カトリック教会のカテキズム1170
「ニケア公会議(325年)では、全教会が、キリスト教の過越祭が春分後の満月(ニサンの月の14日)の後の日曜日に祝われることで合意しました。ニサンの月の14日の計算方法の違いのために、西方教会と東方教会とでは復活祭の日は必ずしも同じになるわけではありません。そのため、両教会は現在、主の復活の祝日を再び同日に祝うための合意を目指して努力しています」
第二バチカン公会議典礼憲章・付録
聖なる第2バチカン公会議は、復活祭を一定の日曜日に定め、暦を固定させようという多くの人の希望を重視すべきものと考え、新しい暦を取り入れることによって生じるすべてのことを慎重に考慮したうえで次のことを宣言する。
1. 関係者、特に、使徒座との交わりから離れている兄弟たちの賛同があれば、聖なる公会議は復活の祝日を、グレゴリオ暦の中の一定の日曜日に定めることに反対しない。
2. また、万年暦を一般社会に取り入れようとする企てに対して、聖なる公会議は反対しないことを宣言する。
万年暦を定め、一般社会に取り入れるために考え出される種々の体系があるが、その中で、日曜日を含めて七日から成る一週間をそのまま守り、週間以外の日を設けることなく、週の継続がそのまま保存されるもののみに教会は反対しない。ただし、重大な理由があるときはこの限りではないがこの場合は、使徒座の判断による。
この教令の中で布告されたこれらすべてのことと、その個々のことは、諸教父の賛同したことである。わたくしもキリストからわたくしに授けられた使徒的権能をもって、尊敬に値する諸教父とともに、この教令を聖霊において承認し、決定し、制定し、このように教会会議によって制定されたことが神の栄光のために公布されるよう命ずる。
ローマ 聖ペトロのかたわらにて
1963年12月4日
カトリック教会の司教 パウルス自署
(諸教父の自署が続く)
「神のうちの真のいのち」のメッセージより
「兄弟たちよ、私のからだの一致を保つために、力を尽くしているだろうか?」(1990年3月10日)
「復活祭のたびに私は、あなたたちによる分裂の杯を押しつけられ、その杯を飲まされている。……彼らが復活祭の日付を一致させるまでに時間がたてばたつほど、この時代は厳しい裁きを受ける」(1994年5月31日)
「あなたに平和。御父が私を遣わされたように、あなたを送る。さあ、行って兄弟と会い、復活祭の日付を一致させなさい、そうするなら愛という賜を与え、視力を回復させよう。自らの愚かさであなたたちが滅びるのを私は望まない。確かに、私は二倍の悲嘆にくれている。二倍のうめき声を発している。さあ、行って私の苦痛を和らげてほしい、兄弟よ、復活祭の日付を一致させ、私の誉れとなりなさい」(1994年12月7日)
「兄弟よ、来る年も来る年も耐えている痛みを、またこの季節も忍ばなければならないのか? それともこのたびは休ませてくれるだろうか? あなたたちの分裂の杯を、もうひと季節飲まなければならないか? それとも私の体を休息させ、復活祭の祝日を、私のために、統一してくれるだろうか? あなた方が復活祭の日付を統一することによって、私の痛みは和らぐ。兄弟よ、そしてあなたたちは私のうちに歓喜し、私はあなたたちのうちに喜ぶ。そして多くの視力が取り戻されるであろう」(1991年10月24日)
「私の家の者たちが誠実さに欠け、復活祭の日付を一致させようと、私の霊のうちに働かないのを見ていて、私の心は憂いが絶えない。……復活祭の日付を一致させるようにと懇願してきたが、あなたたちには私の霊の言葉が聞こえていない。御父の忍耐を、あなたたちは挑発している。このたびも復活祭の日付を一致させるようにと頼んだ、そうするなら私の霊はあなたたちの上に恵みをもって輝き、私の家に一致をもたらそう。私は今日話しかけているが、このメッセージにある私の言葉を、あなたたちは評価しない。いつの日かはそうするだろうが、その時はもう遅すぎるであろう…… ああ! 一致のために働く一人だけでも、たった一人だけでも、自分の情念や恐れに負けず、復活祭の日付を進んで一致させてくれるなら、神なる私はその人をほめたたえよう。──しかし東の家で見られるのは、苛立ち、頑なさや恐れ、兄弟でいながら敵対する者たち。東の家よ、あなたは私が伝えた通りに、しかも私の初代教会が行ったように、伝統をよく守ってきた、だが、あなたを救い、救いが切実に必要な人びとを救えるほどには、私の聖霊が養うのを許していない……(1996年11月27日)
