてきた、あなたの時代にはサタンが入り込み、良い物をすべて破壊し、あなた方を救うことができたはずのこのあわれみの声を伝えようと、私が送っている者たちを突然襲うと」10

「その破滅のわざを成し遂げ、成功のうちに有終の美を飾るために、彼らはペトロの座と、そこに座す者を排除しなければならない11

「不法の秘密の力はすでに働いています。ただそれは、今のところ抑えている者が、取り除かれるまでのことです12

力を持ち、反逆を抑え、不法の者(すなわち、邪悪な者、滅びの子、反キリスト)を抑えている男性とは教皇である。キリストが教皇座に対して授けられた「全権」の効力によって、あるいは「普遍教会全体」を「完全・最高・普遍の権能を持って」「世話をし、支配し、統治する」13という手段によって抑えるのである。この教皇座が、二千年にわたって大衆の良心を形成し、神の神聖な掟に根付かせてきたのである。この力と権能をさらに説明するには、第一バチカン公会議(1869-1870年)における教会の教理に関する宣言を検討するとよい。

「……ペトロの座を継承する者は誰であっても……全教会を管轄するペトロの首位権を取得する。真理が定めたものが堅持され、祝福を受けたペトロが授けられた岩のような強さで目的を貫き、彼がかつて受けた教会への導きを捨てることがないように……」

「彼(ローマ教皇)には…… 私たちの主イエス・キリストによって、普遍教会を指導し、統治する全権が与えられている…… 聖職者と信徒のどちらも、様式や地位を問わず、単独であっても共同体としても、位階的な従属とまことの忠実さをもってこの権能に服す義務がある。これは信仰と道徳に関する問題だけでなく、全世界の教会の統治と規律に関する問題に関しても同様である…… 教皇は、信徒にとって最高位の判事である……」14

第二バチカン公会議もまた、次のように宣言する。

「ローマ教皇と交わりを保ちながら教えている司教は、神的・カトリックの真理の証人として、すべての人から尊敬されるべきである。……ローマ教皇の真正なる教導職に対しては格別な理由で、たとえ教皇座宣言(エクス・カテドラ)でないときにも、意志と理性のこの敬謙な従順を現さなければならない」。15

エルサレムの使徒会議(使徒15・28)の決議を導いた同じ聖霊に導かれたこの二つの公会議が、偶然にも、ローマ教皇の権能と権威をかなり強調し、この時の終わりに、その「全権」によって、反キリストと反逆を抑えている教皇の地位の重要性を、信徒に思い出させていることを不思議に思わずにはいられないだろう。

教皇の権能と権威は、次のように明かされたイエス・キリストから直接来る。「シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ。わたしも言っておく。あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない」(マタイ16・17-18)。そして教皇と、彼に一致する司教たちの権威ある教導の中に留まるキリストの教権は、キリストの次の約束を担うものである。「あなたがたに耳を傾ける者は、わたしに耳を傾け、あなたがたを拒む者は、わたしを拒むのである。わたしを拒む者は、わたしを遣わされた方を拒むのである」(ルカ10・16)

荒らす憎むべきもの

それにもかかわらず、聖書は、この時の終わりに不法の者──反キリスト──が教皇の権能を奪い取ることを明らかにする。それは、何にしろ教皇の行動に起因するのではなく、ローマから教皇を追い出す力を反キリストに与える反逆がすでに働いているからである。反キリストが束の間の勝利を収める時、私たちはヨハネの黙示録13章11節のこの言葉を思い起こすだろう。「わたしはまた、もう一匹の獣が地中から上って来るのを見た。この獣は、小羊の角に似た二本の角があって、竜のようにものを言っていた。この獣は、先の獣が持っていたすべての権力をその獣の前で振るい……」

サタンは反キリストを通して働き、一定の時期、この惑星が提供するあらゆる富と資源を支配するだけでなく、流血と腕力によって、普遍教会全体に対して教皇が行使するペトロの権能と権威を力づくで奪い取ることによって、神にも等しい地位を獲得することに成功する。

サタンが教皇の権威を奪い取ることを、神がなぜ許さなければならないのか、その答えは聖パウロの書簡にある。「……その時が来ると、不法の者が現れますが、主イエスは彼を御自分の口から吐く息で殺し、来られるときの御姿の輝かしい光で滅ぼしてしまわれます。不法の者は、サタンの働きによって現れ、あらゆる偽りの奇跡としるしと不思議な業とを行い、そして、あらゆる不義を用いて、滅びていく人々を欺くのです。彼らが滅びるのは、自分たちの救いとなる真理を愛そうとしなかったからです。それで、神は彼らに惑わす力を送られ、その人たちは偽りを信じるようになります。こうして、真理を信じないで不義を喜んでいた者は皆、裁かれるのです」(2テサロニケ2・8-12)

世俗またはカトリック系のメディアと、オカルト勢力による道具化

教皇ピウス十一世

教皇ピウス十一世は、破壊工作のための秘密組織とメディアについて書いた時、反キリストが教皇の権威を奪い取る方法について、その回答を暗に知らせている。

「共産主義的な思想が急速に流布され、地球上にその影響を免れる場所がないように、大国であれ小国であれ、先進国であれ発展途上国であれ、いまやあらゆる国々に浸透しているのには理由がある。その理由とは、おそらく世界がこれまでに見たことがないような、真に悪魔的なプロパガンダの中に見い出される。それは一つの共通の中心から指導される。それは多様な人々のさまざまな状況に対して、抜け目なく適応される。それは莫大な財源と巨大な組織、国際会議、無数の熟練の活動家を持ち、自由に使うことができる。ビラ、論評、映画、劇場やラジオ16、学校や大学すらも活用する。少しずつあらゆる階級の人々に浸透し、共同体の中でより良い精神を持つグループにすら到達する。その結果、彼らの精神と心の中にさらに浸透する毒に気づく者は少数である」17

強力な要因の一つに、世界の非カトリック系マスコミ側の大部分からの沈黙という陰謀がある。私たちがこれを陰謀と呼ぶのは、通常、日常のどんな小さな事件でも利用したがるマスコミが、これほど長い間沈黙し続けることができる理由を、他の言葉では説明できないからである……また彼らがある国際組織に関して、比較するとごくわずかしか言うべきことがないということの理由も同様である。この沈黙は、一つには近視眼的な方針のためであるが、キリスト教的社会秩序を転覆させるために長い間働いてきた、様々なオカルト勢力にとって都合が良い

使徒たちが救い主に、どうして悪魔憑きの人から悪霊を追い出すことができないのかと聞いた時、私たちの主は「この種のものは、祈りによらなければ決して追い出すことはできない」と答えられた。同様に、今日人類を苦しめている悪は、祈りと償いによる、世界的な聖なる戦いによらなければ制圧することはできない。私たちは特に、男子、女子の観想修道会に、現在の戦いにおいて、教会のために効果的な支援を天から得られるように、祈りと償いを倍加するように求めたい。また、いにしえの蛇の頭を砕かれ、「キリスト者たちの揺るぎない助け」、信頼できる保護者であり続けられる、汚れなきおとめの力強い取り次ぎを、彼らが懇願してくれるように。

教皇ピウス十一世が、「キリスト教的社会を転覆しようと試み、オカルト勢力にとって都合が良く、メディアの沈黙という陰謀によって自身の正体を覆い隠している」一つの共通の中心を持つ国際組織の名称に言及するのを抑制したとしても、福者アンナ・カタリナ・エンメリックと、教会認可の預言的啓示である『神のうちの真のいのち』はこれを抑制していない。神秘的なビジョンの中で、福者エンメリックはこの国際組織を見、『アンナ・カタリナ・エンメリックの生涯と啓示』と題された著作に書き記している。

「これらの『イルミナティ』たちが、反キリストの到来に明白に結びついているのを私はいつも見てきました……彼らの秘伝によって、彼らの不正によって、彼らは悪の神秘の達成を促進するからです」18

「私は新しい殉教者たちを見ました、現在のではなく、未来の殉教者たちです……秘密組織19が(聖ペトロの)偉大な教会を弱体化させ、彼らのそばに海から上ってきた恐ろしい獣がいるのを見ました」20