「正教会との復活祭の日付の共有について、ローマ教皇:
日付を選んでください、私たちはそれを受け入れます」
2013年3月13日、「ハベムス・パパム(私たちは教皇を得た):ホルヘ・マリオ・ベルゴリオ」と発表された時、ヴァスーラはすぐに私(*スイスのルシアン・ロンバール)にこう言いました。「私はブエノスアイレスで彼に会いました。彼は私の話を注意深く聞いてくれました。彼が復活祭の日付を統一するその人物だったとしても、私は驚きません」。
2022年11月19日にアレテイアに掲載された、キャスリーン・N・ハットラップによる有意義な記事を以下に紹介します。
「正教会との復活祭の日付の共有について、ローマ教皇:
日付を選んでください、私たちはそれを受け入れます」
聖ペトロの場所で
AP通信/東部ニュース
キャスリーン・N・ハットラップ – 2022年11月19日
「この点について、私には言いたいことがあります。──もちろん、聖パウロ六世が当時述べたことの繰り返しになりますが。私たちには、共同で提案されたものなら何でも受け入れる用意があります。」
カトリック教会と正教会の両方が、復活祭の共通の日付を見つけるという決意について語っており、この目標はこれまでになく近づいているようです。
この11月19日、ローマ教皇フランシスコは、イラクに総本山を置く東方アッシリア教会のカトリコス総主教であるマル・アワ三世に謁見しました。
教皇は、復活祭の共通の日付を見つけるという自身の希望を保証したカトリコス総主教に感謝の意を表しました。
カトリックでは、復活祭は春分の日の後の最初の満月の次の日曜日とされています。 グレゴリオ暦とユリウス暦の使用など、正教会との日付の相違を生む要因はさまざまですが、正教会が「キリストの受難の聖なる順序を維持するためには、復活祭はユダヤ人の過越祭の後に開催されなければならない」という以前の要件に従っているという側面もあります。
日付の相違についての詳細はこちらをご覧ください(英語記事、未翻訳)。
「あなたたちのキリストはいつ復活するのですか?」
この問題の解決に向けて取り組んでいる宗教指導者には、ギリシャ正教会のヴァルソロメオス総主教、コプト正教会のタワドロス二世、教皇フランシスコが含まれています。
「この点について、私には言いたいことがあります。──もちろん、聖パウロ六世が当時述べたことの繰り返しになりますが。私たちには、共同で提案されたものなら何でも受け入れる用意があります。」
これは、1963年に公布された第二バチカン公会議の「典礼憲章」の付録でパウロ六世が述べた言葉です。
2025年? 勇気を持ちましょう……
教皇フランシスコは、「2025年は重要な年です。最初の公会議(ニカイア)の記念日を祝うことになりますが、同じ日に復活祭を祝うという意味でも重要な年です」と付け加えました。
カトリック教徒にとっては、この年は通常の聖年でもあります。この年の復活祭は、カトリックも正教も4月20日、4月の第3日曜日となります。
この合致を踏まえ、教皇は次のように提案しました。
「『あなたたちのキリストはいつ復活するのですか?』という、時に私たちを笑わせるこの分裂に、終止符を打つ勇気を持とうではありませんか。私たちが示すべきしるしは、 私たち皆のただ一人のキリストです。勇気をもって共に探求しようではありませんか。私はそうするつもりです、いや、私ではなく、カトリック教会が、聖パウロ六世の言葉に従いたいと望んでいます。私たちは賛成し、あなた方の言うところに従います。あえて夢を語らせていただくとすれば、教会史上最も長い年月にわたって分離状態にあった、愛する東方アッシリア教会との分離が、神のご加護により、最初に解決されることを願っています。」