教会認可の啓示である『神のうちの真のいのち』において、イエスは明かされる。

「読まなかったか。『イエスがキリストであることを否定する人こそ、うそつきです。御父と神の御子を否定する人こそ反キリストです。御子を否定する人は、御父とのつながりを持たず、御子を認める人は、御父とのつながりを持っている』(1ヨハネ2・22-23)。……サタンは多くの人々を欺こうと、光の天使を装っている。そして反逆者(フリーメイソン)を伴って、彼を認める人たちに大きな誉れを授け、気に入った者には栄誉を与えて多くの者を支配させ、領土を与える(ダニエル11・39)。しかしまことに言っておく。間もなく天が開かれ、私の火が襲いかかり、彼らを焼き尽くそう」21

「……彼らは私の家に対して隠謀を企て、ペトロに最後のとどめを刺そうと会合に会合を重ねている!」22

警戒すべきは、これらのオカルト勢力は現在、教皇を公にあざけり、退位を要求するカトリック系テレビ局やメディア各社の努力を利用しているという事実である。教皇の退位を要求するこれらのカトリック系放送局は、自分では気付かないうちに、他の全世界のカトリック信徒が続くべき前例を作り、サタンは自身の「荒らす憎むべきもの」を神の聖所に打ち立てるために、「抑えている者」、つまりローマ教皇を取り除く計画をさらに推進しているのだ。

非常に不幸なことに、すでに手遅れとなり、彼らの目からベールが取り除かれた時、彼らは悲しくも悟るだろう。サタンが教皇座の廃位を容易にするために、自分たちが行った教皇への公の攻撃をいかに利用したかを。それは永遠の生けにえの廃止と、神の聖所に荒らす憎むべきものを打ち立てることへとつながる。

教会の聖人たちや神秘家たちによる教会公認の著作により、サタンが次のような段階を踏んで、非合法な手段で、教皇の権力と権威を奪い取ることに成功するということは十分に明白である。つまり、反キリスト教的な政府が発足し、異教的な法律を強要し、教会が提供できないようなものを要求する。最もありそうなものは、例えば教会の免税措置の撤廃、教会への同性婚の強要や、カトリック系の病院への堕胎の強制などである。それは圧倒的多数の教会と教会組織と施設を閉鎖に追い込むだろう(これはガラバンダルの預言の成就でもある──以下のインタビューを参照)。そして神の聖所から聖櫃と永遠のいけにえを取り除き、カジノやナイトクラブ、レストランやリゾート施設に改築することによって非聖化し、預言された「憎むべきもの」によって置き換える(ダニエル書9章27節、11章31節、12章11節、マタイによる福音書24章15節の成就)。

ガラバンダル

ガラバンダルの4人の少女

これらが起きることは、ガラバンダルの幻視者、マリ・ロリの1982年10月19日のインタビューにおいても支持されている。

質問:警告に先立つとされる、共産主義者による抑圧について聖母がおっしゃったことを覚えていらっしゃいますか?
マリ・ロリ:あたかも共産主義者が全世界を支配したかのようになり、司祭がミサを立てたり、人々が教会の扉を開くといった宗教行為が非常に困難になるでしょう。
質問:そして、世界はあたかも教会が消えてしまったような様相を呈するとおっしゃったのは聖母ですね?
マリ・ロリ:はい。
質問:この現象は人々が宗教上の教えを実践することをやめてしまうからではなく、共産主義者の迫害によって起こるわけですね?
マリ・ロリ:はい。とはいえ、多くの人々が宗教から離れるでしょう。宗教上の教えを実践する人は誰でも隠れなければならなくなるでしょう。

教皇の権能と権威の非合法な奪取に関する預言

福者アンナ・マリア・タイギ

福者アンナ・マリア・タイギ(1769-1837)は教会認可を受けており、多くの超自然的な啓示が特別に与えられた。彼女は有名人の死や、多くの歴史的出来事を正確に予告した。ある時、彼女は臨終の床にあった教皇レオ十三世に関して、「教皇様は亡くなられません。しかしモンシニョール・ストランビは死の準備をする必要があります。なぜなら、彼は教皇様のために自分の命を奉献し、私たちの主はこの寛大な奉献を受け入れられたからです」。最悪の健康状態にあった教皇レオ十三世は、数日のうちに完全に回復し、健康を謳歌していたはずのモンシニョール・ストランビが死去した23。福者アンナ・マリア・タイギはローマ教皇の追放を預言する。

「宗教は迫害され、司祭は虐殺されるでしょう。教会は閉鎖するでしょう、しかし短い間だけです。教皇はローマを離れることを余儀なくされるでしょう24

聖ピウス十世教皇

聖ピウス十世(1835-1914)は、福者アンナ・マリア・タイギのビジョンを追認する。

「現在の世の邪悪さは、世の終わりの前に起こる悲しみの始まりに過ぎない」25

「私の後継者の一人が、兄弟たちの死骸の上を飛行しているのを見た。彼は変装してどこかに避難するのだ。短い引退(追放)期間の後、彼はむごい死を迎える」26

尊者バルトロメオス・ホルツハウザー(1613-1658)は、この迫害の間、ローマは徹底的に破壊されると啓示する。

「神は教会に大きな害が及ぼされるのをお許しになる。予想していない時に、異端と独裁者が突然訪れるだろう。司教たち、高位聖職者たち、司祭たちがぼんやりしている間に、彼らは教会に押し入る。彼らはイタリアに入り込み、ローマを荒廃させる。教会を焼き払い、全てを破壊する」27

教会公認のラサレットのメッセージの中で、聖母は二人の子供、メラニー・カルヴァとマクシマン・ジローに次のことを明らかにされた。
「ローマは信仰を失い、反キリストの座となるでしょう」28

前述した教会認可の『神のうちの真のいのち』の預言的啓示は、カトリック信徒の支援によって(この点がさらに強調される)、教皇を失脚させ、教皇の権能と権威を奪取し、永遠の生けにえを「憎むべきもの」と置き換えようとする、今日の悪魔的計画について強調する。

「この時代が私に背き、棄教が聖所の中心に忍び込み、司祭、司教や枢機卿にまで及ぶと、あなたたち皆に言ってきた。……私の教会を裏切り、選ばれた者、謀反を押しとどめている教会の代理者に反対する棄教者たちのことを話している。……しばらくの期間、一時期、二時期と半時期、私の者たちはその迫害に遭い、野獣の支配を受けるであろうと言われている。……永遠の生けにえを排除しようと企て、それを踏みにじり、押し潰し、代わりに、荒らす憎むべきもの、命を持たない像を打ち立てる計画だと書かれている……今日、これらの預言がいかに実現しているかをあなたたちは皆見ている。獣に感化され、この棄教者たち29は、あなたたちに送っているどの聖人にも戦いを挑み、その勢力のほうが勝っている。そして、いわれなく今日の私の呼びかけを拒んでいる者たち30は、私の日にこう言って懺悔するであろう。

『ああ主よ、私たちは目が見えずに、罪を犯しました。実にあなたに背き、十戒と主の掟を裏切りました。み名によって世界中に語りかけていた、あなたのしもべである預言者たちに耳を貸すのを拒みました。主よ、あなたの慈悲の声に耳を傾けず、その忠告を聞こうともしませんでした、神よ、あなたの厳然とした印に、注意も向けず、罪深くも、この人びとを皆小馬鹿にしていました。私たちは聖書をもてあそんでいました、そうでなかったなら、天にあなたの印31を見て受け入れ、聖霊の賜を迎え入れていたでしょうに。今力をもって来られ、しかし見て回心しないように、目を背けてしまったのです、そこで聖書に書かれてある呪いがすべて、今度は降りかかってくるでしょう—あなたに対して実に背いたからです。そして今、聖なる生けにえが廃止された今、どこを向いたらよいでしょう? 何によって私たちの魂を養いましょう? どう渇きを癒せばよいのでしょう? これからはどうやっていのちを得られましょう? あなたが予告され、秘密にされてきたその忌むべきものによる荒廃は、今やすべて現実となってしまいました。私たちの悲しみは比ぶべくもなく、存在しはじめて以来初めてのことです』32

以下の『神のうちの真のいのち』の預言的啓示は、この「憎むべきもの」を「抑えている」教皇との一致に留まることの重要性を強調する。イエスは次のように明かされる。

「私の教会がこれほど混乱していたことはない……混乱のうちに治めている……サタンによってすっかり誤った道に逸れてしまった、サタンは彼らの目をくらまし……錯覚した中で、ペトロも、私自身が、全ての小羊に対して彼に与えた権能も認めようとしない……彼らは私の基に対してたくらみを企てている……私の家に対して隠謀を企て、ペトロに最後のとどめを刺そうと、会合に会合を重ねている」 33

聖母は次のように啓示される。「心の暖かさと光の輝きを通して、福音のまことの証人となりなさい。主と共に十字架を担って、イエスの証人となりなさい。信仰を堅く保ち、キリストの代理者と一致することによって、教会の証し人となりなさい。決して口をすべらせないように。主が完全なお方であるように、完全な者となりなさい。それによって、あなたたちがまことに神の偉大な愛の初穂であることが示されますように」 34

「今は闇が支配する時です。神の家に忠実であり続け、教わった伝統を守り、そして、私が愛し祝福する、私の子の代理者に耳を傾けてください。どの司祭も、私の子の代弁者として行動する恵みを、神は与えておられます。ですから、教会の代理者にまだ身を低くして従っていない者たちが従い、そう望むように、私は祈っています。イエスは忠実で真実であられます。完全であられる方、あなたたちの神にならってください、その謙遜、明け渡し、従順、素直さにならい、こうしてあなたたちも完全になるように。そうするなら、苦しみと苦行という、さらに大きな恵みもいただくでしょう。そしてこのすべてが、聖性へと、あなた方の住まいである聖心へと、あなたたちを導くのです」 35

イエスは明かされます。「毒蛇が祭壇上の秘跡の周囲を這いまわっているビジョンを覚えているか? 彼らのいかに多くが教皇に抵抗し、教皇をどれほど脇に追いやっているかを明らかにしなかったか? 私の教会の内部での反逆については、すでに詳しく知らせてきた36

「私の子よ、次のような理由により、私たちは私の受難を分かち合っている。私の代理者の周囲にいる者たちの間にはびこる不忠実さのために、平和と一致を叫びながら、自分自身の言葉を生きていない者たちの間にはびこる不忠実のために、私の聖霊の声を窒息させる者たち、そしてこの大空の下で極悪な生き方を続けている者たちのために。愛する人よ、各時間ごとに、カルワリオの道へと私を引いて行くすべての魂たちのために、償いなさい。このすべての償いは無駄にはならない」 37

教皇の普遍の教えの権威

信徒の霊的な福祉のために、イエス・キリストが教皇に直接伝達される無謬のカリスマとは、特別教導権 Extraordinary Magisterium の行使である。それはキリストによって自由に授けられ、啓示や、道徳や信仰に関する事柄について、教皇座宣言 Ex Cathedra として(ローマ司教のサン・ジョバンニ・ラテラノ大聖堂より)行使される38。キリストの代理者──ローマ教皇──ただ一人だけが、特別教導権を行使する。キリストがこのカリスマを教皇に与えられたのは、道徳や信仰に関する教皇の教えは、神の不変のみ言葉であり、人間の言葉ではないということに、信徒が絶対的な確信を持つことができるようにするためである。

通常教導権 Ordinary Magisterium とは、司教がこの賜物を分かち合うということである。司教の共同体は、教皇の唯一の権威を分かち合うことによって、教皇の無謬性という最高位の賜物の行使に「参与する」ことができるのであり、教皇と分離するならば、彼らの権威は価値を失う。神が啓示された真理について、教会の成員を照らすために、教皇と司教たちを通して表わされたカトリック教会の教職として教導権が現れる時、信徒は、教皇と、彼に一致する司教たちの両方に忠実に従わなければならない39

それゆえ、神の預言者たちが「羊飼いのいない教会」について予告したとしても、彼らは教皇あるいは司教の権威を侮辱しているわけではなく、教皇が追放されるかあるいは殺害されるといったある時期について警告しているのであり、一時的な教皇の空位期間において、教皇座は公然と拒絶され、不正な教皇選挙が行われることもあり得ることを警告するのである。実際、教会は二人の教皇が同時に着座を主張した14世紀の分裂を含め、いくつかの不正な教皇選挙を経験したことがある。言うまでもなく、有効に在位する教皇は一人だけであり、二人ではない。それゆえ、そのうちの一人は、無効なコンクラーベを実施した数名の国家主義者の枢機卿たちによる、偽りの権威をまとった偽物であった。すなわち、対立教皇クレメンス七世である。このコンクラーベを無効たらしめたのは、枢機卿団全員の不在であり、さらに、必要となる三分の二の多数の投票の不在であった。

教皇選挙の有効性を決定する他の基準は、本物の教皇が生存している限り、たとえ追放の身にあったとしても、退位の承諾無しに、別の教皇を選出しようと試みるコンクラーベは行われないということである。それゆえ、教皇がローマから飛び立つ、あるいは追放されると予告する預言は、教皇の退位を意味するのではなく、教皇の不在時に試みられる教皇選挙を有効と認めるものでもない。神はご自身の羊の群れを放っておかれることは決してないが、罪ゆえに、羊の群れを短期間のみ試されるのである。さらに純化され、聖化され、強い信仰を持つために、金が火によって精錬されるように。

ここに提供された情報が、人々にとってキリストへの忠実に留まり、地上におけるキリストの代理者、教皇フランシスコの教導権に忠実でい続けるための励みとなるように希望する。

+ジョゼフ・レオ・イアヌッツィ神父
S.T.L, S.Th .D.(神学博士)

この記事は、『神のうちの真のいのち』マガジン第43号(2019年9月)の記事を翻訳したものです。

  1. ゼカリア13・9、7・14、詩編44・11、エレミヤ10・21、23・2、哀歌4・13-16、エゼキエル6・8。
  2. エゼキエル34・4-12。
  3. カール・E・シュムーガー著『アンナ・カタリナ・エンメリックの生涯と啓示』1820年4月12日のメッセージ。Very Rev. Carl E. Shmöger “The Life and Revelations of Anne Catherine Emmerich” (Rockford: Tan)
  4. (訳注)教皇フランシスコは2023年現在、車椅子で移動するようになっている。
  5. (訳注)教皇フランシスコの諸活動について、教皇の信用をおとしめるような解説のついた写真や記事が近年活発に流布されている。ここで示唆されているように、側近に裏切り者がいるとすれば、このような罠とプロパガンダをしかけることは容易だと理解することができる。
  6. 同書第二巻、290、292、303、310ページ。
  7. 同書第二巻、346、349、353ページ。
  8. 聖エイレナイオス、エルサレムの聖キュリロス、シリアの聖エフレム、聖ヨハネ・クリゾストモ、聖アウグスティヌス、聖ヒエロニムスなどの聖人たち、また聖トマス・アクィナスや聖ベラルミノといった教会博士たちは、聖パウロが「不法の者、滅びの子、すべて神と呼ばれたり拝まれたりするものに反抗して、傲慢にふるまい、ついには、神殿に座り込み、自分こそは神であると宣言する」と言及している邪悪な男性とは、反キリスト以外の何者でもないと断言している。
  9. 2テサロニケ2・7、「抑えている者」への言及である!
  10. 『神のうちの真のいのち』1993年12月20日。
  11. 『神のうちの真のいのち』1995年4月28日。
  12. 『神のうちの真のいのち』1993年3月17日。
  13. 公会議法令、第一バチカン公会議第2巻、ワシントン D.C.1990年。De perpetuitate primatus beati Petri in Romanis pontificibus, pp. cap. II-IV, p. 923
  14. 公会議法令、第一バチカン公会議第2巻、ワシントン D.C.1990年。op. cit., pp. cap. II-IV, pp. 813-815.
  15. 第二バチカン公会議、教会憲章25。
  16. 現代であれば当然、テレビとインターネットが加えられるでしょう。(訳注)
  17. 教皇ピウス十一世の無神論的共産主義についての回勅『ディビニ・レデンプトリス Divini Redemptoris』1937年3月19日発布、nn. 17, 18, 59。
  18. アンナ・カタリナ・エンメリック著『キリストのご生涯 The Life of Christ』(Tan Books, Rockford)1976年刊、第1巻の405ページ。
  19. 福者エンメリックは、自身のビジョンの至るところで、カトリック教会にとって最も危険な秘密組織として、特に「イルミナティ」と「フリーメイソン」に言及している。
  20. 『キリストのご生涯』第2巻290ページ。
  21. 印刷許可と権威筋による承認を有する、ヴァスーラ・リデン著『神のうちの真のいのち』1992年4月19日のメッセージ。
  22. 『神のうちの真のいのち』1987年12月12日。
  23. 聖ビンセント・ストランビは1950年に列聖された。
  24. 『カトリックの預言』45ページの「福者アンナ・マリア・タイギ」より。教皇がローマから逃れ、追放の身となり、聖ピウス十世が言うように、むごい死を迎えるとしても、正当に選出された別の教皇がその座を継承する。福者アンナ・マリア・タイギは、この出来事は、最終的には新しい正当な教皇の選出で終わると述べている。「暗黒の三日間の後、聖ペトロと聖パウロが天から下り(象徴的な意味で理解するように)全世界に教えを説き、新しい教皇を指名する。彼らの体から光がひらめき、教皇になるべき枢機卿を決める。そしてキリスト教は、全世界に広まる」(同上)
  25. 『カトリックの預言』22ページ、20世紀、聖ピウス十世教皇。
  26. もし教皇が「むごい死」を迎えるとしても、それは神の神聖な支援なき死ということではない。イエス・キリストご自身を始め、偉大な霊的巨人たちの中には、多くの者にとって「むごい」と見られる死を経験した者もいる。
  27. 同上40ページ、1850年、尊者バルトロメオス・ホルツハウザーの啓示。
  28. ラサレットの聖母、1846年9月19日のメッセージ。フランスのグルノーブル司教は調査後、ラサレットの出現を認める決定を下した。
  29. 主によると、棄教者たちとはフリーメーソンの感化をうけた教職者たちのことです。この棄教者たちは黙示録13・11に記されています。二番目の獣、偽りの預言者として。
  30. ヴァスーラは付け加える。「善い羊飼いたち、しかし懐疑的で心を閉ざしています」。
  31. ヴァスーラは付け加える。「マタイ24・30、ダニエル7・13-14。力を持って今訪れ、神の民を集めておられる聖霊による表明です。聖霊の降り注ぎは、教会を新たにするための天の印です。言い換えると、新たなエルサレムを打ち立てるための」。
  32. 『神のうちの真のいのち』1993年12月20日。
  33. 『神のうちの真のいのち』1987年12月12日。
  34. 『神のうちの真のいのち』1990年10月10日。
  35. 『神のうちの真のいのち』1991年3月18日。
  36. 『神のうちの真のいのち』1993年2月19日、1990年9月12日、1991年6月2日、1991年6月6日、1991年6月27日、1991年7月16日も参照せよ。
  37. 『神のうちの真のいのち』1990年3月2日。
  38. 使徒たちはキリストから「あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい」(マタイ28・19)「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい」(マルコ16・15)と任命された。それゆえ、キリストがその教えを伝えるために確立された方法は、多くを書くことではなく、口頭で教えを説くこと、生ける教導権(宣教し、教える職権)であり、イエスは世の終わりまで、ご自身がこれを支援されると保証された。「だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。……あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」(マタイ28・20)。この言葉はまた、キリストが基礎を築かれた教導権が、使徒たちの共同体に委ねられたことも明らかにする。この教える権威は第一にペトロに与えられ、ペトロと一致する使徒たちとその後継者、司教たちに分け与えられている。
  39. 教会憲章25、カトリック教会のカテキズム2034、2039。